カウンター 読書日記 2006年11月
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*<続>オウム
打ち寄せる波を見ながら、砂山を作り続ける。罪びとの償いの行為ならば、こちらも見届けて、静かに立ち去るだけであろう。しかし、主観的には真摯な学究たらんとする者が、学問・研究の名で、その種の営為を続けることは、限りなく犯罪に近い!

*森達也『 A 』へ進む前にやはり一点疑問を呈しておこう。
 
 『私にとってオウムとは何だったのか』の共著者、川村邦光氏への「質問」というか、「疑問」である。
 (同著の著者紹介によると・・・以下のようである。
 1950年福嶋県生まれ。東北大・文卒、現在:大阪大・院・教授、専門は宗教学・近代文化史』。早川氏と同年代。)

 前回も記したように、オウム関連の情報量(資料・データ)たるや、まさに打ち寄せる波のごとくである。すべての資料にあたるのは不可能ではあろう。しかし、2005年ただいまの時点で(同著の刊行年のこと、為念)、オウムという組織を早川氏を通して見つめなおすことについての、視点とは何かが、漠然と語られるのみで、「・・前略・・裁判で早川が語ったことは公判調書に逐一記されているが、それはまったくといっていいほど、人の眼に触れることはない。・・・(だから)   早川自身の言葉で証言してほしいと思ったからである。・・以下略・・ 」というのが主要な動機らしい。

*共著者・川村邦光氏は、オウム関連のインターネットのブログ・記事を読んだことはないのだろうか?まさか、そうではないだろう。

 早川氏に対する「強い疑念」等が数多く語られ・「書き込」まれている事実を知りながら、上記のような一文を草したとするならば、「限りなく犯罪に近いな」と私などは思うのである。「これは出発点」なのだ!という川村教授のコトバを期待しながら、『 A 』 に向おう。

 

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*<続>オウム
*オウムの暴力集団化について、引き続き論じていきます。

 オウムの暴力集団化の議論には必ず登場する早川紀代秀という人物自身が語った、『私にとって、オウムとは何だったのか』 (前記)に加えて、
* 森達也  『A』 (角川文庫2002・6・15再版、原著:『「A」撮影日誌』・現代書館・2000・6刊)。
* 田原総一郎 『連合赤軍とオウム』(集英社2004・9刊)のうち、「第二章オウム真理教―武装した預言者」
* リチャード・コシミズ  『simbunterebiiranaiyo』 (前記のブログです)

などを、参照しながら宗教教団 (武装化の以前にオウム真理教の実体は、いわゆる「宗教教団」からほど遠いものになっていた疑念もあるが)の暴力集団化について、考え続けていく。

* 『私にとって、オウムとは何だったのか』 から再スタート。
 読後の率直な第一印象は、<「肝腎なこと」が何一つ言明されていないことへの不満が強くなっただけ>というものである。
 早川氏の「年譜」なるものが巻末にあり、読んでみて<?>というか気になる箇所は、いくつかある。・・・

