カウンター 読書日記 続・『匂いのエロティシズム』
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


続・『匂いのエロティシズム』
 ・・・・・
 *ブルセラ・ショップ(市場である)というものがある。ショップ=市場は売り手と買い手によって成り立つ。売り手は女子高生、買うのは男である。
 セーラー服には郷愁に似たものがあり、それに魅かれる気持ちはわからないこともない。(私はわからないが)しかし下着やブルマーとなると、ちょっと首を傾げざるをえない。むろん私(鈴木)とて、女性の下着やそのにおいに何も感じないというのではない。ただ、それはふさわしい状況でそういったものに遭遇した場合の話であって、誰のものともわからない下着を買おうとは思わない。(私は下着のほうにセーラー服よりは魅力を感じる。ここでいう「ふさわしい状況」とは性行為に至る可能性が充分考えられる場面ということだろうか?)・・

 「もちろん、私は、フェティシズムであれ、ホモセクシャルであれ、SMでもロリコンでも、他人に迷惑をかけない限り、その人なりのセクシュアリティや性に抱くファンタスム(幻想)は自由だと思うし、非難するつもりは毛頭ない。ただ理解できない嗜好というものはある。
 カミングアウトではないが、私はハイヒールやレザーの衣類には魅力を感じるし、ある意味でにおいや香りはすでにフェティッシュになっているのかもしれない。
 妙なところでは、陶磁器にも私はある種のエロテイシズムを感じてしまうのだが、・・」
 (このあたり、少し著者とは感覚のズレを感じるが、率直さは充分つたわってくる。<ブルセラ論>に戻って続ける。)

 「・・この場合、自分のはいた下着を売ってお金にする女子高生とそれを買いに来る男たちとの間に、共有されることなく広がったあまりにも大きな意識のズレを感じてしまうと言った方がいいのかもしれない。このズレこそ、まさにエロスとにおいをめぐる意識のズレなのである。」
 売り手と買い手の意識のズレとはどういうものか? 


 「たとえば、下着を買った一人の男のことを想像してみよう。」
 

 店で、なるべく店員と目を合わさないようにして、買った一枚の白いパンティー。女子高生の「生写真」も付いている。一人暮らしのサラリーマン。さて、彼は部屋に戻ってまず何をするだろうか。
 おそらく、そっとそのにおいを嗅いでみるのではないか。(そんな、ものかな?)・・・
 新品のパンティーでないこと、誰かによってはかれたものに違いないことを確信する手立ては、それより他にないと思う。実際、マニアの中には本物と贋物を嗅ぎ分けることのできる者もいるらしい。
 自宅に持ち帰ってにおいを嗅いだ後、贋物と判定すると、これは本物の女子高生のはいたものではないと怒って突っ返しにくるという。」
 (しかし、この「突っ返し」男性の嗅覚たるや、すさまじいものだ。若い女性と中年女性の<におい>の違いがわかる=分別できるというのでさえ、「才能だな」と私などは思ってしまうが、<本物の女子高生>となると、凡人の想像の域を超えていて、羨ましささえ感じてしまう。)

 「問題はにおいを嗅いで確かめたその後である。」

 「・・・パンティーというあからさまに性的なもののにおいから、それをはいた女性を想像し、その美化された姿に恋をするというのなら、大雑把な構造としては17歳の私と弥生さんの部屋のにおいとの関係に近い。もしそうなら、私にも理解できることかもしれない。・・・
 ・・しかし、むしろそのにおいを嗅ぐのが、本物であるかどうか確かめるためだけであることの方が多いのではないかという気がしている。
 確信があるわけではないが、下着という隠されたもの、恥ずかしいものを所有し、それを拠りどころとして空想の中で女性を思うがままに弄ぶことのできる快楽というのが実態に近いのではないか。」
 (特に、「空想の中で・・」はそうだろうと、私も思う)
  

   一方の、そのパンティを売った女子高生の方はどうだろうか。
 

 友達からお金になると聞いて、それならと思ってはいていたパンティを売りに来たのだろうか。何も考えてないと言ってしまえばそれきりだが、何の価値もないものが高く売れると思っているわけではないだろう。
 つまり、そのパンティを高い金払って買う背後に、男たちの欲望が潜んでいることぐらいわかっている。
(そうだろう、いまや女子中学生と早熟な小学生でさえ「わかっている」はずだ。)
 

