カウンター 読書日記 2007年10月
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ルイス・トマスを読む(3)
★「医学と公正さ」の引用を続けます。
 

私たち西欧世界の人間が「健康」という言葉を使うとき、それはたんに生存や人の自由を奪ってしまうような重大な病気がないという以上の意味をもっている。健康であるためには、私たちは幸福であるとともに経済的に豊かであることも必要だと考える。しかしこの場では健康という言葉を昔ながらの意味で使う道をとろう。
 
 ちょっと想像を飛躍させて、富める国々が自分たちの一切の医療技術のコピーを、貧しい国々に輸出することができるような経済環境を考えてみよう。これにはおそらく、中央アフリカ、アジア、南アメリカの大都市に、マサチューセッツ総合病院やスローンケクリング記念ガンセンクーなどのプレハブ版を設置することが含まれるだろう。加えて、医療専門家、世界に冠たるアメリカのトップクラスの医科大学のレプリカを送りこむことになるだろう。そしてこのような計画を支えるための、少なくとも25年分の資金が必要だろう。こういった気前のよい援助のもつ効果はゼロまたはそれ以下だと私は思う。地域社会を牛耳っている体制のメンバーである裕福な人びとは、間違いなく新しい病院の出現を喜ぶだろう。ロンドンやニューヨークの病院へ飛ぶ飛行機代が節約できるだろう。しかし貧しい人びと、とりわけごみごみしたスラムや町から遠く離れて片田舎に住む人びとにとってはまったく関係がないか、逆に悪い影響さえ出るかもしれない。あらゆる利用可能な資金は、彼らの健康の問題とはおよそかかわりのない技術に注ぎこまれるからである。
 
 私たちの世界は分裂している。私たちのような社会にあっては、今日のおそろしく金のかかる医療制度は、第二次大戦後の何十年かのあいだに、主として中高年の人びとの健康への懸念に対処するためにつくりあげられてきたものである。19世紀にはじまった、私たちの社会の一般的な健康の改善はこれまでに、若すぎる死というのは純然たる日々のできごとではなくなり、どちらかといえば気にかかってならない、多少神経症的な心配ごととなってしまうほどに、高いレベルに到達してしまったのだ。私たちの関心はガン、心臓病、脳卒中などに集中し、第三世界で毎日のように多くの人びとの死の原因となっているものによって若くして死ぬ心配をする必要はない。私たちの健康がこれまで目ざましく改善されたことに疑問の余地はない。しかしどうしてそうなったかについては議論が絶えない。ひとつ確かなことがある。それは医学のためでも、医科学のためでも、医師の存在のためでもないということだ。

 功績の多くは西欧社会の上下水道関係者や技術者の仕事に帰せられるだろう。ヒトの屎尿による飲料水の汚染は一時ヒトの病気の唯一最大の原因だったことがあり、第三世界にとっては飢餓やマラリアとならんで、依然として最大の原因でありつづけている。腸チフス、コレラ、赤痢は19世紀初頭のニューヨーク市にとっては生存に対する最大の脅威だった。そして上下水道や衛生施設の技術者が都市の建設にあたって彼らの仕事をやり終えると、これらの病気は消滅しはじめた。今日、わが国ではコレラの名を耳にすることがない。しかし私たちが昔ながらのやりかたで飲み水を手に入れようとすれば確実にふたたび姿を現わすだろう。
 
 しかし水道の普及の前に、私たちの健康の問題に別の何かが起こった。何らかの理由で、17世紀から18世紀にかけてアメリカやヨーロッパで、私たちは豊かになり、生活のスタイルを変えることができた。最初の、そして最大の重大な変化は農業の改良、ひいては栄養、とりわけ小さな子供の成長に必要な食料の量と質の改良だった。私たちの生活の水準が上昇するにつれて、よりスペースのある、寒さから身を守る、よりしっかりした家を建てるようになった。

 これについての医学の寄与はごくわずかである。19世紀の末になってヒトの病気に微生物が関与していることが見つかって伝染病学は有力な科学となり、飲料水の塩素消毒法が導入され、伝染病の拡がりをくいとめるための隔離法が生みだされた。このような改善には医師の意見も若干はとりいれられているが、彼らは技術を発明したわけではない。医療そのものー病人の家への医師の訪問、そして患者の病院への移送―などは19世紀全般、そして20世紀のはじめの30年を通して、病気の予防と治療のどちらにも、ほんのわずかしか寄与しなかった。もちろんそれ以前は医師が病気を治そうとして何かをすれば、必ずといってよいほど事態は悪い方へ向かった。彼らは患者から生命を奪うぎりぎりのところまで、そしてときにはその限度を越えて出血させた。彼らは血を抜きとるためにヒルを使い、刺激の強い軟膏を患部に塗りたくり、毒性が出るほどに大量の水銀を使って腹の中を空にした。すべては病める器官のうっ血をとり除くという名目のためだった。これは紀元2世紀のガレノスの空想の産物だったのである。

 ふりかえってみると、19世紀の中頃にサミュエル・ハーネマンがホメオパシー療法(同種療法)を導入したとき、これが驚嘆すべき成功をおさめたことには何の不思議もない。ホメオパシーは二つの考えかたからできている。そのどちらも科学的な根拠はまったくなく、ハーネマンの純粋の想像の産物だった。はじめの概念は彼の名づける「同類の法則」つまり「似たものは似たものを治す」というものである。もしある薬が、たとえば発熱とか嘔吐など、病気のもつ症状と似た症状をひきおこすとすると、その薬をその病気の治療に使うべきなのだった。しかし彼の成功を保証したのは二つめの考えかた、つまり薬は考えられないほど少量、一兆分の1ppmあるいはそれ以上にまで薄めて使うというものだった。実際上は、ホメオパシーは患者を安心させるというだけの、治療とはいえないしろものだったが、こうして多くの患者は当時の伝統的な医学の手から守られたのである。患者たちの気分がよくなり、回復の見通しがよくなったのは驚くにあたらない。

 ヒトの病気に対して何らかの意味で合理的な治療法が生まれたのはやっと20世紀初頭になってからのことであり、また感染症の大規模な治療と予防の合理的で強力な技術を手にすることができたのは、やっと今世紀の中頃になってからだった。抗生物質による治療法と同時に、そして多くはこれに依存しながら、外科手術も大きな変革を遂げた。それ以来、外科手術の技術はますます高度で強力なものとなってきた。感染をコントロール下におくこととともに、外科医は血液量や電解質のバランスを保つすべを身につけ、問心術、器官移植、微細な血管の修理、切断した四肢の置換、ガンの徹底的な切除など、かつて考えられもしなかったことが日常の、ありふれた仕事になってきた。

 さて、このような技術をぜんぶ梱包して、貧しい国々へ送ることができるだろうか? またそうすべきだろうか? それは役にたつだろうか、また今日使われている言葉にしたがえば、コストにひきあうだろうか? 私はそうは思わない。
 私の考えでは第三世界の社会の健康に必要とされているものは、現代医学が導入される前にアメリカやヨーロッパに実現した一般衛生の水準なのである。これが先に来ないかぎりは、私たちのもつ高度で高くつく技術を持ちこんでも何の役にもたたないだろう。
 若いうちに死ぬ人びとを抱える中央アメリカや南アメリカ、アフリカほぼ全土とアジアの大部分にとっての問題は別のところにある。彼らはほとんど確実に半分かそれ以上が幼いうちに死んでしまうという条件のなかで、子供たちを育てなければならず、その結果、できるだけ若いうちから、できるだけ多くの子供をつくることになる。死亡はだいたいが下痢によるもので、汚染された飲料水や劣悪な衛生状態が原因である。幼い子供たちの感染症が致命的なものとなるのを助長しているのは、不適当な摂食、そしてある点で幼い子供に対する食物の選択についての誤った情報だろう。感染症や栄養不良による幼児の死に加えて、熱帯や亜熱帯に住む人びとにとっての大きな健康上の問題は寄生虫病である。

 ここにわが国が役にたちうる、そして実際役にたちつつある一連の健康問題がある。私たちはたぶん、寄生虫病の予防と治療についての今日の方法を提供するうえで、ある程度のことができるかもしれない。しかし私はここでただちに言っておかなければならないだろう。これらの技術はどんなにうまくいってもほんのわずかな効果しかもたず、それが必要とされる地域にとり入れようとすればそれだけの人員を配置しなければならないというたいへんな問題を抱えることになる。さらに患者がこれをじっさいに受け入れるようにするためには、制度、文化、経済上のより大きな障害があるのだ。しかしそうではあっても、私たちは何かできることを、もっと試さなければならないだろう。
 
 私たちは費用のかかる、中産階級の、中高年に対する医療システムをアフリカ、そしてアジアの貧しい隣国にもちこもうとしてはならない。これらの国の人びとは私たちが使っているような、すでに高くつき、ますます高くなっているハイテク医療の費用を賄うことはできないし、それが人びとに求められているものでもない。現段階では、私たちのシステムは高齢の人びとに対して機会を確保するように設定されたものである。ところが彼らが望んでいるのは生きる機会そのものをより確実にすることなのだ。私たちが役立ちたいと思うならば、そしてそうあるべきなのだ・・・

 しかし私の最後の主張、そして私の最後の拠りどころは、対外政策としてはもっとも単純で、もっとも素朴で、おそらくもっとも説得力のないものかもしれない。私たちには負い目がある。私たちは人間の健康について、公正さや公平さといった以上の何かを保証する義務がある。私たちが人間であることをやめようとしないかぎりはほかに道はない。すべての男と女が兄弟であり姉妹であるというのは、移ろいやすい、文化に依存した概念ではないし、また私たちの心のなかで温かみや心地よさを感じさせるためにつくりあげたスローガンでもない。それは生物学的な至上命令なのである。   <完>

 


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ルイス・トマスを読む(2)。
●今日のような世界にあっては、世界の富の再配分という意味での公正さについて語るには適当な時ではないし、またここは適当な場でもない。さらにこのような問題はあまり考えたことがないので、私に語る資格があるとも思えない。しかし、少なくとも専門的な立場からは、地球上のさまざまな地域の人びとが、健康上まったく違う環境のもとにある点について何か手をうつ余地があることだけは、はっきりとわかる。さらに、わが国や、いわゆる先進工業国といわれる国々は、このような不公平を是正するために、何かできることをするという道徳的な義務を負っているように思われる。それはもっぱら私たちが社会的な種に属するという理由からである。
 
