カウンター 読書日記 2010年01月
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●疑史 第64回 ― 藤田嗣治に関する秘話。
 ●疑史 第64回 ― 藤田嗣治に関する秘話。   落合莞爾。 

 甘粕正彦が『周蔵手記』に登場する第二十九回目は昭和六年九月条である。「九月 満州ニテ、関東軍 事ヲ起シタ由。甘粕サンヲ大連二 訪ヌルコトトス」とあるが、続いて「甘粕サンヲ訪ヌルヲ後回シトシ、舌癌ノ手術 スルコトトス」とあるから、結局満洲には行かなかったようである。

 癌研で手術をした周蔵は、「手術後 三ヵ月ノ命ト云ハル」と記したが死なず、昭和七年、八年と過ぎて、上原勇作元帥も山本権兵衛大将も亡くなった。次に甘粕の名が出てくるのは、四年も経った昭和十年条で「満州ノコト聞クニ 甘粕サン 石原参謀ノ動キ 激シイラシイ」とだけ記す。

 第三十回目は昭和十一年条だが、回り道して藤田嗣治の事から記す。昭和八年十一月、藤田は赤毛のマドレーヌを伴って帰国したのだが、『周蔵手記』には其の事を記さず、昭和十年条になって藤田の噂話だけが出てくる。帰国後の藤田と周蔵が没交渉を装った理由ははっきりしないが、同じ頃に帰国した薩摩治郎八との関係を慮ったこともあろうと思う。十一年条に突如「藤田二噂アルモ、心配シタ通リトナル」と記し、「藤田ハ 最悪ノ女ト日本二帰ッテヲッタガ、去年春頃カ 何トカふらんすニ戻シタヤフダッタ」とあるので、藤田が赤毛の女を説きつけて帰国させたことが窺える。女の帰国時期を、春頃か、と間違えたのは、藤田から遠ざかっていたからであろう。

 ところが十一年六月、マドレーヌが再来日した。「ソレガ タダノ 馬鹿ナ女ノ様デアルカラ、嫉妬カラ 突如日本二舞ヒ戻ッタヤフダ。藤田ハ空ク間モナク、次(*堀内君代)ガ出来テヲッタカラ、マタ人ノ悪イ奴ガヲッテ 女ニソレヲ ワザワザ説明シタ奴ガヲルサフデ、嫉妬モ頂点トナッタノデアラフガ、サスガ藤田、見タクモナクナッタ女デアルモ、自宅二伴ッタ由」と、二人の仲を述べている。新しい女は堀内君代と言った。マドレーヌを踊らせた奴とは後で分かるが、実は薩摩治郎八であった。薩摩は藤田が見下したほどの馬鹿ではなかったのである。

 困惑した藤田から周蔵は相談を受けた。「〔離レテクレナイ、ダフシヤフ〕ト 藤田トモ思ヘナイ 情ケナイ様子デアッタ。自分ハ 決意シテ意見ヲ云ッタ」。周蔵は、マドレーヌがモルヒネ中毒であることを指摘し、妹・ケサヨが自殺する時に飲んだ阿片や、田中義一が死ぬ前に飲んだ「例ノ作法ノ茶」のことを教えた。「その女性と自分が友人関係にあるなら、手伝うことも出来るが、それは多分無理だから、心配ではある」とも言った。藤田はもう我慢の限界に来ているとみた周蔵は、親友のために重大な示唆をしたわけだが、さすがに胸騒ぎがして、その夜は牧野医師宅を訪れた。そのことは藤田に伝えてあったので、夜十時過ぎ牧野宅にいた周蔵に藤田から電話があった。終電前の電車に間に合い、高田馬場に来た時は十一時過ぎであった。周蔵が現場を工作して、牧野を呼んだ時は午前三時になっていた。「有難カッタノハ 牧野サンガ〔オ前ハ帰レ マフ大丈夫ダヨ〕ト云ッテ下スッタ事。〔コンナ小細工ナド シナクテモ良カッタノニ〕ト笑ハレルノデ 尚安心ス」、逆立った髪を撫ぜ付けた事である。

 先に引揚げようとする周蔵に、牧野医師が「帰リ道 布施サンノ所ニ寄ッテ 状況ノ説明ヲシテ 善イヤフニ 頼ムヤフニ」と言うので、驚いた周蔵は、「〔布施サンハ ダフイフ力ガアルノカ〕ト聞クト、〔行ッテ話セバ分ルヨ。特高ノ諜報部ダヨ〕ト云ハルルニ 目ヲ剥ク」。周蔵は、それまで布施を単なる病院事務長としか思っていなかったのである。こうして藤田とマドレーヌの事件は、無事に済ませた。
(*マドレーヌの「急病死」は6月29日。享年27歳。)

