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●『龍宮神示』を読む。第六章。
 ★天の岩戸を開けるのは我々自身である

 終末の世から、平和の世へ移行するには、厳(いづ)と瑞(みず)の結びがなされなければならない。
 王仁三郎は、その奥義を次のように説いている。

1、天の岩戸の鍵を握れるものは瑞の御霊なり。
1、岩戸の中には厳の霊かくれませり。
1、天の岩戸開けば、二つの御霊そろうてこの世を守りたまわん。
さすれば、天下はいつまでも穏やかとなるべし。

 天の岩戸の鍵を握っているものは瑞の御言(スサノオ命)であるが、それには宇津女神の力が添えられなければならない。宇津女神は「古事記」の中で、巫女(みこ)として語られる女神である。

 それは彼女が神懸かりする者(神の霊を宿す人間)であることを意味している。

 前回の天の岩戸開きの時には、天照大神の籠もった天の岩戸の脇に天手力男命(あまのたぢからのみこと)が隠れて立ち、天宇津女が神楽を舞った。
 神懸りして乳房をあらわにして桶を踏みならす派手さに、八百万の神が天地も揺れんばかりに大笑いする。

 その騒ぎに天の岩戸の中の天照大神が不思議に思い、岩戸を開けてわけを問いかけるのであるが、「貴方より尊い神様が現れたので、みんな喜んで笑い、楽しんでいます」と嘘をつき、そのスキに隠れていた天手力男命が天照大神を引きずりだしたのである。

王仁三郎は「嘘」と「力ずく」で引きずり出した天照大神は偽物であったと語る。
 しかもこの天照大神は天宇津女のつく墟によって、【見栄と嫉妬にかられた虚構の神】であった。

 すべての過ちがここに始まっている。

 「三千世界の世の立替えと申すのは、世界の人民の身魂の立替えのことであるぞよ。世界の身魂がみな総ぐもりになりてしもうて、言い聞かしたくらいには、改心でける身魂はないようになりておるぞよ。むかしの弥勒の世は結構でありたなれど、暮れいきよると、身魂にくもりがでけてきて、天照皇大神宮どののおりにも世の立替えをいたしたが、天照皇大神宮どののおこりは、ここまでにもなかりたなれど、こんどの二度目の立替えは骨がおれるぞよ。まえの天照皇大神どののおり、岩戸へおはいりになりたのを、だまして岩戸を開いたのでありたが、岩戸開くのが嘘を申して、だまして無理に引っ張り出して、この世は勇みたらよいものと、それからは天の宇津女命どののうそが手柄となりて、この世が嘘でつくねた世であるから、神にまことが無いゆえに、人民が悪くなるばかり」
(明治三十八年、旧四月二十六日・大本筆先)

 宇津女である我々は、この岩戸開きに際して、「誠」と「和合」の心で、スサノオの働きを手助けしなければならない。


 ★「霊界物語」と「ヨハネの黙示録」に見るバールとヤハウェイの逆転劇


 スサノオの持つ「愛」と「和合」の精神こそが「一厘の仕組み」と主張する「霊界物語」と聖書の謎の預言書「ヨハネの黙示録」をあわせ読むと、「黙示録に秘められた一厘の仕組み」が浮かび上がってくる。

「黙示録」をよくよく読むと、そこにはバールとヤハウェイの二つの神が登場しているのである。

 まず、「黙示録」の冒頭には「天上におられるキリストの姿」と題して、神としてのキリストの姿が描かれている。その神は自分のことをこう語る。
「恐れるな。私は最初の者にして最後の者。見よ。世々限りなく生きて、死と冥府の鍵を持っている」
 ここでキリストである神は、死んでまた生き返る神・バール神であることが分かる。

 次にサタンと呼ばれる年をとった蛇・龍が終末の災いを呼ぶことが描かれている。
 その龍がどのような龍かといえば「女と龍」の章に龍の姿が次のように記載されている。

「見よ、火のように赤い大きな龍である。これには【七つの頭と十の角】があって、その頭に七つの冠を被っていた。・・・龍は子供を生もうとしている女の前に立ちはだかり、女が子供を生んだら食べてしまおうとしていた。女は男の子を生んだ。この子は、鉄の杖をもってすべての国民を治めることになっていた」

 ここで前述したユダヤの神話を思い出して欲しい。
「バールは七頭の龍と戦って、鉄を手に入れた」という神話である。

「黙示録」の龍は、明らかにバールと戦った七頭の龍のことであり、生まれてくる男の子は鉄の杖をもって、すべての国を統治するという記述からバール神の生まれ変わりであることがハッキリする。

 しかしこの龍は「千年の支配」の章で神によってしばらく活動を許されるはずだと語られている。
 この場合の神とは明らかに龍と敵対するバール神ではなくヤハウェイである。
 龍の手下である世紀末の世を支配する二匹の獣は666という数字によって表されるが、666とはソロモン王の立てた「契約の箱」を収めるヤハウェイ神殿の建築に使われた金の延べ棒の数と同じになっている。

 つまり、さまざまな終末の演出をしている神がヤハウェイであり、それを救おうとしている神がバールなのである。

 我々は二神を「神」という言葉に惑わされ、一人の神として解釈していたので、ジキルとハイドのように豹変する神の性格と、酷く矛盾する「黙示録」の内容に悩むことになったのである。

 バールこそが終末の救いの神であることは、終末戦争の後に出現した新しいエルサレムの様子からも証明される。
「その新しいエルサレムには(ヤハウェイの)神殿はなく、契約の箱も存在しない」とはっきり記されている。
 そしてそこは愛と平和が約束された千年王国なのである。

 ○ヨハネの黙示録 千年王国・キリストの再臨 ― 

 聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下ってくるのが見えた。
 神の都は栄光に輝いていた。その輝きは最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。(中略)
 私は都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と子羊が都の神殿だからである。この都にはそれを照らす太陽も月も、必要ない。神の栄光が都を照らしており、子羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分の栄光を携えて、都に来る。
 都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は栄光と誉れを携えて都に来る。しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りをおこなう者は誰一人都に入れない(筆者注・神は都の門を閉ざさず、誰をも受け入れるにも係わらず、御霊の曇ったものは、その都に入ることが出来ないのである)。(中略)
 「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはαであり、ωである。最初のものにして、最後のもの。始めであり、終わりである。命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。犬のような者、魔術をおこなう者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。わたし、イエスは使いを遺わし、諸教会のために以上のこと(黙示録)をあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。【霊】と花嫁とが言う。『来て下さい』これを聞く者も言うが良い。『来てください』と。渇いている者は来るが良い。命の水が欲しいものは値なしに飲むがよい」
 
 ★三千人の救世主が用意されている


 本来ならば百二十巻までを完成させる予定であった「霊界物語」の完結が無理だと踏んだ王仁三郎は、晩年、陶器作りに没頭しはじめる。作ったのは皿や茶碗のような器・・・。

 王仁三郎が焼き物を焼くと、なぜか滅多に起きるものではない窯変が続出する(窯変とは上薬の状態や、窯火の様子で計算できない模様や色が浮き上がる現象)。
 作風は自由闘達、無碍自在。いかにもおおらかな王仁三郎の人柄が現れている。専門家の中には王仁三郎の作品を「国宝級のものだ」と絶賛する人も存在する。
 しかし、それらは国宝などというようなチンケな品物ではない。世界の宝と言ってもいいような意味が存在しているのである。
 王仁三郎は『霊界物語』の執筆という急務を打ち切って、いったいなぜ、陶器づくりに熱中していたのであろう?