世界が安定していて予測可能なものであることは自分のためにもなるはずである。そのために応分の負担をするという、政治的な意味での義務を負うべきではないだろうか。発展途上国の病気の問題は、ある点で貧困と栄養不良の問題であり、次いでこれは人口過剰の問題でもある。しかし実はこれは循環している。人口過剰はある面で、病気、貧困、栄養不良の結果でもあるのだ。この実態にせまり、改善するためには、ある論理的な順序を辿ってこれらのすべての問題に手をつけなければならない。これはただ一つの問題ではなく問題が絡みあったシステムなのである。事態を悪化させることなしにこれを変えるのはむずかしいだろう。生活のシステムによく考え抜かれた変化をもたらそうというのは危険な仕事である。ある部分、ある面を補修することは、遠く離れた別の面に何か新しい、より悪い不都合を生みだすことにつながりそうである。
もっとも危険なのは、何かシステムが存在することに気づかずに手を下しはじめることだろう。この場合のシステムは、この豊かな国の国民をふくめ、あらゆる人びとがそのなかの一部となっている。

 しかし問題をあるがままに放置し、自然のなりゆきに任せるべきであると考えた場合に、将来のできごとが道徳的にはもちろんのこと、政治的にみてもどれだけうけ入れがたいものになるか私には想像もつかない。もし多くの人びとが基本的には治すことのできる病気で死に、また多くの場合、病気の有無にかかわらず飢えのために死ぬことなどを通じて、生きる機会を与えられずに死につづけるとすれば、これは、いずれは人の目に触れざるをえない。テレビ局がかけつけるだろう。死にゆく人びとの国の悲劇と混乱がすさまじいものになるにつれて、テレビによる取材はより詳しく、そして持続的なものになるだろう。これが豊かな国々の視聴者の心に動揺を与えるだろうなどというのは、起こりうる反応を低く見積りすぎている。それだけではすまないはずだ。この間、何十億という困苦のなかにある人びとが、住む場所を離れ、国境を越え、どこであろうと食物の匂いがし、生存への望みをつなぐことのできるところを求めての移動を加速させることになるだろう。あとに残った人びとはすでに進んでいる熱帯樹林の伐採をつづけ、ほかの生物が生存の場としている巨大な生態系を消滅させ、はかりしれないほどの全地球的な気候の変化をもたらし、この惑星の生命そのものを脅かすことになる。

 最大の危険は私たちの反応自体にある。自然のなりゆきのままに任せるとしてみよう。ある日問題が解決不可能になっていることを思い知らされるかもしれない。手をいっぱいに突き出してドアに群がる人びとは拒むべき敵となり、昔ながらの殺すというやりかたでしか対処できないだろう。このようなシナリオは今世紀のような経験をしたあとでは、まったく考えられない話ではない。それどころか私たちはこれを、種全体を守るための自然な行動であると自分を納得させようとするかもしれない。私たちほどの頭脳と技術を備えていないほかの動物はときどき「クラッシュ」によって自分たちの数を減らすという手段をとる。「クラッシュ」は、ある種の数が増えすその種が住んでいる生態系のなかの食料の供給を上回り、地球上でその種に割り当てられたスペースから溢れ出てしまったときに、避けがたく生じる破局的な事態に対して用いられる、生態系上の用語である。しかしほかの生物、私たちが「下等」とよびならわす生物は、選択的にクラッシュすることはない。彼らは一時に、いっせいに絶滅するのである。
 
今後百年のうちには、私たちは北極から南極まで、水陸の居住可能なあらゆる場所をびっしりと埋めつくす可能性がある。ある人びとは宇宙空間のことを真面目に考えていて、街や田園までも組みこんだ巨大な宇宙船を銀河系へと射ちだし、うまく他の天体に住みつく可能性を考えている。

 必要最小限のスケールで、私たちに何かできるだろうか? とくに、今日、劣悪で野蛮で貧苦の生活を強いられている多くの人びとの健康の改善のために、私たちは何を計画すべきなのだろうか。ヒトの数をさらに増やすという危険を冒すことなしに何か行動を起こすことは可能だろうか。もし世界中の人びとが私たちアメリカ人と同じくらいに健康で、出生と死亡率が私たちの場合と同じぐらいだったとしたら、地上はどうにもならないほど人間で溢れかえることになってしまうだろうか? しかし何もしなかった場合でも、すべてを奪われ、残されているのは生殖だけという人びとの、生殖への衡動がおもな原因となっている人口の大爆発がすでに抑えられないところまで進行している現状は残る。こう考えるとほかに選択肢はないように思われる。劣悪な健康状態にある人びとの健康改善はとりくむ価値があるように私には思える。とにかくとるべきほかの道は思いつかない。・・中略・・・
  (続く)。




ルイス・トマスを読む(1)。
 「・・・私たちには負い目がある。私たちは人間の健康について、公正さや公平さといった以上の何かを保証する義務がある。私たちが人間であることをやめようとしないかぎりはほかに道はない。すべての男と女が兄弟であり姉妹であるというのは、移ろいやすい、文化に依存した概念ではないし、また私たちの心のなかで温かみや心地よさを感じさせるためにつくりあげたスローガンでもない。それは生物学的な至上命令なのである。」
   

 ルイス・トマス、『人間というこわれやすい種』(晶文社1996.9.5)から、

 <8章・医学と公正さ>を紹介していく。

 松岡正剛「千夜千冊」も是非。
 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0326.html

 *************
 

 ●(8) 医学と公正さ

 人類という種には、いまほぼ45億という仲間がいる。今後50年もするうちにその数はほとんど確実に2倍になるだろう。そのなかで先進工業社会に住んでいる3分の1ほどが、私たちの言うまずまずの健康を享受し、考えられている正常な人間の寿命をほぼ全うして生きる。残る大多数の人類、貧困にあえぐ国々の国民は、そこまで生きられる機会は半分に満たない。早死にし、あるいは一生を惨めな状態で過ごし、いつも飢えと、運のよい残りの3分の1の人びとには知られていない数多くの病に脅かされる。

 この大ざっぱな数字が語りかけてくる、国際的にとるべき政策ははっきりしている。より多くの健康を享受している15億人は、ほかの30億人に対して、21世紀へ向けて何かできるのだろうか。そこには何らかの義務があることを前提としてうけ入れよう。
 
 まず第一に、それは道徳的な義務であるが、しかしそれは人間文化のなかにあるふつうの意味での道徳であるとともに、深い生物学的な動機に裏づけられたものでもある。好むと好まざるとにかかわらず、私たちは深く、やみがたく社会的な種なのである。ほかの哺乳動物にくらべると肉体的に華奢で、大きく複雑な前頭葉をもつために情緒が不安定になりがちで、外敵にまったく無防備な長い子供時代を送るという競争上不利な条件を強いられながら、ここまで生きのびてこられたのは、私たちが社会的な生活に適応するよう遺伝的にプログラムされているからなのだ。私が群からまったく切り離された、孤独でひとりだけの人間を想像することができないのは、一生をひとり暮らしで押し通すシロアリやミツバチを考えられないのと同じことである。私をたがいに依存しあった共同社会に結びつけているのは言語であり、私たちはこれに対してこそ、小鳥が歌に対してそうであるように、ほとんど確実に、遺伝的にプログラムされているのである。
 
 人間がこれに長けているというつもりはないし、またこれまでのところうまくやってきたと言うつもりもない。もしうまくやってきていたなら、私たちは今日みられるほどの密度で、ここ数百年来みられるように、破局の危険を迎えるまで計数的に繁殖し、地上に溢れかえるようなことにはならなかったであろう。ある家族の成員が一家のほかの成員にとって文字通りに頭にくるような事態をうけ入れつつ、私たちは家族生活については結構うまくやっている。私たちはそれぞれ親しい友人の輪をもち、彼らに信頼され、愛されすらしている。これらの友はまたそれぞれ別の友人の輪をもっている。こうして輪はつきつぎに広がりすべての人をとりこむことになると考えられるかもしれない。ところがそうはならない。私たちは長いあいだ、種族を単位に生きのびる方法を身につけ、種族どうし(種族間)では争う傾向があった。国家というものの発明によって私たちは社会的な関係として生きるためのすべての規則を弱体化し、自然のなかの人間の立場を危ういものにしはじめた。社会的生物として、大きくなる蟻塚のように均一な単位として発展するかわりに、コロニーをつくって別れ、たがいにすべてのコロニーと敵対するようになる道を選んだ。ある集団は有利な地理的条件とがんばりによって富と力を蓄える一方、ほかの集団は貧しく力もない。こうして現在の問題がある。人類はただ一つの集団、一つの種なのである。私たちの現在のありかたはこれにそぐわないだろう。

 人類のために私が考えられる言いわけがひとつだけある。私たちはまだ種の進化のゲームに参加して間もなく、まだ勉強が足りないということだ。文化という面からみた人間の進化は、生物学的な進化に何らかのかたちでなぞらえることができるだろうと考えるのは大きな間違いである。人間は、古生物学者や地質学者に用いられているような言葉で自分たちの生活習慣を語ることができるほどには、この地上に長く存在していない。地球科学者によって扱われる長い時間の流れのなかでは、社会的な人間の出現と進化はほんのわずか前にはじまったばかりである。私たちは新品同様なのだ。人間か幼い種であると言ってよいかどうかすら問題だろう。地球の年齢は40億年になり、種の進化はそれぞれ数百万年という単位が記録されているのだ。

 私たちはヒトという動物の進化の過程で、子供時代を通過しているのかもしれない。種として新たに登場したばかりで、木から降りてきて自分たちの指をしゃぶりながら、ほかのすべての動物から区別する一つの能力を磨きはじめたばかりの存在であることを考えれば、失敗ばかりしているのは驚くにはあたらないのかもしれない。これから先、私たちが現代の文化と呼ぶものが、ヒトの成熟の道程における、原始的な思考のごく初期段階にあったものだということになるかもしれない。つまづきやすい政治、国家の破滅的な愚行、見通しのまったくきかない先行き、などと私たちの目に映るものも、たんに未熟さゆえの欠陥、あるいは若さゆえの怠慢であるのかもしれない。誰かが言っているように、私たちはいまの段階で絶滅するのかもしれず、したがって最後の局面を私たちは生きているのかもしれない。しかしもしそうであるとしても、それは自分の手で、それもたぶん核兵器で絶滅することになるのだろう。もし生きのびることができるならば、ある日、種として自分たちが到達しえた姿に驚きの目を瞠るようなときがくるのではないかと私は思う。私たちのあらゆる愚行を、幼虫、さらには幼生ゆえのものとみれば、私たち人類はすばらしい、将来性のある生命のかたちなのだ。私はこの見かたに与(くみ)する。

 もし私たちが、目前のさしせまった不公平という問題の解決に取り組もうとしていると考えることができるならば、私は人間の先行きの展望にもっと希望が持て、未来に確信をもつことができるだろう。ある人びとは他の人びとより頭がよく、活動的であり、したがって当然よい暮らしができるようになるという理屈は一面としてなりたつ。しかし、人口の3分の2が、そしてその3分の2のなかのすべての子供が、人間らしい暮らしを送る機会がないいっぽうで、よい暮らしをしている私たちがそれに目をそむけるということが人間社会にとって自然で安定なありかたといえるかというのはまた別の問題である。 (続く)