気になった<語の羅列> 開始。
 
 *1949.7.14生まれ・(団塊世代後期) 一人っ子 ガキ大将 ヴァイオリン 祖父母の家 数字の6が嫌い 優等生の中高時代 フロイト 潜在意識 心情全共闘 環境計画 緑地計画 ユリゲラー 超能力 ヘルマンヘッセ 鴻池組入社(1975年・鴻池時代、友人の誘いで真如苑に一時入会) SF小説 ピラミッドパワー(アパートにピラミッドを造りその中で寝起きする) 結婚 TM入会(超瞑想の会・空中浮揚) 日本リサーチ研究所 ダン計画研究所(取締役)麻原と出会う(86年3月) 「オウム神仙の会」入会(86年4月・麻原の著作に接して、1ヵ月後)修業 集中セミナー ダン計画研究所退社 会社設立=「オウム環境計画研究所」(87年4月) 甘露水 ヒイロカネ(邪気を吸い取る霊石) 大阪支部 オウム名称変更→「オウム真理教」 シャンバラ化計画(世界のオウム化構想) ロータスヴィレッジ構想(=コミュニティー建設)百数十万円のお布施 麻原に「前世からの菩薩」とコメントされる 麻原のヒゲを煎じて飲む 「出家して独房修業するか、脱会するか」と麻原に迫られる(87年9月頃) 家族の同意 <出家>(87年11月) 全財産を布施 富士山総本部用地取得・建設を担当(完成88年8月) 真島事件(=遺体遺棄) 89年1月・ドイツへ(支部用地取得のため) 田口事件に関与(89年2月) 89年11月坂本弁護士一家殺害事件に関与 指紋切除 90年2月岡崎から3億円奪い返す 90年3月北海道行き(ボツリヌス菌採取目的・新実同行) 90年4月無差別大量殺人(ポア)計画に反対 90年5月~6月波野村 90年10月国土法違反・逮捕・保釈 91年11月ロシアへ 以降世界各地へ・ブータン・インド・ザイール・オーストラリアフランス・・・ 93年10月池田大作殺害計画 ・・・以下略・・・

 経歴というか遍歴といおうか、見渡してみて感じるのは、実務処理の面での活動(主に用地取得・対外交渉)が目に付く。

 当然のことだろうが、一言も 藤原氏の書くような内容は皆無である。「 ○○さんは、この宗教がオウム神泉の会からオウム真理教となり、その後、早川紀代秀(ホーリーネーム・ティローパ)が教団に入り、この集団が北朝鮮の息のかかる過激な政治集団となった過程をご存じですか。
 麻原の地位の下にありながら麻原を支配していた早川紀代秀がこの集団が利用できると考えたのは、オウム真理教が世間から叩かれることにより除々に怒りを貯め込んだモンスターと化しつつあったからです。・・・以下略・・」

早川氏が故意にその種の記述を避けたのか?そうだとすると、何故か?

藤原氏の断言の根拠は何か?

 この今の時点で皆目見当がつかない。勿論、膨大なオウム関連の情報量で見落としや、未見・未読のものも多いだろうが、読みすすむうちに・・として、つぎに進む。

 森達也著『 A 』へ。
 「奇跡の書」(映画作品とも)だと、大げさでなく感じた一書へ!




*お知らせ
前回の記事のなかで、紹介した二つのブログについて。
 **「しんぶんてれびいらないよ」
 **「憎まれ愚痴」
 ともに、クリックして当該ブログへ移動するはずですが、如何なる理由からか、移動ができなくなっています。 そこで、URLを記しておきます。コピーして、アクセスしてください。

 ***http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sinbunterebiiranaiyo.htm  =「しんぶんてれびいらないよ」
 ***http://www.jca.apc.org/~altmedka/annaizu.html =「憎まれ愚痴」
 上記の関連でワールドフォーラムのビデオは、<Uチューブ>* http://www.youtube.com/watch?v=JitAbTrGnMg でどうぞ。

メモ:一応復旧11.28.17:00



*オウムの暴力集団化
「オウムの暴力集団化・テロ集団化」

一般に、宗教(信仰)教団の暴力集団化と自閉集団化とは、同時に進行していく。
 外部からの何がしかの「力」が働かない限り、その初発から暴力的な「信仰」教団などはありえない。

「オウム神仙の会」の暴力集団化に関しては、出版物・本よりは、はるかにブログ・掲示板で論議されている。
 
***しんぶんてれびいらないよ

***憎まれ愚痴

等々、すごい分量の「情報」の洪水が一方にはある。
他方、 「出版物では、無理だ」というムードが、厳然としてありそれはそれで何がしかの状況証拠にはなりうるものである。通常、「オウムものは売れない」という理由が言われるが、どうだろうか?
 なにかほかに、そうさせる「力」が働いている(出版社・者が自己規制している)と思われる。

 本来なら、今はもう「死刑」判決にも立ち会えないほどの麻原の「症状」についての「報道」や「コメント」そして「映像」が新聞・雑誌・週刊誌、とくに聴取率アップには目の色を変え、なりふり構わぬ「狂態」を毎日示している「ワイドショウ」を席巻しているはずだ。不思議といえるほどの沈黙・無視が続く。

