カウンター 読書日記 『日本の危険』を読み直す。(2)
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『日本の危険』を読み直す。(2)
<引用>始め。
序にかえて
馬 野 周 二
 その人の専門が何であれ、いささか一事に悦わって甲羅を経ると、何だか万事に通じる「感」のようなものが育ってくるもののようだ。本書の典著者の藤原氏も払も、以下を読み迎まれればおわかりのように、科学技術者である。外国で活動してきたという点も同じだ。
 ところがハ○年代末から今世紀末にかけて、日本も含めて世界的な社会的、経済的危核の様相が追ってくるであろうという「感」も共有するようになった。そこで、われわれの前歴からくる世間一般の人士とは異なった、その危核構造の科学的分析、言うなればわれわれなりの「鑑」を開陳して成ったのが本書である。
 わが国では対談は出版社から歓迎されない。つまり読者からあまり要求されないから、販売部数が伸びないせいである。本書も両者が別々の本を書いた方が、おそらく部数は伸びるであろうが、あえて対談を本にするのは、対談という形式が持つ特別のメリットがあるからだ。
何もわれわれを古代ギリシャの先哲に比する不遜を冒すつもりはないが、彼らの遺した書物は多く対談形式をとっている。それが論理の展開を示す最善の形式と思ったのだろうし、実際にその対話のあるものは現実に行なわれたものなのかも知れない。文章を書くとなると、どうしてもいろいろの顧慮が働き、頭の中にあることを十分に表現することにはなりにくい。対談であれば、多くの「失言」が出るわけで、はなはだ自然な成り行きとなる。本書でも随所に、少なくとも私の場合は、裃を脱いだ放談が顔を出す。
 しかも対談には、それでなければならぬ一つの重大なメリットがある。対談は1プラス1イコール2ではなく、丁丁発止のやりとりの中から、3にも4にもなる結果が現われる。対話の面白さと意義はそこにあるのだが、残念ながら本書ではその佳境にはまだ遠かったようだ。それにしても、普通の書物には見られない卒直な発言を、読者は聞かれるであろう。
 本書を題して「日本の危機」とする。丁度けさの新聞に一雑誌の広告が出ていて、高名な一評論家が「日本のマネーブームと世界恐慌前夜=一見華やかな現在の日本の状況は、世界大恐慌直前のアメリカに酷似している」というのを書いているようだ。どうも私はこんな子供向けの雑誌は読む気もしないので、彼が何を言わんとしているのか知る由もないが、かつての「油断」騒ぎにくらべれば、この方がまだしもまともなのから知れぬ。
(*堺屋のこと。)
『石油危機の幻影』 (昭和五十五年二月刊)以来の私の著書を丹念に読んで来られた読者がいれば、私か今日の成り行きを早くから警告していたことを、身に泌みて感じておられよう。
 本書は言いたいことを言う趣旨だから、はっきりと告げておくのだが、現在の日本のマスコミの表面で泡沫のように漂っている人士の言説には、取るに足るものはほとんどない。百害あって一利なきものが大部分と言ってよかろう。
 大方の読者が携わっていられる事業なり企業活動は、真剣勝負である。ヤワな泡沫評論家達の書きなぐり、言いつのる愚かな言説を聞いていてはならぬ。
あなた方をとり巻く日本と世界の状況は、きわめて厳しいものになっていく。いいかげんで目を覚さなければひどいことになろう。
 今時のわが国には「先生」と言う不思議な人種がいる。いるどころか蔓延していると言ってよい。この人種がいろいろな誤ったことを喋り散らす。一般の人達はこの現象を当り前と思って、空気のように呼吸して有難がっているのだが、これは正真正銘の毒気である。目には見えないが、こんな毒気を常日ごろ吸っていると、頭がおかしくなってきて、いずれブッ倒れることになろう。要心してもらわねばならない。
 日曜日の朝には、テレビに老人と中年男の対談が掛かる。社会勉強と思って私も時折りは見るのだが、これでいつも思い出すのは戦時中の漫才である。そのころの統制官僚たちは、高級な演劇は精神総動員と称して止めさせてしまい、代りにやくたいもない政府宣伝の漫才を全国に打って回らせた。四人組時代の共産中国と同じ手口である。