 

 

望ましい社会とは?
 ●以上、現在の日本の「貧困」について、代表的な著作から引用を続けてきた。

 最後にあげた、北九州市の場合は、生まれ故郷ということもあり、「どうしてこんなことになったのか!」「情けない」という思いが一層強くなる。

 亀田一家の長男が父親に替わって、亀田家を代表して謝罪会見にのぞんだ。
 この会見を横目でみながら、唐突だが、 家族制度のことや、生活保護支給とその制約条件=二親等まで援助者を求める=・・等々が頭にうかんできた。

 ****************

 「未来は(あるいは現在は)こうあってほしい」とは誰でも時には考えることだろう。
自分が「不遇な」「思い通りにいかない」ときには、ことさらにそうだろうと思う。わたしにも経験がある。

 そんな時、考えることのスタート地点として、「無知のヴェール」という考え方が役に立つ(有効)ように思う。

 ★2007/10/19 に、ロールズの「正義の論理」をこう紹介した。

 「・・・ここで彼は社会契約説を範にとってこの正義の原理を導出していく。まず正義の根拠を、自由かつ合理的な人々が、彼が「原初状態」と名付けた状態におかれる際に合意するであろう諸原理に求めた。この原初状態とは、集団の中の構成員が彼の言う★「無知のヴェール」に覆われた-すなわち自分と他者の能力や立場に関する知識は全く持っていない-状態である。このような状態で人は、他者に対する嫉妬や優越感を持つことなく合理的に選択するであろうと推測され、また誰しも同じ判断を下すことが期待される。そして人は、最悪の状態に陥ることを最大限回避しようとするはずであり、その結果次の二つの正義に関する原理が導き出されるとした。・・・」

 少し、分かりにくい文章かもしれないが、次のように考えるとどうだろう。

 いまの、あるいは子孫に伝えていく、「あるべき、望むべき社会」というものを考えるとき、自分の現在置かれている状態を「未知のもの」として、考えを始める。
 この広い世界には我々の知らない人々の生活も多くあるだろう。
 そういう世界のどこに生まれるのかは、前もって知ることが出来ないとする。

 そういう仮定のもとで、あなたはどんな社会(国家)に生まれたいか?
 どんな社会が望ましいか?と。


 **************

 今の日本はどうだろうか?

 私は、いまの日本には投げ出されたくないし、子や孫も、よその子どもたちも
 
 いまの日本には投げ出したくないと思う。

 <公平>、<平等>、という否定しようのない「正義」も実現されていないこの日本には。

 みなさんは、如何でしょうか?  (続)

    



『貧困襲来』(6)
●「地域福祉の北九州方式」-餓死は誰の責任?

 さらにややこしいことに、問題は「ヤミの北九州方式」だけにとどまらない。
 稼働年齢層を徹底的に排除した結果、北九州市の生活保護受給者に占める高齢者の比率は異常に高くなった。今では保護受給者の三分の二が高齢者だ(全国平均で約50%)。北九州市はこれを「地域の高齢化が進んだため」と説明しているが、それは事実の一部でしかない。
 北九州市はこの問題に対して二つの対応をしている。

 一つには、「高齢者は生活保護とは別枠で対応すべき」と、生活保護法改定を主張している。これは全国知事会・市長会報告が06年10月に出した「新たなセーフティネット検討会」の報告書にそった意見だ。というより、全国知事会・市長会報告が、北九州市の意向をふまえた報告書を出しているのかもしれない。
 もう一つは、高齢者が福祉予算を圧迫しないように、1人暮らし高齢者の「見守り」を地域社会にやらせようとしている点だ。これは、あまり指摘されていないので、くわしく見ておく必要がある。
 「ヤミの北九州方式」はなぜヤミ(影)と呼ばれるか。それはオモテ(光)があるからだ。北九州市は、93年に「北九州市高齢化社会対策総合計画」をつくり、それ以来「地域のことは地域で」のスローガンのもと、高齢化社会に対応するための地域福祉システムをつくり上げてきた。この★「地域福祉の北九州方式」は「北九州市の高齢化社会対策は、単に介護保険の準備がよく整っているだけでなく、国の政策のずっと先を行き、『北九州方式』とか『21世紀のモデル都市』と呼ばれるほど先進的である」とほめそやされている(岡本栄一・山崎克明編著『北九州市発21世紀の地域(コミュニティ)づくりー参加型福祉社会の創造』中央法規出版、2001年)。これがオモテの北九州方式に当たる。
 「地域福祉の北九州方式」は、地域そのものをつくり変える。まず、各小学校区を地域コミュニティの単位と設定する。そこに公民館に代わる「市民センター」を設置する。その管理運営を自治会・社会福祉協議会などの住民組織を再編した「まちづくり協議会」に担わせる。「まちづくり協議会」内で民生委員の活動をサポートする「福祉協力員」を地域住民の中から集め、一人暮らしの高齢者宅の訪問活動を行う。また別に「ニーズ対応チーム」をつくり、ゴミ出し・買い物・薬取りなどの家事援助を行う。
 地域の単位も、地域の責任者も、みんな再編成して、新しい地域グループで一人暮らし高齢者の生活支援を行いましょう、ということだ。地域のみんなが協力して、孤立しがちな一人暮らし高齢者をサポートする。なるほど、孤立しがちな高齢者を支える「地域福祉」のあり方として、すばらしいシステムのように見える。家庭訪問をつうじた見守りを行う「福祉協力員」、家事援助を行う「ニーズ対応チーム」は、ともに地域住民による無償ボランティアだから、安上がりでもある。
でも、末吉興一前北九州市長の次の発言を見ると、雲行きがアヤシクなってくる。末吉氏は、餓死事件についてのコメントを求められて、次のように答えた。「市の対応には何も問題はない。孤独死を防ぐために重要なのは、地域住民の協力体制だ」(読売新聞2006年10月8日)。
 北九州市の対応に何の問題もなかったのならば、どうして男性は餓死したのか。末吉氏は、その回答を地域住民の協力体制にもっていった。まるで地域住民がしっかりしていれば、男性は餓死しなかったかのようだ。「地域福祉」とは、住民が住民の生死の責任を持つことを言うのか。★餓死を防ぐ第一の責任は、行政でなく地域住民にあるのか。「地域福祉の北九州方式」はこの点を問うている。
 
●ボランティアは賃金ゼロの労働力?

 07年3月16日から17日にかけて、私は雑誌論文の執筆のために北九州市で自治会長や福祉協力員を務めている5人の方からお話をうかがった。オモテの北九州方式がどう機能しているか、現地の人は「地域福祉の北九州方式」をどう感じているのか、実情を聞くためだ。みなさんが異口同音に語ったのは、案の定と言うべきか、地域住民を一人暮らし高齢者の「見守り」に動員する北九州市への不満だった。
 「市は私たち地域住民を利用しすぎている」
 北九州市若松区で3年間福祉協力員として活動している三輪幸子さんは、孤独死防止を福祉協力員制度で「できるわけがない」と言う。彼女が活動するのは月1回、訪問するのは7~8件(軒)。「気をつける程度の役割」であって、訪問を「『いらない』と言われたら、それ以上立ち入らないし、立ち入れない」。ボランティア活動は、本来自発的にやるものなのに、今は市のやるべきことを住民が肩代わりさせられている、と感じている。
 餓死事件のあった門司区後楽町団地で町内会長を務める井上泰明さんも、同様の意見だった。「これでも若いほう」と、65歳の井上さんが真顔で答える後楽町団地の少子高齢化は極端に進んでいる。約200世帯いる団地住人の中に、小学生は2人しかいない。最近の様子を聞くと、「あそこも、あそこも」と、たてつづけに三件の救急搬送があったことを教えてくれた。
 餓死した男性宅に門司区職員が最初に訪問したのは05年8月末だったが、その前に井上さんは男性の健康状態がよくないことを知って、門司区の福祉事務所に電話を入れていた。福祉事務所の対応は「それなら救急車を呼んでください」と言うだけ。井上さんたちが救急車を呼んで一度は入院になったが、医療費を支払えない男性は、たったの三日で帰されてきた。「あの時点でなんとかなっていれば」と言う井上さんには「やれることはやってきた」のにまるで地域住民の責任であるかのように言いはなった末吉前市長への不満がくすぶる。
 猪原八郎・門司校区自治連合会福祉部長に至っては「市の肩代わりはしない」と明言する。猪原さんの地域では63人の福祉協力員がいるものの、戸別訪問は行っていないし、ゴミ出しや買い物を代行するニーズ対応チームはそもそも存在しない。でも、私が人手した「平成一六年度『ふれあいネットワーク事業』実績報告書」によると、門司校区には73人の福祉協力員と245人のニーズ対応チーム要員がいることになっている。猪原さんに聞くと「福祉協力員10人分は水増し、245人のニーズ対応チームは単に各町内の班長数を書いたにすぎず、実態はない」と言う。北九州市は「地域福祉の北九州方式」がうまくいっている証拠として、図表7のような活動状況を公表しているが、猪原さんは「ウチ同様、かなり水増しされている可能性が少なくない」と言う。
 とてもうまくいっているという「地域福祉の北九州方式」と、実際に現場でその「地域福祉」を担っている人たちの「押しつけ」批判。公表された数字と実数のズレは、ここに対応している。地域で支え合いましょう、と言われて協力していたら、いつの間にか餓死の責任は地域住民にあるような言われ方をしてしまう。ひどい。
 
一人暮らし高齢者が増えることは、どうにもできない。家族に「なんとかしろ」と言っても、限界がある。日本全体が〈貧困〉化する中で、家族福祉の機能も低下している。でもダメ親父たちは、公的福祉を充実させるのはイヤだ、やりたくない、お金がもったいない、と考える。とすれば?地域住民を賃金ゼロのヘルパー、賃金ゼロの介護労働力として動員し、地域にやらせればいいのではないか。
 05年、介護保険法が改訂され、軽度の要介護者に対する家事援助が基本的に打ち切られた。その人たちに必要なのは、家事援助ではなく、★筋力トレーニングだ、というのが理由だ。家事援助して甘やかしたら、ますます体を使わなくなって弱ってしまう、ということらしい。この法改訂と北九州市の無償ボランティアが行っているとされる充実した家事援肋の「実績」。両者がリンクしていると考えるのは、不自然ではない。そして厚生労働省も、その方向で地域を動員しはじめている。この問題には、もう少しあとで立ち戻る。

 **************

 第5章 崖っぷちの生活保護 5.北九州から全国が見える <完>。

 