当ブログでは、次の一文(藤原新也氏のHP上の、)を手がかりに、上記ブログも参照しながら、考えていく。

「  ○○さんは、この宗教がオウム神泉(神仙)の会からオウム真理教となり、その後、早川紀代秀(ホーリーネーム・ティローパ)が教団に入り、この集団が北朝鮮の息のかかる過激な政治集団となった過程をご存じですか。
 麻原の地位の下にありながら麻原を支配していた早川紀代秀がこの集団が利用できると考えたのは、オウム真理教が世間から叩かれることにより除々に怒りを貯め込んだモンスターと化しつつあったからです。
 まだ弱者の一救済組織に過ぎなかった初期のオウム真理教が叩かれるきっかけは入信者の中に多数、崩壊家庭の家族から逃げ出した者がおり、世間とマスコミはきわめて小市民的な反応(家族から信者を誘拐したという)によって除々にオウム真理教と麻原を追いつめて行きます。彼らは追われるままに日本国中をさまよい、最後に麻原の故郷である熊本に居を構えるのですが、そこでも迫害に会い世間を完全に遮断し、敵にまわすことになります・・・以下略・・・」

オウムの暴力集団化の議論には必ず登場する早川紀代秀という人物自身が語った、『私にとって、オウムとは何だったのか』  (早川・川村邦光共著 2005.3.25 ポプラ社刊 1,600円+税)
を、読み解きながら、・・・。

 忘れっぽい、一億記憶薄弱の我々は、「イエスの方舟」のときのワイドショウ・週刊誌その他の報道振りとその後の沈黙を、自分を含めて思い起こすべきだろう。幸いなるかな、彼の小さな信仰集団(擬似家族)には、他の「力」の介入もなく、集団自身がかよわいものであったゆえに、「逃亡=籠もり=無視」という賢明な戦術を選択して、事なきを得た、とも言えるのである。<僥倖>というべきだろう。

 しかし、二度目は、悲劇に終った!そして、何もかも未解決のまま「幕引き」が計られている。

        <続>


*急遽、追加!
*以下藤原氏のHPからのコピーです。当ブログで論じている関係で、あえて全文を紹介します。

コピー始
2006/11/19(Sun)

新興宗教と市民
 藤原新也様

 はじめまして。
『黄泉の犬』を入手したばかりで、主に松本死刑囚関連の部分を拝読しただけですが、僭越ながら、藤原様とどうしても意見を交換致したい問題に気づき、メールを差し上げる次第です。

 まずですが、本年9月16日に次の読売の報道がありました。《公安調査庁は教団施設を一斉立ち入り検査し、「事件に対して反省を示しておらず、松本死刑囚崇拝の実態も改めて確認された」という検査結果を公表した。》(この記事はオンラインで配信されましたが、現在ではリンクが切れて確認できない状態です。)

 公安調査庁のこの検査結果は、見方によっては、公安調査庁が自らのリストラを回避する目的で、誇張したものだとされます。しかしながら、仮にこれが誇張だとしても、信者の数からすれば、若干でも検査結果に該当する者がいても不思議はないと思われます。

 一方、藤原様が新著で書かれた松本死刑囚と水俣病の関係の問題がもしもこれらの信者の間で共有されているとすれば、「松本死刑囚崇拝」に十分以上な<正当性>の根拠となっているはずです。とすると、松本死刑囚がやがて処刑されたときには、その死によって松本死刑囚はほとんど絶対的に「聖化」され、それはちょっと想像のつき難い大きな心的な力を信者たちに与えることが容易に考えられます。(宗教の歴史にいくらでもみられる<殉教者>のパターンです。)
 こうした場合、その信者が仮に若干名に過ぎなくても、オウム真理教の過去からすれば、相当な<危険性>を予期せざるを得ません。藤原様はどのようにお考えでしょうか?




