カウンター 読書日記 『「兵士」になれなかった三島由紀夫』
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


『「兵士」になれなかった三島由紀夫』
                20070807005348.jpg

 ★「兵士」になれなかった三島由紀夫
  杉山隆男 小学館 2007/08出版
  価:\1,470(税込) (本体価:\1,400)
 
 自衛隊体験入隊時の三島の素顔を明かす力作

「ダメだッ」「情けない」。あの三島が、おのれの無力に打ちひしがれた――。1970年11月25日に自衛隊の本拠・市ヶ谷駐屯地で壮絶な最期を遂げるまで、三島由紀夫は毎年のように自衛隊に体験入隊を繰り返していた。その中で三島は、苛酷な訓練にも真摯に臨み、ボディビルで鍛え上げた自慢の肉体の“弱点”すら晒け出していた。さらに現場の「兵士」=自衛隊員たちとも濃密な交流を重ね、時には「クーデター」への思いも口にしたという。そんな三島が日本中を震撼させた“自決”の背後に何があったのか……。元「兵士」たちが、事件後40年近くを経て初めて、三島の肉声と貴重なエピソードを明かす。「自決」までの知られざる道程を辿る傑作ノンフィクション。   *****************
 以上は紀伊国屋ブックウェブの紹介記事。
 出版社のコピーであろうが。 


   ★私の読後の<結論>は、
 久しぶりに「ハズレ」だったの一言なのだが、それでは「仕方がないので、
 以下に少しだけ、記していく。  

  *****************

 先ず、それなりに興味を引いた部分のランダムな引用から始める。 
 
  ● 救出
 レンジャー訓練で三島の相方をつとめたMがおぼろげにしか覚えていなかった瑶子夫人の言葉を、彼女の近くにいた教官の佐藤幸憲は、その言葉を放ったときの彼女の立ち姿まで含めて明瞭に記憶していた。
 三島の妻は、ロープに宙吊りになったままの夫に向かってこう声をかけたのである。
 「あなた、頑張りなさい」
 それも瑶子夫人は宙吊りの夫を前に、「頑張りなさい」という言葉を、腕組みをした恰好で口にしていた。
 とりあえず安全が確保されているとは言え、ビルの三階分に近い高さから夫の体をつなぎとめているのは、腰に巻きつけたたった一本の細いロープでしかない。それが外れたら、たちまち真下の渓流に叩きつけられる。しかも転落を防ぎ、命をつないでいるはずの肝腎の命綱が、体を締めつけ、血液を滞らせ、逆に夫の体を衰弱させるもととなっている。
 蒼ざめた三島は、体を起こそうとする力も気力ももはや失せたのか、手足をだらんとさせている。夫がそんな状態におかれていたら、ふつうは平静を装ったり、悠然と構えていることなどまずできないだろう。夫と同じように顔は蒼ざめ、不安に急き立てられ、居ても立ってもいられずに一刻も早い救出を周囲の自衛官に求めたとしてもおかしくはない。
 ところが、真っ白なミニスカートに白のブーツという最新のファッションに颯爽と身をつつんだ瑶子夫人は、動じた素振りは少しもなく、それどころか腕組みをした堂々たる姿で宙ぶらりんになった夫に、「あなた、頑張りなさい」と言い放ったのである。
 「奥さんはそんなに背は大きくないでしょう?」
 佐藤が同意を求めるように私(著者・杉山)を見た。
 ただの1度きりだが、実は私も三島夫人を眼の前にしたことがあった。三島がロープ訓練に挑戦したこのレンジャー体験から一年半ほどへた一九六八年秋、東京千駄ケ谷の国立競技場横でひらかれた自衛隊の観閲式の場である。当時高校一年生、十五歳だった私は、学校新聞の取材、と防衛庁に願い出て、式典に出席させてもらったのだが、そこに三島が瑶子夫人を伴って・・・以下略。