 生前、王仁三郎は「人は神様からいただいた分霊を入れる器なんや」と語っていた。
 『霊界物語』が完成され得ないことを悟った王仁三郎は、自らの残りの使命を託す器を用意するために、焼き物作りに没頭していたのである。
 王仁三郎が焼き物を焼く行為は、霊界に王仁三郎の後を引き継ぐ器を生みだすという神業の一つだった。それ故に、そこに霊妙な神意が働き、器たちは神の手によって模様や色を刻まれるという現象が発生したのである。

 王仁三郎は生涯を閉じる前に、およそ三千個の器を作ったと言われている。つまり、少なくとも三千人の救世主が終末の世に出現することが約束されているのである。

 それはどこからどのようにして現れるのであろう?
 確かなことは、それが特定の宗教からや、特定の地域、特定の民族から現れるものではないということである。
 救世主が特定の何かから現れてしまえば、そこだけが偉いということになってしまう。
 王仁三郎は「弥勒の世は平等の世や」「弥勒の世に宗教は必要ない」と断言した。
 また、「わしは大本の王仁三郎やない。世界の王仁三郎や。世界を救うためやったら、大本がどうなってもかまわん」とも叫んだ。
 世界を救うために、救世主の御霊をもった人間は、世界中の至るところから出現するのである。そしてそれはむしろ、何の宗教にも、何の団体にも属さない無垢な御霊である必要があるのである。

 「近ごろは、いろいろの神の名を語(嘱)り、その気になるものが大勢現れておるな・・・これも地の岩戸開きの時代であるから。見せてある、いろいろの型じゃ。○九十(真)の○九十の高神、大神は一人の身のみに憑(よ)る事はないのじゃぞ。神霊を分かちて、あらゆる所にその働きを現す事もある。龍宮の乙姫は此の天地の始めからの大神で、地球を七回り半の大龍体と申してある。そのような天地創造の神が一人の身に憑る事は無いのじゃぞ。
 乙姫と申せ何段階もあるのじゃぞ。その使いしめもある。○九十(まこと)の龍宮は一万年や二万年前の御霊では無い。元の元の天地創造の神であるから、取り違えをいたされるな・・・今に判りて来るが・・・今の世に神の名を語る者は皆型じゃ。○九十、新生の世を築く、まことの身霊の者はこれから芽ぶきてまいるなり。世の片隅に現れて芽ぶきの用意をいたして居るなり。今栄えて居る宗教も、是は花じゃ。花は散りてこそ実を結ぶのじゃ。龍宮神界の○九十の入口は○OOOであるから、此の事を忘れては龍宮の○九十の道は立たぬなり。各地に龍宮の入口はあるなれど、元の元を忘れてはならぬぞよ・・・神示も霊示も、我身の都合の良いように受け取れば、どのようにも取れるが、それは真実では無い。己が身魂の磨き第一と受け取りて下されよ」(平成7年1月6日 弥勒神示)
 
 ★王仁三郎の弥勒国家論 


 では現実の「弥勒の世」というものが、いかなる社会構造によって実現されるべきだろうか? この点について王仁三郎は重要な国家構想論を幾つか語っている。

 まず人間生活においては最小の共同体単位をもって相互扶助を行う。
 この最小の共同体単位というのは、農業・林業・漁業・畜産業などの人間生活に絶対不可欠な産業を行うために必要とされる人数が寄り集まった単位をいう。これをもって自給自足を条件とする。
 かつ、土地の所有権はすべて団体に対して奉還される。この場合の団体というのは、国家ではなく、国民であり、かつ共同体の構成員のことである。
 元来、神のものであるはずの土地を人間が所有し、その所有権を争ったり、私有財産を増やすことに夢中になったりすることが、貧富の差や社会構造の歪みを生んでいく。
 土地の所有権というものを消滅することが、社全経済に大きな変革をもたらすのである。
 この場合、住居は家族の構成人数によって必要なだけの敷地を供給されることになる。そして、税金制度は撤廃する。
 国家に必要以上の力を与えることは帝国主義を生み出すだけで、国民生活に何ら利益をもたらすものではない。一部の権力者が富める構造は排除する。
 こうした共同体が構成してつくる都市の単位は十万以上のものを作らない。地域による偏りをなくし、日本全土をくまなく有効利用しなければならない。

 ここでわかることは、王仁三郎の構想する社会構造は、構造的には権力や貧富というものが発生する以前の、極めて原始的な社会構造を理想としているということである。
 そうなると、ついつい私たちは国家としての文明が立ち遅れるのではないかとか、統制がとれないのではないかといった心配をもってしまう。
 しかしそれこそが、私たちが現代社会の毒に冒されている証拠なのである。
 実際、文明が遅れるとか、文明が進歩するというのはどういう観点をもっていうのであろう。

 現在の人間は、十分自然の脅威と戦う文化を有しているし、電話やFAXや新幹線といった便利な道具ももっている。日本の国土開発も、原始的社会構成にしたとしても不便がないほど、進んでいる。

 文明は追求する限度を知らなければいけない。
 我々は便利な道具をいっぱい生み出したが、その結果どうなったであろう?
 無尽蔵に文明機器というものの生産を続け、それを消費することに汲々とし、経済的にも精神的にも疲れ切ってしまっている。
 「機械文明の限界を知らない開発は悪である」と王仁三郎は言及している。
 我々は便利な物をドンドンと生み出し、それによって消費する電力も増す一方となった。そのため、原子力発電所などの開発を迫られ、その核廃案物の処理に頭を痛めている。あるいは、オゾン層を破壊するフロンガスを生み出したりする。
 機械文明は自然と戦い、自然を破壊し、人間の生命を脅かす結果になっているのである。

 王仁三郎は「文明開発というものは、人間に恵みを与えてくれる自然界をよく観察、検証して、調和するところを成さなければいけない」と語っている。
 文明と自然が調和して人間生活を豊かにする丁度いいころ合いという時代があったはずである。それを急ぎ過ぎて度を越した結果が、自分で自分の首を絞めるような現代に至っているのである。
 文明開発は、自然と良く相談し、調和しながら行うものであり、それが多少遅れたからといって、何ら不都合は存在しない。
 決して国家や人類の発展などという目的のために行うものではないのである。

 こうした社会構造を受けて、貨幣制度をも撒廃すべきであると王仁三郎は主張している。

 「由来、金銀を貴重視する習慣は古今世界の分野を通じ人間社会の条理のように信仰されつつある。このため、大変裕福な者が出る一方、住居もままならない者もいる。そして又、国家の競争、産業の競争、国家の興亡、戦争の動機、人心の腐敗、諸多の犯罪は黄金の獲得欲望が原因である。この金銀本位の財政経済の結果は、限りある財貨で、限りない欲望を満足させようとするが故に無限の罪を醸成するようになる。元来、金銀をもって国家経済は、物質交換の不便を克服したのであるが、もともと国そのものの存在理由や価値観が不明瞭なために、普遍的な価値観である財力の強大なことで、その不明瞭さを解決しようとするのが大きな誤算なのである。人間も同じことで、自分の存在理由や価値観が不明瞭なために、それを財力や、金の与える満足で補おうとする過ちがあるのである。しかしそれが間違っていることは、過去の人間の歴史の大戦などを見ても確実である」(簡略・意訳)

