カウンター 読書日記 2007年08月
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『知られざる真実』を読み込む。
  29) 言論封殺のメディア・コントロール

 小泉首相の独裁的政治運営を支えたのは★政党助成金と小選挙区制度だった。従来、政治資金は派閥が集めた。各派閥はそれぞれ資金源を持った。中選挙区制の選挙では自民党は1選挙区に複数の候補者を擁立した。
 派閥は相互に牽制し合った。一派閥、が全体を制圧することはなかった。派閥間の合従連衡が繰り返された。・・・中略・・・
小泉政権は2001年の株価暴落、景気悪化に対応して国債の増発に踏み切った。国債発行額の実態は33兆円だった。会計処理を粉飾して見かけの国債発行額を30兆円にとどめた。当初の政策方針を変更し、国債発行30兆円の公約は実質的に破棄された。政策の大敗を認めず、正しい指摘をした者を「借金中毒に陥っている」と臆面もなく罵倒する。これが小泉首相流の弁論術だった。
メディア・コントロールについては、第二章で詳論する。「NHK問題」も重大なテーマだ。三つの事例を示す。2002年ころから「デフレ」という用語、が頻繁に聞かれるようになった。「デフレ」とは不況、資産価格下落、金融不安を総称する表現だ。一般物価は下落していた、が、当時の実情は「大不況」か「金融危機」だった。用語の発信源は政府=財務省だったと思う。
 「デフレ」の第一義はデフレーション=物価下落だ。物価に責任を負うのは日銀だ。病名が「デフレ」=物価下落なら担当医は日銀で、発病の責任も治療の責任も日銀が負うべきとなる。大不況発生の真犯大は政府=財務省だ。「デフレ」という用語を流布して日銀に責任を転嫁したのだ。深謀遠慮の下に「デフレ」が流布されたと思う。
 「デフレ」の流布に尽力したのはNHKだ。ニュースで「デフレ」を繰り返した。国民は「デフレ」だと思うようになった。二冊の本が発売された。幸田真音著『日本国債』(講談社、2000年)とリチャード・ヴェルナー著『円の支配者』(草思社、2001年)だ。前者は日本財政が危機的状況だと訴える経済小説、後者は経済危機を生み出した主犯が日本銀行だと主張する経済書だ。テレビの報道番組でコメンテーターが宣伝した。メディア・コントロールの一環だ。
 財務省が世論操作にあらゆる方法を用いることを私は熟知している。本の宣伝広告も常套手段だ。リチャード・ヴェルナー氏は短期金融市場の日銀資金(=ベースマネー)と経済・金融変動との因果関係を重視し、日銀の資金供給収縮がデフレの原因だと主張した。この見解は量的金融緩和解除後の経済安定によって否定された。彼らは量的金融緩和を解除すれば株価が大幅下落すると主張した。事実が主張を否定した。
 NHKは「デフレ」をタイトルに冠する特別番組を何度も放送した。サブリミナル効果を狙ったとも言える。私はNHK日曜討論に頻繁に出演した。日曜朝9時から1時間の生番組だ。NHK政治部は週半ば、出演候補者に討論テーマについての意見を聴取する。週末に出演依頼が通知される。番組では主賓格の出演者が司会者上手に着席する。通常は主賓に賛成の論者が上手に、反対論者が下手に着席する。政治討論では与党が上手、野党が下手だ。
 番組のからくりを知った。番組の全体像は出演者を決定する段階で確定する。局は出演者の主張と力量を把握して出演者を決める。司会者が論議を誘導する。論議の流れは事前に予想できる。出演者の構成で結果を操作できる。
 U字形テーブル中央にランプがある。ランプは発言開始1分で点滅、1分15秒で点灯になる。出演者には「1回の発言は1分以内」のルールが説明される。ルールを守らない論者がいる。主賓の長時間発言は司会者が容認することが多い。
 小泉政権任期中に二度出演した。政府が苦境に立った局面では呼ばれなかった。事態が一時的に改善して、政府がアピールしたい局面でだけ招かれた。主賓は竹中経財相と本間正明経済財政諮問会議議員だった。私を攻撃しようと考えたのだと思う。
 視聴者は日曜討論が中立公正な討論番組と誤解するが問違いだ。政治討論では政党が中立公正』を求めるので問題が少ないが、経済の討論ではNHKが政府に強く配慮する。山本孝氏の司会は公正・中立だった。後任の影山日出夫氏は政府への配慮を露骨に示すことが多かった。NHKへの小泉政権の圧力が強くなっていることを実感した。
 フジテレビの報道2001にも出演した。番組ディレクターから政府閣僚が出演する際にコメンテーターの人選について要請が多いと聞いた。番組は閣僚出演を実現するために要請を受け入れるそうだ。中立・公正な番組作りは難しい。

30)  竹中氏の抗議
 第三は竹中氏からの圧力だ。竹中氏は経済誌のインタビューで「一番嫌いなのはタブロイド紙」と答えたという。タブロイド紙とは「夕刊フジ」「日刊ゲンダイ」などの夕刊紙だ。私は夕刊フジに『快刀乱麻』というコラムを連載した。竹中氏はこれを嫌った。
 私は小泉政権の発足時からコラムでも経済政策を批判した。金融不安拡大のなかで緊縮財政と企業の破綻処理が推進され、株価や地価暴落、景気悪化が放置された。日本経済の先行きを懸念した。
 アフガニスタンではタリバンと呼ばれる革命勢力が世界遺産を破壊した。日本の経済政策がこのまま維持されればタリバンの政策になると書いた。担当者が「タリバン」の見出しを付けた。竹中氏はこれを不快に思ったようだ。
 勤務していた研究所の担当常務から呼び出しを受け、コラムの表現を緩和するよう指示された。文筆活動に介入しない上司だった。企業に申し入れがあったのだ。
 テレビ東京・「ワールド・ビジネス・サテライト」のレギュラー・コメンテーターを1992年10月から2004年3月まで11年半務めた。竹中氏も小泉政権発足時までコメンテーターを務めた。小泉政権発足後も竹中氏はゲストとして何度か出演した。私が同席したこともあった。番組終了後に控室で竹中氏、キャスター、プロデューサーと雑談したとき、竹中氏が「東京でITサミットを開きたいと思っている」と話した。翌曰、TBSは「東京でITサミット開催」のニュースをスクープ報道した。マスコミヘの情報リークの現場を目撃した。
 TBSのプロデューサーから警告を受けた。竹中氏が、私が竹中氏の人格攻撃をしているので、私がTBSのレギュラー・コメンテーターを降りない限り番組に出演しないと通告してきたと言う。番組としては竹中氏の出演を強く希望しているとのことだった。テレビ東京は小泉政権を全面支援する曰本経済新聞社の子会社だ。私は「政策批判をしているが、人格攻撃をしていない」と答えた。
 結局2004年4月の出演を最後に降板することが決まった。最後の出演直前に2004年4月の事件が起こった。竹中氏はその直後に参議院選挙への出馬を表明し、TBSに再び出演するようになった。その竹中氏は2006年9月15曰、私が今回の事件に巻き込まれた2曰後に、参議院議員を辞職することを表明した。
 ******************
第1章  偽装     <完>

  以下、二章、<炎>・・・自伝的エッセイ
     三章、<不撓不屈>・・信条表明
     巻末資料・・ と、興味深い文が続くが、略す。


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『知られざる真実』を読み込む。
  27) 濫用される権力

 第五の問題は権力の濫用だ。米国の大統領制度と日本の議院内閣制度。一般には大統領の権限が内閣総理大臣よりも強大だと思われがちだ。米国大統領は選挙で選ばれる行政の最高地位だ。大統領の権限は強大だ。大統領のスタッフは大統領交代と同時に入れ替わる。政治任用(ポリティカル・アポインター)と言う。
 米国では大統領府から独立して議会が設置されている。議員は選挙を通じて国民に選出される。大統領は議会決定に拒否権を待つが、上・下両院が三分の二以上の多数で再可決すれば議会決定が効力を発揮する。閣僚や最高裁判事の承認権は上院が握っている。議会は大統領を罷免する権限を有する。大統領の弾劾は下院が訴追し上院が審判する。
 米国の大統領制では行政府の大統領府と立法府の議会が相互に牽制する。権力の抑制、チェック・アンド・ハランスが重視されている。
 日本の「議院内閣制度」は間接民主主義制度だ。国民は選挙で議員を選ぶ。大衆動員型で情緒的な政治に陥りやすい直接民主主義の弊害を除去することが議会制民主主義の本来の目的だ。職業専門家である政治家を国民が選出し、政治家が専門的な論議を深め、少数意見を尊重しながら討論と説得を通じて政治決定を行う。これが議会制民主主義のメリットだ。
 大統領制と異なるのは「議院内閣制」が権力を「抑制」でなく「創出」する点だ。内閣総理大臣は議会の選挙で選ばれる。通常は議会多数政党の党首が就任する。総理大臣は行政の最高地位だ。「議院内閣制」では議会(立法府)と内閣(行政府)とが表裏一体をなす。首相が議会多数派の代表だからだ。だが、首相が権力を濫用すると独裁制に陥るリスクがある。
 首相が権力を濫用すれば与党内部から反発が生じる。党首は「話し合い」によって問題を解決すべきだ。党首が絶対権力を振り回して反論を認めないなら民主主義は崩壊する。民主主義を基礎に置かない政党も存在はするが望ましくない。
 小泉首相は独裁的な行動を強めた。小泉首相は反論を排除するために三つの手法を活用した。イエスマン登用、敵対勢力分断、大衆扇動だ。イエスマン登用と敵対勢力分断に人事権をフル活用した。大衆扇動のためにメディア・コントロールを強めた。小泉首相の示す「改革」は意味や内容が不明確だった。それにもかかわらず自民党議員を「改革派」と「抵抗勢力」に色分けした。国民はメディアが演出するデマゴギーに従ってしまう。スターリンやヒットラーも民衆扇動家で国民の熱狂的支持を創出して恐怖の独裁政治に突き進んだが、小泉首相にも共通点があったと言える。
 カール・シユミット氏は「「敵か味方か」の政治は分かり易いけれども、議台制民主主義は機能不全に陥ってしまう」と述べる。佐伯啓思氏は「小泉首相は大統領型の人気主義という爆薬を、議院内閣制という間接民主主義の制度の中に埋め込んだ」(『表現者』、2006年11月号、既出)と述べた。
 米国は直接的選挙で大統領を進出する制度を採用している。デマゴギーを多用する民衆煽動家が大統領に就任するリスクがないか気になる。だが、米国は権力の暴走を防ぐさまざまな仕組みを制度に埋め込んでいる。大統領府と議会の相互牽制もそのひとつだ。
 米国の大統領選出は曰本の知事選挙の方式で実施されていない。共和党と民主党が予備選挙で大統領候補者を選出する。そのうえで大統領選挙が実施される。細かく言うと国民が選出するのは各州の選挙人だ。州ごとの勝敗で各州選挙人を候補者が総取りする。全米で多数の選挙人を獲得した候補者が大統領に就任する。
 2000年の大統領選ではフロリダ州の勝敗が鍵を握り、開票やり直しが話題になった。ブッシュ現大統領が選出されたが民主党のアル・ゴア住補の全米得票数はブッシュ氏を上回った。米国に在住した1996年に大統領選挙があった。現職クリントン氏と共和党ボブ・ドール氏との戦いだった。
大統領候補者のテレビ討論を見た。投票決定に最も影響を与えると言われるのがテレビ討論だ。スタジオには無作為抽出された有権者が招かれる。各有権者は質問をひとつ用意する。司会者が無作為に質問者を指名する。候補者はスタジオ中央で質問への見解を述べる
時間は秒単位で管理される。候補者は手元質料を許されない。すべてを自己の能力で対応しなければならない。真剣勝負だ。テレビ討論、が決め手になることが多い。厳格なルールと厳格な運営で実施されるテレビ討論は候補者のすべてを有権者にさらけ出す。知力、判断力、話術、機転、人格のすべてが試される。凡人や変人、が大統領に就在することはないと思う。


