カウンター 読書日記 2010年08月
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●山崎淑子さんインタビュー(9)
                    出る杭は打たれる_1

                        ★『出る杭は打たれる』 アンドレ・レノレ

 繁栄中の1970年夏、ひとりのフランス人司祭が来日した。その後20年もの間繁栄の谷間で苦しむ下層労働者のなかで「労働司祭」として活動した、その日記をもとに書き記した本だが、驚くほど現在噴出してきた諸問題がすでに述べられている。
 タイトルは『出る杭は打たれる』だが、レノレ司祭は賃労働を希望・計画したときの反対(何と日本人司祭たちだった!)にもめげずに実行に移した。また、「(レノレ士の教区は)住民数に対して司祭の人数が多すぎるではないか」といういわれのない批判にはこう答えている。「・・上智大学というのがありますね。あそこは学生数六千人にイエズス会士が百人です。それで一体何をなさっているんでしょうね」と。

 『出すぎる杭は打たれない』という見事な一例だろう。

 サラさんの発言も徐々に「出すぎる」-「タブー」に踏み込んでいくが、その勇気が「打たれない」ことを願うだけでなく、支える努力を惜しまない。 

  
 ************* 

 
 ●山崎淑子さんインタビュー(9) 


 2001年の秋というのは、防衛庁の防衛省への格上げが手続きされようとしていた最中であった。こんな時期にサラさんは、アメリカ軍の軍事能力に対して疑問を呈し、さらに【米軍の抑止力】にまで踏み込んで、その幻想性を講演会などで話していた。 


 *************

 ■岩上: サラさんは抑止力がないと言ったんですか?それは、どういう意味で言ったんですか?

 ●サラ: そう。アメリカ軍が日本に駐留し続けている。そのおかげで日本は、アメリカの核の傘を利用させてもらってるから、非核三原則を堅持できるから、自国で核を持たなくても良い、と我々も平和運動をしてきて、そう信じてるわけですよね。

 だけれども、700以上あるアメリカの基地は実はまだ減っていないどころか、自衛隊が実質上はアメリカ軍の下で地元のコマンドの中で動いているから、アメリカのすることがイコール日本の防衛政策なので、日本の自衛隊に独立した、アメリカなしの戦略はない。

 で、アメリカの抑止力だとか、アメリカが駐留することや核の傘に入っていることが抑止力と言うけれども、この【9・11】を見てみるとね、政府の公式発表は、すでにそのときは・・・報告書が出るのはまだ後の話ですけど・・・そのときすでに公式な見解というのは、いくつもいくつも・・主にチェイニーさんから記者会見で出てるんですね・・その公式なのを信じると、何ヶ所もテロに遭い、ハイジャックに遭ったのに、

 【コミニュケーション・ミスが重なってスクランブルが遅れた。スクランブル発信が出来なかった。だから、ペンタゴンまで狙われたけど攻撃されるまで知らなかった。】と言いながら、当のチェイニーさんは、そのペンタゴンに居たわけで、ということは、

 アメリカは、そんなもし政府発表の言うように【大ボケ】だったら、、この日本も同じように、どこかから色々なものが飛んできたり、ハイジャックされたりしても、アメリカは「ああ、コミュニケーション・ミスで日本を守れなかった」っていうことの証左、ひな形が出てるじゃないか。で、もし【間抜け】で自国の空も守れなかったなら、日本の空でさえアメリカは守ってくれるのだろうか?という疑問を呈したわけです。

 ■岩上: あるいは、その守る意図があるかどうかも疑問だけど、それ以上に仮に守る意図があっても能力がないかもしれない。

 ●サラ: そう言っちゃったのね。言ってしまった・・・

 ************* 

 
 それに加えて、サラさんは、9・11事件当時から囁かれていて自身も高校時代に体験済みの【パールハーバー】についても話していた。

 仮に「9・11」が【仕組まれたパールハーバー】(アメリカの自作自演)だったとしても(当時からすでにネット上では自作自演説は語られていたが)、結果は同じ。日本の安全など絶対に保証されるわけがない・・・というきわめて論理的な結論だ。

 ************* 

 
 ■岩上: そこがすごく大事なんですけど、日本のメディア関係者は、それをすごく怖れてあなたに忠告したんですね。

 ●サラ: 自衛隊を、これは怒らせるよ、と言われました。だからアメリカでの身柄も危ないけども、日本に居ても日本の身柄もちょっと危ないんじゃないか。だから、止したほうが良いんじゃないかと言われたので、私は怖くなってその時とその前後にいくつかした、似たような講演の書き起こしたものを父に見せて・・・

 で、そしたら、父が震えて、震えてね、その読んでる原稿を持つ手が震えて、涙を浮かべて・・・
 「日本の人たちはね、ある程度の知識階層や勉強した人や、戦争経験者なら、こんなことみんな百も承知だ。知ってるけれど、アメリカさんが恐くて・・・戦後どれだけアメリカさんにやられたかを知ってるから、恐くて口に出さないでいるのに、お前は、その恐さを知らずにここまで言ったなら、もう何が起きてもおかしくないから、お父さんは、もう助けられないところに行ってしまったって言ってね(ほ~・岩上)・・・

 父があまりにも恐がるのを見た時に、戦争を知ってる人は私以上にどういう圧力が来るか、・・憲兵に追われる恐さとか、アメリカの代理人として日本のその憲兵が日本人を抑圧するという可能性をほのめかした時に、私は真剣に父を巻き込んでしまったことや、時分の身に何かこれから起きる可能性を感じたので、一切言論活動もやめて、講演もその後引き受けずに翌年(2002)からは、ビジネスや危機管理の勉強をしてコーディネーターや通訳やそういったものに特化(専念)することで、もうこの問題には一切口をつぐんだ。・・・

 **************** 

 
 因みに、サラさんのお父さんは昭和4(1929)年生まれで、従軍体験はないが、家庭では戦中の憲兵の話や言論弾圧の話(横浜事件)など、お祖母さんとともに、よく話をしたということだ。

 言論活動を封印したサラさんは、その後、ファション関連のビジネスや通訳など活躍、平穏な生活をおくっていたのだが・・・ 

 
 ●山崎淑子さんインタビュー(9)    <了>。
   
  
  
 
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●山崎淑子さんインタビュー(8)
 ●山崎淑子さんインタビュー(8) 

