カウンター 読書日記 2006年10月
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*藤原新也『黄泉の犬』
 ★『黄泉の犬』刊行

 *9.5に記していた、藤原新也の著作が刊行された。2006.10.30 文芸春秋社、1857円+税。

 読みかけの本は山積み状態であっても、「とにかく読み始めること!」に向かわせる本が、年に何冊あるだろうか?これも、本好きの愉悦(この本のテーマからすると不適当な言葉だろうが、)のひとときだと、一応理由付けをしておいて、読み始める。

 *先ず、「あとがき」から・・・。

 <追記> 「重い」著作には読了後に、それなりの対応をしようと、思い直して、いったん中断する。


 唐突だが、『週刊読書人』9.15第2654号の目取真俊氏の巻頭文より、引用を。
 (辺見庸氏の『いまここに在ることの恥』を読んでの一文である)

 「・・・そうやって辺見氏が『われわれの身体のなかのファシズム』としてえぐり出していくのが天皇制の問題である。・・略・・以下辺見氏の<天皇制へのなし崩し的再迎合=小泉批判の非成立>という観点を引き、・・

 そうなのだと私も思う。富田メモが明らかにされると、昭和天皇の『お言葉』が今でも現実政治に影響を与える。しかも、小泉首相の靖国神社参拝に反対する側までもが、富田メモを評価して、利用したりする。

 本来なら真っ先に処刑されておかしくないのに、マッカーサーのおかげで命拾いした男が、A級戦犯のことをとやかく言えたぎりか。私(目取真氏)なんぞはそう思うのだが、天皇は『神聖にして侵すべからず』という妄念がいまだこの社会を支配している。・・以下略・・」

 *そうだと、私(ブロガー)も思う。どうしてこんな惨状を呈しているのか?

 文化勲章などの叙勲しかり。急進ぶった左右のカッコ付き論客しかり。

 任命の「儀式」で首をたれる、政治家(屋)またしかり。

 「富田メモ」なるものをスクープ!などと一騒ぎを演じた、マスコミにもまた、あきれかえったものだ。

 詳細は前にも紹介したが、
 http://jbbs.livedoor.jp/study/2491/の掲示板、
 『小泉純一郎と日本の病理』藤原肇 光文社 2005.10.30を読んでいただこう。

 コイズミーアベ こうしてアメリカの奴隷・世襲野朗による奴隷(我々)支配が続いて、

 いったいどこへ行き着くのだろうか?「我が美しい日本」は。・・・ 




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*バイク便ライダー
『搾取される若者たちーバイク便ライダーは見た!』
 阿部真大(マサヒロ)という若い(1976生)社会学者のバイク宅配・バイク便の実践体験記(一年近く時給ライダーとして勤務)である。「参与観察」という研究法らしいが、とにかく一緒に働いてみての感想ということ。
 集英社新書10.22刊 640円+税

 
  我がタクシードライバー業と職業的距離は近いし、実際に日々道路で出会っているだろうが、まるで未知の世界。ということで、タイトルに引かれて、一読してみた。流し稼業の休憩時には量的には最適なパンフレット、最近は活字も大きくなって(特に新書)車内でも読みやすいのでたすかる。金銭的には助からないが。・・・
 
 第一章 いま、若者の職場があぶない!
ここでは、究極の不安定就業者(建設業における”ひとり親方、トラック輸送業の持込運転手、等最低賃金の保証もなく、労災保険の適用もない「雇用」形態での労働者)であるバイク便ライダーたちがなぜワーカホリック・仕事中毒に陥っていくのかと問題が提起される。
 第二章 仕事にはまるライダーたち
時給ライダーと歩合ライダー、ミリオンライダー?? *引用P57より「・・・歩合ライダーたちの間では、すり抜けのことが話題にのぼることが多い。すりぬけをする際の最大の障害物はタクシーである。車道の左側をすり抜ける際、タクシーが急によせてきたり、ドアが開いたりすることがある。特に都心はその危険性が非常に高い。こうした危険に対して,Gは、右側を走る、つまり、車と車の間をすり抜けることで対処し、Iは、運転手の頭の動きをチェックすることで対処している。このように、歩合ライダーの多くは、それぞれに工夫を凝らしてすり抜けををしている。」、、、なるほど。そうか、タクシーのほうも左には注意をしているが、常識を超えたスピードまでは考慮にいれていないので、そのへんは道路状況、時間帯を考えて、お互い事故のないように行きましょう。
 第三章 終わりは突然やってくる
趣味から仕事へ、仕事から趣味へ、仕事と趣味の渾然一体の境地?
(趣味を仕事にできるのか?できないだろう!ゴマカシ・論理のスリカエ、なしには)
 第四章 職場のトリック
ここでは、巧妙なトリックで歩合ライダーに志願していく、職場の雰囲気・ムード。時給ライダーから歩合ライダーへの道は広く、逆の道は閉ざされていること。そのなかで結果として「使い捨て」が構造化してしまっていることが記される。しかも、犯人は「職場だ!」と。
 最終章 目覚めよ!雑草世代ーリスク管理と連帯
処方箋が述べられるが、「団塊ジュニア世代」(著者自身もぞくする)の分析が大変興味深かった。「素直で好戦的」というのだ。以下結論は読んでいただこう。
 著者の「まじめさ」も団塊ジュニア世代の特徴なのだろう、とだけ最後に付け加えて。

