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木田元・ハイデガーがわかる
『闇屋になりそこねた哲学者』ヨリ 11・ ハイデガーがわかる

 ハイデガーについてはナチス党員であった事実、山荘に於ける「出来事」(後ほど記す)など対決すべき課題も多く残るが、これは純粋にかれの「思考の秘密」に迫った興味深い一文。 


「11。 ハイデガーがわかる

 話をもとにもどします。
 大学院ではヘーゲルを読んでいましたが、へーゲルをやる気にはなれません。
 ルカーチの『若きへーゲル』やイポリットの仏訳や『精神現象学の生成と構造』という大きな研究書や、それから、ハイデガーの『森の道』のなかの「へーゲルの経験の概念」などが出て、それらがほぼ同時に日本に入ってきたので、その時点ではすごくおもしろかったので、読んではいましたが、かといって、へーゲルで論文を書く気にはなれません。というより、書けなかったというべきでしょうね。それで、フッサールを読んでいました。ハイデガーをやるにはどうしてもその師であるフッサールを読まなければならないからです。
 それから、アメリカ帰りの助教授の松本彦良さんを中心にサルトルの輪読会をやったりしていました。その頃、フランスの本がすごく安かったのです。(*ただし造本もそれなりのもの)ハイデガーの『生誕六十年記念論文集』が二千五百円もするのに、フランスの本は相当分厚いものでも六百円くらいでした。これは経済的だというので、サルトルの『存在と無』や『想像力の問題』を読みました。
ただ、サルトルでも論文を書く気にはなれません。おもしろいのだけど、ハイテガーやフッサールを読んだあとでは、どこかインチキくさいのです。 本当はハイデガーで書きたいのですが、なにしろ「世界内存在」とか「存在了解」とか「時間性」といった中心的な概念が、依然としてうまく捉えられないので、書くことができないのです。その後、次々に出てくるハイデガーの本はかたっぱしから読み、本当におもしろいのですが、それで論文を書くというわけにはいきませんでした。
 『森の道』という論文集には、ヘーゲル論、ニーチェ論、リルケ論まで入っています。新カント派の哲学史には、どれもこれもうまく収められない思想家たちを、ひとつの形而上学の歴史に組みこんでみせようというのですから、本当に興奮させられました。
おもしろくてしようがないのですが、でも、ハイデガーの文章はレトリックが強く、同じことを自分の言葉で言いかえるということができません。言おうとすると、まったく別のことになってしまいます。要約も不可能です。ハイデガー自身がギリギリまで凝縮して言っていますから、それ以上、要約することなどできません。ハイデガーを書こうとすれば、ハイデガーの文章をそのまま書き写すしかない。そんなみっともないことはできません。ハイデガーは読むもので書くものではないと、ほとんどあきらめた時期もありました。 
 それから、ハイデガーというのはかなりいかがわしい、これはだまされているのかもしれないと思った時期もあります。たとえば、前に紹介した、ニーチェの『ツァラトゥストラ』と、ライプニッツの『単子論』と、へーゲルの『精神現象学』と、シェリソグの『人間的自由の本質』を読み合わせなければヨーロッパの近代はわからないという話です。どう考えてもこの四冊がつながるとは思えないのです。これはハッタリではないかと思ったこともありました。あとになって、それがハッタリでもなんでもなく、よく考えれば、ちゃんとつながることがわかってきましたが。

 仙台時代の最後の頃は、どういうきっかけからだったか、メルロ・ポンティの『知覚の現象学』を読んでいました。これもおもしろかったです。中大にきて、二年に一回くらいは論文を書かなければなりません。それで、しばらくはメルロ・ポンティで論文を書いて、やがて翻訳もはじめました。
 でも、頭のなかにはいつもハイデガーがありました。
 哲学というのは、どこか雲をつかむようなところがあって、時々自分が何をやろうとしていたのかわからなくなることがあります。仙台にいるときも、東京に出てきてからも幾度かそういうことがありました。そういうとき、ぼくは、ドストエフスキーの主な作品と『存在と時間』を読みなおすことにしていました。そうすると、自分、が何をやろうとしていたのか思い出せるからです。東京にきてからは五年に一度この読みなおしをすることを義務にして、五十歳近くまでそれをやっていました。初心忘るべからずというわけです。その頃はそれほど仕事もなく、時間もありましたし。 

 しかし、『存在と時間』も何度か読むうちにだんだん読み方が変わってきました。最初読んだときは、実存哲学だと思って読んでいました。二回目に読んだころから、これはどうも実存哲学とはちがうぞと思いはじめました。 