 28) 蔑視されていた国民

 小泉政権の高支持率はデマゴギーとメディアの偏向報道によって生み出された。小泉首相は利用可能な権力を全て使用して独裁的に政治を運営した。小泉首相が人事権をふりかざしたため、損得を重視する人は権力に擦り寄った。多くの国民は操作された情報に誘導されて小泉政権を支持した。
 2005年6月21日の衆議院「郵政民営化に関する特別委員会」で民主党の五十嵐文彦議員が質問に立った。郵政民営化についての1億5000万円規模の政府広報業務が★「有限会社スリード」という竹中郵政担当相の秘書官が関係していると見られる業者に競争入札でなく★随意契約で発注されたことが問いただされた。
 政府広報は「郵政民営化ってそうだったんだ通信」と題する新聞折り込みチラシの製作と配布だった。チラシは2005年2月20日に大都市圈を除く、全国の約1500万世帯に配布された。政府広報業務は本来、競争入札に付されなければならない。だが、契約は「随意契約」で、「随意契約」になった経緯が不自然だった。
 2005年6月23日に民主党の中村哲治議員が重要な事実を指摘した。有限会社スリードが2004年12月15日に提示したとされる「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案))」が示された。ここにはグラフが記載されていた。タテ軸がIQ (知能指数)、横軸が構造改革への肯定、否定かの度合いを示した。下半分のIQの低いゾーンが四角で囲まれ、「小泉政権支持層=B層と記載された。内容は「主婦層と子供を中心、シルバー層」で「具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層、内閣閣僚を支持する層」と説明された。
 資料下部に大きな文字で「B層にフォーカスした、徹底したラーニングプロモーションが必要と考える」と総括されていた。この企画に基づきB4サイズ、二つ折り4ページ・フルカラーの「郵政民営化ってそうだったんだ通信」という祈り込みチラシが1500万世帯に配布された。
チラシの1面には竹中氏とテリー伊藤氏の全身写真が掲載され、
テリー氏:「竹中さん、郵政民営化って僕にもよくわからんのよ。ちゃんと説明してよ。」
竹中氏:「よろこんで’・(笑)郵政民営化って、わたしたちの町と暮らしを元気にする、そのためのもの
L、テリー氏:「え!‥ それ、おもしろそう、もっと詳しく聞きたいな。」
の会話が記載された。
 2005年9月11日実施の総選挙が「郵政民営化賛成か反対かを問う選挙」と位置づけられたことを考えると、折り込みチラシは自民党の選挙運動の意味を兼ねたことになる。民主党、が委員会に提出したスリード社と竹中氏秘書官とのやり取りを示すとした文書によると、対談者の第一候補をテリー伊藤氏としたのは大臣の意向だった。
 国民をIQで分類し、政権支持層をIQの低い層と認識し、IQの低い層にターゲットを絞ったPR戦略、が実行されたことになる。メディアが問題を真剣に取り胤げたなら政権は吹き飛んだはずだ。だが、メディアは国民を侮蔑した世論操作に血道をあげる小泉政権を糾弾しなかった。






『知られざる真実』を読み込む。
 26) 露見した郵政米営化の実態 

  米国の対日金融戦略はしたたかで長期的視点に立った(ものだった)。日本の外国為替管理法(外為法)改正から32年、「日米円ドル委員会」から23年、「日本版金融ビッグバン宣言」から10年が経過した。米国にとっては2000年代に入ってからの6、7年間が本格的な収奪期になった。生保、損保、証券、銀行、消費者金融が次々に収奪された。旧長銀の買収、再上場は象徴的事例だが、氷山の一角に過ぎない。米国資本は暴落した不動産、銀行が損失処理を終えた不良債権を破格の安値でまとめ買いした。
 日本企業の資本力が枯渇したなかで、「ハゲタカファンド」は安心して日本を買い漁った。「安心」の根拠は彼らが入手した極秘情報にあったと考えられる。「ハゲタカ」は6、7年で売り逃げる「出口戦略」を描いて日本買占めを実行した。彼らはいま「収穫祭」を迎えている。
 最後の標的が★「郵貯・簡保」と★「医療保険」だ。1993年のクリントン米大統領・宮澤首相会談の結果、「対日年次規制改革要望書」が生み出された。94年以来、毎年発表されてきた日本の制度改革に関する米国政府の要望書だ。その全文を米国大使館HP(ホームページ)で閲覧できる。文書の存在は関岡英之氏の著書『拒否できない日本』(文春新書)によって世に知らされた。
 「規制改革要望」と「郵政民営化政策」の関わりを私も指摘した。2003年、2004年の年次改革要望書で米国が最も強く要求した項目が「郵政民営化」だ。規制改革要望書は露骨な内政干渉の文書だ。植民地支配を彷彿とさせる。
 米国は350兆円の郵貯・簡保に狙いを定めて収奪に乗り出した。日本には郵政に「私的怨念=ルサンチマン」を抱く小泉純一郎首相が在任していた。小泉首相は政治活動の大半を「大蔵族」議員として行動した。★「郵政民営化」は大蔵族議員の庇護下にある銀行業界の永年の悲願だった。「郵政民化」は小泉元首相の私的怨念、銀行業界の熱望、米国の対日金融収奪戦略の「三位一体」の意志によって推進された。
 日本と米国との間で郵政民営化法案の詳細を詰めるために18回もの会議が重ねられた。5回は日本の官僚の会議に米国の保険会社幹部が同席してのものだったという。関氏によれば、米国の保険会社は★とりわけ日本の簡易保険に強い関心を示した。
 竹中平蔵氏の経済相兼金融相から経財相兼郵政民営化担当相への横滑り人事は2004年9月の内関改造で実行された。竹中氏の推進した経済政策は日本経済を金融恐慌の瀬戸際へ追い詰めた。小泉政権は最終的に公的資金による大銀行救済という★「禁じ手」を用いて危機を脱した。米国金融資本は一連の経過のなかで巨大な利益を確保したが、日本政府と米国金融資本が連携した可能性が高い。米国金融資本は標的を郵政民営化に移した。米国の意向を受けて竹中氏の人事が実行されたと思われる。
 民主党の櫻井充議員は2005年8月2日の参議院郵政民営化特別委員会で指摘した。竹中氏が2004年9月の内閣改造で経財相兼郵政民営化担当相に就任したことについて、10月4日付で★米国通商代表ゼーリック氏が竹中氏に祝いの信書を送った。
 ゼーリック氏は竹中氏に「以下の点て丁重に貴殿を後押しいたします」と記した。具体的には「2007年の民営化開始時から、郵便保険と郵便貯金業務に対する保険業法、銀行法の下での同様の規制、義務、監督、完全な競争、競争条件の平等が実現するまで新商品、商品見直しは郵便保険、郵便貯金に認めてはならず、平等が実現された場合にはバランスある形で商品が導入されること。新しい郵便保険と郵便貯金は相互補助により利益を得てはならないこと。民営化過程においていかなる新たな特典も郵便局に対して与えてはならないこと。民営化の過程は常に透明で、関係団体に自分たちの意見を表明する意義ある機会を与え、決定要素となることとする。」と記された。★米国の指示が臆面もなく示されている。
 横井充議員は、政府の郵政民営化準備室が米国政府関係者並びに保険業界幹部と合計18回の会合を重ねたことを指摘した。ゼーリック氏の信書には、「今日まで私たちの政府がこの問題について行った対話を高く評価するものですし、貴殿が郵政民営化での野心的で市場志向的な目標を実現しようとしていることに密接な協力を続けていくことを楽しみにしております。貴殿がこの新たな挑戦に取り掛かるときに私が助けになるのであれば、送慮なくおっしゃってください。」と記された。郵政民営化法案が★米国の強い意向を反映して策定されたことが分かる。