「世襲」には、サッパリ戻れないが、団塊世代の「ええ加減さ」ということでご勘弁願おう。
書店での立ち読み、衝動買いはやはり、どんなにネット環境が進んでも、独特の匂い・雰囲気があり、いいものだ。心も軽くなるし、行き過ぎれば、財布のほうも、、、。

*団塊世代の著者が思い切りよく書いたものだと感心した、すが秀実『1968年』ちくま新書 2006.10.10刊 860円+税
 新事実満載のお薦めの一冊。ただし、裏表紙のタバコを吸う写真はどうかと思うが。「ウラ・病死」になっても、、、まあいいか?
 




*そうまでして <続>
★ここで、事実関係を明確にしておく。

1.その日は日曜日であった。

2.チケットの名義人は公立S高校。

3.チケットの異様なまでの古さ。

4.お客さんは公務員とその家族。

5.用件は、お墓参り。飼っていたのだろうか猫のお墓にもお参りした。

以上である。

* その公務員は、いったい何処で、どこからチケットを手に入れたのだろうか?

 高校勤務時の公務(これは当然ありうること)のときにもらったものを(正確に言うと預かった税金ですよね)後生大事にとっておいたケースが考えられる。目的は?ただ、ひとつ!だろう。その公務時のタクシー料金が低額で、せっかく5000円も使えるのに”モッタイナイ”と考えたからだろう。

 この場合”モッタイナイ”と思ったのが今回のゴマカシ人物ではないとしても本質は変わらない。 


 ★公立S高校の経理処理はどうなっているんだろうか?これが第二の疑問点。

 タクシーチケットの名義人(この他に一枚一枚に固有の通し番号が印刷されている、)であるS高校は、自身が手渡したチケットの管理をまったく行っていないのだろうか?使われた金額・使われた日付・使われないままになっているものの管理(=此の場合返却を要求するのが当然だろう。)等々何一つ管理らしい管理はなされていないのだろう。

 今までも、そして今も、多分。


 是非とも!改めていただきたいものだ。「教育者」ですもんね、情けないことは、子供や生徒に言い訳しようのないことだけでも、治していきましょうね。

 <この項、完> 時間の無駄だったかな?
  



*そうまでして?
 ★前回の予告どおりタクシーチケットの話を少々。(敬、省略、不悪)

 バブル期には使い放題だった交際費の小さな一部としてのタクシーチケット=クラブのホステスまでが誰かさんにもらったチケットで使い放題・乗り放題だった=だが、バブル崩壊後は一転、承知のとうりの経費節約プラス規制緩和で客数激減、タクシー乗務員の生活保護レベル所得者激増もあたりまえの態になって、久しい。

 今では、極端な話、事故ー事件絡みの報道関係の輸送が最高の仕事となっては、世も末といえる。行き着く先は、乗務員の高齢化(平均年齢は軽く50歳をこえる!)・サービスの低下となり、この傾向に歯止めのかかりようもない。事故の起こらないのが不思議なようなものだが、そこはそれ、わが日本国低階層の「おとなしさ」「成り行き任せの風」は一級品、世界に冠たるものだ。

 自業自得のヒトコトで我々世代は済むだろうが・・・。 泣き言はこれくらいにして、本題を記す。

 タクシーチケットの不正使用は、ままあることだが、あまりにもふざけた話で、しかも使用者は公務員ゆえ、メモとして書き記しておく。実名とチケットの使用者(この場合の使用者の意味は、チケットの名義人=支払い義務を負う者の意味であり、乗車した客ではない。念のため)の名義は仮名にしておく。「更生の道は断たず」というとこだ。

 数年前のお盆の墓参のころ、日曜日。市内中心部ARMTからKZOK霊園まで女性客3名が乗車した。30分ほど待って、再び出発点のARMTまでもどった。支払いの段になり、出されたタクシーチケットを見て、一瞬わが眼を疑ったものだ。あまりにも、使い古したものだったからである。皺はよっているし・・・だが金額記入欄は未記入。有効といえば有効なものだが、これまでの経験上見たことも無い異様な古さ=くたびれきったと言う感じ=に驚かされた。名義はSDI高校であった。公立高校である。 

 チケット満額(限度額は1枚につき5000円)と不足分の現金をいただき、車を動かしながら、考えた。・・・「とかくこの世は住みにくい」などと「山道(坂道?)を登りながら」考えたのではない!

