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『理科系の文学史』
 荒俣宏・『理科系の文学史』 1981.6.15 工作舎 
 
 パート4 二十世紀の眺望

 ケース1 ロシア・ソヴィエト

 a.レーニンが救った西洋と、レーニンに抹殺されたロシア

どうも逆説的な言いかたになるのだけれども、レーニンの登場というのは、<科学>の運命に関連付けて言う限り、病んだ西洋を救い、肝腎のロシアを殺すことになったとしか考えようがないのだ。

 その点をすこし説明しておく必要かあるだろう。最初に、ぼくはすでにいくつかの逸話を通して、ロシア、が影にこもった大国ではなかった点を立証しておいた。二十世紀の方向を決める二つの文化革命-つまり共産主義と復活神秘主義とが、一方はトロツキーによってアンドレ・ブルトンら西側へと拡がり、一方はブラバツキーやグルジェフ、レーリッフらによって耕作地としてのアメリカに移植されたこと。そしてこのロシア型文化革命がユダヤ人亡命者やロシア移民という人間の流動にともなって汎世界化したことをである。そこで次のような疑問がでてこよう。すなわち、ロシアの精神力がこの時期になぜ世界に活を入れ得たのか?これは当時のヨーロでハ思想界を眺めれば答えが自然に出てくる。問題を物理学に絞りたい。世紀末から二十世紀にかけてヨーロッパを襲ったのは、ニュートン物理学の失墜という大事件だった。

 この時代に「物質は存在しなかった!」と衝撃的な発言をした科学者、が二人も出ている。その一人はエルンスト・マッハ。この名前は、マッハ1とか2とかの単位として今に残る人物のものだけれど、それはあきらかに科学のアバンギャルド勢力であった。かれは感覚の問題をつき詰めて、あらゆる物質現象は感覚の関数にすぎないと主張した。分かりやすく言い直せば、外界のあらゆる存在もまた人間の生理現象でしかないということだ。ぼくたちの眼に映る外界は、ぼくたちと独立に存在しているように見えるけれど、本当はそうではない。それは、ある要素の塊りがたまたま眼という感覚に映った映像にすぎない。その証拠に、眼をつむり二本の指を交叉させてパチンコ玉のようなものに触れれば、それはまるで二つあるように感じるではないか。したがって、絶対空間だとか物理法則とか称するものを定めても、それは絶対的な法則でも何でもなく、たまたま人間にはそう感じられるという生理現象の〈記述〉にすぎない、とするのだ。実証主義はここで断罪され、マッハはその代わりに生理学的物質観-要するに現象論を持ってくる。だから物質についての科学は、物があるかないかの問題ではなくなり、どのように受け取るかという問題になる。この点で「ニュートンの光学が画家の技術を高めたのだろうか?」と疑問を呈した科学者兼詩人のゲーテは、かなり良い線まで行っていた。ニュートンやライプニッツの自然現象を公式化し、何も見ないでも公式をひとつ編み出せば自然現象の解明はすべてOKだとした、従来の「見ない科学」に反旗を翻して、ゲーテは「見る科学」として形態学や芸術に力を注いだのだから。

 さて次に、マッハとは別の方向で「物質はない」との結論に達しのは、数学者ポアンカレである。放射性元素の発見から電子論、さらに量子論までを総合したポアンカレは、アインシュタインすれすれの相対性理論に到達し、電子という物質の質量、が電磁的性質しか持たず、ニュートソが言うような慣性的で実体的な性質をもっていないことから、「物質は存在せず」の結論を下した。
 つまり物質はトドのつまりエネルギーという力であって、一定の空間を占めたり永久に不滅だったりするような固形物ではないのだ。ただし、当時は非ユークリッド幾何学も成立して、古典物理学が軒並ダウンする危機の時代だった。この危機はアイソシュタインのE=mC2という方程式によって辛うじて救われる。つまり物質とエネルギーは相互に入れ替わることができるという救済である。これでなんとか「物質はある」という話が始められるようになった。その点でポアンカレは、この方程式の片方だけーつまり物質がエネルギーに変わるほうだけを発見して、物質がなかったことに愕然としたわけなのだ。
 ついでに書いておくと、物質もエネルギーも「世界の要素」の一側面同士であり、同じ要素の別々な現象であると考えたアインシュタインの相対性理論は、同時にニュートンカ学さえ救ったのである。すなわち、ニュートン力学を相対論のなかの特殊なケースとして併合することによって。

