カウンター 読書日記 原爆投下について(2)
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原爆投下について(2)
 
 ルーズベルトの死去とトルーマンの大統領就任


 太平洋の向こう側でも政府の交代が行われた。四月十二日午後五時、トルーマン副大統領は下院議長のサム・レイバーンのオフィスで酒杯を片手に四方山話を楽しんでいた。突然、大統領の報道秘書から、一刻も早くホワイトハウスに戻るようにとの電話があった。ホワイトハウスに着くとすぐに、二階のルーズベルト夫人の書斎に導かれた。
書斎にはいるなり夫人エレノアはトルーマンの肩に腕をおき、「大統領が亡くなった」と告げた。
 トルーマンはただちに、「何か私にできることはないでしょうか」と尋ねたが、ルーズベルト夫人は答えた。
「いいえ、むしろ、何かできるかと質問しなければならないのはあなたではなくて、私のほうです。なぜなら、困った状態にあるのは今はあなただから」

  七時八分にトルーマンは第三十三代のアメリカ大統領として宣誓を行った。
 ルーズベルトは副大統領を戦時下の困難な使命を遂行することのできる大統領として訓練してこなかった。むしろ、ルーズベルトはあらゆる外交・軍事政策の審議の場から意識的にトルーマンをはずしてきた。トルーマンは、大統領就任の翌日、議員をホワイトハウスに呼びつけることはせずに、キャピトル・ヒル(議会)に自ら赴いてかつての同僚たちと昼食をとり、助言を求めようとした。昼食の後、外で待ちかまえていか記者団に囲まれ、感想を述べた。
 「記者団の皆さん。もしお祈りをするなら、私のために、いま祈ってほしい。あなた方のなかで頭の上に干し草の積み荷が落っこちてきたという経験のある方がいるかどうかは知らないが、昨日何か起こったかを知らされたとき、私は、月と星とすべての惑星が頭の上に落ちてきたという感じだった」
 一人の記者が「大統領閣下、幸運を祈ります」と叫ぶと、トルーマンは「そのように私を呼ばなければよいのにと思う」と答えた。

 これは、自分が巨大な任務に立ち向かっていくにはあまりにも不適当であり、準備不足であることをひしひしと感じて怯えている人間の言葉であった。
 トルーマンは自分が決断力に富んでいるという外見を装うことによって、その自信のなさを補おうとした。


  ジョン・マックロイ陸軍次官は日記に記した。
 「トルーマンは単純な男であり、速やかに、あるいは、拙速であるかもしれないが思い切りのよい決断をする。……彼はしばしば、大統領に就任してから自分がいかに決定を下したかについて述べたが、多くの決定がつかの間に深慮なしになされた決定であるにしては、いかにもラツキーであったことを強調した」
  
 トルーマンが最初に専念したのはルーズベルトの遺志を継承することであった。四月十三日にトルーマンはホワイトハウスで閣僚会議を開き、ルーズベルト政権からの継続性を維持するために閣僚の留任を要請した。スティムソンは老齢で健康を害していたにもかかわらず、祖国への義務感から陸軍長官の任にとどまることを承諾、フォーレスタル海軍長官も留任を快諾した。レーヒー提督はルーズベルトの創設した大続領補佐官の職を辞任すると申し出たが、トルーマンはこれを引き止めて留任を要請した。他の閣僚がみな去った後、スティムソンだけが部屋に残り、大統領に「信じられないほどの破壊力をもつ新型爆弾」を開発していることを告げたが、「今はこれだけのことを報告するにとどめておきたい」と言い残して部屋を出ていった。スティムソンの謎めいた言葉はトルーマンの好奇心をかきたてたに違いない。

 外交の経験不足を補うために、トルーマンは自分の信頼できる大物を国務長官に任命しようとした。ハイドパークで行われたルーズベルトの葬儀に参列した帰りの汽車のなかで、トルーマンはこのポストを南カロライナ州の有力な元上院議員で元最高裁判事でもあったジェイムズ・バーンズに与えることを決めた。しかしそれは、サンフランシスコ会議を成功裡に導くために全力を尽くしているステティニアス現国務長官の任務がひと区切りついてから就任する、という暗黙の了解の下になされた約束であった。トルーマンとバーンズの二人は四月十三日に会談し、「テヘランからヤルタまで、太陽の下のすべてのことについて話し合った」。

 四月十六日にトルーマンは上下両院合同議会で大統領としてはじめての演説を行い、「われわれの要求は、過去においても、現在においても、無条件降伏である」と宣言した。この宣言は万雷の拍手で迎えられた。これ以降、トルーマンは無条件降伏の旗を高く掲げ、この原則から逸脱することを頑なに拒んだ。それは、たんにルーズベルトの遺産であったからばかりではなく、アメリカは日本から受けた屈辱的な真珠湾攻撃に報復する権利があるということを心から信じていたからでもあった。

 ルーズベルトのもう一つの遺産は、ヤルタで結ばれた諸条約であった。トルーマンは、その一つであるヤルタ密約も遵守するつもりであった。四月十七日に、ルーズベルトによってモスクワに派遣されていたパトリツク・ハーレイ大使が、スターリンおよびモロトフと行った会見の内容を報告してきた。それによるとモロトフはハーレイに、「中国共産党の党員は実際には共産主義者ではない」と言い切り、ソ連は中国において共産党を支持しておらず、中国の内政、内戦に干渉する意図はまったく持っていないと述べた。またスターリンはハーレイに、蒋介石とトルーマンは、ヤルタ密約の具体的な条項について知らされたかどうかを訊いてきた。それにたいしてハーレイは、トルーマンはその情報を受けとっているが、蒋介石はいまだにこれについて知らされていないと回答した。

 遂にハーレイはトルーマンに、いつ蒋介石にヤルク密約の内容を伝えるのかと質問した。これまでヤルタ密約は、トルーマンがルーズベルトの金庫を開けるまで秘密にされていたという解釈が広く信じられてきたが、そうではなく、ハーレイがこの電報を打つ以前に、トルーマンはすでにヤルタ密約について知っていたと解釈するほうが適切である。四月十九日にトルーマンは中国の宋子文外相と会見したが、ヤルタ密約には言及せず、宋子文にたいして、ソ連との合意に達するためにモスクワを訪問することを勧めた。トルーマンはルーズベルト外交からの継続性を維持するためにはヤルタ会議の結果を遵守しなければならないと考えていたのである。

 ***********************
 
 この大統領のもとで「原爆投下」へと歴史は進んでいく。(続) 
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