 ◆2001年9月30日、遂にアフガン侵攻が開始された。

 「9・11」、アメリカによれば「同時多発テロ事件」は、損害の大きさでアメリカを含む世界各国に衝撃を与えたのは事実だ。北大西洋条約機構(NATO)はテロ攻撃に対して「集団的自衛権」を発動し、攻撃によってタリバーン政権を転覆させる必要を認めた。2001年10月にアフガニスタンの北部同盟と協調して攻撃を行い、ターリバーン政府を崩壊させた。しかし、アフガニスタンの治安は今現在も安定していない。

 この作戦のアメリカによる命名は、【アフガニスタンにおける不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom - Afghanistan)】だという。

 旧ソ連とのアフガニスタン紛争(1978年-1989年)による荒廃から、わずか12年後のことだった。 


 **************

 サラさんの【疑惑】=「9・11は戦争開始の口実つくりではなかったのか?」は、【確信】へと変わり、2ヶ月間の日本滞在中に「グランドゼロで自分が見たものを、ただ・・・憶測とか陰謀とか一切言わずに見たままを発表して」いき、その「レジュメ(講演の要旨メモ)」は今も持っています」。

 さまざまな会合や集会主にジャーナリストを対象としたそれに精力を傾け始める。

 一例を挙げると、
 「2001年10月31日には、四谷のメディア総研(メディア総合研究所)というジャーナリストの勉強会に招かれて、その日の基調講演は、原 寿雄(はら・としお。ジャーナリスト、元共同通信社長)先生の【ジャーナリストは戦争を止められるか】で、次の講演者がわたし(サラ)でした。」

 ************

 ●サラ: そのレジュメの中ではっきりと、アメリカのメディア報道はプロパガンダで大本営発表でおかしい、ということとか、あるいはグランドゼロで実際見たものとアメリカ政府の発表とは乖離があるあるとか、あるいは日本のテロ特措法は間違っているので反対するとか、アフガン侵攻は間違っているということをハッキリ言ったんですね。

 ■岩上: 要するにその時にはサラさんの実体験を「フルに表現した」んですね。

 ●サラ: でも陰謀と思っているということは一言も申しません・・・それは憶測でしかありませんし、それを証明するだけの証拠はないですから・・・ただ知ってること、見てる直接情報だけは開示しましたね。

 その(講演会の)帰りにですね、終わったあとに出席したジャーナリストの方たちやTV局の方たちと懇親会があったあったんですが、何人かが近寄って来て<実は日本のジャーナリストが、この問題の核心に触れようとした人が危険な目に遭ったりしている。
 実は★NHKの解説主幹の方が私が講演する2週間前に【自殺】と称して自殺できないほどの低層階から・・・NHKから【飛び降り自殺】計った、ということもあとで分かったんですが、その時もその真相を追及するリーダーの解説委員だったので・・・「9・11」を追及していた方なんですね・・・


 ★註: つい先日、8月11日には解説委員室副委員長・影山日出夫氏(56歳)がNHKセンター西館8階のトイレでネクタイで首を吊った状態で見つかったことは記憶に新しいが、↑の2001年10月には、解説主幹だった長谷川浩氏(当時55歳)がNHKの西館の窓から転落し、敷地内で遺体で見つかった。一部では自殺と報じられたが、NHKは今だに転落原因を明らかにしていない。 



 ●サラ: そういうのをNHKの方は見てますからNHKの組合長(*組合委員長か)が近づいて来て、

   「いま本当の真実、あなたのように本当に知ってることを言うことがどういうことを意味しているか知ってますか?あなたは日本を30年近く離れて、アメリカの視点でしか日本を見てないから日本のメディアがどれほどの言論統制をうけているかを知らされていないでしょ。
 あなたが真実を日本で言うということは、この場にも公安関係者は必ず来てますから、あなたの身の安全が非常に心配で、もしニューヨークにいま帰ったら、あなたの死体がハドソン川に浮かぶんじゃないかと自分たちはハラハラしながら新聞を見なくてはいけなくなる。これ以上危険な真実に迫ってほしくないので論調を変えるなり、この問題を避けるなり・・もう少し穏やかな言論活動を行わないと身の安全が保障できないと思うし、日本での言論活動のほうがもっと慎重になるべきだ。」・・・

 ということを複数の方から非常に具体的に警告をうけたので、わたしはもう身の毛がよだつほどの恐怖を感じて・・・

 ■岩上: そのときそんな警告をうけるとは思わなかったですか?

 ●サラ: 思わなかった。だって、そのときは陰謀論とか言わずに、ただ見たことを言っただけでしかも、テロ特措法は間違いで反対、アフガン侵攻にも反対っていうのは・・・ちょうど中村哲さん(ペシャワール会・医師)そのころ公聴会か何かで証言なさっていて・・・

 ■岩上: ペシャワール会の中村医師ですね。

 ●サラ: はい。でその中村さんの証言なども新聞や報道に出てたので・・私以外の方もテロ特措法反対・アフガン侵攻反対・アメリカの戦争に手を貸すことは反対・・と言っていたので、私としてはそれほどかげきなことを言ってるつもりはなかったです。

 ■岩上: 野党も言ってましたからね。一般論として反対意見は多くありました。
  メディア内部の厳しい情報統制があり、真相は不明ですが、「自殺」は実は「暗殺」じゃないかという噂が出るほどメディア関係者の間に恐怖感・危機感が醸成されていく情況だったということは事実でしたね。

 ●サラ: はい。で、そのレジュメは残ってるんですけど私自身はそれほど過激なことを言ったつもりがなかったので・・今後講演の予定が入ってるんですが、発言のどこを控えたら安全なんですか?と聞いたときに・・まあいくつか指摘をうけたんですね・・

 そこで私はODA(*政府開発援助 official development assistance=税金)の(統計)表を持ってきて、日本は実は全方位外交で石油を確保するために中東の各国にこれほどのODA-無償と有償の両方の貸与なり供与をしているとーで、その表をその講演会で見せて、アフガンもそうだ、イランもイラクもそうだ。だから日本は日本の独自の国益を考えたときにエネルギー政策として、これらの国と仲良くし続けなければいけない。日本は今までこんなに国民の税金を費やして、友好国になってもらうために人もお金も出して、これらの国のインフラを整えて来ている。

