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落合論文・補
   *<サンカ>について。

 *サンカとは何か  


  サンカ(山窩)とは、日本の山間部を生活の基盤とし、夏場の川魚漁、冬場の竹細工を主たる生業としながら山野を渡り歩く漂泊民である。その生活実体は十分につかめてはいないが、生産技術や社会関係、信仰といった生活様式が平地民とやや異なり、平地の住民からは異端的に見られていた。サンカは戦争のたびに定住を強制され、ついに太平洋戦争を境にして不明となったといわれる。民俗学の祖柳田国男がサンカについて記述したが、柳田は警察官からサンカについて聞いたという。作家でサンカ研究家である三角寛も、サンカを知るきっかけは警察だった。三角寛は、彼らを独特な文字や掟(おきて)、伝承、厳格な組織を有する社会集団として描き、肉体的にも異能の持ち主としている。
 

 *サンカの起源 
 

  サンカの種族的系統については、縄文人の末裔説、渡来人説や落人(おちゅうど)説、中世の傀儡(くぐつ)の後裔説などがあり一定していない。
 縄文人の末裔説によれば、彼らは大和朝廷に征服された先住民族であり、原日本人である。この日本列島に、朝鮮半島や中国から水田稲作と高い土木技術をもった、騎馬と鉄の武器で武装した俗にいう弥生人がやってきた。これらの人々やその後身である大和朝廷は列島の平地部分を占拠していった。原日本人は平地を追われて山に立てこもった。侵略者たちは日本列島の主人面をはじめ、征服され、滅ぼされた原日本人の末裔であるサンカは、大和朝廷成立以前からの生活を守り暮らした。平地定着民となる事を拒絶し、山と平野の間を風のように流動し先住民としての矜持と自立を守ってきた。

  *サンカと戸籍  
 

 670年の「庚午(こうご)年籍」に始まる戸籍は、国家統治の基礎であった。しかし、明治に入っても戸籍への編入を拒絶し、国民の三大義務である徴兵、納税、義務教育を無視してきたのがサンカであった。日清戦争後にも20数万人、第2次世界大戦後の昭和24年にも、約1万4000人の無国籍サンカがいた。その当時サンカ以外の流浪人を合わせると80数万人の戸籍を持たない人達がいたという。昭和27年朝鮮戦争を契機に国家再編成を実現する目的で施行された「住民登録令」によって、この列島に住む人々は全て、居住地を決め、その住所を申請すると同時に、米穀通帳、国民年金、健康保険、選挙人名簿などを一括登録する事を義務化した。後に「住民基本台帳法」として完成するこの政令によってサンカの歴史は幕を下ろすことになる。

  *サンカと裏日本史 
 

 日本の信仰はどれも、深く山岳信仰と関わりあっている。山岳信仰と密教は密接な関係にある。真言宗の開祖空海も、中国に渡る前に山で修業している。後に修験道は真言宗、天台宗の両密教に所属するが、表向きは修験が両密に所属しているものの裏では関係は逆だという。
 サンカと修験の深いつながりは容易に想定できる。サンカと修験は同じものでないが、サンカとの関係が悪ければ、修験は修業どころか、山にいる事すらできなかったであろう。そして、日本仏教は、修験を通してサンカとつながっていた。明治以降、仏教と神道は分離されてしまったが、江戸時代まで仏教と神道はそれほど別のものではなかった。いや、山を介して深く関連しあっていた。
 竹はサンカにとって重要なものだ。お伽噺(とぎばなし)の竹取物語はサンカの物語かもしれない。竹取物語のかぐや姫が男に冷たいのは、サンカの女が朝廷の男に敵意を持っていたためだろうか。
 サンカは忍者の源流だったとも言われる。身が軽く、山の自然の過酷な環境の中で生まれ、育ち、そこで生きる知識と技能がある。また、独自の文字や連絡方法を持ち、その情報網は日本全国をおおっていた。サンカ独自の山の道も、他にはない交通網だった。そういう特殊技能と、結束、集団性は、そのまま強力な忍者集団になれる。戦国時代、サンカは忍者として諸国の大名に雇われ、情報戦を担っていたという。
 情報を握ることで、逆に諸大名を操作していたとも言う。織田信長は、サンカを裏切ったため、本能寺で明智光秀に殺されるよう、忍者=サンカが手配したというのだ。また、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などは、サンカ出身だという説もある。確かめようはないが、それが間違っていたとしても、サンカと日本史の関係を考える場合、ある種のリアリティーは伝えている。
 サンカは明治初期から次第に被差別部落や都市部のスラム街に溶け込んでいったという。