『貧困襲来』(5)
●「地域福祉の北九州方式」-餓死は誰の責任?へ進む前に、

 北九州の餓死事件についての章、「5章・崖っぷちの生活保護」を紹介 します。
 *************

 第5章・ 崖っぷちの生活保護
 2.機能不全の生活保護
 
 
 人が〈貧困〉に陥ったとき、それに「今ここ」で対応できる唯一の包括的な生活保障が生活保護制度だ。しかし残念ながら、実際にはそのように運用されていない。五重の排除が〈貧困〉の背景にあると書いた。その中には公的福祉からの排除が含まれている。公的福祉(生活保護)がきちんと機能していれば、多くの〈貧困〉状態は解消される可能性がある。しかし実際には、五重の排除にもとづく〈貧困〉が蔓延している。なぜ機能していないのか。

●「水際作戦」
 
どうして生活保護が受けられないのか。これはよく不思議がられる。「いろいろ難しいことがあるって聞くけど、どうしてそんなに難しいの?」と。役所に申請し、審査されて決定される。どこにでもある手続きだ。それのどこが難しいのかイメージできない。正常な感覚だ。
 先に書いたように、生活に困って福祉事務所に訪れる人たちも、私たちのところに訪れる人同様「生活に困っているので何とかならないか」と言うだろう。そのとき福祉事務所は「どうにもなりませんね」と答える。そうか、自分には使えないのか、と思って帰る。そのとき記録上は「相談のみ」、★この人に生活保護申請の意思はそもそもなかった、となる。福祉事務所まで来て「生活に困っているので何とかならないか」と言うのだから、当然生活保護を受けたくて来たのだろうと考えるのは、一般の感覚であって、福祉事務所の感覚ではない。
 「何とかしてもらいたい」という言葉は「生活保護の申請をしたい」という言葉とは違うのでそれは申請の意思表示ではない、と意図的にすりかえられる。福祉事務所では、ズバリ「生活保護の申請をします」と言わなければ、申請の意思表示とは認めない。
 
★現実はさらに苛酷だ。北九州市では、06年5月に56歳の男性が餓死状態で発見された。この男性は、二度、福祉事務所に対して「生活保護の申請をしたい」と告げていた。福祉事務所の記録(面接記録票)にも「生活保護を申清したい旨の発言があった」と書いてある。しかし「次男に面倒見てもらいなさいよ」「次男がダメなら長男に面倒見てもらいなさいよ」と“説得”されて二度とも追い返された。福祉事務所は、申請書を出さずに帰った以上、その人には申請の意思はなかったと言い張っている。末吉興一市長(当時)も、「福祉事務所の対応は適切だった」と話している。申請したいという意思の確認がギリギリまで狭められている。こうなると、申請の意思をどうしたら表現できるか、という技術的なことを知っていないと申請できない、ということになる。
 
北九州ほど極端でなくても、同じようなことは全国の福祉事務所で毎日起こっている。「生活保護の申請をしたい」と言って、それを形に示し(「生活保護申請書」という文書をつくって提出する)、何を言われようと徹回しない。その知識と覚悟とがんばりのある人だけが生活保護の申請をできる。「本当に困っているのか」「本当に生きたいのか」を徹底的にふるいにかけられるのが福祉事務所だ。これが「水際作戦」と呼ばれる手法である。岸辺にかけた手を上から踏みつけられる。さあできるもんなら上がってみろ。痛くて手を放すようなら、もともと岸に上がる気などなかった、ということだ。
 福祉事務所に相談に行くのは、よほどのことだ。誰だって「お上の世話」になどなりたくない。自分でいろいろやってみて、頼れる人には当たりつくして、それでもどうにもならなかったとき「もうお手上げ」と言って訪れるのが福祉事務所だ。しかし、傷つき、疲れ果ててたどり着いた岸辺で待っていたのは「疲れたね。大変だったね」と言って抱き上げてくれる人ではなく、「甘いんじゃねーの?」と言って、上げた顔を再び水に押しつけてくる力だった。普通はまいる。まったく密入国者扱いだ。もうこのまま、死ぬなら死ぬでいいか、という気分になる。
 信じがたいかもしれないが、事実だ。福祉事務所を訪れた全員がそういう目にあっている、とは思わない。親切に対応してもらってよかった、という人もたくさんいる。でもこういう目にあっている人がいることもたしかだ。私たちのところには、しばしばそういう人が相談にやってくる。

3.歴史的経緯

●ケースワーカーの苦悩

 どうしてこういうことになってしまうのか。いくつか原因がある。
 まずは実際に相談を受ける相談員だ。この人は、なぜ相談者を追い返すのか。別に生活保護を出しても自分の懐が痛むわけではない。なのにどうして「困ってる」と頼ってきている人を追い返すのか。鬼か? もちろんそんなわけはない。私も何人か個人的に知っているが、ごく普通の人たちだ。普通の人たちがなぜこういう対応をするのか。
 最大の原因としては「報われない」ことが大きいと聞く。福祉事務所の職員は、生活保護を受けている人の対応をする。中には難しい問題を抱えている人もいる。そういう人たちの対応を毎日毎日する。いやなこともある。何度言っても聞いてくれない、ということもある。そのときに、粘り強く本人と付き合い、気持ちを聞いてもらい、対応する。それが生活保護法が目指している「自立助長」だが、それはある程度好きでなければできない。忍耐もいるし「福祉的な精神」も必要だ。
 ★しかし、福祉事務所に望んで来た職員は少ない。この前まで水道を敷いていた人が(例えば、水道局)人事異動でやって来る。当然、個別対応の中で本人の力を引き出し、自立に向けたサポートを行う「ケースワーク」とは無縁の人もいる。好きで来たわけではないのに、来たとたんにたくさんの生活保護受給者の担当にさせられて、難しい問題を引き受けさせられる。何度も困難にぶつかっているうちに、「なんてこの人たちはこんなに物わかりが悪いのか」「受給者としての義務を果さないくせに、権利ばかり主張してきやがる」「おれはこんなにがんばっているのに、誰も褒めてくれない、助けてくれない」という気分になる。「なんてあんなヤツが保護を受けているんだ」といった苦情も舞い込むし、「あんたが担当なんだから、なんとかしろよ。それが仕事だろ」と責められる。しまいには気分がくさってきて、訪れる人たちに丁寧に接することができなくなる。また、何かにつけて疑いの目を向けるようになる。一言で言えば、自分の本来の仕事を忘れてしまう。
 私は以前、大阪府内で行われたケースワーカーの意識調査の結果を聞いたことがある。そのアンケートでは「今の仕事にやりがいを感じたことがない」と答えた人が全体の四割を超えていた。「感じたことがない」というのは、一度もないということだ。毎日の仕事で一度もやりがいを感じられない職場で、いい仕事ができるわけがない。
 背景には、職員の不足と事務量の増大がある。1995年に底をついた生活保護の受給者数は、その後広がる〈貧困〉を背景に急増し、今では150万人に達しようとしている。個々の職員が受け持つ件数も増えている。しかし、受給者が増える割に、職員数は増やしてもらえない。厚生労働省は、一人あたりのケースワーカーが持つ件数の上限を「市部80件、郡部65件」と決めているが、実際には100件、120件、多いところでは140件、150件にもなる。
 こうなれば、まともなケースワークなどできない。加えて、事務量は増えている。書類をつくるだけで膨大な時間が割かれ、担当する人たちとゆっくり付き合う時間は残らない。人件費削減の大合唱の中で、どこも人手に余裕がなくなっているが、それは福祉事務所も変わらない。じっくり考えたり、検討する時間を与えられないまま次から次へと仕事をこなすことを求められ、余裕のない日々を送ることになる。
 こういう状態で仕事していると、「よかったね」と自分が担当している相手と喜び合える場面が減っていく。やる気が起きず、仕事がおざなりになる。そういう職場の雰囲気が、相談しに行った人にはね返ってくる。その悪循環の結果が「水際作戦」だ。

●代理戦争

 「公務員なんて特権階級なんだから、それくらいつらい目にあって当然だ」と言う人もいるかもしれない。たしかに、大変だと言ってもそれなりの給料はもらっているし、手当てもついているし、ハッキリ言って相談に来た人たちとはまったく異なる環境にあるわけだから、相談者に八つ当たりされたのではたまらない。しかしそうした状況を改善しないといけないことにも変わりはない。相談者が大変だから、職員はもっと大変であたり前だ、ではなくて、相談者も職員も待遇が改善されるようにするべきだ。
 もちろん、「水際作戦」は許されない。私も、同行してケンカすることがある。ただ、やっていて空しい。★末端で代理戦争させられているような気分になるからだ。
 本当は、職員と相談者がカウンター越しに睨み合う不毛な状態を抜け出して、相互に信頼し合える条件をつくっていくことが必要だ。しかしそれは「お互い人間なんだから、疑心暗鬼にならずに誠意をもって話せば、わかり合えますよ」などというノンキなことではない。やはり、十分な職員を配置できるだけの人件費を出して、きちんと生活保障に力を入れさせる必要がある。しかし現実はまったく逆、社会保障切下げに向かっている。


●足の引っ張り合いに便乗する連中

この流れが生活保護の場面ではっきりと形を取ってあらわれたのは2003年、生活保護の0.9%の切下げだった。★注目すべきは、このとき同時に国民年金額が0.9%切り下げられたことだ。
 生活保護費は国民年金に比べて高すぎる、という意見が根強くある。新聞記者によく聞く話だが、生活保護制度を受けている人たちの側に立った記事を書くと、年金だけで暮らしている人が「そんなの甘えている!」と怒りの電話をかけてくるそうだ。自分はもっと少ない金額で切りつめて生活しているのに、そんなにもらっておいて少ないとは何事だ、ということらしい。たしかに国民年金は満額でも月額6万6000円。都市部では生活保護の生活費より少ないし、医療費も国民健康保険で自己負担がある。生活保護受給者よりも所得が少ないことは間違いない。がんばって働いて、こつこつと年金を払ってきた見返りがこれだけなのに、国民年金料を支払ってこなかった人ももらえる生活保護費が高いのは許せない、ということだ。
 しかし、冷静に考えればすぐわかることだが、苦しいのは自分の生活である以上、生活保護費が下がったところで自分の暮らしは楽にならない。しかも03年の切下げが物語っているように、生活保護費と国民年金は事実上連動している。厚生労働省は、全然関係ないと言っているが、そうであれば同時に同じ比率で下がるわけがない。ということは、生活保護費が下がっても自分の暮らしが楽にならないどころか、それを理由に今度は国民年金額を下げられる可能性だってある。ほとんどタコが自分の足を食うような状態だ。
 根本にあるのは、少ない年金で暮らすほかない苦しさに対する不満だろう。苦しい中耐えているストレスが、生活保護受給者に向かって出る。でも、本当はそのストレスは、もっと暮らしを楽にしろ、年金を引き上げろ、と国に向かうべきではないか。年金だけで暮らせないのなら、その人自身が生活保護を受ければいい。年金だけでは足りない部分を補うのが生活保護の役割で、年金と生活保護を両方受け取っている人は実はたくさんいる。しかし、必ずしも生活保護を活用する方向には向かわず、生活保護を引きずり下ろす方向に向かってしまう。そのねじれが痛々しい。
 ★本当に許せないのは、そういう声を生活保護の切下げに利用する連中がいることだ。連中は「この不公平感をなんとかしなきゃいけない」と言う。しかし、年金を引き上げることは考えていない。考えているのは生活保護費を引き下げることだけだ。そうなれば、年金との「格差」は見かけ上、少なくなる。文句を言っていた人は「ざまあみろ」と喜ぶかもしれない。しかし実態は、生活保護を受けていた人たちの暮らしがさらに苦しくなって、〈貧困〉がよりいっそう増えるだけだ。「格差」がなくなったとしても〈貧困〉が増えたのでは、何一つめでたいことなんてない。しかも「格差」は年金生活者と生活保護受給者の間で少し縮むだけで、上層との格差はもっと広がっていく。下で足を引っ張り合っていても、当の本人は幸せにはなれない。
   (続く)
 