・・・彼らは、本の中の三島を見ていたわけではない。腕立て伏せを繰り返すグラウンドで、「ガンバッ、ガンバッ」と気合いをこめた掛け声を浴びせるランニングコースで、そして訓練の汗を流す、白い湯気のたちこめた風呂の中で、言葉という絢爛たる衣裳や論理という堅牢な鎧を脱いで、ただ一箇の肉体となった三島を見ていたのである。それはおそらく三島がそれまで他の誰にも見せたことのなかった、いっさい演技の通用しない剥き身の己だったはずである。
 はじめての体験入隊で単身、富士学校にやってきたとき、三島は、隊員たちと寝起きをともにする部屋とは別に執筆用として特別にあてがわれたBOQと呼ばれる外来者宿舎の個室にエキスパンダーを持ちこみ、原稿書きの傍ら筋力トレーニングを欠かさなかった。隊員たちとベッドをならべた宿舎でも、三島は就寝前の自由時間などに他の隊員がソファで談笑しているすぐ横に立って、話に加わりながら腕ではエキスパンダーをしきりに動かしていた。日頃から激しい訓練に耐え抜く体づくりを重ねている自衛隊員の眼から見ても、三島の肩や胸の筋肉の盛り上がりはたしかにボディビルで鍛えているというだけあって大したものであった。
 三島が二度目の体験入隊で訪れた滝ケ原の普通科教導連隊で訓練の助教をつとめた山内信雄は、毎朝、洗顔をすませた三島が洗面所の壁にかかった鏡に上半身の裸を映しては、肘を曲げて力こぶをつくったり、胸の前で腕を組んだり、さまざまにポーズをとっていた姿を鮮明に記憶している。山内が「いいなあ、すごいですねえ」と感心したように言うと、三島はニヤッと笑って、まんざらでもない表情をみせるのである。
訓練を終えた三島はよく山内ら助教を風呂に誘った。三島が入りに行くのは将校しか利用できない幹部浴場である。助教たちには陸曹浴場という下士官専用の風呂がある。このため他の助教は遠慮したが、恐い者知らずというか、ふだんから階級などお構いなしに臆せずものを言うタイプの山内は、喜んでお供を仰せつかった。
 お互い素っ裸となったところで、山内は、あれ? と思った。筋肉標本のように上半身が見事につくり上げられているだけに、どうにも下半身が眼につく。足が細いのである。
 のちに陸上自衛隊のトップである陸上幕僚長に昇りつめる冨澤暉は当時富士学校に勤務していたが、三島と一緒に風呂に入った同僚があとでこんなことを口々に言い合っているのを耳にしている。
 「筋肉をつけても骨がちっちやいから、あれは迫力ないわ」
 中には露骨に馬鹿にする口調で「みすぼらしい」と言い放つ者もいた。
 ふだんは三島のことを先生と呼んでいた山内も、いったん訓練に入ると、本名の「平岡」と呼び捨てにした。それが駈け足の場面ではつい声を荒らげることになった。「平岡ッ、こら!:」・・・

