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寛容の文化
 *『寛容の文化』 マリア・ロサ・メノカル著 足立孝訳 名古屋大学出版会 2005.8.10刊
 
 書評者との相性というものもあるのだろうか? 私はあると思う。
 「毎日新聞」・日曜に掲載されている富山太佳夫氏の評で紹介されて、購読したものは多いが、
 これまで、「ハズレ」はなかった。

 その中の一冊。一昨年の新聞の切り抜きが巻末にはさんであったので、まずその引用から始めよう。


 引用始・******************

 「寛容の文化」
  マリア・ロサ・メノカル著(名古屋大学出版会・3990円)

 この本を「七八六年、コルドバ」に始まり、「一四九二年、グラナダ」に向うアンダルスの歴史と宗教と文化を描き出した傑作と紹介しても、多分読者にはほとんど何も伝わらないかもしれない。伝わるどころか、まず最初に、アンダルスって何、と質問されそうだ。

 私にしてもスペインの歴史に関する知識などないに等しいのだが、それでもこの本の面白さくらいは判断がつく。アンダルスとは、かつてイスラム教徒(ムスレム)がイベリア半島を呼ぶときに使った呼称。要するにこの本はスペインの歴史についての本ということである。そして、一四九二年という年号を眼にしてわれわれが思い出すのが、コロンブスによるアメリカ大陸の「発見」なるものだとすると、この本はそこにいたるまでの七百年間の歴史を語ったものということになる。

 まず頭に浮かぶのは、そんなものが面白いのだろうかという疑問かもしれない。もちろん面白い、抜群に。この本を読み出せば、そのことはすぐに分かる。いや、読み出すまでもない。副題を見れば、読みたくなる-『ムスリム、ユダヤ人、キリスト教徒の中世スペイン』。それは三つの一神教が互いに衝突しながらも、互いに寛容になろうとして共存した時期であった。「単一の言語と蛍△の宗教」からなる国家をめざして、「統一でイスラム教徒(ムスリム)がイ と調和のモラルによって規定さベリア半島を呼ぶときに使った呼 れ、矛盾に対して遥かに不寛容な近代」への歩みが始まるのは、その時期に終止符がうたれたあとのことなのだ。
 当然と言うべきなのか、それとも歴史の教訓とはこういうものと納得すべきなのか、中世のアンダルスの歴史のうちに、アメリカ帝国が世界にのさばるわれわれの時代の直面する難問を解決しようともがいたひとつの例がすけて見えるような気さえしてくる。

 「ムスリムは、現代の世俗的なヨーーロッパ諸国家に統合されうるだろうか。原理主義的なキリスト教徒は、彼らの子供たちを信仰の教育と同じく理性の教育に、聖書上の真実と同じく進化論的な諸論理にに触れさせるべきだろうか、カトリックのクロアチア人、正教のセルビア人、ムスリムのボスニア人はバルカン半島で共存できるだろうか。寛容と不寛容はどうしたら並び立つことができるだろうか」。アメリカの研究者マリア・ロサ・メノカルはそうした問題意識を抱えながら、さらには「九・一一」以降の情勢をにらみながら、この本を書いている。

 だからこそ、この本は生き生きとしているのだ。歴史の細部がそれ本来のかがやきを取り戻すのだ。アラビア語の書物の焚書を命じ、「最も圧政的な異端審問の時代」を演出したカルロスー世をめぐるエピソードにしても、その一例としてよいだろう。彼はアラブの文化の魅力を知っていた。一五一九年に神聖ローマ皇帝に即位するとき、カルロスはかつて皇帝フリードリヒニ世のガウン、フリードリヒがまことに愛したイスラーム風の外衣、さらにはアラビア語の刺繍された大きな折り返しをもつケープを身にまとって戴冠儀礼にのぞんだ」

 それだけではない。著者はアンダルスに形成された寛容の文化をふまえて、ボッカチオの『デカメロン』を、セルバンテスを、さらには現代の小説家ルシュディまでも読み直してみせる。『ドン・キホーテ』の背後にある歴史のある部分がこんなにも鮮やかに浮上してくるとは、まったくの予想外であった。      (足立孝訳)
   
  ******************
 

 < まえがき> ハロルド・ブルーム
 

 著者・マリア・ロサ・メノカルは、この胸をえぐるような物語を七五〇年のダマスクスで始め、一四九二年、ムスリムとユダヤ人がスペインから追放されたまさにその年のグラナダで終えている。メノカルの「アンダルスの破片」と題されたエピローグでは、ちょうど五〇〇年後のセルビア砲兵隊によるサライェヴォ国立図書館の破壊の光景が、一見不自然なほど詳しく描写されている。スペイン・カトリシズムの所業である一四九二年の冷酷な惨劇とセルビア正教会の計画的な勢力拡大をともなった一九九二年の文化的な残虐行為とのあいだに、メノカルは一六〇五年のセルバンデスの『ドン・キホーテ』第一部の出版にまつわる逸話を配している。これは、わたしがこの書物でとくに気に入っている箇所である。
それは、ちょうどシェイクスピアがロンドンのグローブ座で『リア王』を初演した年でもあった。西洋文学にはそれ以来四世紀にもわたって、最大の喜劇にして唯一無比の小説『ドン・キホーテ』あるいはまた最大の悲劇であり、文芸の極致である『リア王』に匹敵する傑出した文学作品は登場しなかったのである。 


