カウンター 読書日記 原爆投下について(10)
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原爆投下について(10)
  ● 原爆の投下のみで、ソ連の参戦がなくても、日本は11月1日までに降伏したであろうか?  
  ソ連の斡旋によって戦争の終結を試みる道がまだ存在していると信じていた間は、二発の原爆のみで日本の為政者が終戦を決断した可能性は少ないと思われる。広島に投下された原爆は、戦争を速やかに終結しなければならないという焦りを和平派に植えつけたが、ポツダム宣言を受諾する決定を一応差し控え、ソ連の斡旋によって終戦工作を遂行するという従来の政策に変化をもたらすことはなかった。長崎への二発目の原爆投下も、この状況を大きく変えたとは思われない。阿南(陸相)が閣議で、アメリカは百発の原爆を保有し、次の標的は東京かもしれないというショッキングな発言をしたが、この阿南発言は閣僚の意見にまったく影響を与えなかった。二つの原爆が投下された後にも、日本政府は近衛特使派遣に関するソ連の返答を待ち続けていた。
 もっともありそうなシナリオは、ソ連政府の回答を待っているときに、8月の半ばまでにソ連軍が満州に侵攻を開始することであった。そのときはじめて日本政府は、ポツダム宣言を受諾して戦争を終結することを受け入れたであろう。このシナリオのもとで歴史家は、原爆とソ連参戦、そのどちらが日本降伏の決定により大きな影響を与えたかを議論したであろう。しかし、このシナリオでも、ソ連参戦がより決定的であることに疑いはない。
 フランクは、原爆かそれともソ連参戦か、そのどちらが日本の降伏の決定により大きな影響を与えたかを検討するのに、同時代の史料のみにもとづくべきで、戦後になされたインタビューや回想を除外しなければならない、という厳格な方法論を提唱している。この方法論にもとづいてフランクは、天皇の発言を日本の終戦決定の動機を説明するもっとも重要な証拠であるとしている。この論理の上に立って、フランクは8月9日から10日の御前会議で、天皇は原爆には言及しているのにソ連の参戦には触れていないこと、さらに天皇の終戦の詔書では「敵の残虐なる新兵器の使用」に言及しており、ソ連の参戦に触れていないことをもって、原爆の投下が日本の降伏に決定的であり、ソ連の参戦は第二次的な役割しか果たさなかったと論じている。
 フランクのこの議論にはいくつかの問題がある。まず、9日から10日の御前会議での天皇の発言で、原爆について言及していたとするのは竹下日記のみである。竹下は直接御前会議に出席したのではなく、この記録を阿南から聞いて記したものと思われる。しかし、この会議に出席した参加者(鈴木、東郷、米内、豊田、阿南、迫水、保科)の回想録あるいは記録類には、天皇が原爆に言及したということが一切記されていない。また、終戦の詔書では原爆に言及しているがソ連参戦には触れていないとされているが、詔書では、「世界ノ大勢亦我二利アラス」と、間接的ながらもソ連の参戦の意義をほのめかしている。しかも、8月17日に発表された「陸海軍人にたいする勅語」においては、原爆には触れておらず、ソ連参戦だけが言及されている。そもそも、天皇の詔書・詔勅の原案を書いたのは迫水であり木原であった。したがってここでは内閣書記官の役割が重要であった。終戦の詔書と軍人への勅語は異なる日に発表されたが、その原案は同時に作成されており、詔書では原爆について言及していてソ連参戦については触れられていないから、原爆投下のほうがソ連参戦よりも重要であったとする論は成り立たない。ちなみに、同時に発表された内閣告諭には、原爆投下とソ連参戦の両方について言及されている。・・中略・・

 ・・・しかし、現存する史料から判断すると、広島と長崎に投下された二発の原爆だけでは日本を降伏させることはなかったであろうと推測することができる。その莫大な破壊力にもかかわらず、原爆は日本の外交に根本的な変化をもたらすことがなかった。ソ連参戦こそがこの変化をもたらした。ソ連の参戦がなければ、多くの原爆が複数の都市に投下されるか、原爆が戦略的に九州に集中した日本軍に使用されるか、九州への上陸がなされるか、あるいは、海上封鎖と激しい空爆の継続などによって、完全に日本の戦争能力が失われるまで、日本は戦争を継続したかもしれない。
 

  <太平洋戦争終結の遺産>

● 原爆とアメリカの記憶

  太平洋戦争が終焉してから、どのようにして戦争が終わったのかについてそれぞれの国がそれぞれのストーリーを作りはしめた。広島・長崎に投下された原爆が日本を降伏させた決定的な一撃であるという神話をアメリカ人は信じている。このストーリーによると、原爆投下の決定は、戦争が継続されていれば犠牲になったであろうアメリカ兵のみならず、日本国民の命も救ったのだとされる。この神話はトルーマンの決定を正当化し、アメリカ人のなかにある後ろめたい意識を取り除く役割を果たしてきた。この意味でこの神話は、アメリカのナショナル・アイデンティティにとって重要である。しかし、本書が明らかにしているように、この神話は歴史的事実には即していない。★原爆を用いずに日本の降伏を達成する選択肢は存在した。それをトルーマンは拒否したのである。まさに、このとられなかった道において、倫理的な責任の問題が姿を現す。 トルーマンは生前、たえず原爆投下の決定の問題を取り上げて、自分自身で創作した虚構を信じながら、この決定を最後まで執拗に擁護した。トルーマンがたえず自己の決定を正当化しようと試みたこと自体、原爆投下の決定が、死を迎えるまで彼を苛んでいたことを示している。
 8月10日に日本の政府は、スイス政府を通じてアメリカ政府の原爆投下に抗議する一声明文を送った。
 
この抗議文にはこう書かれている。アメリカ政府による原爆の使用は不必要な苦痛を与える兵器、投射物その他の物質を使用することを禁じた「ハーグ会議の陸戦の法規慣例」に関する第二十二条、及び第二十三条に違反しており、
 ●「米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別性かつ残虐性において、従来かかる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり……。いまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化にたいする新たなる罪悪なり。帝国政府はここに自らの名において、且つ叉全人類及び文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す」
    (続)
 
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