 郵政民営化法案が米国の意向を反映して策定されたのは間違いない。特定郵便局ネットワークは存続が義務化されなかった。民営化後に不要な部分が削ぎ落とされ、うまみのある部分だけを接収すれば巨大な利益を得ることができる。350兆円の巨大な資金も標的だ。
 国民は「郵政民営化」の裏事情を知らずに「郵政民営化賛成=改革勢力」、「反対=抵抗勢力」という「デマゴギー」を鵜呑みにした。
日本人は嘘話という意味でデマという言葉を使うが、これはデモクラシーのデモと同じで「民衆」という意味を持つ。西部邁氏は「ギリシャ・ローマの時代から、デモクラシー=民主主義政治にはデマゴギーが付きまとうというのは常識だった。民衆が前面に出て暴れまくる時代というのは、大なる可能性でデマゴーグが出る。民衆扇動家という意味だが、扇動するためには嘘をつくことが多いから、デマ=嘘ということになった」(「座談会・日本の指導者像」『表現者』、2006年11月号イプシロン出版企画)と指摘する。
西部氏は「ギリシャ・ローマの昔から、デモクラシーはデマゴギーに振り回されるという根強い傾向があった」とも述べる。
 郵政民営化に反対する議員を「抵抗勢力」と名付け、党から追放して刺客を放つ。亀井静香氏も「競技場で人とライオンを闘わせて、ライオンが人を食いちぎって殺すのを、ローマ市民が歓喜の声を上げて見ていた。今の日本の状況とよく似ている。」(前出座談会)と述べる。小泉政権の下で、ひたすら大衆の欲望と熱狂に訴える政治が繰り広げられた。
 小泉政権の政策の底に「米国の利益」という水流が流れた。小泉政権は日本国民の幸福を犠牲にして米国の利益増大を追求したと判断できる。日本の為政者は日本国民の幸福を追求するべきだ。同時に政治は弱き者のために存在することを忘れてならない。




『知られざる真実』を読み込む。
 25) 外国資本への利益供与

  かつてジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ヴォーゲル氏)と言われだ日本だが、バブルが崩壊した、90年代以降、日本の重要性が低下の一途を辿った。日本の金融力が増大し、日本が米国資産を買い占めた80年代後半は「ジャパン・バッシング=日本叩き」が喧伝されだ。
 90年代に日本の力が衰えると、クリントン大統領は訪中の際に日本に立ち寄らず、「ジャパン・パッシング=日本素通り」と表現された。さらに日本への関心喪失「ジャパン・ナッシング」と言われるまでになった。

 こうしたなかで米国が熱いまなざしを注ぎ続けた分野がある。日本の金融市場だ。1996年時点で★日本の個人金融資産は、1200兆円存在した。その55%、700兆円、が預貯金で滞留していた。米国個人金融資産に占める預貯金の比率は20%だった。米国は日本の金融市場を「宝の山」と見抜いた。
  米国の対日金融市場攻略は75年の日本の外為法改正を伏線として1983年に始動した。83年10月に来日したレーガン大統領は日本の金融市場自由化を求め「日米円ドル委員会」が設置された。84年以降、日本市場の自由化が急速に進展した。米国が本格攻勢に転じだのは96年だ。橋本首相は11月に「日本版金融ビッグバン」の構想を発表した。キャッチ・コピー「フリー・フェアー・グローバル」は米国証券会社幹部から首相秘書官に渡されたメモにあった。
 米国は1997年の橋本政権の大増税政に強く反対した。私は1996年10月にニューヨーク、ワシントンを訪問して確認した。ブラインダー・プリンストン大教授(96年1月までFRB副議長)とも面談した。だが、米国政府は97年3月5日に日本の政府予算案が衆議院で可決されるまで、すべての対日政策批判を封印した。私は2月20日に衆議院予算委員会公聴会で大増税政策に反対する意見を表明した。
 日経平均株価は96年12月19日に2万円を割った。橋本政権の経済政策が「セル・ジャパン=日本売り」を招いたと攻撃された。橋本政権を救済したのは米国だった。1月30日、グリーンスパンFRB議長が、「日本は悲観的になり過ぎている」とのコメントを発表した。コメントで株価が反発し、橋本政権は教われた。米国は「日本版ビッグバン」を推進する橋本政権の崩壊を回避したかったのだ。
 90年代末から2000年代前半にかけて、米国は収穫期を迎えた。米国の日本底値買い戦略に全面協力したのが小泉政権だ。二枚目のグラフを示す。1990年の株価を100とすると2003年4月の日本の株価は19、米国の現在の株価は500だ。10~13年の期間に日米の株価は1対1から1対20に変化した。この状態で日本市場を全面開放した。
 資本力を増大させた米国金融資本が日本進出を本格化した。日本企業は資本力が枯渇し瀕死の状況に陥った。この状況下で小泉政権は海外諸国に「対日直接投資倍増計画」を約束した。日本政策投資銀行が外資系ファンドに資金支援までして外国資本の「日本買い取り」を促進した。
 
 日本市場の自由化、開放政策は方向として間違ってはいない。しかし、★★日本の国益を考慮すれば、日本経済の再建を優先し、日本企業の財務上の体力が回復した段階で市場開放するのが正しい。小泉政権は日本経済の悪化を誘導し資産価格を暴落させたうえで、外資系ファンドの日本侵略を全面支援した。明治政府は政商に官業を払い下げて財閥を生み出した。小泉政権は外国資本に優良な日本企業と不動産を破格の安値で提供した。「国を売る」政策姿勢だった。
外国資本が安心して「日本の底値買い」に踏み切れた鍵が「1・3・5の秘密」に隠されていた。金融恐慌が発生しては大損失が生じる。「1・3・5の秘密」を掴み、2003年5月以降の資産価格上昇のシナリオを念頭に入れて底値買いを進めたのだと思う。★★「1・3・5の秘密」は米国資本が「つかんだ」情報ではなく、日本政府に「持ち込んだ」情報だった可能性が高い。
 
 「1・3・5の秘密」も「フリー・フェアー・グローバル」同様に米国の智恵だったと考えられる。日本の優良実物資産の所有権が大規模に、かつ破格の条件で外国資本の手に渡った。全国のリゾート施設、ゴルフ場の大半が外国資本の所有物になった。リップルウッド、ローン・スター、コロニー・キャピタル、カーライル、サーベラス、KKR、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス等の外資系金融資本が日本の優良実物資産を破格の値段で取得した。象徴的なケース、が旧日本長期信用銀行の買収、再上場だった。
 日本長期信用銀行は1998年10月に破綻した。政府は98年3月末時点の長銀の自己資本比率を10%超と認定し健全銀行として取扱った。その長銀が破綻した。最終的に8兆円もの公的資金が投入された。
 旧長銀の売却は見かけ上は「競争入札」によった。複数の購入希望者が名乗りをあげた。その中に「リップルウッド」という米国の投資ファンドがあった。
 私は1993年から96年にかけて米国スタンフオード大学フーバー研究所で客員フェローを務め、帰国後、2003年まで野村総合研究所の主席エコノミストを務めた。米国には3か月に1度、ニューヨーク、ワシントンを訪問した。政府要人、金融専門家、エコノミストと情報交換するためだった。
 米国の首都ワシントンD.C.には経済政策に関する政策当局の極秘情報を扱うコンサルティング企業がいくつか存在する。FRB元最高幹部などが企業を設立していた。取り扱う「コンフィデンシヤル情報」の対価は驚異的に高額だ。月に2、3度送られるA4用紙2、3枚のメモだけで年間情報料金が2000万円だったりする。契約にはカテゴリーがあり、最上位の契約では顧客の要請に基づいて調査が行われるが年間費用が数億円になることもある。政府要人との面談設営なども業務に含まれる。広い意味でロビイストの活動と言える。
 大手金融機関の金融取引は数千億円から兆円単位で行われる。損益も千億円単位で変動する。機関投資家はワシントンやニューヨークの「コンフィデンシャル情報」を必死に入手しようとする。情報会社の格好の顧客になる。
 私もコンサルティング企業との関わりが深かった。旧長銀が入札に掛けられた1999年夏、ワシントンでこの問題を調査した。旧長銀の落札先が「リップルウッド・ホールディングス」という米国投資ファンドに内定したことが判明した。
 
 帰国して旧長銀の売却先決定を注視した。9月28日、金融庁は旧長銀の譲渡先をリップルウッド・ホールディングスにすると発表した。官製談合の摘発が絶えないが、長銀のリップルヘの売却決定には不透明な部分が多い。価格銀争入札は借入希望者が提示する落札希望価格のなかで最も高い価格を提示した業者に売却する仕銀みだ。リップルウッドが提示した条件が日本政府にとって最も有利でなければならない。だが、事実は異なる。

