カウンター 読書日記 忘れられない言葉
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


忘れられない言葉
  *どうしても「忘れられない言葉」たちが私の中に住みついている。

 その理由は当人にも不明・不可解であるようだ。

 これらの言葉たちを書き留めていく。

 
 ****************
 ****************
 
  「ツェランは病気だ・・・もう治らない」
 

  語り手(つぶやいたともいう)は、「カント以後最大の哲学者」にして、ナチへの積極的

 加担者、ナチ党・党員であったハイデガー。
 
  冷たい言葉で見送られたのは、「ヘルダーリンとリルケ以後随一の

  ドイツ語詩人」と言われるユダヤ系ルーマニア人パウル・ツェラン。


  時は、1967年7月25日
  場所は、トートナウベルクのハイデガーの山荘
 
 
  3日間の滞在の後、立ち去っていくツェランを山荘の門で見送りながら、の言葉という。

  このハイデガーの冷淡なつぶやきについては、後日記すことにする。 


   *ハイデガー 1933年5月1日 NSDAP(ナチス)入党
                      党員番号 バーデン大管区 3125894
           1945年まで党費を納めている。
   

 ***************
 ***************
   
  「リプクネヒトは精神病院行きだ、
  
  ローザ・ルクセンブルクは動物園行きだ」

 


 ドイツ革命の余韻が残る1919年1月4日のウエーバーの放言である。

 この時、既に二人の若き革命家は虐殺されていた。

 

 *****************
 *****************

   「何という進歩でしょう。中世ならば、彼らは私を焼き殺していた

 でしょう。こんにちでは彼らは私の書物を焼いて満足しています。」
 

  1933年5月、ドイツの全大学でナチにより組織された熱狂的な焚書が始まったとき、

  ウイーンのフロイトは微笑しつつ、こう語った。 


   [ 年 表 ]

 <1933年>
 1月30日 アドルフ・ヒトラーがドイツ帝国首相になる
 3月5日  ドイツ帝国議会選挙 ナチスと連立与党が絶対多数を獲得 ー ユダヤ人排斥
        運動開始
 3月24日 議会がヒトラーに、議会に代わって法律を制定する権利を与える(全権賦与法)
 4月25日 アリアン民族以外の学童、生徒の新入学制限
 
 <1935年>
 9月6日  ユダヤ系新聞の街頭販売禁止
 9月15日 ニュールンベルク法
 9月30日 ユダヤ人公務員全員解雇

 <1936年> 「2.26事件」と「西安事変」(12月)の年
 8月1日  ベルリンオリンピック開催 「民族の祭典」

 <1937年> 「盧溝橋事件」(7月7日)
 11月10~11日 「帝國水晶の夜」事件-ライヒ・クリスタル・ナハト
        
 

スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/116-e7a22fe1



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。