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忘れられない言葉
*名著『キメラー満洲国の肖像』(1993年・中公新書)を熟読された方も多いことだろう。

 勿論、「新書にして大冊」の名に恥じない一冊である。

 その後『思想課題としてのアジア』(2001年・岩波書店)では度肝を抜かれたものだ。

 その著者・山室信一の書評集・『ユーラシアの岸辺から』(2003年3月)の「おわりに」より
 引用する。
 

  ”・・・ところで、ニーチェは『ツァラトウストラはこう語った』の中の「読むことと書くこと」
  において、
 
 「すべての書かれたもののうち、わたしはただ、血をもって書かれたもののみを愛する。血をもって書け。そうしてこそ、君は血が精神であることを知るだろう。他人の血を理解するとは、容易にできることではない。わたしは暇つぶしに読書するといった手合いを憎む。

 読者を本当に知っている者は、けっして読者に合わせて書くことはしないであろう。もう一世紀も読者なるものがのさばるならばー精神そのものが悪臭を放つようになるだろう。猫も杓子も読み書きを習えるということは、いつかは書くことのみならず、思考することをも腐敗させるであろう」と記した。
 1900年のことであった。

 ニーチエがそう予見してから、ほぼ一世紀。その予言は確実に現実のものとなっているように思われる。現在、日本では年間、6万9千点の新刊書と3400余タイトルの雑誌(2001年統計に拠る)が発行されているだけでなく、電子メディアの普及によって、誰もが読者という以上に「著者」となって日々、文章が書かれ、世界中を駆け回っている。むろん、それはけっして唾棄されるべきこととだけはいえないはずである。

 だが、ニーチエが読むに値すると考えたような、著者が全身全霊を込めて血のインクをもって書くという行為が失われただけでなく、ニーチェが当然に要請していたような全身全霊を込めて読むという意欲が、もはや、なくなりつつあることも事実である。それどころか、瑕つぶしの読書によっては書かれたものの神髄を読み解くことなどできないとした、その暇つぶしの読書さえ、急速に失われつつある。

 すでに研究者にして、その研究に動機などないと公言して憚らないままに、研究書なるものを次々と公刊する時代である。・・・”
 

  恐いほどの決意表明である。

 少なくとも、近づく努力だけは惜しまず、持続しようと思う。

 言うまでもないことだろうが、この『ユーラシアの岸辺から』も、アジアに真剣な眼差しを
 向け続ける人にはお薦めの一冊である。
 
 

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