カウンター 読書日記 原爆投下について(5)
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原爆投下について(5)
●原爆開発成功を知ったソ連は、対日戦争の準備に全力を注ぐ。

 アメリカはソ連の参戦が不要になり、ポツダム宣言からソ連を締め出そうと必死の画策をする。

 狐と狸の騙しあいがはじまる。

 日本の国民の命や国土の運命など、騙しあいのための「手段」にしかすぎなくなる。

 ・・・
 なぜトルーマンとバーンズは現行の皇室の下での立憲君主制を認めようとするスティムソンの意見を無視したのであろうか。七月二十四日付のウォルター・ブラウンの日記にこの問題を解く鍵がある。
「JFB(バーンズ)はジャップのソ連を介しての和平工作についてさらに語った。日本の駐ソ大使は本国の政府にもし戦争を継続すればドイツに起こったことが日本にも起こると警告した。しかし天皇は無条件降伏に何らかの修正がなされなければ日本は最後の一人になるまで戦うと言った」

  この記述から、「マジック」によって盗聴暗号解読をした七月二十一日の東郷発佐藤宛て電報が、バーンズの意見に決定的な影響を与えたことが分かる。

  バーンズの伝記を書いた歴史家のデイヴィツド・ロバートソンは、バーンズが東郷のメッセージを「日本が無条件降伏を拒否して戦争を最後まで戦い続ける」ことを示したものであると解釈している。戦後のインタビューでバーンズは述べた。
 「この電報は私をまったく豪胆にさせた。これは原爆の使用を意味した。それはまたおそらくソ連の参戦をも意味した。新しい兵器二発でもたらされる大破壊のみが日本の軍閥を降伏させる手段であることに私は何ら疑いを抱かなかった」
 先に述べたように、東郷の二十一日付電報は、戦争を最後まで続けることに焦点があったのではなく、むしろ無条件降伏を修正することによって戦争を終結する意思があることを強調するものであった。この電報とその前の七月十二日の電報から、スティムソン、マックロイ、フォーレスタルはまったく異なるメッセージを受けとったのである。フォーレスタルは「(日本の指導者の)最後の判断と決定は、もし彼らの唯一の選択肢が無条件降伏であったならば、彼らは持てる力を使い切り、激しい怨念をかき集めてこの戦争を戦わなければならないということであった」と記している。
スティムソンヽフォーレスタルヽマックロイはヽ立憲君主制を約束し無条件降伏を修正することによって日本の降伏は近いと解釈したのである。

 しかしバーンズは、無条件降伏があたかも一切の変更が許されない不変の真理のように取り扱っている。ロバートソンは、バーンズのこの態度を、彼の国内政治への配慮という観点から説明している。反天皇という米国内の世論を気にしていたというのである。しかし、別の説明も可能である。
 ウォルター・ブラウンの七月二十四日の日記はつぎのように記している。
 「JFB(バーンズ)は、原爆の後に日本は降伏すると信じて、そうなればソ連は戦争に参加することができなくなり、中国にたいする権利も主張できなくなることを依然期待している」
 フォーレスタルもバーンズは、ソ連がとりわけ大連や旅順を手に入れる前に日本との戦争を終結したいと述べた」と記している。フォーレスタルがバーンズに、大統領がポツダムに来た目的はソ運の参戦を確かなものにすることだと言っていたとコメントすると、バーンズは「大統領の考え方が変わったに違いない。少なくともそれは今の私の考えではない」と答えた。

   しかし、問題はまだ残る。もし、バーンズの懸念がソ運の中国への侵攻であったならば、なぜスティムソンの修正案を受け入れてソ連参戦前に日本を降伏へ導こうとしなかったのであろうか。無条件降伏に固執するなら日本は最後まで戦うことを彼は「マジック」から承知していたはずである。

 ブラウン日記のもっとも重要な鍵は「原爆の後に日本は降伏すると信じて」という語句である。
バーンズの頭のなかで、原爆がアメリカの手の内の切り札として優先順序のトップになったと解釈することが可能である。原爆はソ連が参戦してくる前に日本を降伏させる格好の道具であった。したがって、バーンズにとっては、原爆はやむをえず使用する兵器ではなく、使用することが絶対に必要な兵器であった。しかし、原爆を使用するためには、先例のない「速やかにして徹底的な破壊」を予告する最後通牒を日本にたいして出さねばならなかった。そして、原爆の使用を正当化するためには、この最後通牒は日本によって拒否されなければならなかった。拒否されるためには、あくまで無条件降伏を主張して、天皇制を維持するなどという無駄な約束をしないことであった。
 ブラウンの七月二十六日の日記には「日本にたいする共同メッセージが発せられる。これは原爆への序曲である」と記されている。バーンズは、日本が回答する前からポツダム宣言が日本に拒否されることを知っていたのであり、ポツダム宣言が原爆への序曲になることを知っていたのである。