『貧困襲来』(4)・闇の北九州方式。
 再び、『貧困襲来』にもどり、続けます。

 5 北九州市から全国が見える
 

 ここ数年の生活保護をめぐる流れを見てきたが、このまとめ方に違和感をもつ人もいるかもしれない。あざとく考えすぎ、悪く考えすぎ、と。しかし、それがウソでないことを証明している地方自治体がある。北九州市だ。
 北九州市といえば、*先にもふれた餓死事件*が有名だが、あの事件が北九州市で起こったのは偶然ではない。北九州市は、ここ数年の全国的な「適正化」の動きを、そのはるか以前から実行している町だからだ。
 北九州市にとっては、生活に困っている人がどれくらい相談に来るかは、ハッキリ言って関係がない。何十人、何百人相談に来ようが、生活保護への切符には限りがある。限定発売だ。「残念でしたねえ。今月の切符はもう売り切れちゃいました。来月になったらまた出せるかもしれないけど、それまであなたが生きていられるかどうかは知りません。ま、せいぜいがんばって」ということだ。
 *北九州の餓死事件については、当該章を次回にアップします。

●「ヤミの北九州方式」
 06年10月、私は「北九州市生活保護問題全国調査団」という弁護士さんたち中心の調査団に参加して、実際に北九州市で生活保護申請に同行した。そのとき、申請する本人との合意の上で面談室に同席しようとしたら、担当職員(面接主査)から断られた。
 面談室に第三者を入れないのは本人のプライバシー保護のためだから、申請者本人が望んでいる場合には同席は認めなければならない。福祉事務所に拒否する理由はない。ところが、その面接主査は「おまえ(私のこと)がいると相談を始められない」と、ひととおり怒ったと思ったら、課長を呼んで私をつまみ出しにかかった。課長も課長で、プライバシー保護を理由とする拒否が通らないとわかると、「施設管理権上認められない」「同席者がいると職員がリラックスできない」と、他の福祉事務所では聞いたことのないめちゃくちゃな理由を言った上で、最後には、課長も面接主査も出ていって相談そのものをボイコットされてしまった。
 第三者の同席というのは、本人が心細いとか、知識が十分でないとか、職員の前で萎縮してしまうとか、いろんな理由があって大事なものだ。逆に言えば、第三者を排除した上でなら、密室で二人だけ。何を言っても証拠は残らないし、好き放題できる。申請に来た本人を孤立させ、イジメ抜き、「もうこんなところには来たくない」と思わせることができる。
 また北九州市では、生活保護から15~64歳の稼働年齢層を排除しつくしている。たとえば、路上で暮らす野宿の人は、北九州市では救急車で病院に搬送でもされなければ生活保護を受けられない。母子家庭に至っては「生活できないなら、子どもを施設に預けて働け」と親子はなればなれを迫られる。その結果、今北九州市では生活保護を受けている母子世帯の比率がとても低い。他の政令都市では2000~3000世帯なのに、北九州市だけは200世帯弱と10分の1程度だ。

  生活保護受給者数は、九五年に底をついて以来、全国で増加し、全体で1.7倍に増えているが、北九州市だけは減少している。この背景には、生活保護予算を年間で300億円に抑える、それ以上ビター文出さないという予算配分上の鉄則がある。
 そして、北九州市はこの鉄則を守るためのシステムをつくり上げた。

①:面接専門の係長級の職員(面接主査)を置いて、申請を徹底的に排除する。
②:「自立重点ケース」を選んで、その人たちの保護を是が非でも廃止する、
③:数値目標を決めて、それを毎月「速報値」として市長などに回覧し、福祉事務所ごとの「成果」を競わせる。①で生活保護への入り口を狭めて、②で生活保護から追い出せそうな人は追い出し、③で数値を競わせて人事評価に反映させる、という実に“見事な”システムだ。
 たとえば北九州市門司区の2006年度生活保護申請件数は、年度始めの段階ですでに年間142件と決められていた(門司福祉事務所「平成一八年度生活保護業務運営方針等資料」)。1か月あたり12件。そしてこれがちゃんと守られているかが、毎月の「開始・廃止(月末)速報」で市長・助役に回覧され、チェックされる。企業で言えば、営業成績のノルマを課され、毎月社長がチェックするのと同じだ。現場職員は、その数字を意識せざるをえない。どうしたって「限定発売」になる。
 これが「ヤミの北九州方式」と呼ばれるものだ。餓死事件が起こってあたり前だ。
●「ヤミの北九州方式」が全国化する

 餓死事件によって、北九州市は相当にたたかれた。その影響もあっただろう、北九州市では07年2月の選挙で、20年間にわたって君臨した末吉興一市長の後継者が敗れ、民主党の北橋健二氏が新市長となった。新市長は餓死事件の再調査を約束しており、福祉事務所の面接室に生活保護の申請書を常備するようにもした。北九州市としては画期的なことだ。これで北九州市もようやく全国並みになろうとしている。
 しかし複雑なのは、これは「ひとり北九州市だけがひどかった」ですむ話ではない、ということだ。
 

 北九州市は1960年代から、厚生労働省の役人を幹部に迎えて、その直接指導の下で生活保護削減を進めてきた。ここ数年、国レベルで行われてきたことは、すべて北九州市で実証ずみのことばかりだ。今は北九州市でやったことを全国的にやろうとしている時期なのだ。餓死事件の本当のおそろしさは、「ヤミの北九州方式」が今全国展開しようとしている、という文脈を踏まえなければわからない。あれは、想定外の突発事故ではなく、生活保護削減の末に必然的に引き起こされたものあり、そして今、その方式が全国化されようとしている。私たちは、全国で餓死が起こるような時代に入っていこうとしている。
   

 稼働年齢層の中から「重点ケース」を選び出し、就労指導を行って保護の停止や廃止にもっていく、という②のやり方は、06年3月の厚生労働省の「手引き」にそのまま引継がれた。また、主治医が「働けないだろう」と診断した人が本当に働けないのかどうか、福祉事務所が判定会議を開いて吟味し、異なる結論が出れば主治医を“説得”するという「稼働能力判定会議」の設置が07年度から全国の福祉事務所に導入されるが、これも北九州市では80年代から採用されている方法だ。厚生労働省直轄で、保護率を下げるためのあの手この手を考えはじめて40年。今、その“成果”が全国に適用されようとしている。 
北九州市は、あまりにもひどすぎた。その結果、たたかれた。北九州市で改善のきざしが見える一方、全国規模では「ヤミの北九州方式」が普及しつつある。北九州市が改善されればすべて丸くおさまる、というものではない。
 
 ●「地域福祉の北九州方式」-餓死は誰の責任?  へ続く。

 




『ワーキングプア』(2)
 『ワーキングプア』 

 ●おわりに
 

 当初は[日本の貧困」という仮のタイトルがついていたNHKスペシャル『ワーキングプア』。その取材には当時、NHK社合邦で警視庁記者クラブを担当していた七人の記者がかかわった。警視庁記者クラブは東京・霞ケ関の桜田門、警視庁本庁の九階にある。児童虐待、インターネットで知り合った若者らによる強盗やひったくり、急増する中高年の孤独死、借苦の中小企業経営者の無理心中。わたしたちは首都・東京で毎日のように繰り返される事件と向き合う中で、日本社会の奥底で何か大きな地殻変動が起きていることを実感していた。日本人の生き方、働き方、家族のあり方を今こそ見つめ直さなければならない。ちょうどそんなことを考えていた時に、番組の企画が持ち上がった。「日本の貧困と向き合うのは今しかない」。警視庁記者クラブの精鋭の記者たちは、先行して取材を進めていたディレクターたちとともに、全国各地を駆け回ることになった。
 「ワーキングプア」という言葉。当初、わたしたちはその言葉の意味さえ知らなかった。非正規労働の拡大や地方の衰退とともに、全国に広がっていた新たな貧困の現実に、政府だけでなく、わたしたちも向き合って来なかったことへの反省から取材はスタートした。

 怠けているから貧しいのではなく、ただ愛する家族のために、懸命に、ひたすらに、誰にも文句を言わず、働き続ける人たち。それでも生活保護水準以下の生活しかできない現実。日本はかつて、こうした真面目な人たちが報われる社会だったのではなかったのか。記者やディレクターの間には、疑問とともに、怒りが積み重なっていった。そしてカメラマンや音声・照明のスタッフとともに、全国各地で展開されたロケ取材。「いまの好景気は本物なのか。ぜひ現実をカメラの前で話してほしい」。こうしたディレクターやカメラマンの願いを聞き入れ、何人もの人が顔も隠さず、自分たちが置かれている境遇を、そして、いまの思いを率直に話ってくれた。その姿が全国の視聴者の胸をうち、大きな反響につながったのだと思う。
 
 一作目から五ヵ月後に放送された続編、『ワーキングプアⅡ』の取材には、新たに力強い戦力が加わった。労働問題の取材経験が豊富な記者や実力派のディレクター、カメラマンらのスタッフだ。一作目のテーマが、若者、地方、貧困の連鎖だったのに対し、二作目は女性、中小企業、高齢者を主なテーマにしたが、実は取材はしたものの放送には結びつかなかったものも数多くあった。その一つが★「オンコールワーカー」と呼ばれる日雇いの労働者だった。「オンコールワーカー」は携帯電話一本で派遣会社からの連絡を受けて仕事を請け負う日雇いの労働者。最近、若者を中心に急増している。わたしたちが取材した三十五歳の女性も、七、ハ社の派遣会社に登録し、携帯電話で連絡を受けては、徹夜で倉庫での仕分け作業をしていた。日給は約六千円から一万円で、食卓にはスーパーで売れ残った総菜類が並ぶ。健康保険料や国民年金は未払いで、公共料金の支払いも滞りがちだった。
 日雇いなので会社では名前も覚えてもらえず、友人もほとんどいない。技能もまったく身に付かないまま年齢を重ねている。「将来の夢は何ですか」という記者の問いかけに対し、彼女は「私のスペアなんていくらでもいるのですよね」とだけ答えた。[彼女の居場所はなく、人間の尊厳まで奪われてしまっていくように感じられた」と記者はその実感を話した。
 