 追放から一世紀にわたるいわゆるセルバンデスのスペインは、そうした破壊的な出来事の文化的・経済的トラウマにずっと苦悩していた。それは、ユダヤ人やムスレムにとっては「第一級の土地」からの永遠の追放であり、旧キリスト教徒にとっては勝利と黄金時代に相当するはずだった。だが、セルバンテスにとってそれが何を意味したかと問われたら、解きようのない謎と答えるほかない。サンチョ・パンサは、くどいほど頻繁に自分が旧キリスト教徒の家系の出であると言い、ユダヤ人嫌いであることを何の根拠もなしに付け加えたりする。どのユダヤ人のことだろうか。たぶん彼は改宗キリスト教徒(コンベルソ)のことを言っているのだろうが、読者はすばらしくお人よしなサンチョが誰かを嫌うなどと信じられるはずもない。ドン・キホーテはといえば、最後には打ちひしがれ、騎士身分を棄て去り、信心深く死の床に就くことを望んで帰路に着く。スペインもまた、一七世紀末葉からフランシスコ・フランコの死にいたるまで、信心深く死の床に身を横たえたまま、それ以後もいまなお完全に規定されようのない何か別なものに成り果ててしまった。アメリカ合衆国やアイルランドと比べてみても、スペインはもはや宗教に悩まされることもない。たとえ死の礼賛がいまなお文化の内奥に生き続けているとしても。

 メノカルにとってのアンダルスは、「ムスリム、ユダヤ人、キリスト教徒が寛容の文化を育んだ場所」であり、たしかに健全かつ有益なある種の理想郷を一定の水準まで実現したといえるかもしれない。もっとも彼女自身、一〇六六年にグラナダで起きたユダヤ人の大量虐殺をベルベル人原理主義者に全面的に帰しているように、それとても完全に納得のいくものとはいえまい。とはいえ、『世界の宝飾』〔本書の原題〕を貫く中心的なヴィジョンにはまことに説得力がある。アンダルスのユダヤ人とキリスト教徒は、大胆不敵なアブド・アッラフマーンー世に率いられ、ダマスクスからコルドバに移った後ウマイヤ朝の統治下で経済的にも文化的にも繁栄をきわめた。ユダヤ人の文化は、バビロニアからアメリカ合衆国へといたる流浪の文化にちがいないが、その三度にわたる絶頂期は、アレクサンドリア(紀元前二世紀から紀元後二世紀まで)、アンダルス、そしてオーストリア=ドイツ(一八九〇年代から一九三三年を通じて)において現出したのである。『バビロニア・タルムード』や、『創世記』から『列王妃』におよぶ旧約聖書のほうが、アレクサンドリア、コルドバ=グラナダ=トレード、そしてウィーン=プラハ=ベルリンのユダヤ人文化よりも強い光彩を放ちつづけているのはたしかであるが、それでもこれらの絶頂期と比べれば、アメリカのユダヤ人にいたっては文化的に痛々しく見えてしまう。

 メノカルのこの書物は、かつて中世初期と呼ばれた時代のユダヤ詩人、ムスリム詩人、キリスト教徒詩人(たいていはトゥルバドゥール)に手向けられた恋愛詩である。この書物をただひとりのヒーローに捧げるのはいささか躊躇するが(メノカル本人の心情はヘブライ語詩を再興した戦士にして詩人、シュムエル・ハ=ナギドに向けられている)、もしわたしならば、やはり戦士にして詩人、ただしアラビア語の詩人であるイブン・ハズムを指名したい。彼の手になるロマンティックな恋愛の手引書『鳩の頸飾り』もまた、全盛期が永遠に過ぎ去り、朽ち果てるばかりのコルドバヘの記念碑にほかならない。メノカルは、再生不可能であるが、だからこそ忘れがたい美学的、官能的、文化的伝統を保持しようとした点て、イブン・ハズムをドン・キホーテになぞらえている。

 この書物は痛切であると同時に、そうしたノスタルジーに全面的に埋没することなく、むしろそれがもっている今日的な問題との関連性を念頭におきながら、それ自体の出処をも考察の対象としようとしている点で賢明である。今日の世界のいかなる場所にも往時のアンダルスに相当するようなものを目にすることはできない。アーヤトッラーのイランやターリバーンのアフガニスタンは極端な例であるが、エジプトにしてみても、もはや寛容の文化を満たしているとはとても言いがたい。イスラエル人とパレスティナ人は、たとえ和平を実現できたとしても、アブド・アッラフマーンとその子孫達のアンダルスからいまや遠く隔たったイスラーム世界にずっと包囲されたままであろう。かつてコルドバとグラナダが打ち立てたものを思い起こすことはその意味でも有益であるし、それはまたわたしたちの心を揺さぶるに十分なのである。

 喪失感を味わいながらメノカルの書物を読むのはこれくらいにして、想像力をかきたてる彼女の力に賛辞を送りたい。今日のマルチカルチュラリズム(わたしたちの大学やメディアにとって有害以外の何ものでもない)は、本質を欠いたコルドバやグラナダのパロディにすぎない。アルハンブラ宮殿からユダ・ハーレヴィーにいたるまで、メノカルによってまことに情熱的に描き出されたあらゆる文化的偉業は、まさしく「美学的な」栄光の所産であり、着想は強靭、つくられたものはまったく優雅このうえない。掛け値なしに文化的記憶に資するという意味で、『世界の宝飾』はまさに本物の、高揚感に満ちた魂の意思表示そのものなのである。


 *原題は  The Ornament of the World 「世界の宝飾」。


 **************

「・・われわれが旅行する時、面白い人に会ったとき、また冒険に出会っても、それらの経験を十分に味わうだけ年齢が進んでいない時には、経験をしないのと同じにしか感じないものだ。・・
経験はわれわれが経験していることがどんなものかを教えない。物事は ただ起こるだけである。
 もしわれわれが経験の中に
何を見出すべきかを知らなければ、経験はわれわれに何の意味も持たない。」
 
 S.I.ハヤカワは読書について<旅=経験>からこう語る。(『思考と行動における言語』P.306~307)
 
 
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