カウンター 読書日記 続・『「兵士」になれなかった三島由紀夫』
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


続・『「兵士」になれなかった三島由紀夫』
   ★「兵士」になれなかった三島由紀夫
    杉山隆男 小学館 2007/08出版
    価:\1,470(税込) (本体価:\1,400)
 
 自衛隊体験入隊時の三島の素顔を明かす力作

「ダメだッ」「情けない」。あの三島が、おのれの無力に打ちひしがれた――。1970年11月25日に自衛隊の本拠・市ヶ谷駐屯地で壮絶な最期を遂げるまで、三島由紀夫は毎年のように自衛隊に体験入隊を繰り返していた。その中で三島は、苛酷な訓練にも真摯に臨み、ボディビルで鍛え上げた自慢の肉体の“弱点”すら晒け出していた。さらに現場の「兵s士」=自衛隊員たちとも濃密な交流を重ね、時には「クーデター」への思いも口にしたという。そんな三島が日本中を震撼させた“自決”の背後に何があったのか……。元「兵士」たちが、事件後40年近くを経て初めて、三島の肉声と貴重なエピソードを明かす。「自決」までの知られざる道程を辿る傑作ノンフィクション。   *****************
 以上は紀伊国屋ブックウェブの紹介記事。
 出版社のコピーであろうが。 
 

    ★私の読後の<結論>は、
 久しぶりに「ハズレ」だったの一言なのだが、それでは「仕方がない」ので、
 以下に少しだけ、記していく。・・・  
  *****************

 ・・と書いて放り投げていたので、<結論>というより、最後に一言しておく。***
 

  ★著者・杉山隆男は、『週刊ポスト』誌(2007.1.26号~5.18号)の同名の連載記事に最終章の「手紙」を書き足してこの本を出版したという。
 この最終章でも、著者・杉山は、自身が「一度だけ間近にした」という「三島との出会い」について述べている。
 杉山が高校一年・1968年の秋、自衛隊の観閲式においての「出会い」だ。

 学校新聞の新聞の取材を願い出た高校生(杉山)に、防衛庁は来賓席を用意してくれた、と。

 杉山が15年もかけて思い知ったことを、三島由紀夫は1972.11.25の時点(これは、著者杉山の18歳の誕生日でもあったというが)で、絶筆というべき「檄」のなかで、叫ぶように表明していたというのである。・・・

 「(このままでは、)自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう」と。

 そして、丁寧にも、
 「(杉山が)『兵士に聞け』の取材で護衛艦に乗り込んでいた1992~3年当時は、「日米同盟」という言葉が将校や自衛隊員たちとのインタビューで聞かれることはなかった」とも書いている。

 それを、三島は1970.11.25の「檄」の中で・・・と言いたいのだろう。

 ********************* 
 

 ★書かれていることに、何ら新事実や新らしい見解もなく結論が上の通りでは「駄本」という他ない。

 1992~3年当時も今も日米共同作戦・訓練のときの使用言語は英語であり、将校や自衛隊員が「日米同盟」という単語を口にしようがするまいが、そんなことには何の意味もない。

 韓国との時差をなくしたのは、観光客の便を考えてのものではありませんよ。

 最後に、当時の人物を仮名にしているが、少なくとも「決行部隊」員の「仮名」化は無意味であり、意図も不明である。

 こういう「妙な配慮」が何をもたらしたのか、「五・一五事件」後の歴史を思い浮かべてほしいものだ。

 決行前の70.10.19に「東条写真館」で撮影した記念写真と五名(三島を含み)の名前を挙げておこう。

 森田必勝・古賀浩靖・小川正洋・小賀正義の四名。中央に平岡(三島)。

 ********************
   

   
 中井英夫は、日記にこう書いた。 
 ★1970年11月25日 



 きょう、三島由紀夫が死んだ。6、7人から電話があり、うち3人は夜どうしても酒をのむんだといっていた。三島の死に方がどうであれ、青年たちはめいめいの“喪の夜"を持ったのだ。