● 告白

「いろいろお話ししたいし、聞きたいこともあります」
 そう言って、体験入隊中に原稿を執筆する部屋としてあてがわれていた富士学校のBOQ、外来者宿舎の一室に三島本人から呼ばれたのが、菊地が三島と個人的な友誼を深めていくきっかけだった。
 ここでも三島は、冨澤たち青年将校のグループを前に一席ぶったときと同じく「クーデター」を話題にしている。ただ持論を展開するというよりは、矢継ぎ早に菊地に質問を放つのである。自衛隊の青年将校がどう考えているのかをどうしてもたしかめたいという強い思いが、三島の様子からはにじみ出ているように、菊地には感じられた。
三島はこういう席でも直球勝負だった。フェイントをかけたり遠まわしな言い方をすることなく、菊地を眼の前に見据えて、ずばり正面切って聞いてくる。自衛隊は治安出動で出るべきか出ないべきか。時が来たらクーデターをするのかしないのか。
 時代は緊迫する七〇年安保前夜である。過激派学生の行動が日増しにエスカレートする中、いずれ警察力では鎮圧できないような騒乱状態が起こって、治安維持の目的で自衛隊が出動する日が訪れるかもしれないということは、かなり現実妹を帯びて語られ出していた。三島が治安出動を話題にしたのには、当時のそうしたピリピリして、触れば火傷のしそうな熱い時代の空気が背景にあったのである。
 菊地も三島に倣って、質問の鉾先をかわしたり、煙に巻いたりせず、ずばり正面から答えた。治安出動で自衛隊は出るべきではない。そして、三島がもっともたしかめたかったであろう質問についても、三島の視線を弾き返すようにしてきっぱり答えている。
 「いや、三島さん。クーデターと言うけれど、われわれは絶対やる気持ちはありません。少なくとも防衛大を出た人間にはひとりもいないでしょう」
 その上で菊地は、戦前の二・二六事件がクーデターとして成功しなかったのは、当時でも日本がクーデターができないような近代国家に成熟していたからだと指摘して、戦後はなおさらであることを強調した。そして、現在の自衛隊が、兵ひとり、弾丸一発でも自由にできない、がんじからめな仕組みになっていることを明らかにした菊地は、そのひとつのあらわれが、部隊を動かすときに欠かせない、当時の防衛庁の主要な課長ポストが警察官僚に牛耳られていることであると言い切ってみせた。
 「彼らは絶対、椅子を譲りませんよ。警察はいまでも自衛隊が二・二六を起こすんじゃないかと恐れているわけですから」
 言わば舞台裏を明かす菊地のそうした話を、三島ははじめて耳にするようであった。だが、三島の反応を見ていると、三島の中でクーデターに対して明らかに相反する感情がせめぎあっているのが、菊地には読みとれるのだった。
 言葉の端ばしから二・二六で決起した青年将校の「純粋な思いに酔いしれている」のが伝わってくる一方で、クーデターについて菊地が、「われわれは絶対やる気持ちはありません」と、これ以上明確な否定はないというくらい、はっきりその可能性も意思をも否定したときには、三島はしばらくじっと考えこむようにしてから、菊地の考えに同調する響きをこめて、こんなことを口にするのだった。
 「もし菊地さんがクーデターをやると言ったら、僕は絶対鎮圧派にまわるよ。関孫六を持って、菊地さんを斬りに行きます」
 要するにそれは、「言論の統制」に対しては断固闘うという表現者としての考えに則ったものだった。
 しかし、三島の言動を間近にしてみると、二・二六の青年将校への憧憬には送るような熱いものが感じられるのだった。現に三島は、映画会社のスタッフをわざわざ富士学校に呼び寄せて、前年に公開され、三島自ら主役の、二・二六事件への参加が叶わず割腹する青年将校を演じて、大きな話題を巻き起こした映画『憂国』を、菊地や島田たちAOC、幹部上級課程のクラスメートが夕食をすませたあとに彼らの前で上映している。そしてこの映画は、AOCに引きつづいて参加した幹部レンジャー課程でも訓練の合間に、福岡ら教官や学生たちを講義を行なう教場に集めて上映されている。
 決起した同志への至情と軍旗への忠誠の間で板挟みになった青年将校が妻の前で自決するシーンでは、主人公に扮した三島が自らを鮮血に染め上げながら腹を切り裂く姿がスクリーンいっぱいに延々と映し出される。凄絶としか言いようのないその光景をみつめながら菊地は、「死というものに対するこれが彼の美学なのかな」と感じたという。
 抑えようのない二・二六の青年将校の純粋さに傾斜していく気持ちと、それでいてクーデターが起こったら自分から刀をとって、「鎮圧する」という反発する思い。菊地にしてみれば、「どっちが本当なのかと聞きたいぐらい」だった。
 

   ★詳細な評価については、次に引用する一文の後に行います。
 
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/186-62e91815



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。