  ○○○○さま(藤原氏の返信)
 
 ○○さんは、この宗教がオウム神泉の会からオウム真理教となり、その後、早川紀代秀(ホーリーネーム・ティローパ)が教団に入り、この集団が北朝鮮の息のかかる過激な政治集団となった過程をご存じですか。
 麻原の地位の下にありながら麻原を支配していた早川紀代秀がこの集団が利用できると考えたのは、オウム真理教が世間から叩かれることにより除々に怒りを貯め込んだモンスターと化しつつあったからです。
 まだ弱者の1救済組織に過ぎなかった初期のオウム真理教が叩かれるきっかけは入信者の中に多数、崩壊家庭の家族から逃げ出した者がおり、世間とマスコミはきわめて小市民的な反応(家族から信者を誘拐したという)によって除々にオウム真理教と麻原を追いつめて行きます。彼らは追われるままに日本国中をさまよい、最後に麻原の故郷である熊本に居を構えるのですが、そこでも迫害に会い世間を完全に遮断し、敵にまわすことになります。

 いわゆる私たちが認識しているオウム真理教とその犯罪は麻原とその信者が起こした事件であるとともに、小市民が起こした事件でもあると私は認識しております。つまり小市民も迂遠して殺人を犯しているということ。ジム・ジョーンズ率いる人民寺院の信者たちが起こしたガイアナでの集団自殺もそうですが、世界の宗教集団がカルト化し、攻撃的に変容するか自傷化するかの過程には必ずこの小市民による根拠のない迫害がその芽を作っております。オウム真理教の場合もその例外ではありませんでした。

 私はオウム真理教の残存組織の内情を知らないわけではありません。
 彼らはすでに政治集団として利用されるほどの怒りも体力も財力もありません。
 ただし、その集団の前歴が大きな犯罪が関わっていることにより、過剰な監視と、再びの小市民的迫害がなされるなら、また再びその集団がカルト化するおそれは決して皆無ではありません。その時にこそ神格化される麻原は意味を持つわけです。
 そしていっかいのただの人間をモンスター化させてしまう小市民的な感性が貴方の中にも眠っていることを、残念ながら貴方の文面からも感じざるを得ません。たぶんそれは私の中にも眠っているはずです。
 それがいかに私たち小市民感覚とはかけ離れた集団であろうと、信教の自由を私たちの手によって迫害するのではなく、守ることが敷衍して人々の命を救い、民主主義を守ることだと思っております。

                          藤原新也

      コピー終わり。


*引き続き、『さよなら、S・N』を
*第八章 麻酔 について、少しだけ感想を追記しておきたい。

 ひとつは、前記被験者の人物像がいまひとつ、ピンとこないのだ。残虐画像(ビデオ映像)を見て「考えたくてもよく頭がまわらない」という彼のことである。いまどきの青年にしては、ナイーブに過ぎるのでは?それとも、そんな残虐映像を見ることも無い生活を送っている人物なのか?・・・まあ、豊田君もそういうナイーブな学究だったのかもしれないから何ともいえないが、一般的には不適当な被験者となるだろう。

 いまひとつだけ。

 先日の日本人・中国大使館員が情報提供を強制されて、自殺した件、(相変わらず、真相は我々にだけは隠されているが、)橋本元総理が中国女性(人民解放軍の女性兵士)とのセックス・スキャンダルで追い込まれている(脅迫ですね)という角度の高い情報が流れたりしたのは、記憶に新しい。

 仇しごとはさておき、なぜ、この被験者にセックス関連の残虐ビデオを見せて、検査をしなかったのか?ということである。

 島田も書いているように(P256)、また誰も否定しようの無い本能の衝動としての「性」。

 どうも、洗脳・マインド・コントロールの前にセックスによる拉致ありき!のような感じがしてならない。

 拉致=洗脳、マインド・コントロールから逃れられない「セックス行為」による「縛り」があったのだろう。宗教教団のイニシエーションにおける「セックス」=性的なすべてのものの位置は想像もできないものだったのだろうか?と。