  実存哲学らしいことは言っています。「各自の現存在」だとか「誰にも代わってもらうことのできない自分自身の死への先駆け」だとか。それらしいことは出てくるけれど、その処理が形式的なのです。自分自身の生き方を賭けるという意味での実存哲学なら、キルケゴールのほうがはるかに切実です。
 ハイデガーは『存在と時間』で「エクシステンツィエル」と「エクシステンツィアル」という言葉を使い分けています。邦訳ではたいてい、前者は「実存的」、後者は「実存論的」と訳し分けています。そして「実存的」の方はキルケゴールに任せておけばよいと言い出します。自分、がやりたいのは後者の方、そんなふうに実存的に生きている人間の存在構造を取り出す実存論的な分析の方なのだと言っています。だから、ハイデガーにはいわゆる「実存哲学」をやる気はなかったのです。それに、人間存在を分析するといっても、人間存在を包括的に分析する気はなく、採り上げている現象もかたよっています。
 だいたい、前にもふれましたが、『現象学の根本問題』という講義録が『存在と時間』の書き直しというわりには、その二つがどう結びつくのか、はじめのうちはよくわかりませんでした。書かれたところだけ読むかぎりでは、まるで違う話しだとしか思えません。しかし、よく考えてみると、『存在と時間』という本は、ハイデガー、が本来構想した全体の三分の一しかふくんでいません。『現象学の根本問題』も、構想の三分の一くらいで終わっているわけです。両方の書かれなかった部分を考慮に入れないと、両者の結びつきはわからないのです


 『存在と時間』という本は二十世紀を代表する哲学書として大きな影響をもった本ですから、これは完璧な作品だときめこみ、それだけで完結したものとして読む読み方がドイツでも日本でもされてきました。でも、実際には、全体の三分の一しか書かれていない未完の書です。だから、書かれなかった残りの三分の二を『現象学の根本問題』を手がかりに再構築しなければなりません。そういう読み方をする必要があるということがうすぼんやりと見えてきました。
 それでも、ハイデガーがたとえば「世界内存在」「時間性」「存在了解」ということでなにを考えているのか、ぼくにはさっぱりわからないのです。三宅先生にもわからなかったようです。先生に質問すると「うーん、何やろうねえ」という答えが返ってきました。ドイツ人の研究者の書いたものを読んでも、わかっているとは思えません。

 「世界内存在」について、ハイデガーはこう言っていますということしか、誰も言っていないのです。「世界内存在」というのは変な言葉です。それなのに「現存在の存在構造は世界内存在である」といきなり言い出します。なぜ、そんな言葉をつかわなければならないのか、まったく説明していません。「世界内存在」という概念をハイデガーがどう定義しているのか、そんなことは十年もやっていればわかってきます。でも、それだけではわかったことになりません。そんな奇妙な概念をなぜハイデガーはつくりだしたのか、その心理的な動機までわからなければ、わかったことになりません。。

  ところが、それがわかったのです。わかるときは、ある瞬間、ぱっと霧が晴れるようにわかるものです。わかったのは、メルロ・ポンティの『行動の構造』を読んでいたときです。翻訳していたときではなくて、何度目かの読みかえしをしているときでした。メルロ・ボンティはケーラーのやった『類人猿の知恵試験』を検討しながら、「チンパンジーの世界内存在」という言い方をしています。それを読んだとき、ひらめくものがあったのです。

 ハイデガーは『現象学の根本問題』で「世界内存在」と「存在了解」と「超越」はすべて「時間性」を基盤として成り立つ同じニつの事態なのだということを言っています。そのことが頭にあったので、「世界内存在」がわかると、「存在了解」もわかったし、「時間性」もわかりました。「自分を時間化する」といった表現で何を言おうとしているかもわかってきました。そのような中心的な概念がわかるようになると、あれほどわからなかった『存在と時間』がじつによくわかるようになったのです。
 でも、そういうぼくの理解が正しいのかどうか、その時点ではそうはっきりとした裏付けがあったわけではありません。というのも、メルロ・ポンティは一九三八年に『行動の構造』の最初の原稿を書き上げたとき、『存在と時間』は読んでいなかったからです。参考文献表に『存在と時間』は出てきません。ハイデガーを読んでいない人の本を読んで、ハイデガーがわかるようになるなんてことは、ふつうならありそうに思えません。もっとも、メルロ・ポンティは原稿を書き上げて出版するまでの間にはどうやら『存在と時間』を読んだらしいのです。『行動の構造』の出版は、第二次世界大戦がはじまってしまったので一九四二年になります。その間に『存在と時間』を読んだらしいことは、その段階で付けたらしい注からうかがわれます。
 メルロ・ポンティは一九三〇年代に現象学の勉強をはじめます。ドイツ哲学を吸収しはじめるのです。ところが、『行動の構造』の最初の版の文献表をみると、フッサールは申し訳程度にしか出てきません。ハイデガーはひとつも出てきません。出てくるのはシェーラーです。現象学をシェーラー系統で勉強したのだということがわかります。
 そこで調べてみると、アロン・ギュルヴィッチというロシアからの亡命者が、ドイツで現象学を仕込んで、それをパリでメルロ・ポンティに手ほどきしていることがわかりました。このギュルヴィッチは、フッサールのもとで勉強した人ですが、シェーラーの仕事を積極的に評価し、その線で現象学を理解しているのです。・・(続)
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