 でも、アメリカはこれからアフガンを皮切りに多分、イラクやイランやその他この近隣の国の石油資源確保や何かの、アメリカの国益のために徹底的に破壊し、殺しあうだろうと・・ベトナム戦争のようになるだろう・・泥沼になるだろうと。

 そうなった時に日本が出した巨額の拠出金やインフラ整備が一旦「灰」に帰して、その戦争が終わったあと必ずアメリカは日本に復興支援(金)も出すように・・・国連のほうからも復興支援の資金を日本が出すように・・・日本も独自にまた新たなODAや各国への直接的資金を出すと。

 そうすると、アメリカが壊す前も日本の資金、壊すだけがアメリカ、復興の工事の資金はアメリカが獲る。なのにその資金は日本が出す。だから、このお金はどっちにしろまたアメリカに行くんです。その中東の国の人びとを助けるためではなく、復興の利権を通してアメリカへ行くものなので、日本の国益を考えたら、この戦争は無意味なので、アメリカは友好国とは言え、アメリカの戦争に付き合う必要はありません!

 ということを原先生もお話(基調講演)の中で、同じようなことをおっしゃったので、私も申し上げました。
 
 ****************



 ●山崎淑子さんインタビュー(8)    <了>。 
 
 



●山崎淑子さんインタビュー(7)
                     東海村臨界事故 朽ちていった命_1




 ●山崎淑子さんインタビュー(7) 

 EPA長官の安全宣言は虚偽で、【アスベスト蔓延】が事実らしい。

 とすると、当然のことながら将来それも数十年後に塵肺等の発病被害が予想され問題となるだろう。

 そう考えたサラさんは、グリンピース等に分析を依頼するつもりで、資料(サンプル)採取を実行に移すことにした。

 実際、グランドゼロの敷地、建物や周辺道路は粉塵が積もったままで、雨が降るとドロドロのペースト状となり歩くにも支障が生じるほどだった。

 ***************

 また、サラさんは写真も撮り続けていたが、屋上から撮影しているときに、大きなトラックが列をなして解体された鉄骨や資材を運ぶのを見ていた。

 それはニュージャージーにあるスクラップ・ヤードで溶解・再生されて韓国や中国に運ばれ、建築資材として再利用される、ということだったが、「でも【犯罪】現場で証拠物品を保全しなくていいのかな?」とサラさんは疑問に思う。

 その当時のサラさんの「9・11」に対する意識は、あくまでも【事件・犯罪】であり、まだ【アメリカによるアメリカを開戦に導くための作戦行動】という意識は未成熟だった。

 *************

 このままでは、将来住民被害が必ず出る ⇒ 安全宣言で自宅や勤務にもどった人々は連邦政府に対し住民訴訟を起す ⇒ そのときのための証拠保全。これがサラさんの行動の規範となっていく。

 タウンミーティングも何度か開かれ、それに一度だけ参加したサラさんは会場の「愛国心一辺倒」の雰囲気を痛感させされる。「ちょっと違うんだけどなあ」と思いつつ・・・

 一方、その後連邦政府が取った「行動」は「住民懐柔」ともいえるものだった。
 「(住民に対し)2万ドルをキャッシュで払うから将来、住民訴訟を起さないという書類にサインせよ」という通達があった。

 「実際にサインしてお金を受け取った人も見ましたが」将来の健康被害を確信するサラさんは、もちろんサインを拒否、お金も受け取らなかった。

 *************

 「愛国心一辺倒」の「空気」のなかで、「ちょっと違うんだけどなぁ?」派のサラさんは「2000年にオペラデビュー」していたが、この道もあきらめて、平和運動や環境保全運動、危機管理に関心を集中していき、その活動に専念することとなる。

 事件後、日本から行政視察ツアー(埼玉県議、松山市議、政府機関・・)が来たときのコーディションと通訳・翻訳家としてペンタゴンやFEMA(*フィーマ)の本部などとの折衝もそのひとつだった。

 *************

 
 *FEMA(フィーマ):(FEDERAL EMERGENCY MANAGEMENT AGENCY)1979年設立の連邦危機管理庁。大統領直属の機関で、大規模の火災、地震、ハリケーン、環境被害、テロ、ハイジャック、そのほか国民の生命・財産に影響を及ぼすおそれのある災害(またはその★予防)に関して対処する。
 日本の類似機関は↑に倣った内閣危機管理監というが、職員33人予算も後付けでは??の組織。


 こうして、写真や動画、サンプルの収集も揃ってきたのでサラさんはこれらを基に「9・11」の現実を本にしようと思い、「ある大手出版社の著名な編集者」に相談したが、
 「そんなグランドゼロという題名で現地のことを書く本てのはアメリカのほうからもういろいろ出てるんだろうから、日本人がそのくらい書いたものじゃ売れない」と断られてしまう。

 それでは、この収集したサンプルや写真・動画を「どうしたものか?」と考えたが、すぐ出版する予定はなかったという。

 
 いよいよ日本での活動について述べられるが、(8)でまとめることにする。

 
 ************* 

 
 ●山崎淑子さんインタビュー(7)    <了>
  
 



●山崎淑子さんインタビュー(6)
 ●山崎淑子さんインタビュー(6) 

 山崎さんは、「9・11」勃発から一週間は赤十字ニューヨーク支部のボランティア登録をして、家族支援センターでボランテイアとして活動した。

 活動内容は、犠牲者の遺体確認(DNA鑑定)のために来NYした日本人家族とNY市警・DNA鑑定担当者との交渉・打ち合わせの際の通訳や申請書作成の手伝いだ。

 それが、一週間で一段落したのでグランド・ゼロに入ろうとした。

 規制線は敷かれ、警備もあったが、新しい事務所を隣のビルと決め、既に仮契約も済ませていた山崎さんは、中の様子がわからないと解約も含め、今後の動きがとれない旨を説明し何とか規制線の中には入ることが出来た。

 降りてみると、ビルの表は閉まっているし、WTCに接した側はガラスも割れ、動きも取れそうにないのでせめて周りを撮影しておこうと思い、翌日出直すことにした。

 ちょうどその時(21日)、友人で建築家のトムさんが建築士として中に入れる特別許可証を持っていたので幸運にも同行できて、倒壊現場に入り写真を撮影することが出来た。

 中には爆破解体員(ブルーの服)や消防士(オレンジの服)などいろんな人が居たが、現場は「【小爆発】のようなものが地下でいっぱい起きていて、炎も上がっていて・・・鉄骨がドロドロに溶けていて高温」だったので、誰も手をつけられず、「とりあえず放水だけしている」・・・という状況だった。

 グランドゼロ一帯には白いダスト状の煙(パウダー状のほこり)が立ち昇り視界も十分でない状態だった。

 ただ、それでも「喘息持ち」のサラさんが無理に中に入ろうとしたのは?