 トルーマンはどうだったのだろうか。トルーマンが、ポツダム宣言のタイミング、署名者、その内容、いずれについてもまったく知らなかったとは考えられない。バーンズ、スティムソン、マックロイ、フオーレスタルが知っていた「マジツク」の内容を大統領もまた知っていたに違いない。したがって、日本政府がソ連を通じて終戦の仲介を要請したこと、戦争終結の障害が無条件降伏の要求であり、アメリカが無条件降伏に固執すれば、日本は最後まで戦争を続けることを知っていた。とりわけ、もしポツダム宣言で無条件降伏を呼びかければ、日本がこれを拒否することは分かっていた。それにもかかわらず、トルーマンは、第一に、スティムソンの原案から「現在の皇室の下での立憲君主制の維持」の約束を削除し、第二に、「日本の国民は彼らの政府の形態を自由に選ぶことができる」というフレーズを削って、ポツダム宣言が天皇制の維持について頑なな立場をとっていることを明確にし、第三に、スティムソンの「立憲君主制の維持」の表現を復活させようとする嘆願を拒否した。バーンズと同様、トルーマンも、これが日本に拒否されることを十分承知でポツダム宣言を発したとしか考えられない。

 なぜトルーマンは日本が拒否することを却っていながら、厳しい条件を含んだポツダム宣言を発したのだろうか。まず第一に、トルーマンが無条件降伏に深く執着していたこと、とりわけ天皇の処遇について譲歩するのを嫌ったことが考えられる。しかしポツダム宣言が、原爆と密接な関係をもっていたことをトルーマンとて否定することはできない。
 トルーマンは大統領命令を出して原爆投下を決定したのではない。彼はむしろ軍事指導者によってすでになされていた決定に干渉しなかっただけである。大統領のマップルームに配属されていた海軍情報将校のジョージ・エルシーは
「トルーマンはいかなる決定もなさなかった。というのはなすべき決定はなかったからである……彼は線路の上を走ってくる汽車を止めることができないように、これを止めることはできなかった」 と述べている。
 しかし、トルーマンはたんに軍事指導者のあいだでなされた決定を手を批いて見ていた傍観者ではなかった。七月二十四日はトルーマンにとって決定的な日であった。この日にトルーマンは、翌日ハンディーがスパーツに与えることになる原爆投下の命令書を目にした。さらにスティムソンから、原爆投下の日程について説明したハリソンの電報を受けとった。そしてスターリンに「尋常ならざる破壊力を有する新兵器」について漏らしたのもこの日であった。大統領は二十五日までに原爆の日程が明確になること、原爆が八月の最初の週に投下可能になることを知っていた。スティムソンは、七月二十三日と二十四日の大統領との会議から、ポツダム宣言が原爆と密接に結びついていることに留意している。トルーマンは日記に「われわれは多くの人命を救うために、ジャップに降伏したほうがいいという警告を発するであろう。私は彼らが降伏しないことに確信がある。しかしわれわれは彼らにチャンスを与えるであろう」と書いた。トルーマンは原爆を使用せずにすむように、日本が降伏を受け入れればよいとは書かなかった。バーンズと同様、トルーマンも、ポツダム宣言を発する以前から、これが日本に拒否されるのを確信しており、原爆投下を正当化するためにポツダム宣言を発したのである。

 トルーマンは七月二十五日の日記に、原爆に関する奇妙とも思える印象を記述している。彼は「六十フィートもの鉄骨の塔が完全に気化し」、「爆心地から半マイル離れていた鉄骨の塔が倒される」ほどの破壊力に感嘆している。だが、これを民間人にたいする先例のない殺傷力としては理解することがなかった。彼はさらに日記に書いた。
 「この兵器は日本にたいして今日から八月十日までの間に用いられる。私はスティムソン陸軍長官に、女、子供ではなく、軍事施設、陸軍・海軍の兵士が目標であると指示した。たとえジャップが野蛮人で、残酷で、狂信的であるにしても、万民の幸福に奉仕する世界の指導者はこの恐ろしい兵器を首の首都にも現在の首都にも落とすことはできない」
 そして自分を説得するかのように、「彼と私は一致している。標的は純粋に軍事的目標である」とくり返している。 

 このようにトルーマンは「六十フィートもの鉄骨の塔が完全に気化し」てしまうような破壊力を持つ爆弾が女子供を殺傷せずに、ただ軍事目標のみに使われるだけだ、とまるで自分自身に言い聞かせるような自己欺瞞に陥っていた。 七月二十三日にアーノルド将軍がスティムソンと原爆に関して「女子供を殺傷すること、隣接する多くの街の破壊、他の国々への影響、日本人にたいする心理的影響について」話し合ったと述べている。アメリカの最高司令官が、アーノルドとスティムソンが自明の理としていたことを知らなかったわけはない。

 七月二十四日、トルーマンはポツダム宣言の最終的なテキストを承認すると、これをハーレイ大使に電報で送り、一刻も早く蒋介石の署名を得るようにと訓令を与えた。チャーチルは二十五日にロンドンに出発する前に、すでにトルーマンに承認を与えていた。二十六日の夕刻、トルーマンは蒋介石の承認を受けとった。午後七時に「すべての日本の軍隊の無条件降伏」を呼びかけてはいるが、天皇の運命については一言も触れていないポツダム宣言のコピーが九時二十分公表という条件付で記者団に手渡された。小ホワイトハウスは、日本に広く伝わるように、ワシントンの戦時情報局にもコピーを送った。国務省と陸軍省によって合意されたように、ポツダム宣言は外交文書ではなくプロパガンダの手段であるとみなされ、外交チャンネルを通じてではなく、直接に短波放送で日本に伝達された。ワシントン時間の二十六日午後四時(日本時間では七月二十七日の午前五時)、アメリカ西部海岸の短波放送はポツダム宣言を放送しはじめた。

 
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