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柄谷行人『戦前の思想』
  *「自由 平等 友愛」、何度も目にし耳にもした、このスローガンに疑問を感じなかった人は少ないだろう。
 とりわけ、「自由と平等」はけっして両立することのない理念なのではないか等々と。
 

  曖昧な思い込みとそれによって(そのままの状態で)行動を起こすことは社会的な、思想的な「犯罪」に限りなく近いだろうし、できることなら(努力で叶うものなら)避けるべき「犯罪」だ。

 ここでは、「自由・平等・友愛」について、<先哲>柄谷行人の講演に学びながら考えていく。

 (1992年11月 上智大学学園祭での講演)

 タイトルは <自由・平等・友愛> 

 1.自由と平等は背反する から始める。
 
 
   1.自由と平等は背反する

 「自由・平等・友愛」は、フランス革命のときに唱えられた有名なスローガンです。しかし、これらの理念が歴史を動かしたかのように思うのはまちがいです。何気なく並列されたように見えるこの三つの概念は、根本的に異質なものであり、それぞれ違った源泉をもっています。とりあえず、これらの概念を定義するところからはじめることにします。というのは、それが明確でないと、議論が混同されてしまうからです。

 まず、「自由」に関していうと、たとえば英語では、freedomとlibertyが区別されているのですが、日本語ではその区別がありません。そのために、内面的自由というようなものと混同されます。したがって、特に、われわれはその違いに注意する必要があります。「リバティー」というのは、他人の恣意的な意志に拘束されないという意味です。もっと具体的にいえば、それは権力、特に国家権力の制限を意味します。ここでいう「自由」とは、たんにそういう意味です。しかし、「たんに」といっても、それを軽視することはできません。たとえば、宗教的・哲学的な人たちは、自由の問題をもっと深く考えようとする傾向があります。

 サルトルは(ナチ・ドイツの)占領下においてわれわれは自由だった、と書いています。それは、占領下において、抵抗するにせよしないにせよ、たえず個人が実存的に選択せざるをえない状況にあったという意味です。しかし、そのようにいえば、普通の意味でまったく自由がない状況においてこそ、人間は自由であるということになります。日本では、第二次大戦において戦争で死ぬ運命にあった人々が、そのような運命に能動的に従うことこそ自由があるというような論理も説かれたのです。

 しかし、私がここでいう自由は、そういうものではありません。もっと世俗的で凡庸なものですが、それがないところでこそ、自由は非常に観念的、文学的、あるいは深淵なものになっていくのです。たとえば、戸坂潤は、戦争前の日本の思想状況にかんして、こういっています。

 「元来、自由の必要は哲学者や文学者が感じるよりも先に、企業家や政治家が、感じて来たものなのだ。哲学的又文学的な自由の観念は経済的又政治的自由の観念の出しがらだったからである。(中略)自由主義はだから経済的な又政治的な範躊であって、元来哲学者的又文学者的範疇でなかったのであるが、それが現在の日本などでは、自由主義と言えば、政治上の自由の問題などとは無関係に、哲学者的に又文学者的に常識界で通用している。今日では自由主義という常識的用語は、もはや政治的範疇ではなくて文学的範疇になっているのである。    『日本イデオロギー論』岩波文庫

 ここで少し極端にいうと、「自由」とは私的所有権ということになります。自由という問題を所有の問題に還元していいのか、という疑問が出てくるかもしれませんが、逆に言うと、「私的所有」は、たんに私有財産の問題ではありえないのです。たとえば、「職業の自由」は、各人が自分の労働力を私有するということですし、「表現の自由」は同時に、表現を私有すること(著作権)と切り離せない。個人が共同体に属する存在であるならば、こうした自由はありえません。というわけで、私的所有権は、あらゆる近代的な「自由」を凝縮するものです。そして、これを制度的に保証することが近代の革命だとすれば、それは本質的に「ブルジョア革命」ということができるのです。

 この私的所有をけっして馬鹿にすることはできません。私的所有権と切り離して「自由」を考えることは可能ですが、それは、先にもいったように、決まって、深淵で抽象的なものになってしまいます。また、私的所有権を制限すると、必ず「自由」は制限されます。私的所有を疑問視する前に、それが「自由」と不可分離だということを知っておく必要があります。平田清明氏がかつて強調したように、マルクスはこの意味での私有を否定したことはありません。

 つぎに、「平等」という概念についていうと、これは経済的平等あるいは分配的正義という意味です。「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という有名な福沢諭吉の言葉がありますが、これは「法の前での平等」という意味です。しかし、法の前での平等はむしろ「自由」ということに含まれるから、わざわざ「平等」という必要がありません。また、平等は、生まれつきの能力や容姿といったものの平等の問題ではありません。あくまで、平等は、富の平等(分配的正義)ということを意味していなければならない。むしろ、この意味での平等がないところでこそ、深遠な平等が考えられてしまう。たとえば、どんなに貧しくても、神の前では平等であり、あの世に行けば平等であるというふうに。