 16日にEPA(ENVIRONMENTAL PROTECTION AGENCY *環境保護政策を主管する独立行政機関、1970年設立)の女性長官が、「アスベスト(被害の心配)はありません!」と宣言するのをサラさんが知っていたからだった。

 ***********

 その後日本に一時帰国していたが、ビルの管理事務所から「家賃を3割安くするので事務所を解約しないで欲しい」と連絡がはいったので、NYの同じビルに12月15日にもどったサラさんは、驚いてしまう。

 ↑のEPA長官の安全宣言が嘘だったのだ。

 12月には、すでに【アスベスト蔓延】という事実が報道されていて、だまされたサラさんは、すぐに99年9月30日の東海村臨海事故のときのことを思い出す。

 あの時も、現場までは来た政府や関係者は、住民には【安全宣言】を出しながら(実際に住民たちはそれを信じて自宅にもどりはじめていたが、)自分たちは決して中に入ろうとはしなかった。

 グリンピースの調査・発表では、放射能レベルは通常の4倍!ということでこちらが「真実」だった。

 このことを、OCSニュース(OVERSEAS COURIER SERVICE)の記事で明らかにしたのは「わたし」です、とサラさんは言う。

 **************** 

 
 
 ●山崎淑子さんインタビュー(6)    <了>。 




 

●井上ひさしさんの遺作。
                     一週間 井上ひさし_1


 
 9月の足音も聞こえてこようというのに、日中は一向に涼しくなる気配がない。

 しかし今の時間になると虫の音を、例年よりは少ないが、耳にできる。

 「もう、読んだ?」・・・

 というメールが【イワン・ひげ伸びッチ・日和見(ヒヨリ)ミーノフ】からきたのが、一昨日。

 さっそく手に入れて読み始めたが、昼間の暑さでダウン、目覚めたのがつい先程で、

 いま 「月曜日」の中ほど(140ページ)だが、
 面白い!

 井上ひさし氏が『小説新潮』に6年にわたって連載。

 連載終了後、単行本化のための加筆・訂正の予定も、井上氏の急逝のためになされなかったという一冊。

 昭和21年、捕虜となりハバロフスク収容所に収監された、兵士・小松修吉をめぐる一週間の物語。

 明日の日曜には追いつけるはずなので?・・・詳しくはその後で。

 



★すごい歌。
                   テルミーホワイ_1



     ★すごい歌 ←クリック

    ↑は、misslemonjapanさん に教えていただいた歌です。

 
  

 ●山崎淑子さんインタビュー(5) 
                     世論 リップマン_1


 ●山崎淑子さんインタビュー(5) 

 ●サラさん同様、その場に居合わせたレポーターや市民も建物が崩壊するとは信じ

 られなかった。

 日本でもライブ中継された映像でも”Oh My God!"と涙をうかべて叫ぶ人々の

 姿は確認できた。

 さて、前述のように「事件」のさなかから【卑怯なテロ攻撃】というマスコミを通じた

 <プロパガンダ=作られた情報>が次々とフィードFeedされ、その結果・・・

 「おかしい」 と思う人が 「おかしいのだ」 という【空気】が醸造されていく。

 例えば、アルカイとかテロに報復することにどんな意味があるんだ?という意味で

 ”PEACE”というティーシャツを着ていた女子高校生はすぐに放校された。

 また、サラさんたちは事件前から毎週日曜にセントラルパークでコンサートをやっていて、事件(火曜日)の週にも、犠牲者や行方不明者のカンパのためにコンサートを開いて”IMAGINE・イマジン”(ジョン・レノン)をみんなで歌ったのだが、そのころラジオなどではもう”IMAGINE”などの反戦・平和志向の歌には【規制】がかかって、事件直後には犠牲者追悼の意味で随分流れていたそれらが、どんどん消えていってしまった。

 ブログやネット上にはわずかに残っていたが、やがて強化されたフィルタリングのせいだろう、
 これも減少していく。

 **************

 替わりに連呼されたのは、政治的なメッセージだった。

 ★アメリカが卑怯な攻撃をうけたのだ!

 ★アメリカはUNITEDだ! ひとつなんだ!

 ★アメリカは被害者なんだから【報復】するべきだ!

 ブッシュも翌週現場にやってきて、こうアピールした。

 「アメリカは FIGHT BACK するんだ!」

 ***********

 こうして【報復】という空気以外のことは、口に出来ない【空気】が充ちていった。

 ***********

 ●急速に広がる【報復宣言】⇒【排外主義】

 いまひとつサラさんが感じたのは、排外主義の急拡大だった。

 <報復=ファイトバック>論にサラさんらが批判すると、

 「・・・どうせあんたは日本人なんだから解らないでしょ」と言われ、これまで文化的にもアメリカに溶け込み、なじんでいて外国人(ノンアメリカン)という意識などなかったサラさんは驚く。

 「・・・(解らないでしょ)・・・いえいえ、広島・長崎でこの悲しみは知ってます、と言うと逆に彼らとしては言い返せないというか面白くない、わけですよね。

 100倍の単位(原爆では)の犠牲者ですからね。それを言うと余計敵視されたというように感じたので、やはり日本人は【新しいパールハーバーだ!】と出た途端に・・・公教育で今でもパールハーバーの卑怯さ、日本人は卑怯だと教えられてますし、教科書に載ってますし、またそのパールハーバーのことだけではなく原爆投下の正当性もきちっと小学校から授業で教えてますから。
 あの戦争(原爆投下)はアメリカ人兵士たち100万人の命を救って戦争を早期に終わらせるために必要だったという世論はもうしっかり根付いていますから、だからあの言葉が出ると日本人というのはもう身の置き所のない片身の狭さをひしひしと日々感じるので、それで私もその次の週にそのパークに行って歌うなかで何か居心地のわるいさを途端にね・・・
 