 ①私にとっての天皇および天皇制は、ただブヨプヨした腐肉であり、ガスの充満した古い屍体である。そんなものに万才はいえない。

 ②私にとって日の丸は見知らぬ旗であり、自衛隊員は異国の兵士である。そんなものとともに義を語ろうとは思わない。

 ③私には日本刀ががまんならない。それはすでに凶器であり狂である。それを美とする感覚はまったく持ち合せない。そんなものをふりまわして何かを主張する気持はまったくない。

 ひとり黙って切腹していったというなら、自分の美に殉じたものとして忘れ得ない感銘を受けるだろうが、きょうのニュースが狂っているのは、ひとりの自称愛国者が、かけがえのない才能の持主を刺殺し、しかもそれが一人二役ー二人一役だという点にある。

 ・・・斃れたのは三島の精神であり、倒したのは三島の肉体である。

 肉体ばかりを発達させ、それによってひ弱な腺病質の少年の大改造をやろうと試みた。

 それは成功した。
 肉体は発狂し、少年はその暴力に憧れつつ刺殺された。
 それにしても「禿鷹」の筆者としては、また腐肉をつつき散らす破目となったのが憂鬱である。

 『暁の寺』読後感を書き送って、私は「楯の会が守ろうとするものがよく判った」と記した。

 要するに天皇一家の存在はあんたの飯の種なんだねという揶揄である。

 大体私には、あの制服が我慢ならない。

 三島がもっとも愛した制服はエレベーターボーイの白に金鎖がやたらついた奴だが、その愛らしさはどこにもないからである。・・・

 ●「中井英夫未発表日記(1949~1992)抄」・「野生時代」1995年3月号より
 ************************ 
 

   ★三島由紀夫氏の死ののちに        武田泰淳
 
                  
 中央公論社の新人賞、谷崎賞、この二つの文学賞の選考委員として、あなたとぼくは御同役でした。深沢七郎の『楢山節考』に、まっ先に目をつけたのはあなただったし、庄司薫(福田章二)の『喪失』が2回目の新入賞でしたね。深沢さんを選んだあとで「何だか、このひと気持がわるいなあ」とつぶやいた言葉は予言となり、風流夢譚事件の直後には「右翼にねらわれるといけないから」という理由で、警察署が保護役の警官を、君と僕の両方の自宅へ差し向けたことがあった。おぼえているでしょうね。他ならぬあなたが「右翼にねらわれる」喜劇があったんですからね。ねらわれるくらいなら、ねらってやれ。おどかされる立場がいやだったら、おどかす立場になってやれ!例のあなたの克己心がそう作用したと考えられないこともない。追放され放浪した深沢さんを、第1作で「気持がわるいなあ」と見ぬいたとき、あなたはまさか、切り裂いた自分の腹からハラワタがはみ出し、自分の首が斬りおとされてころがっている現場写真を見せられ、多くの人々が「気持がわるいなあ」と騒ぎ立てるようになることまで、見ぬいてはいなかったでしょう。
 
  誰だって、一寸先きはヤミです。見抜けるものはひとりもありません。
しかし、「君子は豹変す」天才的文学者の急激な変化が、我々にとって意外であり、またあなた自身にとっても意外なのは、そのためでしょう。
死は平等です。どんなに壮烈にとげられた死も、どんなにみじめな衰弱死も。
万人の前で叫んだあげくの死も。自己主張の死も。沈黙の死も。

死にもし価値があるなら、どんな死の重みも同じでなくてはなりません。
あなたは、前置きが嫌いだった。「けれども」「だが」が嫌いだった。・・・
あなたは「けれども」文化を軽蔑した。しかしあなたは、いかに軽蔑し、いかに嫌っても厳として存在する、この世の風俗・習慣、流行・人気には人一倍くわしく敏感でありました。
       
   ★「中央公論」1971.1月号
 

スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/189-a72728f8

超芸術トマソン (ちくま文庫)

アークヒルズの建設用地買収時期の話や、そのころの写真も掲載され東京都心在住の人は必読です。トマソン探しだけでなく、様々なエピソードから住宅や地域は金銭的な価値ではかられるだけでなく、「人が存在する所」だという当たり前のことを再認識せてくれました。読んで... ねねの記録【2008/01/02 06:07】



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。