 リップルウッドの旧長銀購入条件が日本政府にとって★最も有利なものではなかったことが発覚した。旧長銀の処理に政府は8兆円もの公的資金を注ぎ込んだ。旧長銀を政府はリップルウッドにわずか10億円で売却した。(八千倍)リップルウッドは1200億円の自己資金を投入し、旧長銀を「新生銀行」に名称変更して2004年2月19曰に再上場させた。再上場時の株価初値は872円で時価総額は1兆1235億円になった。★★1200億円の元手がわずか3年11か月で1兆1235億円になった。濡れ手に粟だ。
 リップルウッドの旧長銀購入に「特殊な条件」が付いていた。また、政府はかなり強引に新生銀行の上場を容認した。「特殊な条件」とは★★★「瑕疵担保条項」のことだ。木村剛氏は2000年5月の著書『通貨が堕落するとき』(講談社)に「瑕疵担保条項」について詳述した。「そごう危機」が表面化して旧長銀売却に伴う「瑕疵担保条項」が明るみに出たのは2000年6月だ。木村氏は早くから瑕疵担保条項の問題点を指摘した。
 ★条項は新生銀行が引き継いだ資産が貸出先企業の倒産・不振などで目減りし、3年以内に2割以上の損失が生じた場合、国(預金保険機構)がその債権を簿価で買い戻すことを約束したものだった。この条伴が付されれば、銀行は状況の悪い融資先を意図して破綻に追い込むことになる。融資先の状況が悪化して融資債権の時価評価が2割以上下落すれば、曰本政府が債権を簿価で買い取ってくれる。★★「そごう危機」の表面化によって付帯条項が明るみに出た。「そごう」に債権をもつ金融機関が新生銀行に資金負担を求めた際、新生銀行が「瑕疵担保条項」を根拠に追加資金負担を拒絶したからだ。
 新生銀行が追加資金負担を拒否したのは当然だ。「瑕疵担保条項」を保持しているから、「そごう」が破綻しても新生銀行は損失を蒙らない。逆に破綻すれば資金を確実に回収できるから破綻を希望する。そごう、が破綻すれば曰本政府が損失を補填してくれる。問題は旧長恨の売却先が適正に決定されたかだ。買収希望業者がいかなる条件を提示したか。国会で論議はあったが情報が十分開示されていない。
 リップルウッドが提示した瑕疵担保条項付きの買収条件は曰本政府にとって「最も有利な条件」でなかった。長銀買収に名乗りをあげたのは、リップルウッド、JPモルガン・オリックス、中央・三井信託銀行、パリバ銀行の4グループだった。最終的にリップルウッドと中央・三井信託銀行に絞られ、中央・三井信託は公的資金による5000億円の支援を求めたという。金融再生委員会が難色を示し、リップルウッドが公的資金負担額3000-5000債円を提示した結果、落札を手中にしたという。だが、リップルウッドの条件には「瑕疵担保条項」が付されていた。これを含めるとリップルウッドヘの落札は適正でなかった可能性が高い。

 リップルウッドには米国の政界大物が深く関与した。クリントン政権の財務長官だった★ロバート・ルービン氏もリップルウッドの社外取締役に名を連ねた。ルービン氏は米国のゴールドマン・サックス証券の会長を務めたことがある。政府は旧長銀売却に際してゴールドマン・サックスをアドバイザーに選定し6債円もの対価をゴールドマンに支払った。ゴールドマンは政府に「瑕疵担保条項」のリスクを忠告する義務があったはずだが、実行しなかった。

 新生銀行は2004年2月19日に東京証券取引所に上場した。上場申請から審査、承認までの手続きは★異例の早さで実行された。しかし、旧長銀がリップルウッドに売却された経緯が不透明で、国の債務負担行為としての適正性を欠いていること、および新生銀行が抱えている訴訟案件についての投資家への説明が不十分であることから、上場容認に異論が噴出した。
 2004年2月17日の衆議院予算委員会で、民主党の中津川博郷(ひろさと)議員が質問した。瑕疵担保条項適用の実態も追及した。新生銀行は瑕疵担保条項を最大限に活用するために激しい「貸しはがし」を実行した。7兆7000債円の貸出債権が3年間で半減したという。321の企業が追い込まれ、債権額で1兆1,702債円が預金保険機構に持ち込まれ、機構は8530債円を支払った。日本政府の負担は激増した。この負担が旧長銀落札時点で検討されねばならなかった。
 しかし、★論議が十分に尽くされぬまま政府は「新生銀行」の上場を容認した。★政府責任者は竹中金融相だった。
 米国は90年代後半から2000年代前半にかけて日本収奪を加速させた。日本の生保、担保が次々に外資系企業に変身し、米国資本は大銀行、大手証券を次々に手中に収めた。
 1998年12月に破綻した日本債券信用銀行は「あおぞら銀行」に改称したのち、2003年9月に米国資本サーベラスに渡った。東京の地域銀行だった東京相和銀行は米国系投資ファンド「ローンスター」に渡った。小泉政権が日本の優良経済資源を破格の安値で米国に売り渡すことに全面協力したのは紛れもない事実だ。

26) 露見した郵政米営化の実態 へ続く。




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 24) 米国隷属の外交

 第四の問題は外交姿勢だ。「強い者につく」か「信念を貫く」か。二つが矛盾しなければ葛藤は生じない。だ、が、二つが乖離する時の選択は難しい。
 日本の安全は米国に守られる面が大きい。この意味で米国を大切にせざるを得ない。だが、米国はブッシュ現大統領の時代に横暴になった。イラクのフセイン政権は米国が強化した政権だった。更迭されたラムズフェルド前国防長官、がサダム・フセインイラク大統領とにこやかに握手をかわす映像がテレビで繰り返し放映された。イランと対立を深めた米国、がイランの対立国イラクを全面支援した。
 その米国が1990年以降、イラクを攻撃した。背景に米国の石油戦略がある。世界最大の原油埋蔵地帯である中東の支配は米国の最重要国家戦略だ。ソ連が崩壊し世界は米国の一極体制に転じた。米国は突出した軍事力を背景に米国の価値観を他国に強制するスタンスを強めた。ネオコン」と呼ばれる保守主義勢力が台頭した。
 コフィ・アナン前国連事務総長はイギリス・BBC放送でイラクの現状について「残忍な独裁者がいても今よりましだと国民が考えるのは理解できる」と語った。米国は最終的に国連での合意を形成せずにイラク攻撃に踏み切った。
 小泉首相は直ちに米国の武力行使支持を表明した。米国の大義名分は「イラクが大量破壊兵器を保有している」ことだった。小泉首相も国会で論弁を弄した。しかし、イラクで大量破壊兵器は発見さイラクの首都、ハグダッドでサダム・フセインの彫像が引き倒され、市民が歓喜に沸く映像が何度も放映された。だが、★★映像は誇張されていた。歓喜に沸く市民は広場中心のわずかな人数だった。米軍の攻撃で犠牲になったイラクの一般市民の映像は米国の検閲で配信されなかった。

 岡野弘彦氏は「バグダッド燃ゆ」でこう詠んだ。
「 砂あらし 地を削りてすさぶ野に 爆死せし子を 抱きて立つ母 」。
岡野氏は「若者に死を強いる戦争は人類の自殺ですよ」と述べた。小泉首相は米国のイラク攻撃支持を表明した時にイラクに暮らす人を想像しただろうか。
 安全な場所にいて戦争を指揮することは容易だ。沢木耕太郎氏はクリント・イーストウッド監督映画「父親たちの星条旗」に込められた真のメッセージが「戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから」ではないかと記した(朝日新聞2006年11月6日夕刊「銀の森へ」)。クリント・イーストウッド監督はこう語った。「ずっと前から、そして今も、人々は政治家のために殺されている。」

 戦争のない社会は幻想かも知れない。しかし平和主義を憲法に明記する日本こそ、戦争回避に最大の努力を注ぐべきと思う。外敵から身を守るための自衛力は必要だ。核兵器が現実に存在する限り、米国と同盟関係を結ぶことは現実的選択と言わざるを得ない。
 しかし、日本は世界で唯一の被爆国として核兵器廃絶に力を注ぐべきだ。米国の圧倒的な核軍事力の存在が核の世界的拡散の一因だ。包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を米国に求めるべきだ。ブリスク国際原子力機関IAEA)前事務局長も同様の指摘をした(朝日新聞2006年11月25日)。
 米国が日本にとって最重要の国であることは、日本が米国の言いなりになるべきことを意味しない。日本は良心と尊厳を失うべきでない。小泉首相は2006年6月に訪米した際に、エルビス・フレスリーの旧宅を訪問し腰を振って踊った。国賓として来日し石原裕次郎記全館でモノマネをして踊る外国元首はいない。批評家のビル・トッテン氏はデレビで、「ローマ帝国の時代、白人社会には貴族がパーティーで素直な奴隷を皆に紹介する習慣があった、が、それに習ったのでは」との辛辣なコメントを発した。小泉政権時代の日本外交は「隷属外交」だった。

 ★★2001年9月11日の同時多発テロには謎が多い。国防総省(ペンタゴン)に旅客機が突入したと報じられたが、破壊された建物の突人口は旅客機の幅よりも小さかった。満タンの燃料が燃え尽きたと言われたのに、突入口の断面に焦げていない電話帳が置かれていた。
 ワールドトレードセンターに突入した飛行機の腹部から、突入寸前に閃光が発せられた。ビル崩壊の瞬間の無数の小爆発も映像に映し出された。米国のローカルラジオ局スタッフが問題映像を集めて『ボーイングを探せ』と題するDVDを製作した。日本ではきくち・ゆみ氏が草の根で上映会を開催し、ジャーナリストのベンジャミン・フルフォード氏が同時多発テロの疑惑を本にして出版した(『暴かれた9・11疑惑の真相』扶桑社)。
 2006年9月13日、私はこの問題についてのウェブマガジン用原稿を送信した。その直後に事件に巻き込まれた。原稿は掲載されなかった。9・11テロに関する疑惑を荒唐無稽と笑い飛ばす前にDVDを視聴することが必要だ。
 米国の軍事産業にとって戦争は不可欠だ。先代ブッシュ大統領の時代に湾岸戦争が発生し、ブッシュ現大統領時代に同時多発テロ、アフガュスタン侵攻、イラク戦争が生じた。