 地方から上京した若者などが共同生活する★ゲストハウスも取材の対象となった。ゲストハウスは、風呂、トイレ、キッチンが共同で、小さな個室か、ベッドスペースだけが与えられている現代の長屋のような場所だ。以前は外国人旅行者の利用が多かったが、最近では派遣や請負の仕事で暮らす若者の利用者も多い。「将来のことを話すと不安になるので、先のばしにしている」「今は仲間に囲まれているだけでいい」。仕事も、生活も、不安定な若者たちが現実逃避をするかのように肩を寄せ合いながら暮らしている。若者たちの間に広がり始めた心の貧困。働いても働いても豊かになれないだけでなく、夢さえ持てず、人間の尊厳まで奪われてしまう、それが「あきらめ」という気持ちにまでつながってしまっているとしたら・・・。日本の未来を築く土台が大きく揺さぶられているように感じられた。

 長い取材の過程で、わたしたち取材班は、番組全体を仕切るチーフ・プロデューサーを中心に何度も議論を繰り返した。そして、スタッフが自分たち自身の境遇を話す機会も増えていった。中小企業を経営する父親が病気で倒れ、社員や家族の生活が一時危機に陥ったという記者。父と母の介護を抱え、子どもを育てながら仕事をしている女性のディレクター。そのディレクターが番組放送後、スタッフ全員に感謝の気持ちとともに送ったメールがここにある。その一部を紹介したい。
 
 「番組のラストコメントの打ち合わせの時、わたしはこう話しました。『誰もがいつまでも、若く、健康で、自分の力だけで生きられるというのは幻想です。しかし、国や企業はそうした幻想で、パーフェクトな個人主義の人間だけで社会を構成しようとしているかに見えます』と。これはわたしの家族の絶望からの実感でした。わが家を振り返ってみて、誤解を恐れずに言えば、人にはどうしようもない運命、というものはあるのだと思います。でも、その人自身の運命を大きく変えるのは無理だったとしても、その運命を支えている社会は、少しでも何かできるかもしれない。『あなたは必要な命だ』と言ってあげられるかもしれないと思います」。このディレクターのメールの中に、「ワーキングプア」の解決の糸口が垣間見えたような気がした。

 いまの日本の社会では「自己責任」が強調されている。そして、自助努力する人を支援する「自立支援」の大切さが盛んに言われている。本当にそれでよいのだろうか。わたしたちが取材で出会った人たちは皆、家族の病気や、リストラ、それに社会保障費の削減など、誰の身にも降りかかりかねない出来事をきっかけに、「ワーキングプア」に陥っていた。
 
 それを「個人」の生き方の過ちとして片づけてしまってよいのだろうか。政府によって、一刻も早く、有効な手立てが取られることを願わずにはいられない。そして、わたしたち自身も、この問題から日をそらさず、真剣に考えなければならない。「ワーキングプア」は労働や雇用の問題というだけでなく、日本という「国」のあり方、わたしたち日本人一人一人の生き方の問題だからだ。
 
「ただ普通の暮らしかしたい」としぼり出すような声で話した児童養護施設の子ども。「自助努力が足りないのでしょうか」と涙を流して訴えたダブルワークの母親。「ワーキングプア」の問題をどうすれば解決できるのか、すべての国民に保障されているはずの憲法二十五条の生存権の精神をどうすれば現実のものとすることができるのか。わたしたち取材班は、いま新たな取材を始めている。
     
 中嶋太一 (NHK報選局社会部副部長 当時警視庁キャップ)
 

 以上、「はじめに」と「おわりに」を紹介しました。
 お金に余裕のある人は本屋さんで買って、ない人は図書館に「堂々と」リクエストして、読んでみましょう。
   



『ワーキングプアー』(1)
★取材に動いた記者たちのきっかけは、日々事件報道に携わる警視庁記者クラブの記者たちが取材の過程で抱いた疑問だったという。

 日本社会の奥底で何か大きな地殻変動がおきているのではないか、という疑問。

 そんな疑問を抱いていた時に、番組の企画が持ち上がり、記者たちは全国各地をかけまわることになる。

放映日時は、以下の通り。
●NHKスペシャル
『ワーキングプア~働いても働いても豊かになれない~』
 (2006年7月23日放送)
●NHKスペシャル
『ワーキングプアⅡ~努力すれば抜け出せますか~』
 (2006年12月10日放送)

これから紹介するのは、以下のドキュメント=本からです。

★『ワーキングプア 日本を蝕む病』
  NHK取材班 ポプラ社刊 2007.6.11 1200円(税別)
 *************
 

 ●はじめに

 NHKスペシャル『ワーキングプア』は、東京・渋谷にある居酒屋で、仕事を終えたスタッフの議論からスタートした。
 その日、報道局の番組部長(当時)とプロデューサー、そしてこの番組の中核を担うことになったディレクターたちが集まり、安酒とつまみをつつきながら、話し合いが続いていた。
 「今日本で盛んに語られる『格差』とはなんなのか?」
 「仕事、労働の現場で何か起きているのか?」
 私たちは、議論や討論をする番組ではなく、現実に今日本で起きていることを、きちんと映像で記録し、人々に報告する番組を創りたいと話し合っていた。
 その席で、各地を取材してきたディレクターの言葉は熱を帯び、まだ断片的ではあったが、内容は「衝撃的」であった。「都会で仕事を求めて彷徨う若者の姿」「地方の農村で必死に働く人々の姿」・・・。
 私は、思わず彼らに尋ねた,
「それ本当かよ? 本当だったらなぜそんな『すごいこと』が、今まで伝えられていないんだよ?」
 しかし、後に番組の取材が進むにつれ、私は自分の不明を恥じていくことになる。
 確かに、「すごいこと」が日本で起きていて、それが[きちんと伝えられていなかった]、だけなのである。
 日本各地で、「豊かさ」のそのすぐ「隣」に、「新たな貧困」が生まれ、深く進行していた。
 どんな番組ができるのか、当初はまったくわからなかったが、酒席での話し合いの翌日から、取材チームは動き出した。さらに、犯罪・教育などの取材現場から[ワーキングプア」の問題を提起していた社会部のチームともすぐに合流し、内容は深みを増していった。
 番組は、当初「日本の貧困」という仮のタイトルでスタートした。しかし、この「貧困」という言葉の意味を巡って、様々な意見や疑問が飛び交い、テーマがなかなか決まらないという事態が起きた。
 そもそも日本に「貧困」というものが存在するのか? 「貧困」という言葉が、番組上適当であるのか? という疑問である。
 現在世界には八億人の飢餓人口が存在する、と言われている。食料の枯渇に苦しみ、明日の命をも危うい人々・・・。そうした人々の状態はまさしく「貧困」であり、「絶対的貧困」である。それに比べ、日本は、かつての勢いは失われたとはいえ、いまだに経済大国であることに変わりはない。その日本で、「格差が広がったとはいえ、『貧困』とまで言ってよいのか?」
 「世界の飢餓と比べた時、日本の現状を『貧困』と呼べるのか? もし『貧困』ではないのなら、何を番組では伝えていくのか?」
 チームでは、この点を巡って、何回も議論を繰り返した。確認したのは、まずこの番組では「日本国憲法」をひとつの指針とするということであった。

日本国憲法の第二十五条「生存権、国の生存権保障義務」

 そこには、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と決められている。このことが、今の「経済大国」の日本で守られているのか?
 国が保障しているはずの「健康で文化的な最低限度の生活」。そのためのセーフティネツトとして存在するはずの生活保護。しかし、その生活保護水準以下で暮らす、まじめに働いても豊かになれない[ワーキングプア」の人々が大量発生している現実・・・。
 「どう考えても、深刻な問題、『新たな貧困』という事態が発生している」
 これが、取材チームの共通認識となり、「ワーキングプア」というテーマヘと結びついていった。
 取材が進むにつれ、ワーキングプアの問題は、現代において、人間にとって「仕事」とは何か、「労働」とは何か、ということをあらためて問いかけている、と確信するに至った。
取材させていただいた人々はどの人も「真面目に働いる」「一生懸命仕事を深している」しかし、人々は、仕事を奪われたり、または苛酷な状況の中での仕事が続いている。
単に、生活の糧のための仕事を失うということにとどまらなかった。
それは、仕事への「誇り」、人間としての「誇り」が奪われていくことでもあった。これに関して、生活保護の問題を取材していたスタッフの報告が忘れられない。
「私が取材している人たち、ワーキングプアの人々は、ものすごく働く意欲を持っています。真剣に働きたいと考えています。そうした人々は、生活保護のほうが受け取る金が多くても、誰もそれを受けたいとは思っていません。皆、仕事をしたい、誇りある仕事をしたい、と思っているんです」

 高齢者や仕事ができない人など、本当に暮らしに困っている人たちに対して、きめ細かくセーフティネット=生活保護を充実してゆくことは、欠かせないことだと思う。
 しかし、「格差社会」や「ワーキングプア」の議論の中で、「セーフティネットの充実」ということだけが、強調され過ぎるきらいはないだろうか? それさえ充実すれば、あたかもすべての問題が解決するかのように・・・。
 「セーフティネット」が必要以上に強調されない社会、つまり、人間が人間らしく暮らせる、誇りを持って働ける社会、労働に対する正当な報酬を得ることができる社会、それこそが求められているのではないだろうか。
 『ワーキングプア』で取材させていただいた人々から教えられたのは、「仕事」「労働」は人間の尊厳、誇りであり、その「誇り」はきちんと守られなければならない、ということであった。

この本は、取材したディレクター・記者・カメラマン・音声マンが、「ワーキングプア」の人々のところへ何回も通い、ひとつひとつ事実を確かめ、今の日本の現状を伝えようと「志」を持って現場を記録したドキュメントである。
 今の日本を考える上で、ひとりでも多くの人々に読んでいただきたいと、切に願っている。
    藤木達弘(NHKスペシャル番組センター チーフ・プロデューサー)
 
 (続く)