 この王仁三郎の構想した国家は、極限の民主主義の姿であろう。
 このような構想を明治生まれの王仁三郎が侍っていたことは驚異である。
 王仁三郎をよく知らない人の中には、王仁三郎を右翼として評する方たちがいる。しかし、それが大いなる誤解であることが、王仁三郎のこの国家構想を知れば判るだろう。

 王仁三郎の論ずる国家構想は、極めて社会主義国に似ているものの、社会主義との大きな相違点は、社会主義国家が民衆・労働者主体といいながら、全体主義を意識し、国家中枢に富と権力を集めていった点に比べて、王仁三郎の構想では、国家はむしろ解体され、実体のない理念的な共同体として作用し、権力や富が国家の名のもとに集中しないという現象が生じる点である。
 現代の多くの社会主義国家は、王制といった封建時代的な政治形態から、民主主義を経ず、民衆の意識レベルが育っていく過程なしに突然生まれてきた。これでは、王が国にすリ変わっただけの全体主義国家になってしまうのはやむを得ない。王仁三郎の理念は、現代社会主義の欠点を鋭くついて、その欠陥を補ったものだということが出来るだろう。
 しかし、こうした理想国家は体制だけをそのように作り上げれば出来るという問題ではない。まず先に、我々の意識レベルでの改革が行われた上に成立するものなのである。
 その時、初めて王仁三郎の国家構想は「夢物語」の枠を越え、現実的かつ具体的な国家構想へと変身を遂げるのである。
 
 ★王仁三郎追想 


 蒙古から帰った王仁三郎は、教団本部である綾部を抜け、一人亀岡に入った。
 そして一面竹藪だらけのジャングルのような敷地を、もくもくと草を引いてかたづけ、すこしずつ開拓していった。こうして開拓した亀岡天恩郷に、王仁三郎は神殿を建てることを嫌った。
 「もうこれからは宗教のない世の中になるんや。しやから神殿なんて必要ない。石でも積んで拝んどいたらええ」
そう言って、信者が一つ一つ集めて持ち寄った石を積み上げ、王仁三郎が霊界で見たという月の大神の神殿をモデルに月宮殿という石のモチーフが作られた。
 亀岡には王仁三郎を慕う若い信者が集い、歌詠みや陶器作りなどの平和な芸術活動が展開されていった。
 しかし、亀岡も綾部も第二次大本弾圧、第二次世界大戦で破壊されつくす。
 その後の再建の際にも王仁三郎は神殿を作らず、石積みのモチーフを二つの拠点に作っただけであった。
 「もう宗教なんか必要のない弥勒の世がすぐ来るんや」
 そう言いながら王仁三郎はもくもくと陶器作りのために轆轤を回し、上薬を塗る。
 もうすでに王仁三郎の目の中には、弥勒の世の出現に顔を輝かせる人々の顔が見えているのである。
 「もうちょっとやでえ」 出来上がった器を見ながら王仁三郎は呟いた。
 王仁三郎78歳、1月19日、すでに病院において口も利けぬ程の朧朧たる意識の状態であったが、王仁三郎は臨終の間際に言った。

 「最後はいつ・・・臨終はどこですか?・・・亀岡に帰りたい」
 無茶な話であったが、王仁三郎のたっての願いで、寝台車によって亀岡の自室へと運ばれた。
 「ここは、わしの部屋?・・・お筆先、お筆先はどこ・・・。わしでなければ分からないメモがあるんだ」
 しかし、それは叶わぬ願いであった。王仁三郎の息づかいが次第に静まった。
 「西へ向きを・・・手を胸に・・・すそ直して・・・」
 一生を神劇の役者として生きた男の魂は、こうして天に召されたのであった。

 ******************

 『龍宮神示』を読む。第六章 <了>。  
                      
 


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●『龍宮神示』を読む。第六章。
 ●第六章 ロシアAUMが中東戦争の火種になる時 
 
 ★地下に潜ったロシアAUM 

 
 筆者(月海黄樹)を始め、我々はついつい自分たちに身近な日本のAUMの動きに目を奪われがちになっている。しかし、本当の脅威はロシアAUMなのである。

 これは霊的にみれば、いままで真空地帯だったロシアにヤハウェイ教が上陸したことを意味している。

 そもそも、なぜAUMがロシアに大胆な布教活動を起こさねばならなかったか?

 マスコミでは様々な憶測が飛び交い、他の外国では布教効果が上がらなかったからとか、ロシアで武器を買いつけるためであるとか言われている。

 しかし、このどちらも理由としては不十分である。

 AUMはロシアの国営放送の枠を買い取り、地下鉄ではAUMのポスターを目にしない日はない程の布教活動をした。しかしそうまでしてロシアで信者を集めても、ロシアというハイパーインフレの国(*当時)で集めた信者はほとんど無一文に等しく、教団としては資金を出すばかりで、いっこうに回収する目処は立たない。武器入手が目的なら、こんな面倒くさいことはせず、単に買いつけに行っていれば良かったのではないだろうか?

 それなのに、AUMはロシア国内で未曾有の布教活動を展開し、一説には3万5千人ともいわれる信者を血眼になって獲得する。

 その鍵は「土谷メモ」と「AUM真理教クーデター作戦」の内容に隠されている。

 ここには、
 「1997年。麻原教祖、信者3百人を連れイスラエルに入国。ここで敵に捕まえられる。敵は多分イスラム教徒。AUM軍がこれを救出に来る」
 とか、
 「ロシアで組織したAUM軍が日本の港に上陸」という記述がなされている。

 AUMはロシアで軍隊を組織しようとしていたのである。

 ロシアからイスラエルに向けての軍隊派遣。
 AUMの構想はそこにあったのである。

 考えてみれば、ロシアほど内密に軍隊を組織しやすい国は他には存在しない。ロシアには旧ソ連の遺産ともいえる武器・弾薬が山積みにされて残っており、ロシアはその処分に頭を痛めている。
一説にはAUMにもこれらの武器はとうに流れこんでおり、それを調査しようと国内で組織されたAUM調査団が調査をしても、AUMのロシア進出の立役者となったロシア副大統領の手によって、まったく解明をゆるされないともいわれている。
 また、ロシアには徴兵義務があるため、成人男子は軍事経験者である。武器と兵隊、これらのものがロシアでは容易に手に入るのである。
 しかもロシアAUMは解散命令が出されたにもかかわらず、出家者の多くが、いずこかにかき消えてしまっている。

 地下に潜んだロシアAUM。

 そして麻原以外の陰の実力者の存在。

 このことは不気味な未来への預言を暗示している。
 それは黙示録の預言とも、「霊界物語」の預言とも重なってくるものである。
 それが起こるとすれば過去の大本経綸の法則から考えればAUMの強制捜査より6年後、
 すなわち2001年のことだと思われる。

  
 ★ハルマゲドンの本番を実行するのは「狂気の日本人」

 
 麻原教祖はイスラエルに入国することを目的としていた。

 それは終末思想を持つ彼にとっては当然のこととも言える。

 黙示録には、終末の世にメシアは神の軍隊とともにイスラエルに出現する、と書かれている。

 麻原がメシアであることの証しを立てるには、終末のイスラエルに居なければならない。
 それでは、麻原が計画通りイスラエルに入国していたらどうなっていただろう?