 現代日本の先生方がやっている日曜朝のテレビ対談は、これらと変わるところは何もない。漫才や江青演出劇も、もっともらしい時事論説も、そのほか大方の先生方の言いつのり、書きなぐる排泄物は、いかなる外衣をまとっていようともしょせんは子供だましである。
 彼らが無心であればまだしも救いはあるが、自ら時の握力-米国CIA、ソ連KGBを含めて-の幇間に成り下っている者も決して少なくない。彼らがそれでも良い生活か出来るという責任は、読者、聴視者であるあなた方自身にある。テレビ番組や新聞雑誌が、どれだけの無用な金銭を消費し、世俗に毒気を撒いていることか。はっきり言えば、あなた方はコケにされ、先生方に時間、すなわち金銭を盗られているのだ。本書はこの現代日本社会の 気を、いささかでも中和しようという、われわれの切ないあがきでもあろうか。
 数万年の歴史的、地理的環境から、日本人は他国人に比してまったく異なったメンタリティーを持っている。異なっていると言うのは、別に特殊なのではない。逆にわれわれは、人類としてもっとも普遍的で、給源的な性格を、今日でも濃厚に保っているのだ。ところが日本人以外は、大小深浅の差はあれ、他人種、他民族、他国家と膚接して育ったために、その性格に陰影と屈折が生じている。
 両者の是非、善悪を論じることは意味がない。それは自然、必然の地球的な時空のプロセスとしてそうなっているのであり、今日のわれわれはそれを与件、あるいは初期条件として甘受して、そこから出発するより外の立場はありえないのだ。
 二十世紀後半の今日の技術的発展は、悠遠の過去から続いてきたこの日本人の孤立的自然、社会環境を急激に突き崩しつつある。情報地理的環境は速やかに変わってゆくが、日本人の社会心理は急には変わらない。陰影と屈折というのは、下世話に言えば、海千山千と言うことである。たとえば現在の日米関係は、聾えてみれば、「強姦男=アメリカ」と、それに引き回され貢がされている「おぼこ娘=日本」と言ったところか。
 無残なのは、この娘はひどい目に合わされていることがわからず、男の心を露疑わず、無駄使いで首が回らなくなったこの男に入れあげていれば、いずれ誠意に感じて十分期待に応えてくれるものと信じ込んでいることだ。日本政府の代表者中曽根首相などは、このおぼこ娘の代表者である。この人物は政治的野心に捉われているために盲目となり、見るも無惨な情況に陥っている。
 中曽根首相の有体は、米英文配層の買弁であり、米英の対日政略のために、日本に送り込まれているトロイの木馬に外ならない。
こう言ったからといって、何も私か異心を抱いて中曽根氏をむやみに賤しめているのではない。すでに欧米の識者がそう見ているのだ。たとえば東京サミット前の外国記者座談会で、イギリスBBC放送の記者ウイリアム・ホーレー氏は次のように発言している。
(英米は)自分たちの要求を通すため「中曽根さん、あなたは立派だ。頑張って」と押すわけです。中曽根さんは日米に送り込まれたトロイの米馬だ。(朝日新開、昭和六十一年四月二十六日夕刊)
 米英の記者としては、これは不用意な発言だったろうが、東京サミット前にカナダに行ったり、レーガンにキャンプ・デービッドで破格の扱いを受けたりして、サミットの切り回しは自分ひとりで背負い、米国に男を売るつもりであったろう中曽根氏は、蓋を開けて見てびっくり、お膳立てはすべて米英両国の問で出来ており、自分の出番は何もないどころか、ひどい円高を飲まされ、おまけに「相互監視制度」という、事前に何の相談も受けていなかった重大条件を飲まされるハメに陥った。
 レーガンはウスラ笑いで、日本国首相を突き飛ばす役はサッチャーに割り当てられていた。中曽根氏はコケにされ、その後に予定されていた各党首会談にも「中曽根首相はうちひしがれていてとても会議に出席できる状況にない」(日経、四月十五日)という有様である。キャンプ・デービッドでの扱いは、殴る前にちょっとでも頭を撫でておいてやろうという、いずれ退陣を予期しているレーガンの、せめてもの思いやりと見るべきか。
