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原爆投下について(8)
 歴史の事実を記憶して伝えていくことは、最低限の義務である。

 その時代を生きた人の、それを伝え聞いた人の。 


  「・・● 午前八時十五分(日本時間)リトルボーイは広島に投下された。
 ティベッツは機内の拡声器で、「乗務員の皆に告げる。諸君はいま歴史上最初の原子爆弾を投下した」とアナウンスした。
 リトルボーイは標的の太田川をまたぐ相生橋から五百五十フィート外れて、島病院の中庭の千九百フィート上空で爆発した。その威力は一万二千五百トンのTNT(トリニトロトルエン)の爆発と同等の威力であった。爆発点の温度は華氏五千四百度に達し、ただちに爆心地から半マイル以内に大きな火の玉が発生して、この範囲内にいた人々の内臓を一秒の何分の一かで蒸発させてしまったために、たために、人々は小さな丸焦げの塊になってしまった。このような塊が幾千も道路に、歩道に、橋の上に転がっていた。銀行の前の石段に坐って銀行が開くのを待っていたひとりの男性は完全に蒸発して、ただ大理石の石段の上にその影を残しているのみであった。
 爆発の後に発生した爆風は火災を引きおこし、市内全七万六千戸の家屋のうち七万戸が全焼した。火は至るところから発生し、全市をなめつくし、火が駆けまわるところすべてを焼き払った。人びとは、あるいは放心したように押し黙ったまま、どこへということもなくゆっくりと歩いており、あるいは、大声で肉親を探しまわっていた。数千の死体が川に浮かんでいた。語ることも描写することも不可能な悲惨と苦痛と恐怖が至るところに満ち溢れていた。そして、黒い雨が降り、人びとを放射能に曝した。最初の爆発と火災から生き残った人びとも、この放射能で死んでいった。

 後に広島市と長崎市でなされた報告によると、広島の原爆によって、二万人の朝鮮人を含む三十五万の広島の人口のうち十一万の市民と二万の軍人が即死し、一九四五年の末までに十四万人が死亡した。
 八月六日、イギリスのプリマスを後にして四日後、トルーマンはオーガスタ号の乗組員と食堂で昼食をとっていた。そこヘホワイトハウスのマップルーム配属のフランク・グラハム海軍大佐がきて大統領にメモを手渡した。メモは、「大きな爆弾がワシントン時間八月五日午後七時十五分広島に投下された。最初の報告によれば先の実験よりもより顕著にして完全なる成功であったこと、が明らかである」と告げていた。大統領は喜びの笑みを浮かべた。ただちに飛び上がってグラハムの手を握り、「大佐、これは史上最大の事件だ」と述べた。そしてグラハムに、メモを食堂の別のテーブルで食事をしていたバーンズに見せるよう指示した。バーンズもメモを目にして、「これでよし、まったくよし」と叫んだ。
 数分後に第二報が届いた。それは「これまでに行ったどの実験よりも明らかに破壊力が大きい」と伝えていた。トルーマンは食堂にいた乗組員に合図をして、「われわれはTNT二万トン以上の爆発力を持った新型爆弾を日本に投下した。それは圧倒的な成功であった」と宣言した。トルーマンとバーンズは士官室に行って原爆投下のニュースを伝えた。
 その間、ワシントンでは、ホワイトハウスの報道宮エベン・アイヤーズがあらかじめ用意された大統領の声明を発表した。これは「これより少し前にアメリカの爆撃鉄が広島に一発の爆弾を投下して、(広島がもつ)対敵効果を破壊した。この爆弾はTNT二万トン以上の威力がある」と始まっていた。さらに声明は、この爆弾は日本が真珠湾攻撃によって戦争を開始した行為にたいする報復であると述べた。その上で、トルーマン声明は「原爆はさらに製造されており、より強力な爆弾が作られている」と語り、次のように警告した。
「七月二十六日の最後通牒が出されたのは日本の人々を完全なる破棄から救うためであった。しかし、彼らの指導者はただちにこの最後通牒を拒否した,もし彼らがわれわれの条件を受け入れないならば、いまだかつてこの地球では見られなかったような空からの破壊の雨を予期しなければならない。この空からの攻撃につづいて海と陸からの攻撃がなされるであろう。そしてその数と力は彼らがこれまでに知っている戦闘技術をはるかにうわまわるこれまで見たことのないものであろう」

 トルーマンの原爆投下への対応に関して、次の三点が指摘されなけ杵はならない。第一に、トルーマンが原爆投下の報に接しかときの最初の反応はほとばしるような歓喜であった。後にトルーマンが原爆投下は苦渋に満ちた決定であったと記しているにもかかわらず、この第一印象にはひとかけらの哀悼、悔い、苦痛の感情もなかった。なぜトルーマンは飛び上がるほど歓喜したのであろうか。● まず、トルーマンが広島に投下された原爆によってもたらされた一般市民の死傷者の数についての詳細な報告をまだ受けとっていなかったことが指摘されなければならない。TNT一二・五キロトンの威力を十万人以上の死者と結びつけて理解するには、ある時間を必要としたのであろう。さらに、戦争を遂行している国の指導者として、原爆の投下が戦争の終結を早めて、自国の兵士の犠牲を少なくすることを喜んだのも当然であろう。この意味で、トルーマンは原爆の報を聞いたとき「これでわれわれは家に帰ることができるのであろうか」と聞いた水兵たちと同じ思いをもったのかもしれない。