 インドで起こした騒動からも予想されるが、「自分はメシアである」などといって、イスラエルの聖地にスクラムを組んで座り込む「狂気の日本人」は、当然現地の人々の反感を買い、弾圧、あるいは投獄されることは免れえない。

 そこにロシアで組織されたAUM軍が到来するという筋書きである。
 だが、当のロシアがそれを、手を拱いて見ているだろうか?
 筆者は、ロシアは気づかぬ振りをして黙認するだろうと考えている。

 なぜならロシアは独立国家となったアゼルバイジャン共和国などの西南アジアの豊かな土地を喉から手が出るほど欲しがっているからである。
                                    
 旧ソ連の中心ロシアとはいっても、実態は農作物も満足にとれない極寒の不毛の地である。東西貿易にも有利で、気候の恵まれたアゼルバイジャン共和国をロシアは再び支配下に収めたがっている。

 つまり筋書きはこうである。

 イスラムの聖地が「狂気の日本人」の軍事政権下におかれ、サリン等による周辺のイスラム教徒への殺害が起こる。
 この未曾有の事件に黙っていられないのが、アゼルバイジャン共和国の大部分を占めるイスラム教徒たちである。

 イスラムの宗教的な定義においても、聖戦に進んで参加するに違いない。
 ロシア人とロシアの武器で武装されたAUM軍とイスラム教徒の激突が起こる。
 これを機にロシアは「アゼルバイジャン共和国の軍事支配」の目的を裏に隠したイスラエルヘの軍事介入に出るのである。

 表面的には「ロシア人によって組織された反乱勢力の暴挙を鎮圧する」という名目が使われるに違いない。AUMとイスラム勢力の激突は、過去からの確執をもちこしているイスラムとイスラエルにも飛び火するに違いない。

 この事態に危機感をもったイスラエル政府は国連軍に軍隊派遣を要請する。当然、アゼルバイジャン共和国の手前、ロシアはイスラムの側に立つ。
 かくて、イスラエルには終末の預言通りに世界中の軍隊が集結することになる。

 その様子を聖書の終末預言から見てみよう。

エゼキエル書 (マゴグのゴグに対して)―
 主の言葉は私に望んだ。「人の子よ、マゴグの地のゴグ、すなわちメシュクとトバルの総首長に対して顔を向け、彼に預言して言いなさい。主なる神はこう言われる。メシュクとトバルの総首長ゴグよ、私はお前に立ち向かう。私はお前を立ち帰らせ、お前の顎に鉤をつけて、お前とその全軍、馬と騎兵を連れだす。彼らは皆完全に武装した大集団で、大楯と小楯を持っていて、皆剣を持っている。ペルシャ、クシュ、プトが彼らとともにおり、皆楯を持ち、兜をかぶっている。ゴメルとそのすべての軍隊、北の果てのベト・トガルマとそのすべての軍隊が、それに多くの国民がお前と共にいる。備えをせよ。お前も、お前のもとに招集される全ての集団も備えをせよ。お前は彼らの監督となれ。
 多くの日の後、お前は呼び出され、多くの年を経たのち、一つの国を襲う。それが長く荒れ廃れていたイスラエルの山々で、そこには剣のおそれから解放され、多くの民の中から集められた民がいる。彼らは多くの民の中から連れだされて、今は皆、安らかに暮らしている。(中略)
 その日、お前の心に言葉が浮かぶ。お前は悪い計画を立て、そして言う。『わたしは囲いのない国に攻め上る。城壁もかんぬきも門もなく安らかに生活している静かな国を襲う』と。お前はかつて廃墟であったが、今は人の住んでいる国。諸国民のもとから集められ、国の中心の山々に住み、家畜や財産を持っている民に対して手を上げ、戦利品を奪い、ほしいままに略奪しようとしている。・・・」

 マゴグの地のゴグとは、現在のロシアの事である。そのロシアはペルシャ、クシュ、トガルマ(イラン、西南アジアの国)と一緒にイスラエルの地に集められる。
 それも顎に鉤をつけて引き擦りだされるという。
ゴグとともにいる軍隊は馬に乗り楯と兜を身につけ、剣をもつという大時代的な姿をしている。しかし、それはこの戦争がイスラムの民間レベルから始められるからなのである。

 彼らは好き好んでイスラエルに攻めてくるわけではない。
 「狂気の日本人」の聖地の軍事侵略という事態に、仕方なくイスラエルに攻め入るのである。
 ゴグにすれば、自国の国民の起こした騒ぎでもある。そして、それはゴグの心に悪い計画が浮かんだせいであり、ゴグは戦利品を欲しがっているのである。

 ロシアAUMの動きいかんで引き起こされる事態を予想した時、黙示録の預言は現実のものとして我々に迫ってくる。
 そしてそれは麻原が逮捕された現在でも、違う形で引き起こされる可能性が十分に存在しているのである。


 ★「霊界物語」第81巻に描かれた終末の様相


 「霊界物語」最後の巻である81巻は、終末の預言であるとも言われる。
 ここで物語の場面となっている伊佐子島は。イスラエルのことである。
 北のサールはロシア。
 南のイドムはイスラエルにあるアメリカ勢力である。

 イドムは捕獲した人魚の涙で富んでいる(イスラエルがアメリカの偽善で建国された国であり、上流階級に属するアシュケナージユダヤ人だけが、スファラディユダヤ人やパレスチナ人の犠牲の上に権力を持っていることはユダヤ問題で歴然のこととなっている)。

 最初、サール国王は王妃(現ロシア副大統領)と通じている悪の左大臣(陰の陰謀組織?)チクターにそそのかされ、イドムに攻め込む(ロシアがイスラエルに侵入。現在のイスラエルの首脳部は南に逃げて、改心し、そこに神殿を立てることになる)。
しかしサール王は謀殺される(ロシア大統領の暗殺)。
陰の陰謀組織と副大統領は、イスラエルを領地にしようと試みるが、後に残されたユダヤ人とパレスチナ人は団結して、国連に支援を依頼し、この計画を撃退する。
これによってロシア首脳部は失脚。                           次のロシア大統領は、また陰謀家の副大統領の餌食となり、[陰謀組織の傀儡政権]が発生。悪政にロシア国内でも反乱が起こり、ロシアは壊滅。しかしその後は平和な国家が誕生する。
 いっぽうイドムの国が失脚し改心することによって、アメリカ内にあると噂される過激なユダヤ勢力は消滅することになり、アメリカにも政治・経済の大きな改革が起こっていくものと思われる。

 ではその時、日本に破局は訪れないのか?
 訪れないと王仁三郎は語っている。
 なぜならその時、前80巻で葦原国の改革は、すでに終わっているからなのである。


 ★第二次世界大戦前と現代日本の不気味な符合


 オウム事件は終焉に向かっているようにも見えるのに、本当に終末が近づいているのだろうか?
 「同じようなことが二度起こるだろう」
 そう言った王仁三郎の預言を信じるならば、終末前には前大戦と同じことが現在の日本に起こっているはずである。

 では、戦前の日本の様子はどのようなものであったか。

 現在の日本と比べて一覧してみよう(カッコ内は現在の日本の状況)。
 第一次世界大戦の後の1918年から1919年春にかけて停滞していた日本経済は、その春から世界貿易の活性化する見通しから、一転して好況に転じる。

 この時に顕著であったのは株価の高騰と、【バブル経済の発生】これにともなう企業の新設ブームである。
 物価が高騰し、【米の高値と不足】から米騒動が発生する。

 ところが1920年3月15日、株式市場が突然暴落した(バブル崩壊)。これが戦後恐慌の引き金となった(バブル崩壊により、経済恐慌になる)。
 これによってあらゆる産業が打撃を受け、その関係銀行74行が破綻を暴露しはじめ21もの銀行が休業する(金融恐慌)。

