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●『激辛書評で知る中国の政治経済の虚実』 (3)
 ● 毛沢東の死生観および大躍進期の餓死者数

 毛沢東は1964年8月「哲学問題についての講話」を行い、こう発言している。

 「人類もやがては終末の日を迎えるであろう。宗教家が終末を説くのは悲観主義であって、人をおどかすためだ。われわれが人類の滅亡を語るのは、人類よりももっと進歩したものが生まれると考えるからである。現在の人類はあまりにも幼稚だ。死がなかったら、いったいどうなるというのだ。もし今日孔子さまにお目にかかれるようだったら、地球は人間を載せきれまい。自分の女房が死んだときに盆をたたいて喜んだ、荘子のやり方に私は賛成したい。誰かが亡くなったら祝賀会を間いて弁証法の勝利を祝い、古い事物の消滅を祝おうではないか」(毛沢東の未公開発言・論文集『毛沢東思想万歳』所収)。
 この毛汽車発言を切り刻んで、『マオ』は「この軽薄かつ悪魔的な哲理」(this airy yet ghoulish philosophy,p.439、アメリカ版、以下同様)と評する。張戎には荘子の哲学も、毛沢車の弁証法もそもそも理解する教養がないようだ。文革期に十分な教育を受けられなかったことの後遺症であろうか。
 曰く、 「毛沢東は意図的に大量殺人をおこなったわけではないが、結果的に大量の人間が死ぬことになってもかまわないと考えており、そのような事態が起こってもあまり驚かないようにと、幹部に伝えていた」(邦訳下巻190 ページ)。
 大躍進期の飢餓がなぜ起こったのか、いまではその過程が明らかになっている。人民公社作り、鉄鋼生産運動に熱中しているうちに、自然災害が起こり、ソ連の技術援助引き揚げに伴う混乱があり、食糧不足に陥った。しかしその飢餓の現実を地方からの虚報にだまされて認識できず、対策が遅れた。中国大陸で飢餓が蔓延しているとき、毛沢東は食糧増産という虚報(誇大報告)を疑いながらも、「豚に食わせてもなお余ったらどう処分したらよいか」を真剣に悩んでいた。ばかばかしいような、ほとんどマンガ的な構図だが、これが現実であった。
 毛沢東が、「私の罪状は二つ。一つは1070万トン製鉄運動を呼びかけたこと。もう一つは人民公社作り。人民公社を発明したのは私ではないが、広めたのは私の責任だ」と自己批判したのは1959年7月23日、廬山会議においてのことだ。
 1960年4月全国農村工作部長会議を主宰した譚震林、寥魯言を相手に毛沢東は語った。
「実際の状況がはっきりしない。一部では生産量隠しがあり、過少報告している。一部では過大報告もある。中央の者がわからないだけでなく、省レベル書記にもはっきりしない」。当時河南省の一部、例えば信陽地区では大量の餓死が始まっていたが、「中央書記処の農業担当書記譚震林でさえ実情を理解していなかった」(中共中央文献研究室編『毛沢東伝1949~76』下巻1069ページ)。
 ● では毛沢東が餓死を知ったのはいつか。
 「1960年10月以後、一部の農村で餓死者が出る重大な状況が、ますます毛沢東のところにも報告されるようになった」「10月以後、毛沢東は野菜を食べ、肉を食べなくなった」「毛沢東の体重は75キロに減少した」「10月23~26日、毛沢東は華北、中南、東北、西北地区期省レベル責任者から農業状況の報告を受けた。信陽事件の資料は26日に毛沢東の手許に届けられた」(同下巻1097~1099ページ)。大冊『毛沢束伝1949~1976』には、大躍進期の状況が原資料に基づいて記されている。この大失敗を是正する過程で毛沢束路線と劉少奇路線の対立が生まれる過程も詳しく描かれている。とはいえ「天災三分、人災七分」と政策を批判する劉少奇に対して、毛沢束が「欠点は指▽不、成果が指丸本」と応戦したことまでは書かれているが、結局どの程度の犠牲者が出たのかは書いていない。このあたりが中共中央文献研究室欽定版の限界であろう。
 さて張戎夫婦は餓死者を「3800万人弱」と弾きだした。当時の平均死亡率と58~61年の実際死亡率との差から、平均死亡率を上回る部分を餓死者とみる見方である。類似の計算を私は1984年暮れにやったことがある。私が20年昔に試みた計算によると、張戎夫婦の弾きだした数字のおよそ半分だ。
 どちらが真相に近いのか、中国当局の情報公開を待つはかないが、ここで張戎夫婦が「言3800万という)数字は、ナンバー2の劉少奇によって確認されている」「大飢饉が終息する前の段階で3000万人が餓死したことをソ連チェルボネンコ大使に話している」と書くのは、きわめて疑わしい。
 なぜか。劉少奇がソ連大使に話したとする典拠は、1998年10月28日のチェルボネンコ大使へのインタビューに基づくとしているが、「同大使が劉少奇と会った日時」についての言及を欠いている。「大飢饉が終息する前の段階」という記述からすると、1961年末以前のことであろう。1960年立のソ連援助引き揚げ以後、中ソ関係は悪化の一途をたどった。やがては国境衝突まで至る当時の中ソ関係の下で、劉少奇がソ連大使に「餓死という重大な国家機密」を語ることは想定できるであろうか。もしあったとすれば、毛沢東の強い猜疑心を呼び起こしたはずだ。というのは、1959年の廬山会議における「 彭徳懐意見書」が毛沢東によって異例の扱いを受けたのは、毛沢東が 彭徳懐による大躍進批判の背後に、フルシチョフの幻影を見たからなのだ。もし劉少奇がソ連大使に対して、毛沢東の誤解を受けるような行動をとったとすれば、その時点から大騒ぎになっていたはずだ。張戎夫婦はソ連大使の証言を吟味せず、曖昧なヒアリングしかやっていないことが、ここに露呈している。
 中ソ対立からついには国境衝突にまでエスカレートした過程を無視して、ソ連側の立場に偏り過ぎているため、中ソ対立の激化と連動しつつ劉少奇を「中国の内なるフルシチョフ」として批判を激化させていった過程を見失っている。劉少奇はそのようなレッテルで批判されたが、劉少奇自身がソ連大使と内通していたわけではないのだ。
 なお、詳しくは矢吹の旧稿「大躍進の帰結としての餓死者は1500万を超える」(『蒼蒼』第三号、1985年1月10日)を参照されたい。
 