 それまで、もう1993年から8年くらい歌い続けている仲間なんですよ!
 デモ何か急に自分が日本人で・・・第二のパールハーバー、神風アタックという言葉で外人扱い、よそ者扱いされるのを肌で感じたので、ちょっともう足が遠のいてしまうとか、みんなの前に出て”イマジン”が歌いにくくなるとか・・・

 もう急速な排外性、排他性、外国人敵視の空気を感じました。」
 
 ************** 

 
 ●山崎淑子さんインタビュー(5)    <了>。 

  




●山崎淑子さんインタビュー(4)
                  ウエルカムトゥパールハーバー_1



 ●山崎淑子さんインタビュー(4) 

 サラさんも【パールハーバー ⇒ いじめ】には用意(対策)がなく、高校で「つるし上げ」

 られて悔しいおもいをして、その時は泣くしかなかった。

 それで日本の大学に入って新井教授の現代史の授業を受け、必死に「真珠湾の真実」を学ぶ。

 明らかになったことは、

 【当時のアメリカの指導部は計画的に日本軍の攻撃を誘発した!」ということだった。

 ルーズベルト大統領はじめアメリカの指導部は日本の暗号をすべて解読しており、

 「真珠湾攻撃」の情報(日本海軍の作戦行動)も事前に驚くほど正確に掴んでいた。

 それなのに、ハワイ方面の陸・海軍両司令官にはこの情報を隠蔽して知らせなかったのだ。

 それゆえ、軍や住民の避難勧告も出されず、あのような被害を「蒙る」ことになる。

 その理由はただひとつ、「戦争に、厭戦気分濃厚のアメリカ国民を引きずり込む」こと、

 これだった。

 ・・・・・

 WTCの崩壊時の様子に戻る。

 ・・・・・

 「・・・<パールハーバー>という言葉が出たときに今度もどこかにあのときと同じように戦意のないアメリカ人の戦意を昂揚し戦争を始めるのだ」とサラさんは思う。

 「先ず被害者となって止めることも出来たのに、起きることを許したのだ」と思ったサラさんは、その日のうちに(前述)抗議の電話をかけまくった。

 ・・・・・

 ビルが崩壊すときに気づいたことや、感じたことは?

 ・・・・・

 事件直後、地下鉄は一斉にストップしたので、ぞろぞろと煤だらけで傷を負った人たちが上がってくる。サラさんがセントラルパークから戻ってきたときに目にしたその「ひとの群」は昔映像や写真で見た投下直後の広島や長崎の原爆被害者にそっくりだったという。

 人びとは「肌、皮膚が熱戦で垂れ落ちて、火傷をして「幽霊」のように黙々と歩いていた」。
 
 セントラルパークを横切り、ほこりだらけで傷を負った人の群れを見たサラさんは、

 「急いでカフェに行って小さなペットボトルの飲料を持てるだけ買って、そういう人たちに差し上げたことを覚えてて、もうそこで、涙が止まらなかった。
 要するにどういう作戦があろうといつも真っ先にケガをしたり被害を受けるっていうのは何も知らない一般市民である。それは広島・長崎と一緒ですからやっぱりアメリカはそこをその後<グランドゼロ>と、WTCを爆心地という意味で<グランドゼロ>と呼びましたけれど、私たち日本人にとっては<グランドゼロ>は広島であり長崎であってそこと重なったんです。
 誰が攻撃しようといつも被害を受けるのは一般の何も知らない人たちで、その方たちを他人事とは思えず、アメリカ人だから日本人だから、ではなく何か被爆者のように感じてしまったんですね。」

 **************

 現場に居合わせたサラさんが「おかしい」と感じたことは、もうひとつあった。

 絶対安全なビルだと言われてきたWTCが、いとも簡単に見る間に崩れ落ちたということだ。

 **************

 サラ: 「・・・(衝突の)映像を見てですね、飛行機が二機あたって壊れるものかな?と思いました。じゃあ何かは分かりませんよ、もちろん。でも普通に考えてですね、あの第二次世界大戦中に戦闘機が一機エンパイアステートビルにそのまま突っ込んだという誰でもニューヨーカーならその話を知ってるんですね。
 で、そんな映像も残ってるんです。どこの飛行機か、アメリカのかなあ?どこか・・それで(岩上:日本の戦闘機じゃないですね)違う違う。でも、あのエンパイアステートビルでさえ崩壊しなかったわけですよ。その突っ込んだ階だけが燃えた。であるならば、それよりずーっと後にできたWTCが、しかも・・

 私、WTCのノースタワーが先に完成して完成した方から展望台ができて見学出来た年にアメリカに行ってますので、本当に・・あの1974年か75年の話なんですけど・・できたてのWTCの屋上の展望台に行ってるんです。

 で、その時の解説(ガイド)があって、あの景色を見ながらですね、そのWTC・・なんか当時解説するおねえさんみたいのが居て、【WTCは飛行機が突っ込んでも崩壊しません!】というとこから話が始まるんです。」

 岩上: それは一般向けガイドが、飛行機が突っ込んでも、それは何かエンパイアステートビルにあった・・そのほとんど日本人がこれ知らないと思うし、僕も実は知らなかったんですけど、そういう事件があったんですね。
(サラ:「あったんです」)そのことをみんなニューヨークっ子は知っていて・・(サラ:「知ってます」)。だからこそ必ずそれが、飛行機が突っ込んでも倒れないほど頑丈なビルなんだよ・・

 サラ: という説明をしていて・・・エンパイアステートビルに突っ込みましたからこれを二棟建てるときも突っ込んでも倒れないような設計になっています・・という風のをガイドの中で・・で、高さがどうのこうので、どこまでが見えて、あのどういう耐震性があって・・とか、色んな説明の中でね・・私は子供ながらに、中学生でしたけど、ああ飛行機が突っ込んでも倒れないんだ・・というのはきっとみんなが思ってたと思うんですね。
 
 だから、あの映像、実際に倒れるまではニューヨーカーも消防士も、誰も崩壊するとは、ニューヨーカーだったら倒壊は予想してない。

 予想してないから警察官も消防士もひとを助けようとして・・部分的に燃えてますでしょ・・火が出て燃えているのは上の方だけですから・・でも絶対倒れない、というのは神話とか思い込みじゃななくて、そういう設計になっていると私たちは<できたて>の頃から知らされてたので、絶対倒れないと思ってました。