『貧困襲来』(3)
 ●私たちにできる10のこと 5~6。

 5。計算する 
 

 日本における〈貧困〉の公式定義は「最低生活費(生活保護基準)以下で暮らしていること」だ。では最低生活費とはいくらなのか。多くの人は、それを知らない。
 〈貧困〉が見えなくされ、隠されているのは、そこに大きな原因がある。〈貧困〉を議論しようにもいったいどこから〈貧困〉かを知らない、何が〈貧困〉か、わからないからだ
前にも書いたが、生活保護の基準額は、生活保護を受けている人だけに影響する数字ではなく、私たちの生活にさまざまに影響する。これについては、03年に生活保護基準が切り下げられたときの朝日新聞記事が参考になる。
 *******
 ●多岐に渡って福祉対策の指標
 最低生活費の見通しの影響を受けるのは、生活保護の受給世帯だけではない。医療、教育、住宅など暮らしにかかわる様々な分野での低所得者対策の指標になっているからだ。
 市町村の国民健康保険には約4500万人が加入する。各自治体は低所得者に保険料などの減免措置をとっているが、対象者を決める際、「収入月額が生活保護基準額の120%未満であること」といったように、最低生活費を指標にしているところは少なくない。
 公営住宅の家賃減免をめぐっても、国土交通省は「おおむね生活保護基準程度以下の収入」を目安とする考えを明示。経済的に困っている児童や生徒に学用品などを支給する就学援助制度の運用でも、所得の上限を同様に「生活保護基準額の1.3倍以内」などと定めている市町村が目立つ。
 このほか、使用者が労働者に支払う報酬の最低額を定める「最低賃金」(都内の場合、時給708円)や、引き下げの是非が論議になった課税最低限(夫婦と子ども二人の世帯で年325万円、04年以降)の算定にあたっても、生活保護基準は比較の対象になっている。
(朝日新聞03年10月15日)
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 「生活保護なんて関係ねえや」と思っていると、いつの間にか自分の生活に関わる数字(金額)が影響を受けて切り下げられている、といったことがありえる。
 関係あるから大事、というだけではない。みんなが最低生活費(生活保護基準)を知らない社会では、〈貧困〉の議論は起きようがない。それこそが意図されている。最低生活費をみんなが知って、誰もが誰に対してもアドバイスできる社会。そんな社会が実現したら困る人たちがいる。
★〈貧困〉を隠したままにしておきたい、見えないままにしておきたい人たちだ。
 ★自治体のホームページを見てみるといい。生活保護のことは、たいてい一番わかりにくいところに置いてあり、かつ誤解を招きやすい。私が住んでいる所沢市のホームページを見てみると、生活保護のことは、トップページの項目に出ていないだけでなく、その次のサブ項目にも出てこない。「子ども、高齢者、障害者のために」をクリックして、その中に出てくるサブ項目の一番下「福祉(各種助成・補助)」をクリックして、ようやくたどり着ける。生活保護は「子ども、高齢者、障害者」のためだけの施策ではないし、助成や補助でもないのだが、あたかも働いている健常者には関係ないかのような分類をしている。しかも生活保護の項目を見ても、くわしいことは何一つ書いていない。これでは、人々が生活保護について知らなくてあたり前だ。
 〈貧困〉について知りたい、考えたいと思ったら、まずは自分の家族(世帯)の最低生活費(生活保護基準)を知ろう。国が私たちに何を保障しているのか、私たちは国にどれくらいの生活費を要求できるのか、憲法25条の生存権とはどこまでの暮らしを指すのか、それは非常に身近で基本的な権利だからだ。
 最低生活費は計算の仕方が少々複雑なので、慣れていないとすぐには計算できない。そこで、この本には最低生活費を自動計算できるエクセルソフトをつけた。住んでいる地域や家族(世帯)の人数・年齢、小中学校に通っている子ども・障害者がいるかどうかなどを打ち込んでいくと、その家族の最低生活費が計算される。家族(世帯)の収入を打ち込む欄もあって、生活保護を受けられるかどうかの判定もできてしまうスグレモノだ。これは、兵庫県弁護士会の阪田健夫弁護士がつくったもので、阪田氏のご好意により本書で使わせてもらっている。ぜひとも活用していただきたい。
 
  
 6。ぼやく

 
 つい先日、喫茶店でこの原稿を書いていたら、隣に座った20代後半とおぼしき女性二人がこんな会話をしていた。
A 「私なんか年収三〇〇万いってないんじゃないかな?」
B 「そんな少ないわけないじゃん」
A  「月収が23万よ。衝撃的だよ。ボーナスだって3.5ヶ月分だからさ。そんなもんだよ」
 (二人で源泉徴収票を見比べ)
A 「住民税が4倍だよ、4倍」
B 「ひどいよね、この国」
A 「ひどいよね、何に使われてるかわからないよね」
A 「介護保険8060円、厚生年金が1万8千円だよ」
B 「厚生年て何? 厚生年金基金? なにこれ?」
A 「なんだろね?」
B 「雇用保険て何?」
A (笑)
B 「3500円てさ、1年にすれば4万弱くらいだよね。私4年勤めたからさ、16万だよ。やってられないよ」

「ひどいよね、この国」・・・
こんなぼやきが、日本中で繰り広げられているはずだ。しかし彼女たちの会話はその後、知り合いの噂話に流れていった。この不満、このストレスを形にすること、それが難しい。現状に不満がある、社会がおかしな方向に進んでいる、その感覚はおそらく多くの人が共有している。しかし、では何かの集会に参加したり、デモに参加するかといえば、それには抵抗がある。「とてもじゃないけど、そこまでやってられないよ」というのが正直なところだろう。選挙で意思表示する、というやり方もあるが、それもどうも・・。投票して何かが変わるとは思えない。そもそも首相が変わって、政権が変わって、何か変わったことがあったか?
 
 この間、最大の抵抗は撤退することだった。飲み会などで勤め先のひどい話になると、最後に出てくるタンカは、決まって「辞めてやる!」というものだ。今、職場でできる最大の抵抗は、多くの人にとって「辞めてやる!」ことである。それ以上の抵抗(賃上げや待遇改善)は、抵抗の現実的な選択肢の中に入っていない。
 学校や社会に対しても、状況は同じだ。学校でひどいイジメがある。そのときにできる抵抗は、学校を辞めることだ。「行かなくてもいいよ」と理解ある人たちは言い、そして学校に行かなくても集まれるフリースクールをつくった。学校を含む社会全体に抵抗するには★「ひきこもる」という形を取った。ひきこもりは、生きづらい社会から身を守るための重要な抵抗形態だ。そして投票。政治に対する不信があるとき、それをあらわすもっとも一般的な方法は、反対票を投じることではなく、棄権することだった。
 「がんばりすぎるな。逃げちゃえばいい」というのが、社会のさまざまな分野でささやかれ、現代における抵抗のスローガンとなっていた。「好きでやっている」といわれるフリーターは、低所得と不安定な雇用形態が好きなのではない。会社の持っている、人を人とも思わないような使い捨ての体質、体育会のような厳しい上下関係、それらに対する抵抗として、働きながらも会社にしばられないことを「よりマシ」としているにすぎない。
 
 1人で会社に立ち向かって、もし雇用が守られ、待遇が改善されたとしても、待ち受けているのは、地下の倉庫で一日中書類の整理をさせられるようなイヤガラセだけ。膨大な労力を割いて何かを勝ち取ったとしても、それによる達成感は一時、イヤガラセは一生だ。「それでもがんばれ」とは誰も言えない。
 年金を毎月20万近く受け取っていた高齢の野宿者が、ある日モグリの宿泊所に連れて行かれ、通帳を取り上げられて、半年間「監禁」に近い状態におかれていた。彼は、ある日の明け方、見張りがトイレに行っているすきをみはからって、裸足のまま逃げ出してきた。監禁されていた住所
も連絡先もわかっている。訴えよう、と誘ってみた。応援してくれる法律家はたくさんいる。しかし、彼は拒否した。「そんなことしたら、相手に何されるかわからない」というのが最大の理由だ。監禁中、彼は一度★警察にもかけ込んでいた。しかし警察は、彼の言うことより宿泊所の経営者の言うことを信用した。逃げようとしてリンチを受けた同居人の姿を見たこともある。無事に逃げてこれたんだ。奪われた年金さえあきらめれば、またモトの生活仁戻れる・・・。彼にとってそれ以上は、現実的な選択肢とはなりえなかった。
 
 多くの人たちが「抵抗としての撤退」を選んでいく中で、会社・学校・政治・社会の中枢に残った連中はどうしたか?「お願いだから、戻ってきてください。もっと居心地のいい、意味を見出せる場所にしますから」と白旗を揚げただろうか? 残念ながら、違った。連中は見事に状況に適応した。投票率が50%程度まで落ち込んでも、彼らはあわてるどころか、残る25%ちょっとで「過半数」を取って、自分たちの都合のいいように好き放題に法律を変えていった。学校や会社から撤退していった人たちを安くこき使うための「法整備」を進めていった。撤退という抵抗形態を選んだら最後、食うに食えない〈貧困〉というところまで追い込んでいって、その人たちを「貧困ビジネス」に食わせた。
みんなが撤退するから社会保障制度も崩壊しそうだと不安を煽り立てて、一方では負担増を強い、他方で「支え合い」を強いた。学校や会社に残った人たちに対しては、「ああはなりたくないだろう?」と追い込まれた人たちの姿をダシに使い、どんな長時間労働にも、サービス残業にも、文句を言えないようにした。あげくの果ては「優遇されすぎている」と言い出して、その人たちの「安定」も切り崩そうとしている。
 
 「辞めてやる!」は、多くの人にとって最大の抵抗だったと書いたが、今はそれさえも危うくなっている。たとえば、店長から新人アルバイトまで全員が非正規という職場の中で、少ない人数で、過剰な労働をこなしている。職場ではある意味フラットな関係ができている。労働条件はひどいが、★大変なのは自分だけではない。それでもがんばっている店長をみんなで支えようとやってきた。そんな中、いくらキツくて低賃金だとはいえ、自分が辞めれば他の同僚たちに迷惑がかかる。みんないい人たちで、みんなキツイ中がんばっているのに、自分だけ逃げ出していいのか。ましてここを辞めたとして、ここよりも条件のいい職場に就職できるという見込みはない。この職場はひどい。ひどいのは百も承知だが、でも辞めるに辞められない・・・。北九州市における地域での「強いられた支え合い」同様、多くの職場でも同僚間の「強いられた支え合い」が構築されている。
 
 残れば過労死、退けば〈貧困〉といった★究極の二者択一しかないような状況が生まれている。しかも、ともに過労死しそうな者同士、〈貧困〉にある者同士に生まれる連帯感が存在し、それが巧妙に利用され、活用されている。同僚たちが、その連帯感を維持したままで、丸ごと「なんとかしろ!」と声を上げる方向に転換できるなら、それがベストだろう。しかし、そう簡単にはいかない。そうした対決型の発想は、長らく辺境に押しやられてきたからだ。対決型の発想は、一言で言って、ウケない。特殊なものと見られる。多くの人が引いていってしまう。会社と対決する前に、自分が仲間から孤立してしまう。本当の敵と闘う前に、自分自身が撃破されてしまう。
 
