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ノモンハン事件
唐突だが、『ノモンハンの真実 1939-1999』 楠裕次著 1999.9.15刊 の巻末の一文を紹介する。
 「アル中」・乃木の「連隊旗事件」に言及する前に、学ぶべき歴史はある!

 *******************

 <かつての生き残りの見習士官の今日>

   「東証一部」に上場の食品メーカーの某社長は、ノモンハン戦に参加し九死に一生を得ている。一九九一(平成三)年夏、彼(当時、七五歳)はその知己の数十人に、五味川純平著『ノモンハン』を贈ったが、その折りに認めた添書がある。八年後のいま、これを読んでも、贈り主の心情が私には痛いほど判るし、常に当時のことを忘れずに自分の生き方に反映させているその真摯な態度に感銘を覚える。その全文を次にひくことにする。

 
 「 今更何故「ノモンハン」と思われる方も少なくないと存じますが、五味川先生の正確且つ公正な記述を再読するに及び深く感銘すると共に勇敢に戦って草原に散られた英霊に対する鎮魂の気持を禁ずることが出来ません。当時を偲びながら時々播かせて頂いて、最近ゆるみ勝ちな自らの気持を引締めさせて頂いております。

 更に申し上げたい事はこの本で明らかにされておりますが、当時の軍首脳特に直接間接この戦闘を指導された一部高級将校の独善、軽率、非合理はさて置くとしても、多くの部下、兵隊を犠牲にしても顧みない無責任、野心、思い上がりの行動はどうしても許せないものがあります。
 ノモンハンの戦後処理の完了后、ソ連の司令官ジューコフ将軍は、「日本の兵隊は世界一強い。下士官は優秀、下級将校は先ず合格、いけないのは高級将校、彼等は司令官を含み全く落第」と評したと聞きました。
 こんな事はそのまま現在のソ連にお返しすると申し上げたいのですが、最近の吾が国の実情は残念乍ら反省、自粛それと草原の勇気が再び必要のように思われます。

 この戦闘に参加され生き残った先輩将校の中には、戦後数人の方が「新任見習士官は指揮拙劣で苦戦した」というような事を申し開きしていたと聞いております。「上官批判はタブー」とされた教育が身についた吾々でも敢えて申し上げさせて頂けば「勇者とされた上官、指揮官にも戦場に於いては全くの言行不一致」の数々を見聞致したのは私一人ではないと存じます。
 七月末戦場に到着した私達第七十一聯隊だけでも同期小隊長四十三名中僅かIケ月の戦闘で戦死二十三名、負傷十八名、生還は私を含めて二人(加古原君と私)という犠牲でした。
 あの戦闘、特に末期の実情を知り乍ら尚且つ責任を他に転嫁しようとする姿勢こそ再度敗戦の道を歩むと言ったら過言でしょうか。

 誠に僣越且つ失礼と存じますが、自らの反省の気持と、亡き戦友に代わりこの本を一読して頂き度く御贈り申し上げる次第です。

        平成三年七月  M・K  」 


  ******************

 <資料> 歩兵第71連隊 (ウィキペディア)

(通称号:旭1125)
 編成地  編成時期  終戦時の上級部隊   終戦時の所在地
 鹿児島県  明治41年  第23師団   ルソン島北部(フィリピン)
 当初は広島で創設。

 大正14(1925)年の軍縮で連隊は廃止されたが、後に再び編成されました。

 昭和14(1939)年、ノモンハン事件に出動。
 7月に長野連隊長が戦死し、8月には新任の森田連隊長も戦死するという激戦でした。
 連隊長代理の東中佐は軍旗を焼却して突撃。
 9月に停戦協定によりノモンハン事件の戦闘は終了。
 この戦闘での損害は出動人員4,615名中、4,254名。
 戦死1,636名(35%)、戦傷1,777名(39%)、行方不明359名(8%)、戦病482 名(10%)

 昭和14年、補充により再建し軍旗が再授与されました。
 昭和19年、第23師団の動員令に基づき連隊も12月にフィリピンのマニラに上陸しました。
 連隊主力は南部のロスバニオス、第2大隊はカバルアン丘に陣を敷き、第3大隊はマニラ防衛司令官の 指揮下に入りました。
 米軍のルソン上陸にともない、第3大隊は北上しサンファビアンで斬り込みを敢行し玉砕。
 第2大隊もカバルアン丘の陣地を守備して玉砕しました。
 昭和20年4月、連隊主力はバギオに移り、防衛戦を展開。
 バギオ入口の道路沿いに配備され、肉弾白兵戦を行いました。
 昭和20年6月、プログ山麓のカバヤ高地まで後退して集結。
 終戦を迎え、9月、ボントック街道53キロ地点で米軍に投降しました。 

 生存者は患者を含め609名でした。

 <追記>

 著者:楠氏のご了解をいただいたので、以後氏のノモンハン4部作からも紹介していきます。

 参考HP: 東洋水産 http://www.maruchan.co.jp/company/info/index.html
 
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