   25)外国資本への利益供与 へ続く。


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 23) 切り捨てられる弱者 

 第三の問題は弱者切り捨てだ。小泉政権は官僚利権を死守する一方で、「弱者切り捨て政策」を激しい勢いで進展した。国が窮乏したとき、特権階級にある者、が率先して利権を手放したうえで一般市民に痛みを求めるの、が正しい順序だ。
 江戸時代の「享保の改革」、「寛政の改革」でさえ、幕府が質素・倹約の範を示し、その上で民に倹約を求めた。だが、小泉政権の改革は異なる。官僚利権に手を付けず、弱き人々への支援措置を冷酷に切り捨てた。
 「格差」が問題になった。懸命に仕事しても生活保護水準の所得さえ得られない「ワーキング・プア」が急増した。企業は正社員を減らし、雇用形態を派遣やパートなどの非正規雇用に急激にシフトした。非正規雇用社員の雇用者全体に占める比率は1985年には12%程度だったが、2005年には3分の1の1600万人に達した。多数の中間層が没落した。
 高齢者の各種負担も激しい勢いで増加した。医療費の本人負担が1割から2割になれば本人の負担は倍増だ。2割負担が3割負担に変化しても負担は5割増だ。具合が悪いのに病院に行けない高齢者が急増している。
 所得税や住民税の高齢者控除が廃止され税負担も急増している。介護保険料も引き上げられた。12月20日の朝日新聞投書欄に横浜在住の75歳男性から、06年の手取り収入が91万円減った実情が伝えられた。
 高齢者の中には高額資産保有者がいる。しかし、蓄えが乏しくつましく暮らす人が多く存在する。弱い立場にある人にしっかり手を差し伸べるのが、真に豊かな社会ではないか。
 2005年から2007年にかけて、所得税、住民税の定率減税が全廃された。また国民年金保険料、厚生年金保険料も引き上げられる。他方で大企業は史上空前の利益を計上した。
 2006年11月に政府税調会長に就任した★★本間正明・阪大教授は、直後の12月に失脚したが、税調会長に就任早々、法人税減税の方針を示した。一般の国民が、格差拡大によって豊かさから遠ざかるなかで、企業を一段と優遇する税制改革を推進した。
 「労働ビッグバン」や「再チャレンジ支援」の言葉が踊るが、内容は「企業優遇」だ。派遣労働者は派遣期間が3年に達すると正社員になる道が開かれていた、が、これも廃止される方向だ。正社員と非正社員の差別的待遇の見直しも一部しか進展しない。
 15才~24才の労働者では2人に1人が非正規労働者だ。若年層で能力も夢も希望もありながら、経済的事情で勉学への遣を閉ざされる人も多い。
 離婚率が高まったが、女性が子育てと仕事を両立する負担は重い。子どもに十分な教育機会を与えることも容易でない。政府は生活保護世帯に対する「母子加算」を打ち切った。理由は母子加算を受ける世帯の消費支出が生活保護を受けない母子世帯の消費水準を上回るからだという。朝日新聞投書欄に熊本市の右田さんが「それが実情なら、生活保護を受けていない母子世帯に対して助成すべき」との声を寄せた。正しい意見だ。
 「がんばった人が報われる社会をつくる」が竹中氏の常套句だった、が、世の中には、、がんばっているのに報われない人が多数存在し、放置されている。彼らを浮上させる仕組みをつくることが「、がんばった人が報われる社会をつくる」ことではないか。「格差」の問題は「分配」の問題だ。企業活動の結果生まれる果実を経営者・株主と社員にどう分配するか。これが「分配」の問題だ。社員の中に正社員と非正社員がいる。両者の格差も大きい。
 米国では従来から分配の格差が大きかった。それが、1990年代の「ビジネス・フロセス・リエンジニアリング」を通じて一段と拡大した。この★米国流の「市場原理主義」が正義のイデオロギーとして日本に持ち込まれた。この点について、『国家の品格』の著者藤原正彦氏が指摘する(「国家の堕落」・文薮春秋』2007年1月号。)
 藤原氏は「 「市場原理至上主義」は「共生」にも似て単なる経済上の教義ではなく、経済の枠を越えあらゆる面に影響を及ぼすイデオロギーである。人間の情緒とか幸福より、効率を至上とする論理と合理を最重視するという点て論理合理と言ってもよい」と指摘する。
 米国の政治学者サミュエル・ハンティントン氏は著書『文明の衝突』で日本文明を世界の八大文明のひとつに位置付けた。自然を崇め、大切にし、相互に信頼し、助け合い、許し合う「共生」の思想を育み続けてきたのが日本文明の美徳だったと思う。万一「ニート=NEET」と呼ばれる、仕事、学校、職業訓練に就いていない若年層が激増した。格差が拡大し、希望を喪失する若者が増加する社会の将来は暗い。
 ★市場原理至上主義者は「結果の平等」よりも「機会の平等」が大切だと言う。結果の平等が行き過ぎれば、人々は意欲を失う。結果の格差を「ある程度」容認すべきだ。だが、前提として「機会の平等」を確実に確保する必要、がある。
 「機会の平等」で重要なのは、出生した時点の経済条件を均等化することと、教育を受ける権利を保障することだ。相続税で初期条件の均等化をはかることは必要だろう。重要なのは★公教育の拡充だ。教育再生会議の迷走が伝えられる。小泉首相は「米百俵の精神」が大事と言いながら、公教育への政府支出を削減した。
 教育の充実には費用がかかる。日本の将来を考えるなら、公教育を充実させるべきだ。経済的事情で高等教育を受けられない人が多数存在する。こうした人を支援することが「機会の平等」を確保する政策だ。
 一割負担、が障害者にとって苛酷なケースが多い。官僚利権を温存し少数弱者を切り捨てる政策姿勢を許せないと思う。
 「ハンセン氏病訴訟」をマス・メディアが大きく報道した。小泉政権は国、が控訴しないことを決めた。だが、★★「障害者自立支援法」をメディアはほとんど報道しなかった。小泉政権は障害者に「酷薄」に接した。メディアが報道しなければ支持率に影響しない。すべては★「支持率」をにらんだ政治判断だったと考えざるを得ない。
 米国の財政支出には「裁量支出」と「フログラム支出」という区分がある。社会保障関係の費用は制度に基づいて機械的に支出される。これを「プログラム支出」と呼ぶ。「裁量支出」は個別に検討されて決定される。
 財務省の「歳出削減」は「プログラム支出」に重心を置く。社会保障支出は制度、が確定すれば額が機械的に決まる。裁量が入り込まない。「フログラム支出」は財務省の権力、利権にならない支出項目なのだ。このため、常に歳出削減費目として社会保障関係の「プログラム支出」が掲げられる。
 小泉政権が「公共事業」と「道路特定財源」を目の仇にしたのは、これらが旧田中派=平成研究会の支配下に置かれてきたことが理由だ。道路特定財源を見直すなら「暫定的に」高く設定された税率を本来の税率に引き下げるべきだ。しかし、小泉政権は税率を高く維持したままでの一般財源化を主張した。財務省は常に一般財源の増加を熱望し、減税を嫌う。
 財務省は地方への国税配分である「地方交付税」を『フログラム」から「裁量」に切り替えようとしている。狙いは権力の増大だ。官僚利権死守、少数弱者切り捨て、権力のあくなき追求が★財務省の行動原理だ。小泉政権はその守護神だった。
 24)米国隷属の外交 へ <続>。