 過労死か〈貧困〉か。究極の選択肢の中で、どちらの極にも振れ切らずになんとか生き抜いていくこと。上手に立ち回ること。しかし、それだけが私たちの生の意味だとしたら、それはあまりにも過酷ではないか?
 まず、ぼやいてみよう。みんな不満がある。それは間違いない。ただ、そういう不満を目にする前に、不満を飲み込ませてしまう装置(自己責任論)が働いているから、「そんな甘えたこと言ってんじゃねーよ」とか「おれは今のままで十分満足だよ。別に一生ここで働こうなんて思ってないし」といった反応になってしまうだけだ。しかし、そういう人も1人になったときにふと考えるものだ、と信じよう。「そうだよなあ。いつまでもこのままじゃ、やってらんないよなあ」と。とりあえず、それが一つ。
  (続く)

 



『貧困襲来』(2)
★最終章=第7章:私たちにできる10のこと。

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 こうした状態をなんとかするために、では私たちに何かできるのか。最後に10個の提案をして、この本の結びとする。

1.自己責任論とオサラバする。

 だまされたと思って、自己責任論(自分のせいだからしかたがないという考え方)ではない考え方をしてみませんか?
 たとえば、あなたのいつも使う駅に野宿の人が寝ているとする。何人かで群れて酒を飲んでいるかもしれない。「いい気なもんだな。まったく迷惑な」と感じるかもしれないが、それは「好きで」あるいは「自堕落で」野宿している、という自己責任論を背景に持っている。そこを一度、だまされたと思って別の考え方をしてみる。野宿は、家もなく、仕事もなく、お金もない、あらゆる“溜め”を奪われた〈貧困〉状態だ。ではそれに対して行政と社会は何をしてきたか、と考えてみる。時間があれば少し調べてみる。これまでとは違った考え方があって、それなりの理屈もあることが見えてくるはずだ。
 ネットカフェに寝泊りしている若者をテレビで見たとする。「かわいそうに。あんな暮らしじゃ大変だろうな。でも、ああなる前に何か方法があったんじゃないかな?一と感じるかもしれない
が、その時あなたは「それをやらなかったからしかたない」という自己責任論を結論として持っている。そこで終わらないで、考え直してみる。
ひょっとして「貧困ビジネス」ネットにからめ取られて、身動き取れなくなっているのではないか、と。政府はその人たちに対して何かをやったか、政治の責任はないのか、と。
 障害者の人たちが推進し、広めてきた「バリアフリー」という考え方がある。ときどき誤解されているが、あれは「障害者がかわいそうだから、駅にエレベーターをつくってあげましょう」ということではない。障害者が安心して街を出歩けない社会は、不自由な社会だ。障害を持ち不自由になっているのは、障害者自身ではなく社会の側だ、という考え方にもとづいている。駅にエレベーターを設置したり、歩道の段差をなくしたり、点字板を敷きつめるのは、社会が自らの不自由さから解放されていくために必要だからだ。
 〈貧困〉に関して、私たちもこの考え方でいきたい。貧困〉は本人たちの努力が足りなかった、実力がなかった、運が悪かった、という問題ではなく、社会の側の努力の足りなさ、実力(社会力・市民力・政治力)のなさ、を物語っている。それは社会の側の責任を、何よりも政治の責任を問うている。
 〈貧困〉は自己責任論では消せない。自己責任論とオサラバしよう。〈貧困〉に自己責任論など寄せつけてはいけない。まずはそこから始めたい。

2.自分を排除しない。

他人に自己責任論を使わないのと同様に、自分自身も自己責任論とオサラバしよう。「自分は悪くない」と考えよう。そんなことを言うと、どこかの自己啓発セミナーみたいに聞こえるかもしれないし、すぐに「そんなぬるいこと言ってんじゃねーよ」と言われそうだ。しかし私は本気だ。特に現在うまくいっていない人には、とにかく「自分は悪くない」と100回唱えることをお勧めしたい。
 〈貧困〉の背景には五重の排除があり、その中の一つは「自分自身からの排除」だと言った。この理屈で言うと、〈貧困〉であえいでいる人はみんな自分を大切に思えない、自分で自分の責任と思っている人だ、ということになる。それは本当はおかしい。〈貧困〉は、本人の責任じゃない。誰かが〈貧困〉だとしたら、それを解消する責任は、政治と社会にある。だから〈貧困〉にある人こそ、真っ先に「なんとかしろ!」と声を上げていいはずだ。
 ところが自己責任論が世の中に浸透しているせいで、当の本人がなかなか「なんとかしろ!」と言えないし、また言う気力も残ってないという状態に追い込まれている。不当に不利益をこうむっている当の本人(当事者)から声が上がらないというのは、いちばん不幸な事態だ。〈貧困〉について何かを決めるにしても、当事者抜きで決められてしまうからだ。当事者運動の強い伝統を築きあげてきた障害者運動には「私たち抜きで私たちのことを決めるな」というスローガンがある。これこそ真っ当だ。
 〈貧困〉の背景に「自分自身からの排除」なんてありませんでした、とできることなら言いたい。そのためには、自分自身が自己責任論と手を切ることが必要だ。『「ニート」って言うな!』(本多由紀他、光文社新書、2006年)という胸のすくようなタイトルの本がある。私たちもそれでいきたい。自己責任って言うな! おまえの責任だろって言うな! 自分が悪いって言うな!

3。疑ってみる

 自己責任論と手を切れば、今まで目にしながら見えなかった〈貧困〉が見えてくる。いろいろなところに〈貧困〉の影がちらつくことに気づきはじめる。
 「ホームレス」、多重債務、自己破産、給食費滞納、児童虐待、「ニート」、生活困窮フリーター、日雇い派遣、自殺、犯罪・・・あらゆるものの陰に〈貧困〉が潜んでいる。ニュース報道に接したとき、友人・知人から相談を持ちかけられたとき、表にあらわれたその問題だけで完結させないで、「それは〈貧困〉原因ではないのか?」と考えてみる。これは一つの視点だ。原因はほかにあるかもしれない。さかんに言われている「モラルの低下」が原因だったということだって、たまにはあるかもしれない。しかし、新聞やテレビがたれ流す、差し出された答えとは違う答えがあるかもしれない、と疑ってみる。
 ただ「疑ってみる」と言っだけだと漠然としすぎているから、具体的に「これは〈貧困〉原因じゃないのか?」と疑ってみる。そうすると、ただ「しっかりしろよ」というだけではすまない本人の“溜め”の小ささが見えてくる。加害者が被害者であるような入り組んだ構造が見えてくる。どういう労働条件がそこに追い込んでいるのか、どういう政策がその労働条件をもたらしたのか、公的福祉は役割を果たしたのか、「貧困ビジネス」ネットに引っかかってしまった姿、などが見えてくる。ツルツルッと芋づる式に見えてくる。
 気をつけて見はじめれば〈貧困〉はいろんなところに見えてくる。〈貧困〉がどこにでもあるのは残念なことだが、事実だからしかたがない。私たちが見なくても〈貧困〉はなくならない。むしろ広がっていく。見なければ気づかず、気づかなければ社会の中に歯止めはつくられない。

4。調べる、相談する

 見るだけなら簡単と思うかもしれないが、見てしまうと責任を感じる。居心地が悪くなる。「どうしたらいいか?」という問いが出てきてしまう。自分自身の〈貧困〉に気づいたときも同じ。「じゃあこれをどうするか?」という問いにぶち当たる。それは気持ちのいいものではない。自分がその解決法を持っていないときは、とりわけ居心地が悪くなる。不安に襲われる。
 〈貧困〉には人間関係の〈貧困〉含まれている。〈貧困〉の状態に陥ったときには、すでに相談できる人を失っている場合が少なくない。社会的にも同様だ。〈貧困〉の問題に対応する団体・機関は少ない。いわゆる「社会資源」がほとんどない。だから「貧困ビジネス」がはびこる。
 少ないながらも〈貧困〉問題に対応している団体はある。しかし、人材も資金も不十分なところが多く、社会的にも十分アピールできない。テレビや新聞には出ないし、電車の中吊り広告で見ることもない。ホームページだって、そんなにヒットしない。
 たとえ〈貧困〉を見つけても、自分ひとりで抱えないといけないのだとしたら、正直重たい。向き合えない。結局見過ごす。
 だから、多少のノウハウや相談できる場所を知っておくことは必要だ。友達が「仕事を辞めたい」と話している。聞いてみたら、ひどい話だ。「それってひどくない?」と言う。それからどうする?「ひどいよね!」「そうだよね!」で終わるか、「○○ってところがあるから、ちょっと相談してみたら?」あるいは「それって××ができるはずだよ」とつなげていけるか。そこに、小さいが大きな違いがある。そういう情報を知っている人は少ないからだ。朝起きて、仕事に行って、帰ってきて、テレビを見て、メールチェックして、ネットサーフィンして、寝る。このサイクルの中ではなかなかこの手の情報に接することができない。一歩だけでいいが、一歩だけは踏み込む必要がある。そしてわからないことがあれば、そうした団体に相談してみればいい。
    (続く)。
 



『貧困襲来』(1)
★『オールニートニッポン』を紹介しながら、適宜往来しようと思って、果たせなかった、『貧困襲来』を紹介する前に、先ず、巻末の印象的な文章の引用から始めます。

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 ・・・状況は危機的である。生活保護法も労働三法も、そして憲法も、私たちの側に立つ法律はことごとく槍玉にあげられ、改変を迫られつつある。しかし、ここまで露骨に攻撃された結果として、ますます多くの人たちが今の権力者たちに見切りをつけはじめている。

 喫茶店でたまたま隣り合わせた若い女性たちの「ひどいよね、この国」という会話を本文中で紹介したが、それはおそらく日本中の喫茶店で、飲み屋で、家庭で、路上で、くり広げられている風景でもあるはずだ。しかしその声は、大手メディアには拾われないまま、過ぎ去ってしまっている。
 
 私たちはもっと怒っていい。キレていい。その怒りにフタをするものを疑っていい。そして1本の幹から千の枝が分かれていくように、その怒りを伝播させていっていい。賭けるとするならば、そこに賭けたい。連中の用意するハイリスク・ローリターンのいかさまカジノで勝ち目のない賭けをするのではなく、「生の元本保証」をする社会を自分たちの力でつくるために賭けたい。そこに希望が、なくはない。っていうか、そうでも思わなきゃ、やってられない。
 
 ★最後に、あつかましくも読者のみなさんにお願いがある。この本を読んでよかったと思ったら、地元の図書館にリクエストを出して欲しい。

 本を買うお金のない人にこそ、本当は読んでもらいたいから。

 二〇〇七年六月七日、池袋の喫茶店で。 著者・湯浅 誠
 

 以下、紹介していきます。

   





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