 翌月、改めて牧野医師から藤田の事を聞いた時、甘粕の評が出たのである。

「牧野サンニスレバ、★甘粕サンナド 名ノ通リ甘過ギテ ダフニモナラヌトノ事。〔罪ヲ被ルハ ソレナリノ諦観デアルニ 被ッタ罪二 振り回サレテルヤフデハ、人物デハナイ〕ト云ハル。〔人間仲々 自分ヲ悪者ニハデキマイ。牧野サン云ハルニ〔己レヲ悪者トシテ居レナイナラ、アンナ事 買ッテ出ル事モナカラフ〕トノコト。〔アノ時ハ 戒厳司令部二任セテヲケバ、ソレハソレデ、何トカナッタ筈ダ〕ト 牧野サンハ云ハル〕」。

 周蔵は★同じことを上原元帥からも聞いていた。甘粕を刑務所に慰問に行くというと、「良カ 行ッタラ良カ。然シ、相手二呑マレテハイカン。何デカフナルカヲ 良ク見ナイトイカン。自分ガ前二出ヤフ出ヤフト 思ッタライカン・・・甘粕ヲ慕フハ良イガ、呑マレテハイカン」。甘粕が大杉殺しを被ったのは、上原にしても予想外であった。しかし何分にも戒厳令下であり、相当の事ができた等で・・・。現に、亀戸事件でも大島事件でも、犯人は罰せられていない。甘相が若気の余り、前に出ようとしたのである。


 今は亡き上原元帥から、周蔵は手取り足取り教えられたことをなつかしく思ったが、「丁度、牧野サンガ 同ジヤフニシテ下サル。安太郎氏モ同ジデアル」。牧野は「今、藤田ノ事モ、甘粕サンノコトモ、注意シテ下サル。貴志サンモ 甘粕ハ有頂天二 成過ギテヲルト云ハルル」。牧野から藤田論のついでに甘粕批判を聞いた周蔵は、若松安太郎や貴志弥次郎からも同じ指摘を受けていたが、「甘粕サンハ 目立ツ故 損ナノデアラフカ」と記したのは、贔屓心である。しかし、ここまで忠告されると聞き捨てはできない。そこで「自分モ 親子ナ事ハ シテハナラント思イ、キチントシナケレバナルマイト思フ」と続けた。「親子ナ事」とは丼勘定のことであろう。

 「フランス、スイスマデ行ッタ時、甘粕サンニハ金ガ必要ダト 切實二理解シタ。ソレデ 資金作リヲスルタメ 巻サント親爺殿二協カヲ頼ムタメ 親爺殿ニハ 金ヲ調達シテ下サイト云フ葉書ヲ書イテ出シタ」。昭和三年の金塊回収の際、スイスで会った甘粕から工作の内容を聞いた周蔵は、資金の必要を切実に理解したので、出来るだけ支援しようと思い、水産物屋で成功している妻の巻と故郷の父・林次郎に頼むことにし、父には資金調達を依頼する手紙を出した。甘粕は上原が出してくれた金塊回収報酬の半分に当たる一万五千円の大金を受け取りながら、弟の二郎や友人の遠藤三郎大尉に度重なる無心をしていた。不審がる遠藤には競馬の負けなどと誤魔化したが、実際は、周蔵が切実に理解するほどの工作に大金を費やしていたのは確かであろう。

 ここで甘粕記録の何回かを飛ばし、『周蔵手記』昭和十一年条を出す。「牧野サンカラハ、アノ当時モ 甘粕サンニ金デ引ッカケラレナイヤフニト 忠告ヲ受クル」とあるが、「アノ当時」とは八年頃のことである。また、昭和十二年九月条にも、貴志彌次郎から忠告されたことを記す。「ソンナニ 気二掛ケテ ヰナケレバナラナイ程ノ事デハナイガ、甘粕サンノ場合ハ 石原サンノヤフニ、言葉ノママ受ケ取ッテハ 迷ハレル事、胸ニシマッテ置クヤフニ。悪人デハナイガ、大分以前、秘密結社トノ繋リモアルト 聞イテヰル。ソレハ定カデハナイガ、彼ノ話ハホトンド 正シクハナイ。彼ノ本当ヲ知ッテヰルノハ 上原閣下ト東条サンデセフ」。