 いま、被験者M君の言葉を一種驚きをもって聴きながら・・・
 なにせ百戦錬磨の(そうでもないか?)あの橋本や注意もされていただろう外務省職員氏でさえ、引っ掛けられる「技術」なのだ。

 ひとたまりも無いだろう!ナイーブな青年とあれば・・・

 *『脳内汚染』岡田尊司 2005.12 新潮社 (1600円+税)は、「ゲーム脳」「洗脳・マインド・コントロール」「ゲーム中毒」を赤ん坊から青少年、中年までの人々の現状を分析して、おすすめの一冊。著者は、現在京都医療少年院に勤務する精神科のDR。         

                 この項<続>
 <追記>
 本日の藤原新也氏のHPに当ブログで論じようとしている、「オウム」の暴力集団化・テロ集団化との関連で重要な記事がアップされていたので、紹介します。

藤原新也・日記 へ。
 

*<続>『さよなら、サイレント・ネイビー』
*オウム真理教(名称変更されても、この名称を使用する)に関して、わたしが今もって関心を持ち続けるのは前記したように①なぜ・何時・誰が主導してテロ集団化したのか?②洗脳・マインドコントロールの問題の二点である。ただし、何故高学歴・優秀な研究者が洗脳されるのか?とは考えない!

 洗脳・マインドコントロール(以後、洗脳とする)に何故優秀な若者が?と考える人間がいることが、わたしなどには不思議でたまらないのだ。何がしかの学問・研究の日々を送っている若者も、例えば肉体労働に携わっている若者も人間的には、トントンである(小田実の何十年も前のコトバで言うと「人間・皆・チョボチョボヤ」)ことを、私などのような職業の者はそれこそ日々体験させられているのである。ありがたいことだ。

 以上を前もって記しておいて、始める。

*洗脳の構図・成り行きを追究・明確化しようと、著者(以後島田とする)は、分析機器メーカー・島津製作所のIさんをを訪ねる。

 「NIRS」という画期的なシステムで被験者M君にビデオ番組を見てもらい、視聴中のM君の脳活動を計り、「洗脳」されているときの脳の活動・働きを解明できるのではないか、と。

 勿論、被験者の見せられるのは、残虐画像である。
 
 「うわっ、真っ黒ですね」 被験者が自分の脳の画像を見て、驚きの声をあげる。

 脳に定期的に酸素を供給している、酸化ヘモグロビン量が脳活動の必要量を満たせない状態になり、結果、「黒い・青い脳」としてみえる(ただし、前頭葉の部分)という。「脳の窒息状態」と島田は書くが、「酸欠」なんだろう。

 被験者の残虐画像を見たときの印象・感じは「うん、考えたくても、よく頭が回らない、そんな感じでした」・「恐怖に駆られると、こんなふうになるわけですか?」
 
 以下、島田はさまざまの前頭前野の活動が麻痺・窒息状態になった(と思われる)例を列挙していく。

 運動・食事・排泄・セックス・

 
戦闘時・特攻隊・人間魚雷「回天」・テロリスト・等々。関連して、ヒロポン酒と特攻隊・楠公精神・平泉澄・ナチス宣伝相ゲッペルス・・・

 こうした、歴史上の洗脳の例は目新しいものではなく、新事実というものは何も無い。

 章の最後に、自らの母校に回帰する。こうした犯罪的歴史に関与していたのだ我が母校はというわけである。

引用少々・・
 「いま言った三つ全部に共通するキーワード、解かる?」
 「三つって?」
 「近代兵器、化学兵器、イデオロギーのマインドコントロール」
 「・・・・?」
 「・・・大学だよ!東京帝国大学。・・以下略・・・引用終わり

 ???この項<続>
 

*二つの視点
『さよならサイレントネイビー』読了。!(地下鉄に乗った同級生)

 第一部 出来事  第一章 苦行
             第二章 筋書き
             第三章 創発
             第四章 欣求
             第五章 痕跡     

