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続・落合論文
  陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(5)
 
  
    (5)-1 上原勇作の軍歴と上原応援団・薩摩将官三人組

   *上原勇作・輝ける軍歴の出発点・日清戦争
  

  明治28年8月1日、日本は清国に戦線を布告した。これに先立つ五月12日、本稿の主人公・吉薗周蔵が、小林村字堤で誕生していたことは特記しておく。

 9月1日第一軍が編成され、司令官・山県有朋大将は第三師団長・桂太郎を伴って京城に向かうが、途次高陽駅で9月16日、平壌陥落の報告を受けた。
 山県司令官の朝鮮上陸後、在韓軍の行動はすべて第一軍の統制下に置かれることとなり、参謀次長・川上操六中将は第五師団長・野津道貫中将宛に打電し、第三師団の来着を待って平壌攻撃を開始することを命じた。
 しかるに野津は「攻撃準備すでに成り、予定の計画を変更すること能わず」と返電し、独断専行で攻撃を開始、忽ち平壌を陥落した。
 すこぶる短兵急な作戦であったが、『上原伝』は、当時の情勢を的確に判断した作戦だと褒めている。上原は9月25日付で、山県有朋の後を受けて第一軍司令官に補せられた。

 幕末・明治の全ての戦争に参加した野津は、勇将として知られ、後の日露戦争で満洲軍第一軍司令官として沙河作戦を指揮した時、自ら狩ってきた鹿の生き血を啜りながら、少年時代の「冷えもん取い」の話をして周囲を驚かせた。容貌に似ぬ猪突猛進タイプの性格だった。

 参謀本部が満洲第一軍の参謀長に近代的な上原を配したのは両人の性格の均衡を図ったものと評される。しかしながら両人は日清戦争以来司令官と参謀長の関係にあり、死刑囚の胆嚢(冷え物)を食す習慣も薩摩では周知のことで、その経験者も野津以外に幾らでもいた。

 明治28年3月12日野津道貫は陸軍大将に任ぜられ、同20日上原中佐は第一軍参謀副長に補せられたが、戦争の大勢は決しており、清国講和全権大臣李鴻章と伊藤博文首相及び陸奥宗光外相とは、この日下関春帆楼において談判を開始した。4月17日下開講和条約が調印され、第二条において、台湾などの領土割譲が決まる。李鴻章は、台湾割譲を要求する日本に「台湾を抱えたらお宅は苦労しますよ」と冷笑した。理由は阿片中毒者が多くて治安が悪いことで、加えて気候も高温多湿の熱帯性で、マラリア・コレラ・赤痢・チフスなど恐ろしい風土病が蔓延していた。それでも日本が台湾の領有を欲したのは、石炭を燃料とする軍艦のための石炭と水の供給基地を必要としたからである。
 
 上原中佐は五月二十五日凱旋し、神戸に帰還した。

 

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