 この時、空前の円高となり、それがますます日本経済に悪影響を及ぼして赤字国債の発行となった(円高)。

 そんな中、関東大震災が発生する。このため、国内の経済はドロ沼化を辿る(震災による経済打撃)。

 一方、政界に目を移すと、政治汚職の発覚から政界の分裂が起こり、ついに1924年には議会は解散。激しい政争が展開された末、官僚出身内閣が続いていた政界における8年ぶりの2大政党の交代が起こり、政友会と革新倶楽部との連立内閣が誕生した(政治汚職からの政界分裂と与野党逆転)。

 こうした不安要因の中、日ユ同祖論が熱心に論じられ、日本は次第に右翼化現象を起こして大戦に突入していくのである。

 順序こそ少し違え、これらすべての過程が、現在の日本の状況にピタリと嵌まっているのが分かる。
 もう一度整理してみる。

 1 バブルの発生と崩壊
 2 米価高騰と不足
 3 経済恐慌の発生
 4 金融恐慌の発生
 5 空前の円高とそれによる経済の圧迫
 6 大地震の発生
 7 政治汚職と与野党の逆転劇

 1から6までの項目は、すべて現在の私たちが最近見てきたことである。
 ここに加え、戦前の大本事件以来のAUM事件が発生している。

 時代は、明らかに終末に向かって動き始めているのである。
 しかしここで我々は、過去の過ちを再び犯して「暴力思考」「我よし思考」になることなく、終末への暴走をくい止める必要があるのである。

  続く。
 



●『龍宮神示』を読む。第五章。
 ★フリーメーソン世界支配の幻想こそフリーメーソンの陰謀である
 
  
 先の助教授がAUMと関係を持っていた頃、AUMの幹部から盛んに出たのがフリーメーソンという言葉であった。

 麻原教祖らは本気でフリーメーソンという悪のユダヤ組織が全世界を支配しており、日本の皇室も政治家も国家権力のすべてがフリーメーソンの支配下にあると信じ込んでいた。

 だから彼らにとって全世界は敵であり、この敵は将来メシアとなる麻原教祖を狙っているので、全員で戦わねばならないというわけである。
 さらに彼らは、今現在でもフリーメーソンが潜り込ませたスパイがAUM内部に潜入しているので、あらゆる所に盗聴器をしかけて見張っていなければならないと訴えていたのであった。

 まったく漫画チックな話であるが、本気で彼らはそう思い込んでいた。
 AUMの窓一つない閉鎖的な建物や、盗聴行為などは、こうした被害妄想から生まれた副産物である。

 AUMの科学技術省大臣の村井氏が刺殺された時、救急車の中で呟いた「ユダにやられた」という言葉の意味は、オウム教団内にいるユダヤのスパイにやられたという意味であったことは間違いない。真実は、喋りすぎる村井氏のポア命令を教祖自ら下したことが歴然としているのだが・・・。

 このような体質の発想についていけないと感じた助教授が、正式に出家を拒否し、教団との関わりを一切もたないという態度に出た後のAUMの反応というのが、また異様であった。幹部たちから毎日のように電話がかかり、「お前はフリーメーソンだと分かっている」「AUMの秘密を喋ったら地獄に落ちる」と脅される。
 しまいには電話の調子がおかしいと気づいた彼が探偵局を雇って調べると、何と盗聴器が仕掛けられていた。
 そんな状態が1年近くも続いたが、彼が他にAUMについて喋っていないことを確認したせいか、あるいは活動が忙しくなったからか次第に電話が来なくなった。

 終末の破局や、黙示録を信じる人々はどうしてもこのフリーメーソンの世界支配という思想に取りつかれやすい。
 そしてだんだんに世の中のすべてが悪の組織に支配されており、世の中すべてが敵であるという妄想に取りつかれていく。それであるから、AUM信者のマインドコントロールを解くのは非常に難しい。

 彼らには、我々こそが悪の組織にマインドコントロールされた人々として写っているのである。
 だから警察の発表も信じないという異常な精神構造が発生する。
 筆者の幾人かの知人にもそういう人々がいる。恋人に毒をもられかけたとか、仕事の妨害がフリーメーソンから入ったとか言うので、その根拠を尋ねると、たいがいは証拠にもならないたわいもないことであったりする。しかし当の彼らは大まじめなのである。

 フリーメーソンの世界支配という発想は、ユダヤ人が計画したという悪魔的な世界支配計画を記したとされる「シオンの議定書」というものが大きな根拠となっているが、王仁三郎は「石屋の仕組み」という呼び方で、これについて次のように言及している。

 「これは特定の人種や民族の陰謀などではなく、天地の邪気が凝りかたまって発生したサタンによってもたらされた物である」
 すなわち、この議定書に書かれた世界征服計画を実行する現実の組織や民族などが存在しているわけではなく、これは悪魔の霊的な計画書であると言っているのである。
 霊的なものであるから、これを信じたり、見たりした者は、少なからずこの霊的な影響を受けることになる。
 例えばAUMのように、その思想に取りつかれ、今の世の中はすべて悪の支配する世だということを信じ込む。それで結果的に何をしたかといえば、信者の寄付を貪り、信者をマインドコントロールにかけ、無差別殺人まで犯して国内を社仝的な混乱に陥れようとし、麻原を中心に日本を支配するオウム帝国を作り上げようとしたのである。

 これではフリーメーソンに対抗するどころか、まるで自らがフリーメーソンになってしまっている。
 この現象こそが、本当のフリーメーソンの仕組みなのである。

 フリーメーソンを信じるものがフリーメーソンに変貌していく。
 ヒットラーもフリーメーソンの陰謀を信じてユダヤ人の大虐殺を行い、終末を信じて第二次世界大戦中、血眼になってアークを探し求めていたのである。 

  
 ★フリーメーソンは日本完全支配に挫折していた? 

 
 では、フリーメーソンのような世界支配を企む組織が存在しないのかというとそんなこともない。もっと巧妙な仕掛けでそれが進められていた節があるのである。

 筆者が情報を得たのはある大企業の取締役役員からであった。それはあのリクルート事件に関係することである。あまり詳しく内容を紹介すると、筆者自身が危ないので、内容をかなり簡略化させて頂く。

 時の中首根総理はフリーメーソンとしてよく名前を取り沙汰される政治家の一人であるが、彼はある密約をした。それは日本における情報産業を将来取り仕切るトップになるという密約である。
 そこで彼はクレイ社からスーパーコンピュータを輸入することになった。彼は自分の息のかかったリクルート社とNTTを結び付け、NTTによってスーパーコンピュータを輸入した後、リクルート社に売り渡す仕組みを作った。

 リクルート社は数百億円という資金をかけて世界最大のコンピュータータワーを設置したが、現在では閑古鳥が嗚いている。
 実はこのコンピューターシステムは将来の日本マルチメディア化にむけて、各家庭に2010年までに引かれるマルチメディア回線に直結される計画であった。そこに京都放送を吸収したダイエーも加わり、一大情報企業が誕生するはずであった。

 つまリ日本のあらゆる情報を一括してコントロールする計画だったのだが、リクルート疑惑発覚によってそれは妨げられた。
(この件に関しては、残念ながら紙面でこれ以上詳しく紹介するわけにはいかない。興味のある人はリクルート事件に関する記事とマルチメディア構想に関する本などをあわせ読んで、ご自分で推理していただきたい。)

 前述したように竹下登首相(当時)のからんだ「竹」の仕組みによって、日本支配計画は妨げられたのかも知れない。しかしこのことで分かるのは、フリーメーソンが存在したとしても、完璧な世界支配の組織などではなく、こうしたミスを多くしている程度のものだということである。 
 

 ★AUMの財源は何か ― 山口組との一問一答 

 
 最近では、AUMの異常な財力が山口組暴力団との癒着から生まれたものではないかという推測が取り沙汰されているが、そのことで一番当惑しているのが山口組自身である。

 筆者はかねてからの知人の伝手で山口組直系の大幹部にインタビューした。次がそのインタビュー結果である。

 山口組とAUMが癒着していたというのは本当ですか?