 第二部 証言   第六章 拉致
             第七章 調教
             第八章 麻酔

 第三部 伝言   第九章 手紙 さよなら、サイレント・ネイビー

*読み終わって、二つの視点に強く印象づけられた。

 一つは、オウム真理教の拉致・殺人にまで行き着く、<暴力集団=テロ集団化>の時期と契機の問題である。

 二つめは、残虐な画像・映像がもたらす、脳内の変化の問題(マインドコントロール・「洗脳」との関連も含めて)。

 <第八章 麻酔 窒息するニューロンたち>から、読み込んでみよう。 


*関連・新刊紹介。
*なかなか、テーマ<1968年>にもどれないが、まあいい。

 本日も新著の紹介です。

 前回の記事との関連で・・・学生時代の友人豊田亨氏(元オウム真理教の科学技術省次官・地下鉄サリン事件の実行犯)の軌跡を追究していく、「ノンフィクション」。

 先ず、著者が中目黒駅から東武動物公園行きの電車の先頭車両・最後部に乗り込むことからはじまる、「第四回開高健ノンフィクション賞受賞作品」。

 
『さよなら、サイレント・ネイビー』 伊東乾(イトウ・ケン)著 集英社1600円+税

 いまだ、半読(目次読・拾い読みのみ)状なので、書評は後日です。

 購入時、仙台市・K書店の女性店員には、本著用のパンフをいただいたので(この本も彼女の案内で知ったのですが)、その裏表紙から。

 引用始: 「なぜは実行犯に?

     なぜ自分ではなくなのか?

     運命の分岐点、追跡の10年。 」

*「あとがき」めいたもので著者伊東氏も書いているように「オウム本は売れない・出せない」という現実の壁は存在し、それを打破する道筋として、「開高健ノンフィクション賞」へのエントリーを選択したという。

 半読で言うのもどうかと思うが、「おすすめの一冊」とみた!

 *件の女性書店員も「未読」だそうで、一種の「勘」なのでしょう。・・・ 


*藤原新也日記を再度。
*11月10日の当ブログ「別便・ご一報」で『黄泉の犬』についての藤原氏のHPの日記を紹介したが、本日の「日記」にも重要な記事がアップされていたので、また紹介させていただく。
 
 引用開始
 「訂正など
「黄泉の犬」に関し、文春側との意思の確認があった。営業サイドとしては文春で出している本も他社本も「オウム」と名のつくものは惨敗で、昨今ふたたび注目されはじめているインド、アジアものにシフトしたいという意向があったと聞いた。麻原実兄との対話ついての下りは、すべて1995年当時の週刊誌のオウム関連の記事のデスク(彼はこれまでに訴えられたこと数十回、いわば裁判のプロであるとのと)として陣頭指揮にあたった人間に読んでもらっており、その彼が読んで(一部の懸念を残しつつも)「これなら問題ないだろう」という判断を下し出版に踏み切ったとのこと。
版元としても訴えられれば受けて立つ覚悟で刊行している。そこだけは藤原さんにもご理解いただきたいということであった。・・以下略」

藤原新也日記 へ。
  

*『わが解体』から
*『わが解体』 1971.3.5 河出書房刊 (初出は『文芸』1969年6.7.8.10月号と巻末にある。)

 p14から引用
 著者高橋は、教授会のあるべきすがた・運営方法を提起・批判していくが、他のメンバーの拒絶=権力への依存(機動隊導入ということだろう)という結果に終っただけだとして、続ける。
 「・・・それが教授会の本質だったら、それも仕方がない。しかしたとえば立命館大学で中国学を研究されるS教授の研究室は、京都大学と紛争の期間をほぼ等しくする立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後十一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていると聞く。団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜遅くまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生が深夜の校庭に陣取るとき、学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明かりが気になって仕方がない。その教授はもともと多弁の人ではなく、また、学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変わるという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。・・・以下略」
 
*『回思九十年』から、最後に白川博士の檄を!