 <続>

 


<記憶に残る文章>
*秋の深まりを実感する今日このごろの仙台。朝夕の冷え込みも日増しに強まり、冬眠願望(ぐうたらもの・たれか・だら・かばねやみ・・等々の方言のほうがピッタリとの声もあるが)の私としては、少量の食料と暖かそうな寝具、そして積読状態の解放を待っている書物の山に囲まれた至福のひと時を夢見る季節でもあります。
 
 日々雑読・濫読に耽っている私のような者にも、心に強烈なショックをあたえてくれる文章との「巡り会い」が、あります。
 夕刻からの冷え込みのなかで、浮かんでくるものを、いくらか書き留めてみましょう。

 ★鈴木秀夫 『超越者と風土』 大明堂 1976刊

「あとがき」より
「砂漠的、森林的ということばの使い方が明確でなく、時には反対とすらみえる使い方があったかも知れない。自然科学的に見て、砂漠と半砂漠とは著しく異なるし、森林のなかでも多種林と純林、また密林と疎林では人間にとって意味は異なるということがあり、それをほとんど砂漠と森林ということばだけで表現したというところにひとつの原因がある。また、一民族のなかにも一個人のなかにも森林的な要素と砂漠的な要素があるわけで、仏教を例にとれば、レンマに注目すれば森林的であり、如来に注目すれば一神教的、したがって砂漠的という表現を使うこともあり得る。
 したがって、一見反対にみえる言葉の使い方も、筆者としては矛盾はないつもりである。筆者の意識しない論理のあやまりがあったかも知れないが、***私は、言葉というものは感覚的なもので、かならずしも文章の論理によらず、そこにちりばめられている文字の配列によって、思想が伝達されるものと考えており、文章中の論理の矛盾、言葉の不適切な使用などがもしあったとしても、あまり気にかけていない。
 言葉は、できるだけ平易な言葉を使い、専門用語を使用することを極力さけ、、、、(中略)、、、

 そして、何よりも、平易な言葉で語ろうとしたのは、もそわれわれが超越者についてそもそも何かを語ることができるとすれば、人間の日常的な言葉で語れるはずであり、専門的な術語を要するはずがないと、私が考えているからである。(、、、中略、、、)

 各専門の書物をみつつ、その個々の出来事にも関心をひかれることがしばしばあったが、陶淵明の『甚だしくは解することを求めず』という言葉をいつも思い浮かべた。超越者について相対者が語る時、この言葉は常に必要ではないかと思った。(後略)」

 <言葉というものは、感覚的なものである>
 <文章にちりばめられている文字の配列によって思想は伝えられる>
 
 以上がわたしの記憶から去らない文章のひとつです。松岡正剛氏は『空海の夢』のなかで、鈴木教授の研究室に出向いたときのことを記している。「、、(鈴木教授は)その明快な推理に自信を持って『念』を押してくれたものだ」と。

 確かに、不思議なしかし説得力のある文章で、論理的ではない文章がズンズンこころに響いてくる。なぜだろうか?
 思うに、通常・普段の会話のなかでわたしたちは<論理>(文法と言ったほうがいいか)を念頭において会話してはいない。(--その最悪の例のひとつが麻生太郎という七光り組の国会答弁で、暇なときにでも聞いてみるといい。緊張感のない、他者の口真似と常套句の羅列が続き、論理的でも説得的でもない。鈴木氏の文章(そして会話でも)と対極にある「お笑い」の発言が楽しめるだろう。そのつけは勿論我々に返ってくるので「お笑い」ごとではないのだが。--)
 しかし、鮮明な記憶として残るのはよく体験するところです。 
 続いて「はじめに」より引用する。この一文は<簡が最善>という見本のような文章だ。また、読むものに思考を緩やかに(妙な言い方だが)強いてくるこれも不思議な名文だと思う。
 「、、、相対者である人間に与えられた超越者に関する知識が異なっているということは、人間の住む風土に違いがあるためである。歴史的発展段階によって、その知識が進化したという事実はたしかにあるが、歴史の展開は、常に風土の変化を伴っており、風土の変化のまったくないところにそもそも人間の歴史的発展がありうるかどうかということは、想像をすることも不可能であるから、風土をもっとも基本的な要件としてあげることが許されるであろう。、、、」 