  *サンカと古史古伝 
 

 サンカには、独特の文字と神話伝承がある。『日本書紀』『古事記』に書かれた以外の歴史を伝える幾つかの古文書を一般に古史古伝というが、その中の、江戸時代に大分で発見された『上記』(ウテツフミ)はサンカ文字と同じ文字で書かれている。『上記』は、本当の古代史なのだろうか。また、日本神話である『日本書紀』も『古事記』も、サンカ言葉で読むとまったく違ったものになるという。サンカの道具であり武器であるウメガイという両刃のサンカ刀があるが、このウメガイこそがスサノオノミコオがヤマタノオロチを退治した刀だというのだ。

  *現代のサンカ
 

 かつて、山で生活し自分たちの独自の文化と社会を形成していたサンカが存在したのは確かな事だが、現在はとなると、「いる」「いない」で意見が別れている。『サンカと説教強盗』を書いた礫川全次は、トケコミしきって、消滅したという説だ。現代日本では山に行ってもセブリをしているサンカはいない。小説や物語の中でのみ、彼らに会う事が出来るというところであろう。
 しかし、その一方で、サンカの独自の結束を生かして金を集め、そのサンカ資金でエリートを育て上げ、サンカ資金の運用で裏側から中枢を動かしているという説もある。三角寛の『サンカ社会の研究』の第4章15は秘密結社という見出しでシノガラを紹介している。セブリから離れてトケコミをすると三代限りでサンカから絶縁する。しかし、形の上ではトケコミだが、絶縁しないで秘密のつながりを持ち続けるのがシノガラなのだと言う。セブリがなくなった後、サンカはシノガラとして存続しているのかもしれない。元々、明治以降、戸籍を取らせるため、また犯罪捜査のためとして警察から過酷な手入れをされるなど差別にさらされたサンカが自衛のため、法律家、政治家を育て対抗しようとした事からはじまるサンカ基金がシノガラと結びつき、秘密裏に育てた人材を、サンカの代表として権力の中枢に送り込んでいるのだろうか。民俗学者の赤松啓介は「サンカも殆んど姿を消してしまい、常民のなかへトケコミしたようだが、地下の組織は生きているだろう」「こうした人たちの正体を調べようなどと、バカな野心は起こさないのがよい。ウラの世界にはウラのオキテがある」と述べた上に「絶対に死体が上がらない海もあるし、あまり人の行かぬ林の中に白骨が横になり、木の枝に縄がゆれているという風景もある」とまで言っている。(民俗境界論序説)
 『マージナル』1号では西垣内堅佑弁護士がサンカと土建・建築業界はつながりが深いと言われることをふまえながら、田中角栄元首相と政商小佐野賢治の協力関係がサンカの秘密組織シノガラと重なると指摘している。矢切止夫も「原日本人の系譜をひくサンカにはシノガラという相互扶助組織があり、その組織の元締たるオーモト(アーモト)様はスイスに存在していた」「アメリカ政府はオーモト様と連携し戦後の日本の政体について、天皇制を廃止し、日系アメリカ人を母体としたオーモト様指揮下のサンカ政権を作ることを計画していた。しかし、占領後、天皇の力が強いことを知ったフリーメーソン(33階位)のマッカーサーは、サンカ政権の約束を反古にし、天皇制を利用してフリーメーソンの影響下にある政権を作り出してしまった」という説を紹介している。また、田中角栄が拘置所から出た時に「ユダヤにやられた」と口にしたという話もあったという。現代日本の裏側でサンカが活躍しているというのだ。これは、五木寛之の作品『風の王国』ともつながる説だ。サンカは銀行も持っていて、これがサンカ基金を運用しているという噂もある。

 以上、 「歴史と世間のウラのウラ」より。
     http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/index.html
 

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