 それで、消防士も安心して人を救うためや部分的火災を消すために上に行っていたので、誰ひとり、私は倒壊は予想になかった、と思いますね。 


 
  ●山崎淑子さんインタビュー(4)    <了>。 

 




●山崎淑子さんインタビュー (3)
 ●山崎淑子さんインタビュー を少しずつ続けていますが、(1)・(2)で会話の様子なども
伺えたことでしょうから、

 (3)以降、目次では「散歩中の視界に、立ちのぼる黒煙。『第二の真珠湾だ!神風だ!
     テロだ!』」- という部分から、しばらくの間<要約>とします。

 *************** 


 9月11日、まさに「事件」当日のサラさんの体験が詳細に語られていきます。

 その朝9時過ぎにサラさんが体験した事実は、旅客機がWTCへ衝突して黒煙が立ち昇るのを目にしたということで、居合わせた仲間たちが聴いていたラジオに耳を傾けると、パーソナリティの語りに違和感というか奇妙な「おかしい」感じがしたということです。

 以下、要約します。

 ***************

 9・11当日のこと。

 WTC(NO1がノースタワー、NO2がサウスタワー)のノースタワーの隣のビル、1階と2階にシティバンクが入っていた。
 サラさんは新しい事務所を開設したので近くのシティバンクに法人口座を作ろうと思い、銀行担当者及び弁護士と打ち合わせて12時から会おうとアポを取っていた。

 そのお昼の打ち合わせ前に小切手関係の手続きをしておかないといけないので、9時に自宅を出てシティバンクへ向かおうとしていた。

 ところがその直前に弁護士から「都合がつかない、来れない」旨連絡が入った。じゃあ仕方がない、2匹の愛犬(一匹はマーブルちゃん、もう一匹はチョコちゃんでこのチョコちゃんの具合が悪かった)を散歩させながら動物病院に行ってみようと思った。

 自宅を9時前に出て、パークアベニューを渡るとき、42丁目(元のパンナムのビル)のキッドライフビルの向こうに黒煙がもう上っていた。

 セントラルパークで「お散歩」というのがいつものコースで、公園のカフェにはいつもの顔見知りの老人たちがいたが、皆ラジオに耳を傾けていた。

 皆初めは「事故だ!」と言っていたが、そのうちに二機目がビルに突っ込み、

 その直後にパーソナリティは「テロだ!」と奇妙に落ち着いた感じで語りだした。

 「事故」直後にも拘わらず、「テロだ!」と断定する根拠は何なんだろうと不思議に思った。

 しかし、サラさんは次にパーソナリティが発した言葉にもっと驚く。 


 「・・・もっとおかしいことに、そこですぐに『新しいパールハーバーだ!』、

 『第二のパールハーバーだ!』、『(特攻)カミカゼ・神風だ!』・・・」

 という言葉が「どんどんどんどん」ラジオから流れはじめる。


 サラさんは、前述のように報道のプロで、メディア、広報事情にも通じており、NY外国特派員協会のメンバーでもあった。

 そのサラさんの感じた「違和感」とはこうである。

 ラジオのパーソナリティの声の調子がどこかおかしい。

 メモを「棒読み」してるようで、大変な事故(事件?)の実況放送とはとても思えない。

 ・・・・・ 

 「これはきっと<プレス・リリース*>が流れてるな」とサラさんは確信した。 
 (*press release 。ここでは事前に放送局にメール・ファクスで概要説明が送られているという意。)

 もちろん、<動物病院行き>はあきらめて、自宅に戻りテレビを観る。

 テレビでも相変わらず、先程の「真珠湾=卑怯な奇襲攻撃!」の連呼が続いていた。

 実況をするのではなく、<リリース>をただ繰り返し読んでいるように続けられる。

 「事故」でもなく、「ハイジャック」でもなく「テロだ!」ということだけは一貫していた。

 サラさんは、「報道の仕方が変だ!」と思う。

 ・・・・・

 サラさんは各テレビ局や報道機関に電話をかけ続けた。

 「パールハーバーは、まがりなりにも戦争行為であり、卑怯な奇襲やテロとは異なる」と。

 実は、サラさんには高校時代(留学)の苦い思い出があった。

 <卑怯な奇襲=パールハーバー>で学友たちの「いじめ」にあったのだ。

 これはサラさんに限ったことではなく、特派員、駐在員や商社員の多くの子弟が体験してるところで、

 彼ら(親)のあいだでは、「この問題の対処法を真剣に考えなければいけない」とか、

 「子供にその時の【備え】を教えていたほうが良いのではないか」という意見も多く聞かれたという。

 *************


 ●山崎淑子さんインタビュー(3)    <了>。 



   (4)へ 続きます。





●山崎淑子さんインタビュー

●山崎淑子さんインタビュー を少しずつ続けようと思うが、ここで管理者作成の目次を紹介しておきます。


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○山崎淑子さんインタビュー(目次)
01 アメリカで働きはじめた経緯
02 9・11が起こる前のニューヨーク。かすかな疑心
03 散歩中の視界に、立ちのぼる黒煙。「第二の真珠湾だ!神風だ!テロだ!」
04 真珠湾という言葉から透けて見えた米国の思惑。崩壊しないはずのビルが!?
05 ラジオから消えてゆく『イマジン』
06 グランド・ゼロへ。地下からあがる炎
07 被災後の日々
08 真実を語ることの危険性。日本人からの警告
09 涙を浮かべる父親の姿を見て
10 違和感の連鎖。FBI・CIAによる家宅捜索
11 なだれ込んできた検察。共謀罪の恐ろしさ
12 殺処分された愛犬。血に染まってゆく畳
13 日米犯罪人引渡し条約
14 弁護士Aの偽証
15 米国に縛られた手足。司法取引詐欺
16 弁護をしないヤメ検弁護士。知的虐待
17 出獄した眼の前に立ちふさがる護送車
18 出獄への見えない力。囚人服のまま成田へ
19 生きる
20 いま伝えなければならないこと
21 日本の真実

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 ●山崎淑子さんインタビュー(2)