*追記*
*前記、西川一美著『秘境西域八年の潜行抄』からの引用を続ける。
  
 ”・・略・・日本の敗戦と同時にスバス・チャンドラ・ボース氏と共にインド独立を戦った将兵は故国に引き揚げてきた。当時なおインドを支配していた英国は、このインド独立軍の将兵全員を戦犯として軍事裁判にかけた。このとき終戦と同時に獄舎から釈放されたガンジー、ネール以下の幹部はもちろん、インド国民全員が立って弁護人となり、インド独立軍将兵の無罪を主張し遂に彼らは勝った。戦犯などとは当然あるべき筈のものでない汚名を、インド人の中にはひとりとしてつくらなかった。私の会った将兵も、それらの一員であったのである。
 これらの事実と敗戦当時の日本人を比較して見ることも、また必要であろう。昭和25年インドから送還された私は、シンガポールからの祖国将兵の戦犯数名の人達と故国に第一歩を踏んだとき「ご苦労さんでした」の言葉のないのはもちろん、「俺達が引き揚げてきたときは、なにしろ石を投げつけられたのだからなあ・・」と言う言葉を旧友から聞かされた。
 立場や勝敗はどうであろうと、いったん国のために戦った人々を国民全員が温かい思いやりで迎え慰め合ったインドの国民と、軍隊はあたかも敵のように恨み迎えた日本の国民。これが私達の同胞日本人だったのだろうか?いったい自分は日本人なのだろうかと、疑わざるを得なかった。
 インドのパール博士が、東京の軍事裁判で、ただひとり戦犯反対論を説かれたことを多くのインド人から聞かされた。彼らは、このパール博士の説を、どれほどインド人の誇りとしていたことであろう。前述のインドの軍事裁判の結果でも分かるように、インド人としては、まったくそれは当然過ぎるほど当然のことであった。”・・略・・
 (逮捕-送還-戦後日本への帰国となり)
 =引用続=
 ”・・しかし迎えてくれた夢に画いていた祖国は、幽霊将軍マッカーサーが天皇に代わってふんぞりかえり、幾億という血税を吸った官吏が娑婆でしゃあしゃあしているとか、職業的となった大臣、代議士が民主主義をふりまわし、古来から培われた美しいものをすべて古くさいと片付け、奔放な自由を、自由主義だとかわめいたりしていた。雀の巣のような頭をして白人、黒人の手にぶら下がり、あるいはその子供を抱えているのが、最上の文化民だと往来を闊歩している婦女子もいた。溌剌たる意気のやり場の迷っている若人、芋や大根の葉っぱで苦労したとこぼす、本当の苦労を知らない人々、頭だけ大きくなって足がちについていないインテリとジャーナリストの絶叫、精神病院の鉄格子の檻の中にひしめきあっている人、人、人、人の群れだった。
 故郷への切符と一枚の千円紙幣を握らされた我々は、千円紙幣にびっくりし、
 「どうか十円紙幣の細かい金にかえて戴けますまいか」
 と係員に願い出たら、笑って相手にされなかったのもその筈。神戸駅前の一杯のみ屋で木村君と互いに別れの盃を酌みかわしたら、
”銚子一本百円也”だった。 ”  <完>


*続*
『ブータン仏教から見た日本仏教』を読む。*

 あれもこれも、やや焦り気味(自分でもそう思うが)に雑読・濫読の日々をおくる私にとっても、有無を言わさず<再読>を強いてくる書物が在る。この著作も、最近(ここ一年)の、その種の数冊中の一冊である。

*ここで、また寄り道して、その数冊を(思い浮かんだ順に)記しておくことにする。

・『二十世紀精神病理学序説』 渡辺哲夫 ちくま学芸文庫 2005.11刊
  (原著は2001.12、西田書店刊)
 冒頭のランボーの手紙を引用しながらの文章に圧倒されてしまったままだ。