 ● 第二に、トルーマン声明の重要な箇所に注目しなければならない。それはトルーマンがこの原爆投下を、日本の真珠湾攻撃にたいする報復として定義している箇所である。一九五四年にアイヤーズはトルーマンにインタビューを行い、次の記録を残している。
 「彼(トルーマン)は広島の人口について質問したところ、六万人であるという回答を受けとったと述べた。彼は二十五万のアメリカ兵が戦死するよりも、六万人の日本人が死ぬことのほうがはるかに良いことであると語った」
一九四五年八月の広島の人口は二十八万から二十九万人の一般市民、四万三千人の軍人、合計三十二万三千から三十三万三千人であった。
トルーマンがどこから人口六万という数字を得たのかは不明であり、この数字は後に彼が原爆投下を正当化するためにでっち上げた数字であるかもしれない。それにしても、六万の日本人と二十五万のアメリカ人を比較して、六万の日本人を殺戮することは、二十五万人のアメリカ兵を救うことからすれば正当化されると考えたことこ自体、一九四五年八月におけるトルーマンの思考プロセスを暗示するものとして注目に値する。トルーマンにとって日本人―軍人のみならず一般市民にいたるまでーにたいする攻撃とは、真珠湾を不意打ちし、アメリカの捕虜を虐待した「野蛮で残酷な民族」にたいする正当な報復であった。

 ● 第三に、さらに重要なことは、この声明で日本がただちにポツダム最後通告を拒否したと断定していることである。前述したようにトルーマンは自分の回想録で、二度にわたって日本政府がポツダム宣言に回答しなかったと述べている。海軍情報部は東郷の七月三十日付電報で、日本が降伏の条件としてポツダム宣言の条項を基礎にして交渉する意図があることについて言及している。さらに八月二日にワシントンのOSS(戦略情報部)は大統領に宛てて、ベルンの日本人グループが「ポツダム宣言は日本が戦争を終結する道を示した賢明な文書である」と性格づけ、とりわけ「無条件降伏」が「日本車の無条件降伏」と修正されていることに注目していると報告した。このグループは、日本のラジオ放送が報道していることはプロパガンダに過ぎないので、アメリカ政府はこれをあまり真正直に受けとめないよう忠告し、OSSのアレン・プレスにたいして、日本の回答は「公式チャンネル」を通じてなされると述べた。
トルーマンとバーンズがこれらの報告を読んだという証拠はない。
しかし、トルーマンが後に述べているように、ほんとうに原爆投下ができれば回避したい苦渋の決断であったとすれば、ポツダム宣言にいかに日本が対応したかの報告を注意深く見守ったはずだと推測するほうが自然である。なぜトルーマンはこれらの報告を通して洩れてくる微かな明かりのゆらめきを利用しようとしなかったのであろうか。
 一つの回答は、トルーマンがこれとは対照的な情報を受けとっていたという仮定である。統合参謀本部は、海軍情報部とOSSからの報告により、日本は「決号」作戦で九州に大量の兵力増強を行っているというウルトラからの暗号解読で得た情報を受けていた。トルーマンは連合国が無条件降伏を要求したら、日本はこれを拒否して最後まで戦うことをよく知っていた。彼は無条件降伏の要求とアメリカ兵の犠牲を最小にすることヽその二つを目的としていた

● 交渉による降伏は彼の頭にはなかった。いかなる交渉であれ日本と交渉することは弱みを見せることであり、それは日本の組織意思を強固にすることである。国内的にみても、このような弱さを見せれば国民のあいだに新しい大統領への信頼を失わせることになる。トルーマンには原爆を使用するほか手段はなかった。
 これが歴史家フランクの展開する議論である。

 この議論は、日本がポツダム宣言にいかに対応するかはトルーマンにとっては興味がなかったという事実を補強するものである。トルーマンには、日本政府の公式の回答は必要ではなく、ラジオで伝えられた鈴木首相の声明だけで、日本政府がこれを「即座に拒否した」と結論するに十分であった。トルーマンをこの時点で満足させられる日本政府の回答は降伏の決定だけであり、これを満たさない情報はすべて無視されたのである。トルーマンは急いでいたしかし、フランクが主張するようにルーマンの最大の目的がアメリカ兵の犠牲を最小にすることにあったならば、無条件降伏を修正するか、ソ連参戦を待つか、この二つの選択をなぜ選はなかったのであろうか。トルーマンはフランクが主張するように、原爆より他の手段がなかったのではなく、彼が十分選択することが可能であった手段を意識してとろうとしなかった。それは、たんにアメリカ兵の犠牲を最少にすることばかりでなく、ソ連参戦の前に日本の降伏を勝ちとること、日本に無条件降伏を突きつけることが彼の目的でもあったからである。原爆は彼のすべての目的を達成する格好の手段であった。

 トルーマンは広島への原爆投下の報に歓喜した。それは、トルーマンが日本人を殺戮することに喜びを見出しだからではない。むしろ`彼とバーンズが立案した「時刻表」通りに物事が進んでいったことに喜んだのであろう。この後でなすべきことは日本降伏の報を待つことだけであった。

 
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