 このように自由と平等を理解することは、実は、それらが近代の資本主義のなかで見いだされるものだということです。あとで述べますが、友愛も同様です。封建制度とちがって、資本主義においては、人間が直接に他の人間を支配するわけではない。それはつねに、自発的な合意(契約)による交換を通して、媒介的になされます。マルクスの言葉でいえば、人間と人間の関係は物と物との関係としてあらわれます。したがって、各個人は、直接的には、他者の強制から自由なのです。しかし、ここでは、封建的な共同体に従属しているかぎりで生産手段をもっていた農民は、それをもつ者ともたない者に分かれてしまいます。そこに、従来とは異質な「不平等」があらわれるわけです。

 自由と平等の問題は、フランス革命などより前に、すでに産業資本主義を高度に発展させていたイギリスにおいて問われています。たとえば、自由と平等は両立するでしょうか。人が自由勝手にやれば、かならず貧富の差が生じるのではないか。自由主義者のアダム・スミスはそう考えませんでした。よく知られているように、スミスは、私的利益の自由な追求を肯定しました。それは、各人が己の利益を追求することが全体の利益になり、したがって結果的に各人の利益にもなるというものです。この考え方を見るには、ゼロ・サム・ゲームとプラス・サム・ゲームを例にとるのがふさわしいでしょう。たとえば、マージャンでは、誰かが得をすれば、ほかはみんな損をするということになります。同様に、封建制社会では、領主の富は農民からの収奪にもとづいている。これに対して、プラス・サム・ゲームでは、誰かが得をすることがほかの人の損にはなりません。

 しかし、スミスの考えは産業資本主義の発展を前提しています。産業資本主義以前の段階では、ユートピア思想は、花田清輝がいったように、「単純再生産」の社会をモデルにします。それは社会的生産の総体がほとんど変わらないところで構想されるからです。そして、それは「貧困の平等」ということになる。19世紀前半のフランスやドイツで考えられた「社会主義」は、だいたいそういうものです。それに対して、産業資本主義社会は、プラス・サム・ゲームです。アダム・スミスが、各人がエゴイズムを追求することを肯定したのも、こうした経済においてです。

 自由主義がもたらす富の不平等は、自由主義者にとって重要ではありませんでした。たとえば、スミス的自由主義を受け継ぐハイエクは、自由と平等の矛盾は、いねば時間的に解消されるといっています。豊かな人たちは高価なものを買うことができるのに、貧しい者はそうできない。しかし、産業資本主義以後の社会では、それ以前と違って、貧しい者も昔の金持以上のものを所有することができる。《われわれの知る限りの進歩的な社会では比較的に進歩するのである。比較的豊かな人々は、他の人々よりほんのわずか先に物質的利益を享受しているにすぎない。富める者の支出の大部分は、結果的には後に貧しい者に利用されるようになる新しいものの実験費用の支払いに当てられている。新しく高価な生活様式は最初は一部の人によって実践される以外には、一般に手の届くようにさせる方法はない》(『自由の条件』)。
 これを身近な例でいいますと、自動車にしてもワープロにしても、最初は非常に高価なものでした。ほんの一部の人しか買えない。しかし、誰かが買わなければ、それは生産されず改良もされないわけです。そして、今や多くの人が自動車もワープロも持っている。貧富の差は、現在を固定して見た場合明らかに存在しますが、進歩する、経済的に発展する社会においては、時間差はともなうけれども解消されるということです。これが、自由主義者による「自由と平等」の矛盾の解決です。彼らにとって、それ以外の方法で「平等」を実現しようとすれば、必ず、国家主義(理性)主義に帰結し、「自由」が損なわれるだけでなく、結果的に「貧困の平等」に帰結することになります。

 アダム・スミスの自由主義は、自由放任(レッセ・フェール)ということですが、これは具体的には、国家の介入を制限することです。彼はcheap governmentということをいいました。ここで注意じたいのは、国家stateと政府governmentは別のものだということです。スミスはたんにcheapな政府をいったのではなく、国家が不要だといったのです。つまり、自由主義の考えは、議会=政府が国家であり、政府の上に国家があるのではないというものです。自由主義経済がイギリスにしかなかったように、こういう考えもイギリスにしかなかったのです。

 大陸では、ルソーの場合がひとつの典型ですが、国家は一般意志として、あるいは国家理性としてあります。ルソーは「自由の思想家」と呼ばれていますが、彼は「国家の思想家」でもあるのです。たとえば、国家と自由を対立させるのはまちがいであり、各人は国家において真に自由であるといったヘーゲルも、ルソーをうけついでいるわけです。

 スミスの考えは、経済においては、各人の私的利益の追求が結果的に予定調和的に全体の利益になるというものです。しかし、それは経済の問題だけではありません。たとえば、それ以前では、真理は、だれか少数の者が把握するものと見なされます。哲学者・僧侶が真理を握り、あるいは国家・言僚が理性的てあると考えられる。ところが、自由主義の観点から見れば、真理は各人の違った意見が相対的に合意点に達したものにすぎません。自由主義は、けっして古来からある思想ではありません。それは、私的所有と競争がある種の自動的な秩序をもつと思われるようになった時点で、はじめて成立したのです。
 

