カウンター 読書日記 『持丸長者』・国家狂乱篇(続)
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


『持丸長者』・国家狂乱篇(続)
 ●北海道内の石炭産出量は、北海道炭鉱鉄道の会社設立から十八年間に七倍以上に急増して、それを受け継いだ北海道炭鉱汽船がその八割を採掘する支配企業となった。そして日本製鋼設立の二年後には、室蘭市に輪西(わにし)製鉄所を建設して溶鉱炉を創業したが、明治四十五年四月二十九日に夕張炭鉱でガス爆発が起こり、入坑者二百七十六人が死亡する大惨事となって北炭重役全員が辞任し、翌年、三井鉱山の★団琢磨が会長に就任して、大株主の三井に経営が移り、石炭を掘り続けた。序章に紹介した日本産業界の水先案内人、日本工業倶楽部の初代理事長・団琢磨である。
 彼と北海道の関係は、それだけではない。北海道内を巡視して、薩摩閥によるバラバラの行政がよくないことを見抜き、北海道行政を一括しておこなうべきだと建議したのは大政官大書記官の金子堅太郎で、それによって北海道庁が誕生したのだが、★金子堅太郎の妹と結婚したのが団琢磨であった。金子はハーヴァード大学に留学して先見的な目を持っていた人物だが、囚人を酷使して道路建設をおこなわせ、死に追いやれば監獄経費を節約できるという残忍な考えの持主でもあり、そこから生まれたのが網走刑務所であった。彼らの系譜は、のちに第四章二二四頁の系図4「新潟県石油業者と大地主」に描くが、これが、日本を最後の軍国ファシズムに招く導火線となることを記憶されたい。

 大正時代に北海道炭俵汽船社長をつとめた磯村豊太郎も、団琢磨と組んだ日本工業倶楽部創立委員の一人だが、彼の肩書を見れば、北海道に何が起こったか、およそ想像がつく。彼は、福沢諭吉と同じ大分県中津の出身で、夕張炭鉱大惨事のあと、三井物産から抜擢されて北海道炭鉱汽船に入った。そして、夕張鉄道社長・日本製鋼所会長・輪西鉱山社長か輪西製鉄・北海道製鉄・北海道人造石油・洞爺水電組合・天塩鉄道・北海道開発・・・の経営に参画したとある。これは、北海道における事業だけの肩書である。
  それにつけ、黒田清隆を先頭にした薩摩の鹿児島県大集団は言うまでもなく、福沢諭吉と磯村豊太郎が大分県、大隈重信が佐賀県、日露ポーツマス条約を締結して樺太分割をおこなった外務大臣・小村寿太郎が宮崎県、団琢磨と金子堅太郎が福岡県……★実に多くの人間が九州から出て、北海道を動かしたものである。
 この北海道開拓物語では、膨大な数の名もなき民衆・農民・漁民は登場していない。その人たちこそ、まことの北海道開拓者であった。ほとんど痕跡もないほど消されたアイヌ集落と、極寒の地で鉄の足かせをはめられ、死ぬために働かされた囚人たちの最期を知って、胸が痛まない人間はいまい。北海道をただ荒し回って逃げ去った人間たちと違って、この開拓史を胸の奥深くに理解し、住み着いて原野を開拓した小作人たちこそ、花咲き乱れる夢の地を育てた、現在の北海道民の姿である。
 北海道の実業の柱となった「石炭」を運ぶ鉄道と、その「鉄道」の線路を生み出す「鉄鋼」と、その溶鉱炉を動かす石炭は、互いに相手の富を産み、相手に助けられる三角同盟の性格を持っていた。これが、モルガン財閥、ロスチャイルド財閥、クルップ財閥を筆頭に、すべての大国において巨大財閥の中核を成してきた。
 新橋―横浜間の鉄道開通は誰にも知られているが、しかし一体、誰の手で、日本の鉄道は走り始めたのであろうか。

 第三章 鉄路は伸びる

 
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/195-0bfb43ba



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。