 「・・・昔の日本の文書は手紙にしても古文書にしても必要があって、目的があって書かれたもので、今のように展覧会用に書かれたものではないのです。それでは心の込めようがないのです。不特定多数のために書くのですから。」

 「・・・僕は手紙こそ書家が自分の生命をかける場所だと思う。書の本来のあり場所だとね。それにしてもいまの書家はなかなか手紙をかかない。僕は字が下手だけれども、手紙だけは墨でかきますよ。下手であっても何でもいい。とにかくワープロで打ったりするのは最もよくない。」
 以上。

 来年の賀状は墨を磨って書こうか! と思いましたか?



*巨星墜つ!追悼白川静博士
*白川静博士」が10月30日に亡くなった。享年96歳。

 『字統』・『字訓』を、書棚に置き、『字通』の縮刷版の刊行(予定今のところないらしいが)を待ちわびていたところだった。

 妙な言い方かもしれないが、漠然とだが「死を感じさせない人」「生命力の衰えない人物」のイメージが強すぎて、いまだに信じられない。

 わたしにとっての、はじまりは、東洋文庫の『漢字の世界1』・『漢字の世界2』であった。(ともに1976年刊となっているが、蔵書は1982刊、初版7刷である。)

 書物の山を回遊していると、ときに巨大な足跡を見つけることがある。「とてもじゃないが、かないませんなあ。」と「幸運な出会いに感謝しよう」という感じとでもいおうか。

 白川博士の亀甲文字や金文を書き写した(トレースだ)薄い紙の累積=』
手を媒介にした身体の記憶!の強靭さ。それと、南方熊楠の通称「履歴書」(3日がかりで書かれたという矢吹義夫宛書簡)=7.5mの巻紙に書かれた58000字!

 ともに、手の微妙な動きの伴った業・技である。とんとご無沙汰の自分を省みてみよう。

 60年代末葉の光景を』
『回思九十年』2000.4.24平凡社)から、少々。(P62~63)

 「・・・昭和43年の暮れ近く、大学の学生新聞の発行権を奪取するため、代々木派がその編集室をホース攻めにし、武闘の結果70数名が負傷し、やがて全国の大学に紛争が起った。そして約半年の後、この学校では、全共闘派がいわば鎮圧された形で終った。数年前に、フランスで文部大臣が引責辞職するほどの学園紛争があったが、それがそのまま、わが国で再現されたようなものであった。その8月、高橋和巳君の『わが解体』が出て、私のことについての伝聞を記している。
 高橋和巳君は、かつて私が吉川幸次郎博士に請うて、私の専攻に迎えた人である。学術にすぐれた才能をもつ人であったが、作家的な自己衝動を抑えきれず、『邪宗門』執筆中に辞職された。再び大学に入ることはないと明言されたが、のち東京に出て明治大学に入り、紛争当時は京都大学に戻っておられた。京都の各大学の両派の学生が、それぞれ集団で巡回するので、いろいろ伝聞されたことがあるのであろう。
 当時大学はほとんど閉塞の状態であったが、私は出校をやめるわけにはゆかず、出校を続けた。家が老朽していて、多くの書を収めることができず、専ら研究室で仕事をしていたからである。これは大学に籍をおいて以来の、私の生活習慣であった。私の生活習慣を破壊する権利は誰にもなかった。・・中略・・暑い夏には、私はステテコ姿であった。粕谷氏(中公の)は私を小使いさんと間違えて、私の室を問われた。私が主であった。冷房もないコンクリートの室の中では、ステテコと濡らしたタオルとが、私のショウ(金編の字)夏法であった。・・・以下略」

 こんな白川博士の学園紛争時の日常であった。

 いま、見当たらない高橋和巳・『わが解体』には、こう記されていたはずだ。・・・一人の真摯な先輩学究がいる。紛争状態の大学に近寄ろうとしない教授が多い中で、白川先生はいつものように研究室に通い、研究を続けた。紛争の当事者の両派の学生たちも白川教授だけは別格視していた。・・・大意このようであったはずだ。

 その、高橋和巳に文章をよみながら、何となく悲しさと同時にホットした記憶があるからである。

 高橋和巳もやっと白川先生に再会できる。合掌。


押入れの中から引っ張り出してきた黒い一冊『わが解体』の当該ページを読んでみて、少し感じが違うので、稿を改めて引用する。








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