 ●サラ: 昼間働いた・・最初に就職したのが日本の国際観光振興会、今は国際観光機構という運輸省とか日本の旅行業者が出資している特殊法人で、そこのニューヨーク宣伝事務所がロックフェラーセンターにあって、そこで広報活動をしていて本当に広報の最前線で日本の観光や日本のコンベンションの誘致の仕事を英語でしていましたので、やはりそこでも愛国心といいますか、日本人という自覚はむしろ・・あの職業―4年近い職業を通して、ああ私は日本人なので日本人として見られているので・・あの・・何て言うんでしょうか、日本人ということを常に意識しながらネやりましたネ。
 だから例えば*宇野正美さんが反ユダヤ的な本を書くと、もう即どういうわけか全米の新聞やユダヤ人の色々なロビー活動をしているところから、あの本が・・・(勤務先が)日本の大使館や領事館と同じように【JAPAN】で電話帳に出てきますから・・・あの私どもの電話にも所謂<抗議の電話>が殺到してそれの対応もしていましたので、実際は観光の案内所なんですけれども、実質上は日本に関する何でもお問い合わせがあって・・・
 そういうことで、(この仕事に就く我々は)日本代表なんだという自覚はいつも持っておりましたから、それで【9・11】が起きた時にもその・・第二のパールハーバーだ!新しいパールハーバーって言われたときにネ、
 あっこれはまたパールハーバーが起きたときに実際市民権を持っていた(在米)日本人がアメリカ人なのに強制収容所に入れられて非常に過酷な(扱いを受け)財産も没収されて、命からがら・・戦後出てみたら元のとこに家がなくて、アメリカ人に取られていたとかネあの・・農地を全部取られていた。・・・
 大変な排日運動の歴史のある国ですから基本的に日本人や黄色人種が嫌いっていうのはあるんですね・・・それがまた60年後に頭をもたげて現在住んでいる日本人が同じ目に遭うのが私は怖かったのでそれで・・あの・・パールハーバーとは違うでしょ。
 パールハーバーは、軍港を奇襲した。でも今回は一般の市民が働いている民間の普通のビルを攻撃したというところで・・・宣戦布告が遅れたとはいえ戦争行為ではないわけですから、一緒にされると現代の日本人があの、非常に迷惑なのでその広報活動も無料のボランティアで行っていたんです。

 ◆岩上: 第二のパールハーバーという言葉があの日本に住んでる人がね、あまりその意識してなかったと思うしアメリカでは相当そのフレーズが使われたという・・・

 ●サラ: 使われました。

 ◆岩上: で、要するに日本人に抗議がくるということは本当は全然関係ない・・トバッチリですよね。むしろアルカイダということになるとイスラム社会に対する風当たりが強くなってたはずですけども、同時にそのパールハーバーという言葉も出るので日本人に対する風当たりも強くなる・・・

 ●サラ: また復活して。

 ◆岩上: まま、それはチョット置いといて、どんなお暮らしをしてどのくらいの距離に居てそして、えっとそのーだいぶ前からですね、えー何かこうその<WTC>ですか、ちょっと不審な様子もあった。いろんなものを見たり聞いたりしてこられたということですが、チョットそれをお話いただけますか。
 
 ●サラ: えっと、9・11の直前の話ですか。あの私はまず自分の事務所をグランド・ゼロというあのWTCの北のノースビルとサウスビルと隣接したマリオットホテル(Marriott)のある通路を渡ったところが新しい事務所で、9・11の直前にそこのビルに荷物を移して仮契約をして、まあ敷金、礼金を払って実際壁の色を塗って、9・11が起こる1週前から毎日通っていたんです。
 (そこは事務所で自宅はアッパーイーストサイドのセントラルパークのすぐ脇だった)
 ・・で、事務所にするのにいつも私は明るい黄色い色で壁を事務所をいつも塗っていたので、あのーペンキを持ち込んで毎日地下鉄でWTCの地下に降りて、

 ◆岩上: 駅は何駅ですか?

 ●サラ: Eトレインという赤いNO1というトレインがあって私は青のEか465というそのブルックリンに向かっている緑色の地下鉄でアッパーイーストから通って、そこが丁度プラザとよばれているWTCの一体の敷地の対角線上の反対が地下鉄の駅で、その下の地下鉄をずーっと通り抜けて・・

 ◆岩上: プラザ駅というところですね。

 ●サラ: はい。ショッピングモールをずーっと越えてそのWTCの駅からあの自宅のあるところまで来てマリオットマーキィス(*ホテル・New York Marriott Marquis)の処にエスカレーターがあって地上に出て、通路を渡っていたんです。
 ところがですね、通っていたその一週間のほとんど、何か灯りが消えたり電気が止まったり、停電なんですね。で、おかしい?ショッピングモールなのに何か営業もしてるのかしてないのか。閑古鳥が啼いて人もほとんど疎らで静かなんですね。
 で、ある日はもう本当に全く電気が消えててあの地下からマリオットマーティスのホテルの一階ロビーに向かうエスカレーターが完全に止まってたんで、暗い中を重い荷物を持って、あの、歩いてそのエスカレーターを上ったことも覚えているんです。
 で、ロビーも真っ暗だったのでおかしいな?と思っても、でも誰かに特に聞くこともなく、あれ今日も消えてる。で、出て来て地上から自分の事務所へ行って、荷物を運び込んだり、そのー・・

 ◆岩上: 停電して要するにオフィスや何かあるいは地下のショッピングセンターになってるようなところですよね。そういうところを全部閉鎖しているんですか?

 ●サラ: いや、あの、地下鉄が通っているので通れるので特にそのポリスラインとか規制線とかはなくて、通れるんですが、灯りが・・・

 ◆岩上: 通路は通れる?

 ●サラ: 通れます。

 ◆岩上: 通路は通れるけどお店とかオフィスとかは閉まっている状態ですか?

 ●サラ: 開いているのに、あの、所々消えてたり、あるときは全く消えていたり・・まずお客さんがいなかったり・・ですからシャッターが閉まっているわけじゃなくて停電なんですよね。
 何か変だなって。

 ◆岩上: 停電の状態の中でお店では仕事をしてる人やお客さんがいるわけではない?

