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原爆投下(1)
*原爆投下の責任は先ずアメリカ政府=大統領に帰されるべきだろう。

  アメリカ大統領はルーズベルトの急死でトルーマンに替わっていた。

  この大統領は、どういう人物だったのか。
 

 ******************
 
  トルーマン・モロトフ会談

 トルーマンは、こういう場合ルーズベルトはどのような決定を下したであろうかとたえず自問していた。しかし、当然ながら、ルーズベルトが下したかもしれない決定と、トルーマンがルーズベルトならこう下したであろうと想定した決定とのあいだには食い違いがあった。トルーマンがいかにルーズベルトの政策を忠実に遂行していると信じていても、アドバイザーの選択、政策決定のスタイル、ソ連、日本にたいする彼自身の考え方などは、必然的にどの政策を採択し、拒否するかの決定に反映され、トルーマンの政策がトルーマン色を帯びることは当然の成り行きであった。

 ルーズベルトは外交政策において、明確で組織だった政策決定のメカニズムを好まなかった。さまざまなアドバイザーやグループがさまざまな意見を提供した。歴史家レフラーによると、「ルーズベルトは彼の行政的なスタイルに適しているように、散漫な構造の頂点に座していた」。他方、トルーマンはこのような構造は混乱していて、耐えがたいと感じた。レフラーはトルーマンのスタイルは彼の自信の欠如から生まれたと論じ、次のように述べている。
 「トルーマンは自分への自信のなさから無知をさらすことを恐れ、彼自身の意見を表明することを躊躇し、言葉に表して問題を検討することをめったにしなかった。彼を知るほとんどの人間が、彼の性急な判断について述べている。彼は何かしら権威あるような風をただよわせたが、それは考え彼かれた一貫した政策を犠牲にしてのことであった」

 トルーマンの対ソ政策は、「忽然とその巨躯を現しはじめた謎に満ちたソ連という存在」にたいするアメリカの為政者のどっちつかずの態度をそのまま反映していた。ソ連との協力は戦後世界の安定した秩序を構築するためには不可欠の要素であった。もはやそれは絶対に必要であるとは言えなくなったにしても、なおソ連の対日戦争への参加は好ましいとみなされていた。しかしソ連が新しく占領した東欧、とりわけポーランドでの行動を見れば、ソ逓の影響力の拡大がいかなる帰結をもたらすか、そのことに不安を覚えずにはいられなかった。トルーマン政権の内部でもさまざまな意見が混在し、トルーマンはたまたまそのとき自分の身近にいたアドバイザーの意見に左右されることが多かった。その結果として、トルーマンの対ソ政策は大きくジグザグのコースをとるにいたった。

 大統領就任の宣誓を行った直後から、トルーマンが最大の注意を払わなければならなかったのはポーランド問題であった。チャーチルは、スターリンがヤルタ条約に違反してポーランドに傀儡政府を押しつけるのではないかと恐れ、これに共同で抗議しなければならないと躍起になってルーズベルトに手紙を送った。この四月十一日付の手紙に応じて、新大統領トルーマンは十三日、スターリン宛てに共同の書簡をしたためることに同意する旨を伝えた。十六日、トルーマンは、ソ連がヤルタで約束された協定を遵守する義務があることをスターリンに告げるようにとハリマンに訓令した。スターリンおよびソ連にたいする微妙な変化がすでに起こり始めていたのである。ルーズベルトがチャーチルに「ソ連を公然と非難するのは避けよう」と忠告したのにたいして、トルーマンはスターリンと対決するとを選択したのである。

 また、それまで政策決定過程から遠ざけられていた国務省の高官が、トルーマンが大統領になったことで積極的に進言しようと活発な動きをみせ始めた。なかでも重要な役割を果たしたのは、たまたまワシントンに戻っており、ソ連の膨張主義の危険について大統領執務室に押しかけて何としても耳に入れなければと、てぐすね引いて待ちかまえていたハリマンであった。ハリマンはルーズベルトの宥和政策に批判的であり、ソ連にたいして厳しい「是々非々」の態度をとらなければならないと主張した人物である。ハリマンは、警告した。

 「共産主義の外への膨張が過去のものとなったと信じることはできない。われわれは、共産主義イデオロギーとの戦いに正面から立ち向かわなければならない。その戦いは、ファシズムやナチズムにたいすると同様に厳しく、また同様に危険に満ちている」

 ルーズベルトがハリマンの意見に耳を傾けなかったのに反して、トルーマンは彼の意見に共鳴した。四月二十日にハリマンはトルーマンと会見し、ソ連には「英米との協調政策をとるか、それとも独自の行動をもって隣国にソ連の支配を拡大させるか」の二つの選択しかありえないと指摘した。その上でハリマンは、アメリカの寛大さとその協調姿勢は、ソ連からすれば、弱さの現れでしかないと解釈されていると説明し、ヤルタ会談以降次々と生じてきた面倒な厄介事を具体的に列挙した。トルーマンはハリマンに向かって、自分は「ロシア人を恐れていない」、また、「われわれがソ連を必要としているよりも、ソ連がわれわれを必要としているのだから」ソ連にたいして断固かつ公平な態度をとると言った。大統領はさらに「たんにソ連から好かれるために、アメリカの原則や伝統から逸脱するいかなる譲歩もおこなうつもりはない」し、「これからは是々非々の立場でいく」と断言した。持論が受け入れられたことにハリマンは大喜びしたに違いない。

 ルーズベルトの急死により大統領に就任してわずか一週間で、すでに政治信条・政策に
 変化がみられる。
 トルーマンは単なるパペットなのだろうか、就任時にもどって見直してみたい。 


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