  想像力の欠如というより、もともと「買う男たち」を別世界の住人と思っているのかもしれない。もちろん、それは単なる錯覚に過ぎないことは、やがてわかるはずだ。

 あるいは、もう一つ別の見方をすれば、彼女にとっては自分のはいた下着やそきに残るにおいを「自分のもの」と感じる意識が希薄で、売ることに何の抵抗も感じないのかもしれない。
 自分のにおいは自分ではないというのかもしれない。
 そんな感性が生まれる背景には女子高生たちの異様なまでの潔癖症や消臭癖という、また別の現象がある。
  (と、著者はいうが、私はそういってしまえば全てそうなのであるが、この「潔癖症」「清潔病」は特に、「作られたもの」という感じが強くする。)
 

  口臭やトイレのにおい消しスプレー、汗のデオドラント、果ては消臭食品にいたるまで、女子高生の間で(女子高生だけでは勿論ないが)流行している、らしい。
 もちろん、どこまで、実情を伝えているかは大いに疑問だが、社会の流れとしての「清潔志向」や「無臭志向」は確かにある。
 オヤジ・オバサンくささを毛嫌いする彼女たちは、自分たちはある程度手入れしていればにおわないと思っているのだろう。本当の自分は無臭か芳香に包まれているという錯覚の中にいるのかもしれない。
 

  「もちろん、そんなことはなくて、思春期特有のにおいは絶対にあるのである。」(p17) 
  著者・鈴木は「昼はコーヒーショップで夕方からアルコール類を出す店」での体験を語る。
 ・・友人達と夕方早くから飲んでいると、「突然若い女のにおいがして一同皆びっくりしたことがある。振り返ってみると、入り口近くに女子高生が4,5人立っている。」コーヒーの時間だと間違えたらしい。店内にも若い女性がいたにもかかわらず、「生々しいまでの若い女のにおい」だったという。
 
 「おそらく」彼女たちはそうした自分たち固有のにおいが存在すことに気づいていない。」

  「他人のにおいには敏感で、それを嫌悪し、自分の口臭や汗臭を消しにかかる彼女たちは、自分たちの生のからだを限りなく無臭に近いものとしてイメージしているに違いない。」(p17~18)
 ・・自分のにおいが持つ性的な力への自覚のなさ、本来は極めて羞恥のの対象になったものへの無感覚さがそこにはある。
 ・・こういう「ブルセラの構図」は、言わば現代・日本の性をめぐる混迷の縮図ということにもなろう。
 それはつまり、身体やセクシュアリティにおけるにおいというものの位置づけの曖昧さ、不明さである。・・・われわれはにおいがエロスに果たす役割をきちんと理解したり、意味づけてやることをしてこなかった。・・・いわゆる「性教育」の中にもにおいという要素は完全に欠落しているのである。

 「いや、ことは性的なにおいにとどまらない。私は、近代社会の中ではにおいそのものが抑圧されてきたと考えている。」
 「香水や花の香りがもてはやされることはあっても、それは結果的ににおいの世界の拡がりを半分に切り下げることにしかならない。」(p20)


   (芳香の特権化と「悪臭」への<思い込み=思い込まされ>による差別・排除の構図は確かに見苦しいほどに現存すると思う。芳香の賛美者の無自覚=能天気な感覚は、自身は「動物」ではないとでも言いたいのが、本音だろう。)
 

   ・・・それは、教育システムの中に「視聴覚教室」はあっても「臭覚教室」がないことに端的に表われている。・・・われわれはにおいを分類し、知覚するための手立てを教えられることも、そうした指標が事実上ないということさえ、きちんと知らされることはない。その結果、ほとんどの人は、この世には芳香と悪臭しかなく、悪臭は説明するまでもなく悪臭であり、芳香に対する好みは人それぞれであるという程度の意識しか持ち得ないのである。 
      (続)

     
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/112-19905a66



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。