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陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(8)-3
●「翔ぶが如く」の典型というべき樺山資紀
 

  上原勇作応援団の一人たる樺山資紀は、天保八(一八三七)年に薩摩藩士橋口家に生まれた。野津道貫より四歳、高島よりも七歳の年長の樺山は、幼名を覚之進と称した。生来剽樺な気質で知られ、その一端は津本陽の小説『薩南示現流』に記されている。すなわち、薩摩の若手侍が連れ立って京の市中を徘徊中、新撰組に襲われた時、朋友を見殺しにしてその場を逃れた同輩の首を、朋友の葬式の場で、橋口が一刀で断った話である。因みに、司馬遼太郎作のテレビドラマ『翔ぶが如く』は、川路利良を主人公とし、薩摩男児の言動を活写したものと言われているが、このドラマのタイトルこそ高鳥鞆之助か薩摩男児を形容した言葉である。
 島津藩兵として二番進撃隊に属した樺山は慶応三年、禁裏守衛のために上京する。その際、京の薩摩屋敷を支配する吉井幸輔(友実)から女中頭吉薗ギンヅルを引き合わされたものと思う。戊辰親争の勲功で覚典禄八石を下賜された樺山は、西郷隆盛が行った献摩の藩献改革に参加し、明治二(一八六九)年六月加世田郷地頭(代官・後の郡長)に親くが、二年後に御親兵献進のことが起こる。
 御親兵とは、明治四年二月に薩摩・土佐・長州の三藩が藩士を献進して明治政府直轄の兵力としたもので、廃藩置県はこの武力を背景に実行されたのである。同年四月、国内治安後持のために要地に鎮台を置くことになったが、鎮台兵には御親兵の一部が転じたが、ほかに全国の士族から志願兵を募った。これを「壮兵」という。四月に津山鎮台(石巻) ・西海鎮台(小倉)を置いたが、八月にはこれを廃して東京鎮台・大坂親台・鎮西鎮台(熊本) ・東北親台(石巻)の四鎮台とした(鎮西鎮台は五年四月熊本親台に、東北鎮台は六年一月仙台鎮台に改称された)。その一方、五年二月に近衛条例を制定し、天皇に直属する近衛都督の下に近衛兵を創設し、壮兵だけを以て編成した。六年一月制定の徴兵令による徴兵はすべて鎮台に配置され、近衛兵は壮兵だけを配備したので、両者は別系統である。

 御親兵の献進に際して、薩摩藩では歩兵四大隊、砲兵四隊が上京する。野津兄弟や高島鞆之助は上京後だが、西郷は国元に残す常備隊の大隊長として、樺島を残した。四年八月、前進のように熊本に鎮西鎮台が置かれると、常備兵一大隊は鎮西鎮台に吸収され鹿児島弟二分営として編成されたので、大隊長樺山資紀は分営長に横滑りした。その辺りを『大日本人名辞書』には「九月二十七日付で大隊長となり、初任少後、鎮西鎮台の鹿児島分営長に輔せられ、五年に「大貳心得を拝す」と記す。親台は後の旅団(その後師団)に、また分営は後の部隊に相当する。鎮西鎮台には熊本本営のほかに広島の第一分営と鹿児島の第二分営があり、分営司令官の官名は大貳だが、分営長とも呼んだらしい。相当階級は中佐で、樺山の場合大蔵に「心得」が付いたのは、階級が少佐だったからである。
 

 さて、次章のタイトルは、

 ●<並々ならぬ機微がある「征韓論」と「征台論」>

 であるが、言い得て妙なるものだと思うし興味津々の一章。

 あの、松岡正剛も近著『日本という方法』(NHK出版2006.9.30)で、めずらしくこう述べている。

 「・・・ある大学の情報系の研究所で日韓関係の話題になったとき、・・・日清戦争前後の事情を説明した。・・そのとき「なぜ西郷が征韓論を唱えたかの説明がつかない限り、日本の近現代史は何も解けないですよ」といったことを口走りました。

 ・・・私もいまなお西郷が征韓論に追いこまれたことを簡潔に説明できないのですから・・・」

 松岡氏には是非本稿にアクセスいただき、その編集力で、提議される「事実」の統合の力業を示してもらいたいものだ。「簡潔」にでなくとも結構、存分に「征韓論」を論じてもらいたい、と言っておこう。

 以前本<読書日記>には次のような「檄」というか「ジャブ」と言おうか、落合氏からのコメントがあった。・・・
 気付きにくいとこだろうから、あえてここに記す。
 http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-163.html#comment29

 ★ 加地氏(註:加治将一氏のこと)についてはよく知らないが、文筆界に登場のしかたと、著書の内 容からするとワンワールドから発信方に任ぜられたと感じる。簡単な愉快犯と見るべからず。
 フルベッキ写真の原本は元来、古野直也氏の所有と本人から伺い、大室寅之佑にかんする共著を申し出られたが、当時はフルベッキ写真について疑義があり、お受けしなかった。
 日蓮曰く、もしは信もしは謗、ともに仏道を成ぜんと。論駁大いに楽しみにしてます。
 【2007/07/10 07:06】 URL | 落合莞爾 #- [ 編集]

  

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