 「いいや、その件では本部も迷惑しとるよ。確かに宗教団体は金になるさかい一時いろんなとこと商売しとったようやけど、AUMに関しては問題が多すぎるから手をだすなっていう回覧がずいぶんと前から回っとんのや。法律変わってからヤクザも難しなったからな、あんまりヤバイことには手ぇださんよ」

 だが、羽根組が村井氏を剌殺しだのは事実でしょう?

 「あのな、羽根組ちゅうのは、山口組の直系やゆうてえらい言われてるけど、そんな大した組やない。小さな組や、やった徐いう男も正式な組員ちがうやろ。本当に組が関係してたら、ちゃんと組員にさすがな、あんなもんにさしたら何喋るかわからへん」

 じゃあ、本当に羽根組幹部の個人的な犯行ですか?

 「そうやろ。今はヤクザも金に困っとるさかい、なんでもしたんやろ。依頼したのはAUMらしいで、AUMの筋から日本の韓国ヤクザに回って、それから羽根の幹部に来た話らしい」

 AUMのバックには○○○会と○○○○教会がついていると言っている人がいますが、そういう話を聞いたことはありますか?

 「まぁ、そうらしいで。もともとその韓国ヤクザもそことは繋がりが深いからな」

 でも、山口組がAUMから流れた覚醒剤とかを売っていたんでしょ。

 「クスリ売るのはヤクザの仕事やけど、バイヤー言うのは本当の末端の下っぱがやってることが多いんや。どこからどう入るかなんか、本部直のもの以外は統制でけへん。しやけどな、クスリ売る言ったかて元値は二束三文やで、そこに土地転がしやったって知れとる。それをどんだけ回したらAUMがいうような一千億ゆう資金が出てくるねん。そんな金がでけるんやったら、それ仕切ってるわしらが、もっと金持っとるわ。違うとこから金が出てるんやで、まぁ、そこまで警察が調べるのは無理やろうけどな・・・それよりわしも最近ようAUMの番組みとるけど、AUMが尾崎豊を宣伝につかっとる言うてるやろ。あれ関係あるんかな・・・?」

 尾崎豊のことで何か知っているんですか?

 「いや、わしのとこにある組員が来てな、自分が尾崎の身内にクスリ売っとった本人やいいよんねん。尾崎が死んだ日もその身内と一緒におって、クスリで飛んだ身内が尾崎のコーヒーに、たくさん覚醒剤入れよって、それで死んだらしいで。その話をどっかに売りたいゆうんや。わしは、そんなしょうもないネタ売っても、はした金やから止めとけ言うたけど、AUMも覚醒剤売っとったやろ。なんか関係あるんかな?」

 筆者には尾崎豊とAUMの覚醒剤疑惑に関連があるのかどうかは分からない。だが尾崎豊か覚醒剤で死んだのだとすれば、AUMが信者勧誘のために「フリーメーソンの世界征服計画に対抗して殺された」と主張する尾崎豊を間接的に殺したのは、実は彼ら自身だったことになるのではないか。

 山口組はAUMとの関連を取り沙汰されて、相当当惑していることは確かであるが、覚醒剤や土地転がしで一千億円の資産は作れないというのであれば、AUMは一体どこからそれだけの膨大な財源を得ているというのであろうか? 
 
 
 ★暴走しすぎる麻原に粛清命令を下したのは誰か 
 
 
 「霊界物語」80巻で登場する凶霊・水奔鬼・すいほんき(笑い婆、誹り婆、怒り婆、泣き婆の4匹の鬼)は、AUMと関係の深い前記教団を併せた、4つの教団を象徴している。

 この4者の宗派や主張は各々個性があるが、共通して言えることはこのすべての教団が「ハルマゲドン」思想を持っているということである。

 つまりこの4者ともが「悪意ある終末思想」の宣伝教団であり、王仁三郎批評するところの、神の経綸を最後まで執念深く妨害する「ウラナイ教」であることには間違いがない。

 気になる4教団のバックには韓国系の財閥が存在すると言われている。

 村井氏が発言した「AUMの資産は1千億円ある」に我々は驚いたが、それはAUMが1千億円持っているというよりも、1千億円の予算の枠をバックが保証しているということなのではないだろうか?
 同財閥は北朝鮮の地下資源の開発権を手にしたいがために、北朝鮮の政治分裂を狙っていると噂されている。

 もちろん韓国の一財閥にこれだけの力があるはずがない。
 この財閥はアメリカの巨大資本と結びついており、CIAにも顔がきくという。
 AUMの洗脳が話題になった時に、過去CIAで行われた過激な洗脳実験の様子がテレビで報道されたが、AUMに洗脳のノウハウをもたらしたのは案外この筋であったのかも知れない。

 ところが、AUMが巨大になるにつれて、麻原が勝手な暴走を始めた。

 機関誌でマル秘情報をすっぱ抜いたり、前記2教団の教祖を殺害する計画を練ったりするに至って、バックの財閥は怒り、「麻原を粛清せよ」の命令が下ったといわれている。

 今まで散々騒動をおこしているAUMを、手を拱いて見ていたはずの警察が、突然強制捜査に踏み切ったのは、国松長官の狙撃事件だけが引きがねではなく、バックのこうした意思が働いていたからだと考えられる。

 では、なぜ麻原は仲間を怒らせるようなことをしたのか? この辺りの事情が筆者にはいまひとつよくわからないが、ある程度推測はできる。

 答えは二つある。

 ①、麻原が自分の教団が拡大していくにつれ、誇大妄想にとりつかれて本気で自分だけが日本の帝王になるのだと信じ込んだか・・・。

 ②、あるいは麻原自身がただ踊らされて、お山の大将になっていただけで、自分自身のバックをよく掴んでいなかったか・・・どちらかである。

 もし後者の方であれば、AUMには麻原とはまったく別に陰の実力者がいるということである。

 村井氏は予算を自由に使えるのは自分だけだというような、気になる発言を友人に残している。
 いったい、村井氏だけが使える予算とはどこから出てくるものだったのだろう。

 もし麻原が1千億円もの巨大な資金を持っているのであれば、自分が1千万程の現金を枕元に置いて密室に隠れていたのは妙である。

 あれだけせっぱ詰まった状況にあれば、もっと以前に金で保護してくれる外国政府の所にでも逃げ込んで隠れていた方がずっと安全といえる。
 あの時、麻原には1千万の現金と、自分の教団しか頼れるものがなかったのである。

 松本サリン事件の時にマスコミに出回った「松本事件に関する一考察」という怪文書も、どう考えても内部からのリークとしかいいようのない内容である。どうやらAUM真理教の内部は、我々が考えるより逞かに複雑な構造になっているようである。

 「麻原はAUM真理教の本体ではない」

 不気味なことであるが、それが真実であったとしたらAUMの恐怖はまだ去ってはいない。
 それはむしろ日本のAUMではなく、ロシアのAUMであると筆者は考えている。
 なぜならロシアのAUMの動きいかんでは、中東戦争の火種ともなるからである。 
 