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22) 第一種国家公務員の廃止

 三つの方策を提案する。第一は第一種国家公務員制度の廃止だ。第一種国家公務員と第二種国家公務員を統合し、幹部への登用は入省後の実績と能力に従わせるべきだ。第一種国家公務員制度は少数に入卒時点で将来の幹部登用を約束する。成績優秀な学生、が公務員を志望するが、入卒時の学業成績は入間の総合的力量と一致しない。
 権力欲、物質欲ばかり旺盛で弱者を思いやる心や奉仕の精神を欠く人が高級官僚に登用されてきた。彼らの多くは「天下り」の経済的、社会的処遇を重要な志望動機とした。
 入蔵省に勤務した時、上司が大蔵省を「我が社」と表現した。大蔵省の利害得失が判断基準だと公言した。大蔵省を営利企業と捉えた。公言する入は少なかったが、これが常識だった。大蔵省の利益とは権限と利権の拡入だ。最も高く評価される業績は「増税」と「天下り先獲得」だった。官僚の行動原理の中心に「営利」がある。
 民間研究所勤務時の上司は大蔵省崇拝者だった。研究所トップに元大蔵省高官がいた。上司は大蔵省が財政健全化を訴える理由を語った。1975年以降、財政赤字が激増した。予算の一律削減=「シーリング」が始まった。この結果、大蔵省の権力が著しく低下した。大蔵省の権力の源泉は予算配分権だ。強大な権力が「一律削減」方式によって縮小した。「この過ちを二度と繰り返すな」。これが財政健全化を唱える真の理由だと言った。元高官の説明だった。
大蔵省での勤務を通じて説明の正しさを実感した。大蔵省キャリア(第一種公務員)の学業成績は良い。人格者もいると思う。しかし、人事での処遇を求めるには人事評福基準に従わねばならない。大蔵省の目標は福限と利福の拡大だ。職員は組織の原理に従って国民の利益でなく大蔵省の利益のために努力する。
 戦前の国家組織で福力を持っだのは「陸軍」、「内務省」、「大蔵省犬だった。戦後、陸軍が消え内務省が「自治省」、「警察庁」などに解体された。「大蔵省」だけが温存された。「大蔵省」は「財務省」と「金融庁」に分割されたが、財務省は金融庁を支配下に置くことに成功した。
 小泉政福の在任期間に★「財務省」の権限、権力が増強された。小泉首相は財務省の守護神のように行動した。小泉政福の改革の目玉は、住宅金融公庫廃止、道路公団分割民営化、郵政民営化と言われるが、財務省の権限、権利は増大した。
 小泉首福の行動を支配したのは★「角福戦争の怨念(‥ルサンチマン)」だ。旧建設省、旧郵政省は旧田中派几平成研究会の牙城だった。旧福田沢は森派を経て現在は町村派になっている清和研究会だが、小泉氏は197O-72年に福田組夫元首相の書生を務めた。田中角栄政権から小泉政権までの30年、「旧田中派による自民党支配」が続いた。旧田中派支配に対する「怨恨=ルサンチマン」が小泉改革の真の動機だったと思う。
 2005年に政府系金融機関の統廃合問題が浮上した。財務省の天下りを断つかを注目した。政策金融機関は★★「天下り御三家」と呼ばれ、財務省の最重要天下り機関だ。
 「御三家」は日本政策投資銀行、国際福力銀行TBIC)、国民生活金融公庫だ。事務次官経験者の天下り先だ。従来の「上格」天下りポストは★日銀総裁と★東京証券取引所理事長だった。東証は株式会社になって財務省の天下りをいったんは遮断した。天下り遮断、が東証の株式市場上場の遅れの原因だとも言われた。それが理由かどうか分からないが、2007年4月に東証は財務省からの天下り再開を決定した。財務省の天下り維持にかける執念はすさまじい。
 日銀総裁の任期は5年だ。1969年12月就任の第22代佐々木直(日銀)総裁以降、1989年就任の第27代松下康雄(大蔵省)総裁まで、日銀と大蔵省出身者が交代で就任した。★「たすき掛け」と呼ばれる。大蔵省の「天下り」最高位は10年に一人の日銀総裁だった。
 1997、98年に大蔵省、日銀を中心とする過剰接待問題が表面化して松下総裁が任期半ばで辞任した。以後、日銀出身の速見優氏、福井俊彦氏が総裁に就任した。財務省は日銀総裁ポスト奪回に全力を注ぐ。福井氏の日銀総裁就任時に財務省は武藤敏郎前事務次官を日銀扇総裁に就任させた。福井氏の後任総裁に武藤氏を就任させることが財務省の現下の至上命題だ。★★財務省は福井氏の失脚を念願していると思う。
 日銀総裁の職責は極めて重い。職務遂行には高度の専門能力と行動力が必要だ。★福井氏はこの意味で稀有の人材だ。「村上ファンド」問題で福井氏の責任、が追及されたが、背景を考えなければならない。日銀総裁は第一に経済・金融のプロでなければならない。財政当局が熱望する調整インフレのリスクを遮断するためにも財務省出身者の日銀総裁就任を排除すべきだ。福井総裁の任期は2008年3月までだが、福井氏の続投を検討すべきと思う。
 12月19日に政府、が政策金融機関関連4法案の骨子をまとめた。「天下り禁止規定」は盛り込まれなかった。統合される政策金融機関の中核に国民生活金融公庫が存続する。国際協力銀行=JBICの名称も残る。JBICの名称が残ればJBICトップのポストが残る。JBICは外国政府への資金援助を統括する機関で、トップは海外で国賓扱いされる。財務省はこのポストを死守した。★日本政策投資銀行は民営化される。「天下り」が維持されるなら「民営化」は役所の利権拡大である。財務省は★日本たばこ産業株式会社(JT)でそのうまみを知っている。
 親しい財界トップが元大蔵省幹部との宴席の逸話を敢えてくれた。宴席で雑談が一段落したとき元幹部が「ところで」と切り出した。財界人は「来るぞ」と身構えた。元幹部は財界人経営の金業に研究所設立を要請した。結局、企業は研究所を創設し、大蔵省元財務官を理事長に迎えた。
 財務省が霞が関を支配している。総理大臣直結の★内閣府も財務省が主要ポストを握る。★公正取引委員会委員長も財務省出身者の指定席だ。新聞業界は再販価格維持制度に支えられている。公取委が制度を所管するから、新聞は財務省を批判できない。
 内閣法制局が政府立法を審査する。ここでも財務省が幹部ポストを握る。行政組織改変を司る人事院の重要ポストも財務省が握る。財務省、金融庁、国税庁の権限は強大だ。最大の権力は予算編成権だ。民主党議員も財務省批判は控える。財務省を敵にすれば予算折衝で不利益を蒙る。税制変更、徴税、税務調金、査察の権力もある。国有財産の管理、運用も財務省の権限だ。外国為替市場への介入権限は金融庁、が握る。
 銀行、証券、生保、損保、★最近では消費者金融も金融庁の支配下にある。2002年秋に竹中金融相に対して猛然と抗議した銀行経営者も「りそな銀行」の事例を見せつけられて以後、絶対服従の姿勢に豹変した。UFJ銀行が検査忌避で摘発されたのは、UFJ銀行幹部の恭順の姿勢が不足していると見なされたからだろう。金融行政は「恐怖による支配」に堕している。「権力の濫用」が放置されている。★地方銀行への「天下り」でも財務省は獲得したポストを決して離さないと言われる。財務省の支配力は地方自治体にも及ぶ。地方自治体の幹部ポストの多くは総務省に握られるが、財務省も多数の都道府県副知事、総務部長、企画部長などの幹部ポストを指定席にしている。
 公益法人の多くは「天下り」のために創設されたものだ。政府から直接補助金が入っていない公益法人でも役所、が傘下の業界に設立させることが多い。公益法人の経費を業界が負担しているように見えるがヽ最終的な負担は顧客である一般消費者に転嫁される
公益法人が最も集積しているのは★東京虎ノ門だ。公益法人をテナントに持つ最大手不動産事業者は                            ★森ビルだと思う。虎ノ門には「森ビル」の名を冠したオフィスビルが林立し多数の公益法人が所在している。
 小泉政権は任期中に財務省の権限・利権を著しく増強した。平成研究会=旧田中派が旧建設省、旧郵政省、旧運輸省を基盤としたのに対し、清和研究会=旧福田派は財務省、金融庁、警察庁、検察庁に基盤を置いた。
 小泉前首相は大蔵委員会に永年所属した「大蔵族」議員だ。財務省が国家権力の大半を支配する第一種国家公務員制度の廃止について述べた。大卒時に将来の幹部登用を保証する現行制度を廃止すべきだ。ずば抜けて成績優秀な人が公務員になる必要はない。勤勉で奉仕の精神を備えた人が公務員になるべきだ。入社時に役員就任を保証する会社はない。特権的な「第一種国家公務員」を廃止すべきだ。
 「憂国の士」は政治家を目指すべきだ。ビジネス能力を持つ者は民間企業で力を発揮すべきだ。公務員は国民への奉仕者であって国民の統治者でない。「優秀な人材が官僚を目指さなくなる」との反論があるが、公務員は政権の指揮に基づいて行政を円滑に実施する存在だ。「天下り」が廃止されれば存在意義のある公益法人以外は消滅する。公益法人の幹部は職員から登用すべきだ。地方銀行も同じだ。
 第二は公務員に定年までの雇用を保証することだ。第一種国家公務員の年次に見合うポストが限られているため、早い年次で公務員が退官し「天下り」が必要とされる。第一種国家公務員を廃止すれば問題が解消する。能力に従ってポストを配分し、すべての公務員に終身雇用を保証すべきだ。人生設計に「天下り」を組み込んできた人が多くいるから、制度変更に際して「激変緩和措置」を取るべきだ。
 第三は「天下り制度」廃止までの10年程度を「移行措置期間」とすることだ。「天下り」を段階的に廃止すべきだ。政府は新たに設立する人材バンクに「天下り」あっせんを委ねる提案をしている。しかし、この新しい人材バンクによるあっせんに政府が関与するなら、実体は変化しないだろう。しかも、これまで存在した2年間の天下り規制まで撤廃される。政府提案は「天下り」廃止ではなく「天下り」温存策だ。これまで同様、形を変えて実体を残すこと、が繰り返される。制度の全廃を断行する以外に実動的な方法はない。 

 23)切り捨てられる弱者 へ続く。       





原爆投下について。(続)
 先ず、『ニューリーダー』誌・9号から、保坂正康氏の一文を紹介しよう。
 連載記事・「取材ノートは語る」昭和を生きた人々⑨
 題して
 ★ウラン爆弾開発の苦悩を歴史に刻んだ技術将校。

 以下引用する。***

  ●東京帝大から理研研究者、戦後は防錆技術の権威に
 今年の夏は例年よりは暑かったように思う。八月の初め、私はいつもの通り涼を求めて北海道ですごした。しかしその北海道も今年は猛暑という表現がふさわしい日がつづいた。
 六日の広島への原爆投下、九日の長崎への投下とつづく日々をメディアのニュースに接しながら見守った。今年は久間前防衛相の原爆投下容認発言があり、被爆者の人たちの怒りもきわめて高かったように思う。このようなニュースに接していると、八月にはいつもひとりの元技術将校の姿を思いだす。なんども取材に応じてもらったのだが、この人物、山本洋一の証言は重要な意味をもっているにもかかわらず今ではその発言の重さが理解されていないとの感がしてならないのだ。
 まず始めに山本洋一(1904~2002)の略歴を語っておきたい。これは拙著(『昭和の空白を読み解く』)からの引用だと断っておく。
 「 昭和16年に陸軍技術研究所に入所し、翌年には陸軍技術少佐に任命した。第ハ陸軍技術研究所所員となる。終戦により復員し、四八年(昭和二十三年)に日本大学理工学部教授となる。定年退職後は日本学術振興会腐蝕防止委員会委員、顧問を歴任し、日本技術士会、金属表画技術協会、日本防錆技術協会の設立に参画する。」
この略歴からはなかなかわからないが、山本は金属のサビの研究者である。しかし私が山本に会ったのは、昭和五十七年ごろから六十年までの間で、その間十数回にわたり貴重な話を聞きだした。山本は東京帝大理学部を卒業し、それから理化学研究所(理研)に身を置いた研究者であった。このころ東京帝大で原子物理学を学ぶのは秀才といわれ、理研の仁科芳雄教室に入るのは典型的な学究派の人物といわれた。加えて経済生活にもあまり頓着しない恵まれた家庭に育った者が多かった。長岡半太郎の息子にあたる嵯峨根遼吉などはその典型といわれたほどである。
 山本は歌舞妓の裏方の名門の家に生まれた。経済生活は豊かで、しかも理研に入って研究者としての道を着実に歩んでいた。ところが太平洋戦争の始まる前に、理研から陸軍技術研究所に突然徴用されてしまったのである。軍服を着た研究者として、その研究を兵器の開発に生かせと命じられた。後年、山本はサビの研究者として国際的にも有名になるが、戦時下ではそのような研究に携わったのではない。
 「私はウラン235の核爆発を兵器化するプロジェクトを命じられた。具体的にいうと日本の原爆製造の開発計画ということになる。日本にもそういう計画があったことは、君も知っているだろうが、私は直接にかかわったので具体的に知っている。君に話してあげるが、そのかわり私の考え方は正確に歴史にのこしてほしい」

