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労働観
★タイトルからして当然、宮城県内限定なのだろうが、先週金曜の夜、NHKで放映された番組について 意見いや異見を述べていく。
「クローズアップ宮城」という番組で、宮城(主に仙台)のタクシー運転手の現状を報じたものだ。
 全国一のタクシー激戦区である、仙台のタクシー業界・乗務員の惨状を描いたものなのだが、NHK及 び番組担当者の「労働観」「労働のあり方の認識程度」に強く異議を感じたので、以下記していく。

 その前提として、次に一文を引用しておく。『近代国家とキリスト教』 森安達也 2002.10 平凡社ライブラリー

 同書のp103~108より、引用する。(後半は、今の論議には不要だが、引用しておく)
 **********************  
  

● 宗教改革と近代資本主義社会
 二十世紀の終わりの最大の出来事は、ソ連の解体と東欧の再編であろう。これは共産主義の敗北と資本主義の勝利と宣伝されているが、果たしてそうだろうか。少なくとも旧ソ連と東欧諸国では、社会主義経済体制は崩壊したか、あるいは崩壊しつつあるが、資本主義が勝利したなどとはとうていいえない状況にある。将来の見通しも明るくない。おそらく、「資本主義もどき」の状態が続くのではないかと予想されるが、そう思う根拠のひとつは、文化圏としてのロシア・東欧が東方正教文化圏と一部カトリック文化圏に属しているからである。二十世紀も終わろうとしているときに、いまさら宗教文化圏を持ち出すなど、見当はずれだとの意見もあるだろう。だが、かつて人々を支配した、あるいはいまでも支配している宗教が生み出すメンタリティーは、意外に無視できないものがある。

これまでの歴史が示すところでは、ある社会における宗教上の少数派が経済活動の担
い手としての役割を果たしている。ヨーロッパ各国のユダヤ人、フランスのユグノー教徒、イギリスの非国教会信徒とクエーカー派、ロシアの分離派(十七世紀中葉のニーコンの典礼改革を否認して正教会から分かれた。古儀式派とも呼ぶ)などいくらもあげられるが、これは普遍的な現象といってよい。ところが、宗教改革の結果を見ると、ひとつの傾向としてフランドル地方とイギリスのようなプロテスタント地域が経済上の先進地帯で、他方、イタリア、スペインなどカトリック地域は後進地帯となったと思われるし、あるいはもう少し時代がくだって、プロテスタントの北アメリカとカトリックの中南米という対比もありうる。もちろんそれは気候、風土といった別の要因によるものかもしれないが、プロテスタンティズムの成立と結び付くのではないか、との予見がでるのは当然である。

 十六世紀の宗教改革と資本主義社会の形成が時代としてつながっていることは事実であって、そこになにかの因果関係を見出そうとするのも自然であろう。マックス・ウェーバーは二十世紀の名著というべき『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(一九〇五年発表、日本語訳は大塚久雄訳、岩波書店、一九八九改訳版)において、経済活動に対する規制が厳しい社会で近代資本主義を助長するメンタリティーが生まれたという、逆説的なひとつの仮説を示した。ウェーバーのこの著作は、よく大学の新入生の必読書などにあげられるが、実際には著者の学問上の業績すべてが集約されたかなり難解な書物で、論の立て方はもとより、プロテスタント諸教派についての相当の知識がないと註釈も理解できないであろう。これを引用し論評を加える研究者ですら、全編を理解していないと思えることもある。もちろん、ウェーバーは近代資本主義社会が宗教改革の所産であるなどとは一言もいっていない。 