 
 ★子は親の鏡 ― 弥勒神示からAUM事件への教訓


 今回のAUM事件が発覚しなかったならいったい日本はどうなっていただろう?
 筆者の考えでは、「一厘の仕組み」はもう既に動き始めている。
 オウムの計画通りに、サリンが国会や東京中にまき散らされ、ロシアで組織されたAUM軍が日本の港に上陸していたとしたら日本はどうなっていたか。おそらく、国連軍や諸外国は内乱鎮圧の目的で日本に軍事介入していただろう。
 そうすれば、あの大本筆先にも度々あらわれる終末の日本の預言。
 「その日になれば、外国の軍隊が北(ロシア)からも南(アメリカ)からも日本に攻めてくる」という言葉どおりの事態になっていたに違いない。
 しかしそれは寸前の所でくい止められたのである。

 さらに今回のAUM事件は我々に「終末思想は危険である」という一つの教訓を残してくれた。
 10月17日の淡路島の神業から地震発生にいたるまでに出た弥勒神示には、今回のAUM事件に対する言及とも言える神示が出現している。                   

 「・・・子は親の鏡と申してあるな・・・負うた子に教えられると申してあるな。近頃は子供の自殺がふえて悲しい事であるが、是は皆世の親達の責任であるぞ。その裏には三千年の悪しき原因結果(めぐり)があるのじゃぞ。善も悪も一度世の裁きの庭に現して見せる水晶の世と申してあるぞ。まことのまことの日の本の道を忘れ、利己主義(われよし)となりた日本人民、良く良く世の様を見て改神(心)いたされよ。神代の昔、大宜津比売(おおげつひめ)の神は、我身殺されても、その体から五穀の種を生みて、青人草に恵み残したと伝えてある。是が日本のまことの教えじゃ。大儀親を滅すと言う。親は犠牲となりても子孫の為に尽くす。それで今日迄日本がつづきて来たのじゃぞ。子供に対して、親の欲望をかけておるが、正しく子を育てる為、我身の姿勢を正す真実誠(まこと)が欠けておる。親と子の血のあたたかみ、又、真実の言葉の交流が欠けておるのじゃ。我が生命を伝える子孫に対する親心を改めてまつらねばならぬぞ。子は親の背中を見て育つと言う。早く、世の親達よ、改神なされよ。自らが、世の元の親神に改神のまことの姿を見せられよ。その様が子に写りて、世は改まると言うなり」

 AUM事件で我々の目に最も異様に映ったのは、親を平気で捨て、人殺しをすることを何とも思わない若きエリートたちの姿であった。
 しかしそれは他人ごとではない。

 神示は、日本人民が利己主義に固まり、子供にまで自分の欲望をかけて育てた結果が「水晶の世」に子供たちの姿として写し出されているというのである。
 彼らの姿は、我々自身の姿なのである。
「真の心」と「真の言葉」を失った結果でしかないのである。
「預言や終末」に心を奪われるより、そのことを考えることの方がずっと大切なことである。

 もし、本当に「終末」が起こるのであれば、スサノオが出現する必要性などまったく存在しない。
 王仁三郎は終末の解釈を、「霊界物語」の北光神(スサノオの分身)に、次のような言葉で語らせている。

 「たとえ神諭に天地が覆ると示してあっても、泥海になるとあっても、人間が三分の一になると示されてあっても、眩彙(げんうん)がくるとあっても、決してこれを文字そのままに解すべきものではない。すべて内儀的、神界的、心霊的に解すべきものである」

 現象に心を奪われるより、心にもっと気を配らなければならない。
 人の心をそのまま写す「水晶の世」とは、人の心そのままに「終末」を演出したり、「愛と和合」を演出してみせる。

 その結末は、すべて我々の心のあリ方いかんにかかっている。空気清浄器を作っても、サリンを研究しても、悪人(彼らが言っところによると)を殺しても、それでは何も解決しないことを胸に叩きこまなければならない。 


 ★竹の時代はこうして終わる 

 
 竹の時代の終わりはいかにして訪れるのか?

 前記した「龍宮神示」には次のように示されていた。

 「竹から生まれた松と梅。竹にもどりて・・・竹は腐れて土となり、明るく丸き地上界が誕生する」
 「竹に生まれる香具屋姫、乙姫殿が改心すればそれが最後の神業となり、宇津女神が登場して地上のありとあらゆる汚れを払う」

 これらの神示は次のようなことを告げている。
 現在分裂している大本数の各派が和合し、さらには「錦宮」「竹神業」をする集団とも一致団結して和合の型を教祖自ら作ることが、竹の最後の神業なのである。
 それは日本、ひいては世界の和合の型を作ることであって、竹の象徴する「力の衝突」の世が腐って土となり、新しい世の到来を促すのである。
 そして同時にAUMもその型を示すことが要求されている。

 「梅と松は竹から生まれた」とはっきり示されているように、「梅・松」は「竹」と親子の関係にある。
 これに象徴されているように、AUMによって引き裂かれた親子や家族が互いに対する愛を取り戻し、元の形に戻ることが必要なのである。

 本当の愛と偏愛とは違う。
 偏愛は「身内主義」「極端なナショナリズム」「他者を否定する心」へと発展する。ここで言う「愛」とはまるで性質を異にしたものである。

 「愛と和合」のテーマは「霊界物語」においても大変重要な位置を占めている。
 「霊界物語」の67巻から72巻までの間は、男女の大恋愛の話で占められている。
 また「霊界物語」全編を通して多いのは、子探し、親探しのテーマである。
 これは、ただ単に男女の愛と親子の愛だけを問題にしているのではない。男女・親子の愛というものは、人間の中にある一番身近な「愛」である。この「愛」が正しいものであれば、男女の愛・親子の愛→他者への愛→社会への愛→世界への愛→宇宙への愛へと発展し、それが子(人間)が親(神)を捜し当てることに繋がるのである。

 生前、王仁三郎は、
 「愛というものは本当に人を動かすことが出来るんや。愛ひとつで世界をひっくりかえすことも出来るんやで」と語って憚らなかった。
 この愛の実践は私たち一人一人が求められているものでもあるのだ。
 「霊界物語」では、顕津男の神に大恋愛して後を追っていく朝香比女神が、その旅の過程で、次々と悪神を退治していく物語が「愛の力」の顕現として語られている。

 神への大恋愛。
 それが悪の世を滅ぼす力になるのである。
 しかしここでいう力とは暴力のことではない。

 「霊界物語」を読むと、正神は悪神を常に言霊(正しい力を秘めた言葉)の力で和らげ、退散させてしまうのである。

 「霊界物語」78巻より -

 顕津男の神を追っていく朝香比女の神は、船にのって大小の島を縫いながら進む。
 これを知った曲津神グロノスをロゴスの2巨頭は、あらゆる曲津神を呼び集め、死力をつくして戦わんとすが、朝香比女神の言霊に打ち破られる。しかも葦原の国に上陸した一行に竜神、大蛇、猛獣などの潜む大野原を焼き払われて、曲津神たちは全て逃げだしてしまうのである。
 朝香比女神は、供の4神を悪の根拠地クロスの沼へ悪魔退治に向かわせる。4神は「ウ」の言霊の助けを得て奮闘。グロノスとロゴスは悪龍蛇身に変身し、水面をのたうちながら、黒雲を起こし、雷鳴を轟かせてどこかに逃げ失せる。

 これを受け、大宴会が開かれた。朝香比女の神が葦原国の鎮めとして火打ち石を葦原国の葦原比女に送る。その火打ち石で山野を焼き払うと、悪魔は葦原の国土を捨てて遠く西方に逃げ去った。
 葦原の国の天地が清められ、春は花咲き、夏は植物茂り、秋は五穀がみのり、四季の秩序正しい美しい国へと葦原国は再生した。
 朝香比女神は新国土の成立を見定め、再び船にのって万里の海原に向かう。
 
 ●第五章 悪の世を照射する水晶の役割はAUMが担っていた  <了>。              
 



●『龍宮神示』を読む。第五章。
 ●月海黄樹 『龍宮神示』 を読む(3)以降、少し寄り道が過ぎたが、
 
 『龍宮神示』第五章、第六章
に戻る。

 『龍宮神示』第五章を紹介していく前に、本書冒頭の★「はじめに-【大本】悪の霊脈はAUMに引き継がれていた」内容を再確認しておきたい。

 *************

 ・・・
 出口王仁三郎の本当の預言とは何か?
 大本教の裏神業とはなにか?

