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落合論文・補
  <サンカ>と<大本教> 
 

 以前の記事を、先ず確認しておこう。
 

  *手塩にかけて育てた政雄を、ウメノが医専に入れたのは、上田吉松・出口ナオらと組んで始めた皇道大本(大本教のこと)の仕事に携わらせる目的があった。

 *政雄は後年、祖母・渡辺ウメノの母系の丹波国桑田郡曽我部郷穴太村の上田家の伝承を、周蔵に詳しく教えた。

 *穴太村を本拠とする上田家の家伝では、上田の本姓は海部(あまべ)で、丹後一宮の籠神社の神官から出た旧家である。海部・上田家は、古代に渡来したイスラエルの子孫で、なかでもアヤタチと呼ばれた特殊の家系という。

 *古くからオランダとの取引をしてきた上田家には、夙にオランダ人の血が入り、吉松の五代前の先祖で画名を丸山応挙として知られる上田主水も、オランダ血統であったという。幕末の当主は上田吉松で、「言霊呼び」という御祓いをしながら、全国を巡ってケシ薬を売り、裏では朝廷の諜者として働いていた。

 *その子が上田鬼三郎(*これが本名で、どこかで喜三郎と変えたらしい)すなわち後の大本教の聖師・出口王仁三郎である。渡辺家に嫁いだ吉松のオバ(叔・伯は不明)がウメノを生むが、そのオバがケシ薬の秘伝を渡辺家にもたらしたものと考えられる。いとこのウメノを愛人としていた吉松は、同じような関係にあった出口ナオと図って、明治25年に皇道大本を立ち上げるのである。
 

「吉薗周蔵の手記」にみえる要点は、以上のようである。

 以下、サンカと大本教について見てみる。
 
 先ず、「ウィキペディア」から。

 
 <引用始>
 **********************

 サンカ(山窩) 
 山家、三家、散家とも表記される。その生業や生活形態は多岐にわたる。「山窩」は官憲の犯罪者対策や戦前の大衆小説などに用いられた蔑称的表記であり、公平性を期するには片仮名で表記されるべきである。「山窩」の表記は明治、大正期に「セブリ」、「ドヤ付」、「家持」と呼ばれた非定住の虞犯性が高いと官憲に目された不特定の人々を指す言葉として警察の内部において隠語的に発展したものだと考えられる。ちなみにセブリは「瀬降り」と言い、ミナオシ、テンバなどが用いていた生活道具であり、セブリサンカには、犯罪性が無かった事は、明らかにされている。「山窩」の表記を虞犯性が高いと目されていた事実を抜きに語ることは妥当ではない。
サンカという言葉は江戸時代末期(幕末)の広島を中心とした中国地方の公文書に初めて顕われ、(それより以前に言葉の出現を求める意見も有る)第二次世界大戦前には大衆小説を通し「山窩」として広く知られ、戦後には、映画『瀬降り物語』や、五木寛之の小説『風の王国』などによって再認知された。その初期から犯罪者予備軍、監視及び指導の対象者を指す言葉として用いられた事が、三角寛の小説での山窩の描かれ方の背景となっている。またサンカを学問の対象として捉えた最初の存在と言っても良い柳田國男やその同時代の研究者達もその知識の多くを官憲の情報に頼っている。江戸時代末期から大正期の用法から見て、本来官憲用語としての色合いが強い。虞犯性が特に高いと目されていた人々は社会構造の変化や官憲による摘発によって、他の単純な貧困層より早い段階(おそらくは大正期まで)にほぼ姿を消したと見る意見もある。

 ********************
 
 
一般的な記述に終始している。

 次に、より詳細な記述を参照するが、長くなるので、稿を改める。
 

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