 ●サラ: あんまり居なかった。

 ◆岩上: 当然ですよね。停電なっちゃってるから。とりあえずは開店休業もしくは・・・

 ●サラ: そんな感じ。開店休業に近かったんです。

 ◆岩上: ああ、なるほど・・人の出入りも少なかった。

 ●サラ: で、ちょうどそれがレイバーデイ・ウイークエンド(*Labor Dayは9月第一月曜日)って言ってね、週が明けるとあの、9月10日の月曜までは大体長い夏休みで実質の営業っていうのは10日とか11日から始まって学校もそうですから、ま、おかしいって言えばおかしいけど、でもそれまで閑古鳥が啼いて開店休業っていうのはおかしくなくて、あの辺りは完全にビジネス街ですから、土日とか夏休み中とかは怖いくらいに人がいなくてそれで、ま、おかしいって言えばおかしいけど、でも、レイバーデイの週が明けるまではね、まあ実質上は開店休業なのかな?くらいしか思わずに、その暗い中をペンキを持って毎日通っていたので、後から振り返ってみてね・・・なんでなんだろうって段々おかしく思いましたね。

 岩上: なるほどね、なるほど う~ん。

 *************  


 ●山崎淑子さんインタビュー(2)   <了>。

   



●山崎淑子さんインタビュー。
                   真珠湾の審判 _1

                               ★『真珠湾の審判』

 
 ■山崎淑子(としこ)さん。 米国での通称は“サラ = トシコ・サラ・ヤマザキ”という。
                               
 2010年8月10日。

 フリージャーナリスト・岩上安見によるインタヴューが行われ、その模様が【山崎淑子さんインタビュー】として、YouTubeにアップされた。(「山崎淑子さんインタビュー」で検索)。

 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=Wn0blcET8V8 

 (1)~(21)まで、およそ160分のインタビューだが、一言でいえば、
 稀有な才女による現代の奇跡の物語というべきもので、未見の方には是非! とお薦めする。 
                                  
 **************
 
 東京生まれで東京育ち。

 1984年に渡米、米国での就職が内定し、一度帰国して1985年春から2003年まで米国滞在。
 (この間夫の失業-日本帰国にともない3ヶ月間一時帰国(大阪)したが7日目に阪神・淡路大震災1995年(平成7年)1月17日に遭う)。

 2001年9月11日、偶然にあの9・11「事件」(「アメリカ同時多発テロ事件」2001年)に遭遇する。

 2003年帰京し日本の事業展開に努力する。(事業も軌道に乗りかけていた)。

 2005年~2007年 ニューヨークにもどる。

 **************

 こんな経歴の彼女が「まったく思い当たる節もない>まま突然日本に滞在中に逮捕され、米国に【拉致】され、刑務所に入れられ、肉体的・精神的な拷問を受ける。

 今の彼女の「願い」はただ一つ、

 【雪 冤】(せつえん=冤を晴らす)を果たす! だ。

 身に覚えの無い【罪】でアメリカの刑務所に投獄され(心無くも)有罪を認めさせられた。

 その人生の汚点を晴らし、「雪のように白く」「真っ白な出発点に戻りたい!」ということだ。

 ***************

 以下、(1)を文章化しておく。(音源が聞きづらく曖昧な点もあり、誤りがあれば後ほど訂正する)。
 *但し、要約を含む。

・・・・・・・・・

◆岩上: インタビューにあたっての山崎淑子さんの名前の確認。谷川サラさん、でいいのか? 等々・・。

●サラ: 私はどちらでも構いません。【谷川サラ】という仮名は、*テレビ朝日のサンデー・プロジェクトという番組放映のときに、局側から依頼されたものです。
 (*TV朝日 サンデープロジェクト 2009年4月26日(日)放映。
  <司法は誰のものか~「日米条約」と「日本の司法>Dr江南亮 Pd:上田未生)


◆岩上: サラさんの問題は突き詰めれば、日米合同(米主導の合作)の冤罪事件ということだが、先ずサラさんが、ニューヨークでどういう生活をしていたのか?そしてあの事件というものがどんな感じに降りかかってきたのか?あの事件というのはもちろん【9・11事件】のことなんですけど、そのあたりからお話を聞かせていただきましょうか。

●サラ: あのー・・・私はよく日本が嫌いだとか日本のことをすごく悪く言ったり、男性社会が嫌で逃げるようにニューヨークに来て、活躍してるキャリアウーマンの方とか多いんですが、私は日本が大好きだったんです。大好きだったけど、ご縁があって1964年にライシャワーご夫妻(*当時・駐日大使)によばれてクリスチャンの子供達や当時慈善活動をしていた聾唖学校とかの障害者の子供たちをクリスマスに毎年大使在任中の1961年から66年までの間クリスマスパーティーを開いてまして、私は64年にお付合いがあったクリスチャンの方のお声がけで夫人のハルさんの妹さんのご招待で日本人の子供の一人として行きまして(4歳でした)、その64年にポピュラーを初めて― 人前で教えてもらったのを― 拙い外国語で歌ってそれがご縁でハルさんに知己を得て、アメリカに留学する機会を得て中学ー高校とうけて、その時に身元保証人が元の駐日大使というだけで私は随分アメリカに大事にしてもらったので、基本的にアメリカが大好きな少女だったんです。
 でも日本が嫌だからじゃなくてチャンスがあったので留学して・・・でもやがては最後には歳をとったらやっぱり親からもらった土地で自分で農業をして自分で家を建て自分の土で死んでいきたい、というのはしっかりありましたから、アメリカに30年近く住んでも一度も日本人というアイデンティティーが絶えたことはないし、日本にいつか帰りたいという願いつつアメリカのほうが女性にとっては働きやすいと思ったことと、私は<喘息もち>でしたからタバコの煙の少ない職場(は米国のほうが多い)というのは事実でしたので・・・嫌煙運動が70年代からずっとアメリカのほうが進んでましたので、スモーク・フリーの職場で働くということで働く女性になるために留学を終えて一度アメリカから日本の大学に戻りましたがまたニューヨークに戻ってアメリカの大学に編入しまして、昼間は働き、夜大学へ行くという暮らしをしてました。


 ●山崎淑子さんインタビュー(1)    <了>。


   少しずつ  続けます。

 



●休養中。
                   シンクサウンドvsボーズ2 _1

                   シンクサウンド レコーダー音チェック_1




 ◆thinksound社のイヤフォンが早々と到着したので、

 早速今夜視聴することにする。

 音楽ももちろんなんだが、

 講演会や旅先で出会った【音】のチェックもしてみたい。


 対抗機種はボーズ(右)。

 






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