 ともあれ、アインシュタインがまだ出てこない時代には、マッハやポアンカレから「物質など存在しない」と断言されたとき、それでも物体はあると反撃する仕事はまずレーニンに託されることになった。その仕事は、物質の実在を前提としなければ始まらないマルクス主義にとっても重大だった。
  なにしろマルクス主義は科学であり唯物論であるのだから、物質が感覚の上にだけあるのだとか、物なんてものは霞みたいに正体の掴めないエネルギーだとか言われては、命取りも同然である。レーニンはそこでマッハやポアンカレ、それに「結果はどう転ぶか分からないから努力することだけが善だ」などと認識能力の発展性を信じないカントらを、次々に切りまくり、「現代物理学が危機だ危機だと騒ぐけれども、むしろ危機なのは、人間の意識の外にある客観的実在性を疑って妙な考え方をしだした一部科学者の頭のほうだ」と結論して、物はあくまでも意識の外に実在していることの信仰を守り通した。

 というわけでヽレーニンが西洋の危機を救ったのは以上のような意味においてである。マッハの考え方は遠くアインシュタインのような天才に受けつがれた以外、急激に忘れさられ、科学者も気楽に物質の研究とその技術的応用に熱中していれば良くなった。

 レーニンの考え方は階級闘争をペースにした弁証法-つまり、なにかやっているうちに真理に近づいていくという楽観論である。心と物質はまったく別ものであって、人間の意識よりも物質のほうが先に存在しているという立場だ。そして、世界の歴史は労働者の勝利に向かって動いてゆかなければならないともいう。
 スターリンは、さらに限定を加えて、その勝利がソヴィエトの勝利でなくてはならず、それもスラブ系ロシア人の完勝でなければならないと怒鳴りちらした。当然、ロシア国内での「勝利に関係のない勢力」弾圧とその流出がはじまる。ユダヤ系文化のシンボルだったトロツキーが敗れたあとは、ルイセンコのような奇妙な理論が国定科学にされて、コミュニスト内部での粛清さえ始まる始末である。こうなったら最後、「わたしの手法は、現実の世界と想像の世界、〈眠り〉と〈現〉、〈生活〉と〈ファンタジイ〉のあいだには明確な境界が存在しないという思想に拠っている」などと述べる『南十字星共和国』の作家ブリューソフたちは真先に首を切られるしかない。こうして大戦後の文化状況を先取りしたはずだった衝撃的なロシア20年代芸術は、とつじょ終わりを告げる。レーニンがロシアを抹殺しだのは、この意味においてであった。

 この辺の事情に関連して、きわめて興味ぶかいSF作品が『ロシア・ソビエトSF傑作集』(上)=東京創元社= におさめられた。アレクサンドル・ボグダーノフ作『技師メンニ』である。ナロードニキ出身の(ということは、本来マルクス主義者とは対立的な)かれは、レーニンにも認められた思想家だったが、のちにあの睨うべきマッハ主義に転向し、その独特な共産主義理論から人間集団も組織という現象と見て、「人間みな兄弟」の理想を実現するために血液まで共有する考えにとり憑かれた。かれは自ら生体実験に名のりをあげ、全身の血液交換実験中に事故死する!そのボグダーノフの中編『技師メソニ』を読んだレーニンは、1913三年にゴーリキーに宛てた手紙のなかで、こう言っている。「これは、労働者にも《プラウダ》の無邪気な編集者にも理解できないように隠されたマッハ主義=観念論にほかなりません。この小説は資本主義を暴露していませんし、客観的にそれを理想化しています」と。・・
  以下略・・

 **************    

 
 このテーマに関連しては、
 佐藤正則『ボリシェヴィズムと<新しい人間>』(20世紀ロシアの宇宙進化論)
 水声社 2000.3月刊

 同著者による訳、アレクサンドル・ボグダーノフ著『信仰と科学』
 未来社 2003.12.25刊
 の二冊がお薦めです。1970年生まれの学究からの誠実な贈り物に感謝!

    

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