 米国支配層の特神的特徴は、人を騙すとなると、じつにかも洩らさぬ周到な事前準備をすることだ。サミット前、「東京サミットでは何らかの円高の歯止めがされる」という情報が流されている。ホワイトハウスは中曽根訪米に、キャンプ・デービッドでの大統領接待をした。これらはサミットでの中曽根打っちゃりの根回しであった。彼らは中曽根首相が円高に抵抗して、会談でゴネ出すかも知れぬことを恐れていたのだ。彼にそんな背骨があれば見上げたものだが。
 可愛根な中曽根サン。
 サミット後、間髪を入れず英国のチャールズ皇太子、ダイアナ妃か来日した。これも水際立った騙しの術である。悪役を買って出たサッチャー英国首相への悪感や、円高ショックを日本国民のめからそらし、新聞紙面をサミットの記事から遮蔽するために、チャールズ、ダイアナは使われている。英国王室の存在価値はそこにあるのだから。
 チャールズ皇太子はそのことを十分知っている。彼はいやいやながら来日して演義したのだ。日本に来た彼の表情は堅かった。大阪空港からの車に浩宮か同乗しないのかと彼は心細そうに訊ねている。サミット不満、サッチャー憎しで暗殺の危険があるために、日本政府は皇孫の同乗を止めたのだろうと、彼は考えたはずだ。それが欧米人の常識である。
 レーガンと対等で、シュルツなどよりは上座になったと思い上っていた中曽根氏は、思っても見ないサミットでのシゴキに、非常に落ち込んだ。英国皇太子夫妻の歓迎宮中晩餐会にも欠席している。急に腹でも痛くなったのから知れないが、目立ちたがり屋のこの人が出席できない腹痛は、非常な神経ショック症であろう。
 中曽根氏はこれからどうするのか。
 米国支配層はいま中曽根首相の行動、日本政界の動きを、ジットと窺っている。騙し、、蹴り上げた中曽根が、腹を立てて自ら辞職するか。首相の位置に恥も外聞もなくかじり付くか。日本の政治家が中曽根を袖にするか。そのまま凹んでしまうか。日本の政治家と国民の資質がいま問われているのだ。
 これから衆参両院のダブル選挙が行なわれる。表紙カバーの写真はそれをもじった帽子を被った首相だが、自民党は円高不況風が吹き込んで、議員数が減少するのを恐れて衆院解散に踏み切ったわけだろう。それは良いとしても、中曽根三選はよしたほうがよい。
 中曽根氏は町人である。日本国民もまた、通産省高官の「町入国家論」といった聞くに耐えない妄言を、マスコミが但ぎ回っても平然としている。似たもの同士で、なるほど中曽根首相の支持率が高いわけだ。
 
今日の米国を動かしているのは、貧弱な目本国首相の頭で渡り合える手合ではない。戦前の、それなりに今日よりははるかに立派だった大日本帝国を、手玉に取って太平洋戦争に誘い込み、原爆を二発食らわした悪者どもの後裔である。生やさしい連中ではないのだ。
 
中曽根氏には日本人としての性根が欠けている。靖国参拝とか自衛力増強をいくら力んでみても、それは関係がない。上州の材木商の息子、秀才の東大出・高文合格の内務官僚は、本当の胆玉と教養を持っていない。そこでレーガンに阿諛してみたり、英語を使ってカッコを付けてみたり、外国人と立ち交わって得意になっている風が醜い。
 日本の首相であれば、少なくとも英語は自由であってほしい。そのうえ、独仏語のいずれかが読めるくらいの語学力は必要だ。だが、公式の場で外国語を使ってはならぬ。フランス人もソ連入もドイツ人も、公式の場で外国語は使わぬ。中曽根氏は六十半ばをすぎて、いまだに軽薄才子ではないのか。
 服装、態度は隙なくととのえる。だがこの人物は全くの田舎者だ。西洋文明は優れている、西洋人は偉い、彼らと対等に立ち混りたい、この辺がその心事であろう。
 

 引き続き引用する。
 今、読んでいただきたいこともある。


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