 さすがに中将で、相当以前から甘粕が秘密結社員との噂を聞いていた貴志彌次郎が、「ソレハ定カデハナイ」という所に、秘密結社に疎い日本人の限界が露呈しているように思う。人の噂を□にしない貴志が、「秘密結社であろうがなかろうが、甘粕の話が嘘ばかり」と断言したのは、癌を病んで死を前にした今にして、周蔵に与えた数少ない忠告であった。更に「特ニ、東条サントハ密ナルヤフデス。ソノ事ハ別ニ ソレゾレデスカラ良イノデスガ、経歴ヤ私生活、ソシテ主義ヤ思想ヲ理由トシタ金ニツイテ、明ラカニシナイ所 大デスカラ、石原サント同様二考ヘラルルト 傷ツカレマスヨ」と付け加えた。経歴とはフランスヘの秘密留学のこと、私生活とはジルベールとの秘密結婚のことであろう。「主義ヤ思想ヲ理由トシタ金」とは、思想工作資金のことで、甘粕は思想工作を名目に大金を費消しているが、実態を秘密にしているとの意昧であろう。すでに、ある程度勘づいていた周蔵は、「甘粕サンノ事ハ、経歴、私生活ナド偽ラレタトコロデ、痛クモ楳クモナイ。気ニスル必要ハナシト思ユ。タダシ、秘密結社トノ繋リニハ驚クガ 気ガツク事多シ」と記した。

 上原から与えられた中途半端な上官の甘粕に、永年傾倒してきた周蔵には、甘粕の悪口は耳に入りにくかったが、貴志の忠言は流石に耳に溶みた。周蔵は、秘密結社との関係は驚くと云うから、この時までは確信はなかったのであるが、言われて観れば気がつくことが多い、と述懐している。「石原サント 親シクサレテヲルガ、東条サンニ 石原サンノ青写真流シテ、ソノ先制ヲ潰シテヲルト、牧野サンモ、安太郎氏モ、云ハレテヰル。カフナルト、ソレハ正シイヤフニモ思ユ。然シ、ソノ場合、思想:王義ハ 何ナノダラフカ?」等々。
 石原と親交すると見せて、その脳中の青写真を盗み出した甘粕は、東条にそれを流し、先回りして妨害させている。その事はすでに牧野からも若松安太郎からも関いていたが、貴志の言によると正しかったようである。しかし、そんなことをする甘粕の思想・主義とは何だろうか、との疑問が沸いた。

 その答は、ワンワールドを理解せねば出てこないが、当時の周蔵はそこまで分からない。読者諸賢はすでにご承知であろうか。私(落合)は加盟していないし、今更勧誘もないだろうと思うが、逆らったり、あるいは賛美したりする関係にはない。ただ存在を認識しているし、存在するからには陰謀を巡らせているのは確かだが、必要あっての事とも思うから、何の行動を起こす気もない。鯨や鮫と同じで、遠見ならば直接の危険もないだろうと願うだけである。ただ、その存在を知らずにいる者が同胞に多く、中には否定しようとする者さえいるのが遺憾で、本稿を続けているのである。周蔵の考えもこのようなものではなかったかと思う。

 話は変わるが、FRBの議長を長く続けて、当時は名議長と呼ばれたグリーンスパンは、今や「住宅バブルはFRBが意図的に借入コストを低く、しかも長期に押さえつけてきたから酷くなった」と非難されているが、今年(平成二十一年)八月十七日付のロイター通信によれば、「自分は金利を上げたかったが、グローバル・フォース(複数形)が圧力をかけてきて、そうせざるを得なかった」と反論し、国際勢力がFRBの上位に在ると云う内情を、当事者として暴露してしまった、という。

 グローバル・フォース(複数形)の定義や説明を、グリーンスパンは示さないが、イギリスでも低利融資で市民を借金漬けにしたザ・シテイと同じもので、私(落合)がワンワールドの金融部門と呼ぶものである事は確かである。
★彼らが甘粕と東条を躍らせたのは、満洲を火種にして日本に対米戦争を起こさせるためであったことは間違いない。そのために石原莞爾の理論と構想を利用したが、実行に当たっては石原の理念よりもワンワールドの指令を重視したのである。

 しかし、FRBとCITYに低金利を強制したのは、何のためであったのか?

   

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