 2 マルクスが見落したこと
  
 
  しかし、フランス革命では、まるでそれらが簡単に両立するかのように、「自由・平等・友愛」が唱えられました。もちろん、実は「自由と平等」の矛盾がすぐに露呈したのです。「自由」は、いうまでもなく、封建的な諸制限の撤廃であり、突きつめていくと、私的所有権の確保です。ブルジョア階級にとってはこれで十分でした。しかし、問題は「法の前での平等」が達成されたとしても、具体的に富の平等が達成されていないことにある。フランス革命において、第四身分と呼ばれる職人・労働者などの市民が参加しています。というより、実質的に彼らの闘いなしには革命はなかったわけです。ところが、この革命は、彼らの要求を黙殺することで終っています。19世紀の革命思想(社会主義)は、ここに胚胎していると、よくいわれます。つまり、この革命で実現されなかった「平等」を実現しようとするものとして、「社会主義」があらわれたというわけです。
 

 しかし、フランス革命が「自由」を実現したというときに注意しなければならないのは、それがイギリスの「自由主義」とは無縁だということです。イギリスにおいては、そこに至るまで17世紀以来さまざまな紆余曲折があり、具体的な制度とともに形成されたものです。ところが、イギリスの経験を模倣したフランスの啓蒙主義者においては、「自由」はアプリオリな観念になっています。フランス革命は、封建的諸制限を一挙に廃止したのですが、ロベスピェールらにおいて、自由の観念は逆に絶対的な専制政冶に転化してしまいます。少数の人間が「真理」を握り、彼らが万人を代表することになるからです。ここでは、権力の制限としての自由という視点はありません。

 むしろ、フランス革命が生み出したのは、いわゆるジャコバン主義であり、少数の真理を握る者の国家主義的独裁形態です。同時代に「平等」を主張したバブーフの「共産主義」も同様であり、後に「平等」を「自由」の上においたルイ・ブランの主張もそうです。それは、のちにレーニンのボルシェヴィズムに受け継がれます。フランスに「自由」の伝統があるという考えは疑うに値します。というのは、フランスは今日に至るまで、つねに官僚(国家)が支配する国家だからです。自由主義はそこではつねに否定されてきている。私の考えでは、ミシェル・フーコーのような人がいったのは、フランスに欠けていた「自由主義」にほかならないのです。

 したがって、フランス革命以後の「社会主義」に関しては、二つに分けなければなりません。つまり、国家によって分配的平等を実現しようとするものと、自由主義によってそうしようとするものとに。後者を代表するのがプルードンであり、一般にアナーキズムと呼ばれています。アナーキズムとは、「無政府」状態を志向するのではなく、いわば国家がない政府を目指すものです。もう気がつかれたと思いますが、プルードンはイギリスの古典経済学の影響を受けているのです。たとえば、ハイエクのような現代の自由主義者がアナルコ・キャビタリストと呼ばれているのは、それらが同根であることを示しています。

 よく知られているように、マルクスは、プルードンの主著『貧困の哲学』を批判して『哲学の貧困』を書きました。しかし、彼らが政治的に敵対したことはなかったというべきです。パリ・コンミューン(1871年)をやったのはプルードン派ですが、マルクスは熱烈に支援しています。また、マルクス・エングルスが書いた『共産党宣言』はアナーキストたちにも共有されていました。その証拠に、日本で最初に『共産党宣言』を訳したのは、幸徳秋水と堺利彦です(1906年)。そのなかでいわれているのは、国家の廃絶と私的所有の廃止という二つの原理です。これらはアナーキストに共有されていた、というより、アナーキストのものです。そして、マルクスも、この点においてアナーキストであり、国家主義者ではありません。実際、マルクスは「国有化」などいったことはありません。それをいったのは20世紀のレーニンです。たとえば、『共産党宣言』(1848年)というと、共産党の起源のように見えますが、実は、共産党など19世紀になかったし、それが目指されたこともなかった。われわれが知っている「共産党」は、ロシア革命で権力を握った「ロシア社会民主労働党」の左派が名乗り、以後各国にコミンテルン(第三インターナショナル)の支部として作られたものです。「第一インターナショナル」においてはマルクス、プルードン、バクーニンらはたんに個人として参加していただけで、ネーションを代表していたのではありません。

  マルクスがプルードンの経済学を批判したのは、彼がアダム・スミスの経済学を批判したのと同じことです。たとえば、スミスは恐慌を知りません。まだ、それが存在しなかったからです。ここで、先に述べた事柄に戻りますが、自由を確保すれば不平等が生じ、平等を追求すれば自由が失われるという矛盾に対して、自由主義者ハイエクは、自由と平等の矛盾が時間的に解消される(*註:貧乏人は少し待っていろということ。ただし、貧乏人が生きているうちにどうこうなるというという保証はない)わけです。しかし、それには、経済が成長していることが前提になります。
  

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