  ルターが聖書の翻訳に際して、「召命」と「職業」という異なった概念をベルーフBerufと訳しているが、これが「天職」の考え方の起源であって、単なることばの翻訳以上の深い意味をもつ。すなわち、世俗的労働に宗教的な意義を与えたわけで、それがプロテスタント各派の共通の思想となっている。以上がウェーバーの論の出発点である。ちなみに東方正教圈では、現代ギリシア語でもロシア語でも本来「奴隷の状態」という意味のことば(それぞれdouleia,rabota)が「労働・仕事」の意味で用いられており、「天職」に相当する表現はない。さて、このような「天職」の考えは、カルヴァン派の教えである「すべては神の栄光のために」および予定説の積極的な活用と結び付いた。とはいえ、カルヴァン派の神権国家では経済活動に対してもさまざまな規制があり、特に天職義務に適しない消費が圧殺された。それは中世のカトリック教会の規制よりはるかに厳しいものであった。それに対して、天職義務の教育が浸透するにつれ、価値観の転換が起こり、財の獲得が伝統主義的倫理から解放され、近代資本主義のエートスが生まれたというのである。ウエーバーは天職義務を「世俗内的禁欲」とも表現しており、プロテスタントが否認した修道制というものを持ち出して、修道制の禁欲の精神を世俗内的禁欲の先駆者としている。ここでいう価値観の転換は、常識的な思考からして理解しがたいところであるが、ウェーバーによれば、それによって利潤の追求が合法化されたばかりか、神の意志にかなうものと考えられたという。   

 カルヴァン派はのちになって、徴利行為、すなわち利子を取ることを認めた(ただし高利貸は別)が、これこそ中世の性格からの解放であった。現代人にとってあまりにも当然のことであり、また中世とルネサンス期においてもさまざまの便法が講じられたとはいえ、徴利行為は教会法が禁じるうしろめたい行ないであり続けた。したがって、徴利行為の容認だけは、ウェーバーの理念的考察によるエートスの形成とは必ずしも関係なく、宗教改革が近代資本主義の形成に果たした役割といってもよいであろう。

 このことは、イスラム世界における徴利の問題を考えてみると理解しやすい。
 世界の多くの大宗教と同じく、イスラム教の聖典コーランは徴利を禁止している。これは不労所得による財貨の蓄積を禁じるための処置であろうが、時代がたつにつれて、商業活動の疎外要因となったことは事実である。ただし、利子禁止は、投下資本から得られる利潤を禁止するものではなく、また十九世紀になると、利子禁止と明らかに矛盾する抵当権も容認されるようになった。それでもコーランの規定が近代社会の金融と商業の足かせとなっている状態は変わりなく、現在もなお西欧などと同様の銀行活動が可能かどうかの模索が続いている。
 また、カトリック教会の内部でも、経済活動のなかで複雑な様相を見せる利子の扱いについてさまざまな議論があり、十八世紀後半の回勅もそれを反映させながら、結局、「多くの場合、人は無利息の消費賃貸(生産のためではない賃貸)によって他人を援助しなければならない」としている。そして十九世紀になってようやく、質問に対する教皇または聖省の回答の形で徴利が正式に容認されるが、それも消費賃貸において利子(国家の法律によって許されている適度のもの)をとった者に罪の赦しの秘跡を与えてよいという内容である。

 さて、プロテスタントのエートスが近代資本主義の精神を育んだとのウェーバーのきわめて洞察力に富む仮説は、当然のことながらさまざまの批判にさらされた。例えば、イギリスの経済史学者リチャード・トーニーは、『宗教と資本主義の興隆』(一九二六年刊、日本語訳は、出口・越智訳、岩波書店、一九五六~五九年刊)という実証的な研究のなかで、ウェーバーの説を検証している。そして、十五世紀のヴェネツィアやフィレンツェ、あるいは南ドイツやフランドル地方では、「資本主義の精神」が十分に発展をとげていた、といっている。このような批判は、もちろん、ウェーバーのいう価値観の転換、特にカルヴァン派のそれを認めない立場から出ているのであって、近代資本主義の起源をどこで捉えるかといった検証不可能な問題については、さまざまな立場がありうるであろう。

 しかも、禁欲的プロテスタントのエートスが支えた資本主義の精神は、一過的なものでしかなかった。すなわちプロテスタントのエートスのほうはその後も保たれたが、資本主義の精神のほうは、やがて利潤の追求そのものが目的となったため、ウェーバーのいうような意味では失われていったのである。それは皮肉な結果であるが、しょせん宗教的熱情が経済制度を支え続けることはありえないのである。
    (続)

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参考にさせて頂きました。
有難うございました。
【2008/05/21 22:39】 URL | nao #- [ 編集]


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