 ●日本の原爆開発計画のすべてを語ってくれた
 私は、山本の名を仁科のもとで行われた「二号研究」の名簿を見て、専門的な話を聞きたいと連絡をとった。東京・三鷹ですでに現役を退いていた山本は、時間に余裕があったせいか日本の原爆開発計画について、自らが知っていることはすべて話してくれることになった。あまつさえ自らの資料をコピーにすることも許してくれたうえに、その史料についても説明してくれたのだ。
 そのためか、私は陸軍の進めていた原爆製造計画は頭にいれることができた。私は山本から、この計画にかかわった現役の原子物理学者の名を聞き、次々に取材を申し込んだ。快く会ってくれる人もいる反面、「われわれは研究者だった。仁科先生を始めわれわれはそんな計画にタッチしたことなどない。よけいなことは調べるな」と電話口でわめきちらした大学教授もいた。
 山本は、私がこうした体験をしたというと苦笑して、「戦時下では料学者も戦争に協力しなければといわれて、誰もが矛盾を感じながらもこの兵器の開発にとりくんだ」といい、こうした学者はシラを切ることで歴史のなかに科学者の苦悩を刻みつけるという役割を放棄していると批判した。
 この意見には、私もまったく同感であった。そして山本のように、科学者が日本でも犯罪的な研究を進めたことを教訓として残さなければならないとの考えがよくわかった。そのことを語るときー自宅の応接間で、山本は「本当はこんなことを語りたくはないのだが」とつぶやきながら、日本が原爆を開発できなくてよかったともいった。もし開発に成功していたら、東條内開はサイパン奪回のために使うつもりでいたと軍首脳から聞かされていたと洩らした。
 もっとも日本の国内では、原爆製造はまったく無理だった。ウラン235はウラン化合物中にわずか0.8 %しかないという。中型トラックー台のウラン原石からわずかスプーンー杯しかとれないというのだ。このウラン235に中性子をあてて爆発を起こさせるのがウラン爆弾(原子爆弾のこと)であった。日本はウラン原石もなければウラン235だけをとりだすための濃縮の技術もなかった。それだけの工場と人員、そして科学者を動員することなどまったく無理だったのだ。アメリカのマンハッタン計画に比べると、まったく幼児並みの状態だったといえた。
 「私はとにかく軍事指導者たちからいわれてウラン原石をさがすのに必死でした。日本中歩いたし、朝鮮などにも行った。最後、福島県のある町でウラン原石がでるのではと勤労動員の中学生などと穴掘りをする状態だったのだからどうにもなりません」  

 
●科学者が助言すれば長崎に原爆を投下されずにすんだ 


 私が山本と会っていたときは、すでに八十代に入っていてしかも脳梗塞を起こしたこともあって半身は不自由であった。だがなんどか会っているうちに山本が真にいいたいことがわかってきた。次のことだったのである。
 ★「僕はね、長崎に原爆が段下されずにすんだと思っている。その理由は、広島に原爆投下されたとき、仁科先生をはじめ何人かはすぐにこれはわれわれの開発しようとしていたウラン爆弾だとわかった。それゆえにすぐに天皇にも軍事指導者にも戦争が人類皆殺しという新しい段階に入ったのだからポツダム宣言を受諾しなさいと助言すべきだった。ところが科学者たち
は皆黙っていて、ひそかに仲間うちだけでどうもウラン爆弾らしいと噂していただけなんだ」
 広島への投下から長崎への投下まで七十二時間という時間があった。この期間に、ラジオ放送などで「日本は戦争をやめる」と発表すべきであり、そうすれば長崎への投下は防げたと何度も強調した。
 「山本さんもそれを上司に伝えればよかったのではないですか」
 「むろん私なりに伝えた。だがこっちは技術将校の若僧だ。仁科先生は長老であり、政治や軍事、そして天皇さんにも意見を伝えることができたんだ」
 山本はこの事実を歴史の上にきちんとのこしておいてほしいとくり返した。
私は八月の猛暑のなかで、応接間のソファに座りながら無念そうにつぶやいた姿をいつも思いだす。そして山本のような証言者と出会えたことに感謝しているのである。 (敬称略) *** 引用了。

●ほさか・まさやす 一九三九年生まれ。個人誌『昭和史講座』の刊行など、一連の昭和史研究で、菊池宣言受賞。著書は『東條英機と天皇の時代』『瀬島龍三』『昭和史七つの謎』『死なう団事件』『昭和史の教訓』など多数。 

 
 
 ●鳥居民の『原爆を投下するまで日本を降伏させるなートルーマンとバーンズの陰謀』
      (2005.6.7 草思社刊)
 ●長谷川毅の『暗闘ースターリン、トルーマンと日本降伏』
      (2006.2.10 中央公論新社刊)
  二冊の労作を読み知った者からすれば、この山本氏は、良心的科学者として
  何と幸福な死を死んでいったことかと、皮肉でなく思う。
  「ナイーブ」というのは、冷酷な国際政治の論理の前には「美点」ではないと言えば
  酷だろう。しかし、我々が、同様な「感慨」を、今の時点で抱いていたとすると、
  その「ナイーブさ」は、限りなく「罪」に近い。

  念を押しておけば、1986.6.30という日付を持つ
  ●『日本の危険』(藤原肇・馬野周二・東明社刊)の特に巻末、
  「ワシントンの戦争王」=カーティス・ドール大佐とのインタビュー
  にも学んでいたはずなのだ、我々は。・・・これは、自戒。  


 



 陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(9) 
●フルベッキ写真と私 そして「大室天皇論」 

   そもそもフルベッキ写真を知ったのは、以前本誌に長く連載されたU博士と、十年ほど前に大室天皇を議論した時である。U博士が大室天皇完全否定説を述べられたので、勢い私はその反対側(非・完全否定説)に立った。大室天皇に関する伝承は維新の関係者が残しており、戦後皇室の将来が危ぶまれた時、宮内省関係の旧華族が回想ないし暴露の形で語ったのを聞いた人もまだ生きていた。物証・書証としてはフルベッキ写真のほかに、★『中山忠能日記』中の「慶応三年七月十八日、★★奇兵隊天皇来る正月上中旬の内に御元服云々」の条がある。これについてU博士は「これは(大室というより)誰かの仇名だろう」としか言われない。確かに誰かの仇名に違いないが、だからこそ大室を指す以外にないではないか、と思った。
 写真についても、U博士は偽作論、私は「仮説としては完全否定はできない(容認できる)」との立場を取った。★原版そのままを焼いた写真では、画面の左前方に脱ぎ捨てられた下足が積み上がり、右側は壁で雨具らしきものが懸かっている(加治が「外套または人物?とするのは、原版を見ていないからと思う)。公開写真は原版画像の周囲を切り取り、体裁を良くしたもので、世に上野彦馬撮影と言うが、原版を見れば「写真師がこんな構図を選ぶのか」との素朴な疑問が湧く。また、公開写真の中に各人物像に志士の姓名を宛てたものがあり、有名志士に似た人物像(例えば大村益次郎)は確かに多い。右端の人物を陸奥宗光というのは首肯しがたいが、誤って陸奥を宛てたのなら写真全体は否定できないし、それが伊藤俊輔(博文)と分かれば尚のことである。★何よりも印象的なのは、たった一人志士の名を宛てられない人物が居ることで、その人こそ斜に構えて遠方を見るあの少年である。
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 巷間、ただの幕末写真だという人は多いが、風評ばかりで実がない。志士写真でないと断じるならば翻って被写体を究明せねばなるまいに、誰もそれをしない。こんな風説よりも偽造説の方がまだ合理的だから、私は「仮説的容認説」を持すことにした。
居ること数年、某出版社の編集者から「大室天皇に関する原稿を★F氏から頂いたが、出版には至らなかった」と関いた。原稿を拝読したいと思う裡、まだ会っていないF氏からの便りで「大室天皇論を共著でやらぬか」との申し出を受けた。あの後、興味を持った某雑誌社が★大室天皇説の真否を元宮内庁関係者に探りを入れた由で、その結果も聞いたが、ここに明かし得ない。国内出版は無理と考えた関係者が、外国で出版すべく翻訳の手配をしたが、★事故により不調に終わった由で、因って私に共著話が来たとおぼしい。平凡且つ不才の身には果報なことである。F氏によれば、写真の原版はフルベッキが日本を去る前に★雑誌『太陽』に与えた由で、明治二十八年刊行の『太陽』に載った。その後、関係者から原版を人手したF氏は、長らく大室天皇説を聞知しなかったが、近年耳にして興味を抱き書き上げたもので、未だ拝読していないが、主旨は史実として大室天皇説を認め、維新政府が国民を欺いたことを遺憾とするものらしい。当然フルベッキ写真が中心ネタになる。私が共著に気が進まなかったのは、中心ネタの写真に残る前述陸奥のごとき疑点のためではない。実は数年前、すでに大室天皇の真相を知り確信したが、永久封印と思うから共著どころではなく、証拠写真のごときも、もはや問題外だからである。
 