 
・『自壊する帝国』 佐藤優新潮社 2006.5刊
 インテリジェンスのプロの半自伝。自伝・回想記の類にはなぜか魅かれるが、これは稀有の一冊だと思う。
『秘境西域八年の潜行・抄』( 中公文庫2001.10刊)に残された西川一美という若き外務省の情報官の記録から早や半世紀を越えて、外務省は相変わらずなんだなと情けなくなる(しかも実害はいつも我々がこうむる)のは私だけだろうか?
 西川本・p341からあの悪名高き「インパール作戦」(ご存知あの牟田口廉也が天皇誕生日までに格好をつけようとした作戦だ)についてのインド人たちの話(時は戦後まもなく)を引用しておく。
‘、、、このインド・ビルマ国境の防衛に繰り出されたインド人達は、私にこんなことを話してくれた。「ビルマ国境の防衛に繰り出されて行って、これほど贅沢をしたことはなかったよ。、、略、、」  「どうして、日本軍はビルマに進出して来たとき、険阻なビルマ国境の陸路を選び海路から進出して来なかったのだろうかと、私達も不思議に思っていた。もし日本軍が海路からインドに進駐して来たなら、戦わずして、あたかも無人の野を行くように、日本軍はインド平野に進出できたであろう。なにしろ当時インドには、英国兵といったらもぬけの空同様であったし、国内の民衆は独立の意気に燃えて、あらゆる好条件を揃えていたときだったからなあ・・・・どうして選りによって、ビルマから陸路を進出したものだろう?」、、、略、、、以下は省略するが、一読をお薦めしたい。

・『賢く生きる』 藤原肇 清流出版 2006.7刊
 Dr。FUJIWARAの最新対談集 叡智を真摯に学ぼう、と思う。

・『寛容の文化』 M・R・メニカル 名古屋大出版会 2005.8刊
 副題「ムスリム、ユダヤ人、キリスト教徒の中世スペイン」
 宗教(信仰)が異なることが果たして衝突・対立の原因なのか?
「9.11」を経験した(あくまでマスコミ報道上の経験が大半だろうが)、我々に沈思黙考の貴重な時間をあたえてくれる。「キリスト信仰不毛の地」と宣教の徒を嘆かせる日本の「住人」には書けない内容。
 「文化の蓄積」が歴然と感じさせられる、こういう本を読むと。

・『釜が崎と福音』 本田哲郎 岩波書店 2006.3刊
 日本の仏教界への批判・訣別の書が今枝氏の著作だが、この本田氏は 巻頭にF・アイヘンバーグの画に描かれたキリスト像を提示する。
 貧しきものの列(ニューヨークの炊き出しの風景を眺めていたのが画家のヒントになったと、、)の一人としてのキリスト。先ず「共に在る」ことの実践者・キリスト。これは、あくまでも実践の書であり、実践で得られたことをきわめて具体的に提示してくれる。今、<何をなすべきか?>

・『いまここに在ることの恥』 辺見庸 毎日新聞社 2006.7刊
 病に倒れ、自殺を真剣に考えた(道具の準備・購入までしたという) 著者の自身に突きつけていくがごとき渾身の一冊。
 我々の思考行為全体を深いところで規制している<天皇制>そして 補完物としてのボンヤリした脅威(要するに脅かされるわけだ、それについて書くと、いずこからかははっきりとしないが)や暴力は現在する。
 病によってこれほどまでの言論の地平に人間は到達できるのだ。

*いつものこと、脱線してしまいました。続は後日に。

*一方で「景気回復」が声高に叫ばれ、他方生活保護世帯100万を突破というニュースが流れている。
こいう現実を前にして、いまだに「格差社会」を否定する発言を続けるアレヤコレヤ(有象無象!)は必ず具体名で記憶しておこう。


*宗教界の世襲制*
*前項の続き*
                                 ぼんやりとは認識しているつもりでも、いざこう言う突きつけられ方をされると日本の「仏教」界・僧侶の惨状について考えざるを得ない。この「ブータン仏教から見た日本仏教」は読者に猶予を認めない類の事実をもって迫ってくる。世襲制の弊害のみがテーマではないが、ここではそれに絞って、先ず関連の目次を列記する。

第一章~第二章:略
第三章 ブータンで学んだこと
第四章 ブータン仏教から見た日本仏教ー個人的体験から
第五章 日本仏教の特異性
第六章 さらば浄土真宗
第七章 仏教の中心思想とその変遷
第八章 ブータンとフランスの仏教
第九章 日本仏教の課題と将来性
おわりに
 以上。

 世襲制と宗教界とりわけ仏教界について論じていく前に、継承一般のなかでなぜ世襲制が問題なのか?

血の連続ということを唯一の根拠とした継承がその過程で捨て去っていくものの重要さがあまりにも大きすぎるからだ。遺伝の過程で「ゆらぎ」をともないつつ、ほぼ複製されていく、生命体としての我々。それ以外のありかたではおおまかな連続性さえ保てない我々じしんを否定することでしか成立し得ない錯誤の前提のうえにたった世襲制は弊害というより、大罪である。

以下、内容に従いつつ大罪の現実を記していく。*続*
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  



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