  ● 周恩来転向声明偽造事件」と富田事件の内ゲバ問題

   周恩来はパリ時代から共産党員としての活動名は「伍豪」を名乗った。「伍豪啓事」とは、国民党諜報機関員(張衝、黄凱)のデッチあげによる「周恩来転向声明偽造事件」である。張戎はこれを毛沢東の陰謀ではないかと疑う。「例の「伍豪転向宣言」も、毛沢東による捏造である可能性が十分考えられた」(上巻199ページ)
 
「可能性」で逃げたつもりかもしれないが、この箇所はたぶん高文謙著『晩年周恩来』(邦訳『周恩来秘録』、文語春秋、2007年)の誤読である。高文謙は1930年代の「転向声明事件」を文化大革命期に毛沢東夫人・江青が利用し、周恩来の晩年に毛沢東自身が再度利用しようとしたことを論証したが、「転向声明」自体が毛沢東の陰謀でないことは高文謙が明記した通りだ(『晩年周恩来』、221ページ)。
 次に富田事件の内ゲバ問題の死者数について。
 「合計で70万人ほどの人間が端金の革命根拠地で死亡したことになる」(上巻195ページ)。
 江西ソビエト時代(江西省端金に「中華ソビエト共和国臨時中央政府」がおかれていた時期)の内ゲバ殺人事件として有名な富田事件を中心とする江西ソビエトの死者を70万人とするのは、江西ソビエト地区の人口減を死者数と錯覚したものだ。共産党側の赤色根拠地は蒋介石の包囲討伐作戦の過程で逃亡者が続出した。人口減をリンチ殺人の死者数と混同するのは初歩的なミスだ(なお私は旧著・講談社現代新書『毛沢東と周恩来』1991年で、富田事件に言及していることを付加しておく)
この事件を長年調査し掘り起こしたのは、地元の党史研究者で、江西省党学校教授の戴向青であり、『AB団与富田事件始末』(羅恵蘭との共著、河南人民出版社、1994年)および戴向青ほか著『中央革命根拠地史稿』(上海人民出販社、1986年)に詳しい。 

  ★ なお、「富田事件」については、福本勝清・『中国共産党外伝・歴史に涙する時』の「第九話」
  <AB団外史>が必読。 後ほど紹介しておきましょう。(続)

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この記事に対するコメント
Re: タイトルなし
あちこち、買出しやなにやらで遅くなりました。

「巴和=ルイ・バロー」ついでに、こちらも買出し並みに彷徨いました「

しかし、思いがけぬ副産物もあり―たとえば、「李徳=オットー・ブラウン」がコミンテルンからの派遣ではなく、KGBの諜報員だったことなど、未知でした。

李徳については、確か姫田光義氏が(岩波新書?)帰国時の風景を思わせぶりに書いていたのが印象に残っていますが、手元になく(捜せばあるはずだが今は無理・・)詳細は記せません。

「陳独秀研究」というHPに巴和関連の研究論文もありましたが、こちらも仏語同様「だるまさん」状態なので保存しただけです。

ありがとうございました。

***********

> レス有難うございます。
>
> では、ヒントを。周恩来氏の「転向」騒ぎで声明公表を一任された、上海フランス租界の著名弁護士は、中国名“巴和”です(陳独秀の法廷代理人)。
> フランス語の実名をおわかりになったら、その手記のコピーでも差し上げましょう。
【2011/03/23 19:41】 URL | ひろもと #- [ 編集]

レス有難うございます。

では、ヒントを。周恩来氏の「転向」騒ぎで声明公表を一任された、上海フランス租界の著名弁護士は、中国名“巴和”です(陳独秀の法廷代理人)。
フランス語の実名をおわかりになったら、その手記のコピーでも差し上げましょう。
【2011/03/23 09:42】 URL | 飛翔 #- [ 編集]

Re: タイトルなし
飛翔さん、はじめまして。
貴重な情報を、感謝します。
フランス語には「赤ん坊」状態ですが、タイトルだけでも解ればご教示ください。
周恩来氏はじめ実戦で鍛え抜かれた筋金入りの闘士は、
ぬるま湯思考に馴らされたわれわれの想像の及ばないところで、
さもありなん、とわたしも感じます。
落ち着いて、またいろいろと考えてみます。
ありがとうございました。

 **********


> 突然すみません。
> 周恩来氏の「転向」は自身で演出したものと思われます。担当した仏租界の弁護士の記録も公刊されていますよ(フランス語ですが)。
> 周氏は、そうゆう方です。李鵬(養子。元総理)さんも、そのウラをよくご存知です。
【2011/03/23 08:53】 URL | ひろもと #- [ 編集]

突然すみません。
周恩来氏の「転向」は自身で演出したものと思われます。担当した仏租界の弁護士の記録も公刊されていますよ(フランス語ですが)。
周氏は、そうゆう方です。李鵬(養子。元総理)さんも、そのウラをよくご存知です。
【2011/03/22 15:17】 URL | 飛翔 #- [ 編集]


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