ところが加治が「発信」を始めた。加治の外にも『英国機密ファイルの昭和天皇』『天皇のロザリオ』などの新刊に著者の意図しない「発信」の臭いを感じる。あり得ないと思っていた封印解除の時機が到来したのか。となれば、例の写真は一応証拠力をチェックしおく方が良い。それには被写体の人定が必要だが、志士銘々の事歴を編年し身体形質・家紋などを照合するのは、わが能力を超える。奇特の士の研究を期待していたら、果せるかなその気配が生じたようで、豈これを喜ばざるべきや。
    
 




 落合論文・陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(9) 
●ネット上に異論出現  批評に回答し提案する 

  本誌七月号の拙稿についての批評をネット上で発見した。吉井友実を検索していたら偶然見つかったもので、『教育の原点を考える』を検索すれば出てくるが、お互い嫌ネット性の読者のために要約すると、①例の写真の撮影場所は、明治維新後に壊した屋敷跡の広場に白壁を建造し、黒幕を垂れた上野彦馬の屋外写場である。
②フルベッキの子供は四歳に見えず、 ウイリアムでなくその姉で、着ているのは女児服である。
③落合は、被写体の佐賀藩士を「平凡な人生を送った」と言ったが、彼らの半分は海外留学までして明治の世を作ったのだから、それらの価値を掘り起こすのが「平凡な作家」の使命の筈で西郷や伊藤だけが歴史を作ったのではないことを落合に伝えよ
――との慶応大学准教授高橋信次なる人物のメッセージも付け加えてある。
 
偶然にせよ、知ったからには答えねばならず、また本稿の主旨にも関連するから、お答えする そもそも私は七月号に明言したように、この写真に関しては傍観者である。理由の第一は『周蔵手記』を今まで見た限りフルベッキにも大室寅之佑にも触れていないからで、解読者としてこの写真を解明する必要がない。
第二に、正直に明かせば、例の少年が大室であろうがなかろうが、私の大室論は左右されないからである。この写真が真に大室天皇説の物証ならば、その貴重性は当然だが、すでに大室説の真相を教わり、それを確信する私にとっては、物証は最早不要である。ただ写真の素性が分かればそれで良いわけで、論文内容や論者の名を敢えて探すまでもなかった。
以上から、ネット批評者に対する回答は、
①撮影場所についての論議が深まれぱ喜ばしいが、前述の理由により私は立ち入らない。
②服飾について意見はない。外人児童は、確かに四歳よりも老けて見えるが、私には男児と思える。
③維新の志士は維新後挙って「郷」に到達したが、一般佐賀藩士は「士大夫」に止まった。歴史形成者を大衆(民)と見るか英雄(卿)と見るかは史観の違いで、当否は決めがたい。郷と民の間に介在する士大夫(臣)も歴史形成者だが、彼らを平凡と呼ぶことの是非は表現の問題と思う。ただし、「平凡人の歴史に関わるのが平凡な作家の使命」との諭旨は、遺憾ながらその主意を解し得ない。
 私なりの洞察を試みるに、例の写真はフルベッキを囲む重要な記念品として、被写体全員に配布された筈で、彼らが維新志士だとしたら、その後、写真の重大性を憂慮した指令があり、焼却されて消えうせたと見てよい。
反対に彼らが佐賀藩士で海外留学もしてそれなりに活躍した歴々だとすれば、写真は大事に保管されて家宝となった筈である。ゆえに無慮四十人の被写体の末裔のうち、十家や二十家が今に伝えている筈で、一枚も見つからないことこそ不自然ではないか。
 されば、論者に勧むるに、今すぐ佐賀藩士の末裔に檄を飛ばし、もし夫れ該写真の家宝中に存せざるや否やを問うは如何? 或いは佐賀藩士中より、例の少年の面影をば捜し出し、「これ実は旧藩士にして後年何某をなせる何某の像」なることを証明し、以って世に問うは、如何。
     (続)
 



落合論文・ 陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(9) 
● ワンワールドからの「発信」がうかがえる 

近年、在外不動産投資家を称する加治なる人物が文筆界に現れた。まず著書・『石の扉』によってフリーメーソンの実態を、外観的だが具体的に説明した。従来フリー・メーソン陰謀説を唱えた類書がすべて主観的論評に終始するのとは大違いで、世士に注目を浴びた。次いで著した『操られた龍馬』では坂本龍馬と秘密結社との関係を論じ、さらに最近出した『幕末維新の暗号』は小説仕立てながら、明治維新をフリーメーソンが指導したと主張した。一連の著作に当たり加治は、海外のフリーメーソン・ロッジで直接取材し、そこで得た生の情報を用いている。これが従来の類書になかった最大の特徴である。
 本誌七月号本稿で、私は「加治が『幕末維新の暗号』でフルベッキ写真を持ち出して、佐賀藩士説に対する反論を提起したことに意義がある」と論じた。
理由の第一は、その少し前に「フルベッキ写真を客観的に分析した学者が、志士写真を否認する結論を出した」と聞いていたからである。かつて半信半疑というより、七信三疑でこの写真を眺めていた私は、志士否認の結論が出たと仄聞してがっかりし、以後関心を失っていた。そこへ、新たにこの写真を持ち出してきた加治に、強い自信と黒幕の存在を覚った。さらに、従来陸奥宗光とされてきた写真右端の人物を、加治が伊藤博文と指摘し、また中央の西郷隆盛とされてきた大男の着する黒服を、薩摩藩の軍服と説明した
ので、年来の疑問が部分的だが氷解し、改めてこの写真を思い起こしたからである。しかしこれは付けたりで、第一の理由が支配的である。
 フリーメーソンから説き起こし、次いで坂本龍馬をメーソンの関係を論じた加治が、転じてフルベッキ写真を持ち出しだのは、平凡な作家の売文根性とは思えない。明治維新の真相を信頼できる筋から教えられ、史実を裏から把握した強い自信に基づく著作活動と見た方がよい。その証拠に加治は、「吉井友実こそメーソンと結託した恐ろしいほどの大物」と断定しながら、全く論証していない。七月号本で述べたように、吉井の経歴を調べるだけでも論証は大凡できる。にも関わらず、加治の論証なぞ問題にしない態度は、既に真相を知ったからその必要性を感じないものと思われる。また、第三作を小説仕立てにしたのは、ドキュメンタリー風に証拠を並べることを、情報元から禁じられたからではないか。
 フルベッキ写真が志士写真であったとしても、その価値は、明治維新と秘密結社を結ぶ物証だからではない。そんなこと識者の間では既に明らかである。この写真の真価は、中央下部に長刀を抱いて斜に座し、深重の眼差しを遠方に投げる一少年の存在に尽きる。被写体に維新志士をそれぞれ当て嵌めて行くと、少年に該当する志士は大室寅之佑しかいない。反対に、もしこれが一般藩士の写真と結論されれば、少年が大室である可能性はないから、写真なぞ最早どうでも良い。志士否認の結論を聞いただけで私の関心が失せた所以である。しかし加治が、志士否認論が出たばかりの折からの逆風を衝いて、わざわざこれ持ち出してきたのは、迂闊だからではあるまい。大室問題を浮上させるための露払いではないか。そう思いつつ一連の作品を見るに、近代史の真相に迫れぬ本邦史学の空転を憐れみ、あるいは危ぶんで、ワンワールド側から問題を提起してきたフシがある。この種の活動を諜者の世界では「発信」と呼ぶらしい。『周蔵手記』においても、「芥川龍之介ハ海軍ノ発信」という風に用いている。
   (続)
 


落合論文・陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(9)
●民俗・集合(団)を越えた集合(体)であり 多くの代名詞(呼称)を持つ 

 私見によれば、ワンワールド戦略の淵源は古代オリエントに発祥した。元来シュメル人が立てた世界戦略で、ヴュルム氷河期以前からの旧種人類たるシュメルは、自らの体質的弱点を補うため、シュメル女に身体頑強なセム族長の子を生ませた,そのアブラハムを混血民族ヘブライの始祖とし、これにワンワールド戦略を受け継がせて、自らは姿を隠した。カナーンに定住した後、ヘブライは一神教のユダヤと多神教のイスラエルに分かれた。ユダヤは遊牧民族で、日常哺乳動物を殺害して食することに原罪意識を持ち、唯一神に救済を求めた。イスラエルは農耕民族で、万物に精霊の宿るを感じて多神教を奉じた。しかし、両支族とも基本的にはワンワールドの戦略を保持したのである。
 アッシリアに滅ぼされた★イスラエル支族は東方に流移し、その末端は日本に至る(海部・物部・秦氏)。また新バビロニアに滅ぼされたユダヤ支族は各地を流浪してセファルディとなるが、トルコ系カサール族が新たにユダヤ教に入信してアシュケナジとなった。ユダヤ教の分派キリスト教はローマ世界に広まり、カソリック・正教・プロテスタントに分岐した。また一神教の別派としてアラビア半島に生まれた回教は、中東世界を席巻する。このような宗教分化にとらわれず、ワンワールド思想は諸民族・諸教徒の間に連綿として受け継がれた。ワンワールドは、世界統一戦略を保持する民族・宗教性を超えた集合であるが、アシュケナジを含めたユダヤ教徒が人目を引いたので、「ユダヤ」がその代名詞となった。幾つもある秘密結社のなかで世界に顕れたフリーメーソンもまた、その代名詞となる。両者を重ねた「ユダヤ・フリーメーソン」とは、より正確を期した表現である。

以来、年々積み重ねた知力と経済力で宗教・思想の分野をほぼ独占した彼らは、ユダヤ教、キリスト教に潜入(マラーノ)し、異教徒を改宗させて、精神的に支配した。経済分野では商業に励み、特に奴隷貿易・武器貿易と貴金属の流通を握るが、やがて、交易・金融に特化し、国際賞品市場と信用通貨制度を創設した。これを支配する特定家系の集団がすなわちワンワールド・バンカーで、武力に立脚する地域覇権を裏から操縦した。近代に共産主義を唱えて王国としたのも、世界戦略の発露で 現代の新戦術は情報分野の構築で メディアを支配することで世界戦略を効率化した。
  (続)
 





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