 今までほんの一部分しかかいま見ることができなかった大本の全容を解きあかしていくことにしよう。
 そして今回、日本中を震憾させたAUM事件を王仁三郎は預言していたのである。

 現在(*1995年)、日本中に吹き荒れる終末思想とオカルティズムの風潮を生み出してしまったことを我々は深く反省しなければいけない。
 こうした風潮に幼い頃からどっぶりと浸って育った年齢層が、AUMの信者の大部分を構成していることを真剣に考えなければいけないのだ。

 それは、霊学を取り扱う者たちが、預言に対してスキャンダラスな扱いをして、そのニュースソースをよく吟味しないまま垂れ流した結果であると言わざるを得ない。
 このような風潮の中では、自分(月海黄樹)の専門である霊学を自らの著書としては決して取り扱うまいと固い決意を持っていた。

 しかし今回のAUM事件で、たった一度だけその戒めを破ることにした。
どうしても、日本の宗教がカルトに偏ろうとするこの流れだけはくい止めなければならないからである。

 そのために本書では、大本教・出口王仁三郎に関する預言と裏神業を正しい認識を持って解く鍵を提示したい。

 第一章においては大本の誕生とユダヤとの歴史的な繋がりを、丹後半島にある元伊勢神宮にあったとされるアークの秘密から探っている。

 第二章では余り知られていない。ユダヤの宗数的な秘話が、大本の教義と「一厘の仕組み」の中に反映されているという事実を紹介する。

 第三章においては時の政治権力を神業のために操った王仁三郎の恐るべき霊力と、裏神業の誕生の歴史に焦点をあてる。

 第四章では、いよいよ大本預言の真相と仕組みを解明していくことになるのだが、世を賑わしているAUM事件を王仁三郎が預言しており、この事件自体が一つの神示となっていることに注目して頂きたい。そして未だ世の中に出ていない大本系の預言の数々をご紹介しよう。 


 第五章は、預言からAUM事件の本質を解明したものである。筆者独自のAUMに関する
 レポートも追加した。読者が驚くような事実も登場するだろう。

 世界規模の真のハルマゲドンはAUMによって勃発する可能性があるということも特筆しておく。

 第六章は、終末の世の「一厘の仕組み」の秘術と、用意されている理想社会の出現を紹介する。


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 以下、第五章を引用・紹介していく。


 ● 第五章 悪の世を照射する水晶の役割はAUMが担っていた!

 ★「あ」は「大本」、「あうん」=「AUM」は最後の型示し 


 読者諸君の興味は現在、第四次大本事件がいつ起こり、それによって日本・世界がどうなるかに集中していると思う(だが、くれぐれも暗い悪想念に捕らわれないでもらいたい)。

 第四次大本事件はいつ起こるのか?
 答えは「もう起こっている」のである。
 それは最近世間を騒がしているAUM事件においてである。
 なぜAUMが大本の型示しに関係があるのか? と疑惑を持つ読者も多いだろう。

 実のところAUMは大本教が産み落としたとも言える宗教なのである。

 その詳しい説明は後に記す。近年のAUMの強烈なハルマゲドンのアピールや、自分たちだけが真理者であり、他のものはすべて滅びるべき対象であるという考えかたは正しくヤハウェイ数であることは火を見るよりも明らかであることはお分かり頂けると思う。

 王仁三郎は、その最後の仕組みを「霊界物語」の73巻から81巻に記したとしている。・・・略・・・
 
 ★AUM事件はどう終結するか? 


 これからAUMがどうなるかが、世界がどうなるかを暗示している。「霊界物語」最後の章からAUMの今後を予見してみよう。

「霊界物語」81巻より
 ・・・イドムとサールは国力に大きな差がある。イドムは領土に住む人魚を捕獲し、その涙から生まれる真珠で潤う富んだ国である。
 しかしサールには巧みな策謀を巡らす悪の左守チクターが付いている。チクターはサールをイドムとの戦いに焚きつけ、サールはイドムに侵入する。イドムの国王は逃亡しその先で主の神への本当の信仰に立ち返って、神殿を作る。
 サールとイドムの戦いは、サールの勝利となり、チクターはサールを神として崇め、我が意を得たりと熱弁をふるう。チクターは神を忘れたサールの国の国王を謀殺する。チクターはサールの王妃と深い恋仲になっていたのである。
 しかし王妃とチクターは欲にかられて人魚を1人で捕獲しようとして、逆に人魚達の反乱に出会い、1人残らず絶滅する。
 一方サール王の後をついだエームスはイドム国のチンリウ姫と偽られ、その侍女のセイリウと結婚するが、セイリウはイモリの精と恋仲になって、エームスを殺害。イモリの精の化けた贋のエームス王とセイリウ姫の暴政に、国民の不満が勃発して暴動が起こり、彼らは全滅してしまう。
 王家の滅亡後、敬神の念のあついナーリスによって、サールは神政を復古する。終末の世に立役者となる悪役はイドムとサールとサールを操るチクターとチクターと通じるサールの王妃である。

 現在、AUMにも4人の立役者が存在している。
 麻原教祖、教祖の妻松本知子、上祐緊急対策本部長、石井久子である。
 イドム(石井久子)とサール(麻原)の勢力争いは激しく、イドムは富んでいた(石井久子は大蔵大臣であった)。
 しかし、その富は人魚の涙の真珠を搾り取るという方法でなされている(一般信者から布施を搾り取る)。
 しかしイドムはサールに侵略されてしまう(妊娠問題〔麻原の子か?〕で石井久子は松本知子に完敗した)。

 サールの王妃(松本知子)と組んでいたチクター(上祐)は知恵が回り雄弁である。麻原教祖の逮捕後、妻の松本知子を神(教祖代行)と崇めて崇拝する(上祐氏は現在でも実行部隊を警察に引き渡しているが、その事は結果的に麻原教祖の首を絞める結果になっている。上祐は麻原粛清命令を受けて、わざとボロを出しているのではないのか?)。
 しかし、チクターとサールの妻(松本知子)も被害信者の訴えにあって、自滅。警察に捕らえられるだろう。

 サールの子のエームス(三女アーチャリー)はエームスを偽った自分の利益を追求するパートナーと組むが、相も変わらぬAUM体制を維持しようとして、信者の反乱が起こる。

 そしてAUMはまともな信仰に立ち返っていく。
 この本が出るころ、AUMはどのへんの過程にいるのだろうか。 


 ●大本教から生まれたAUM  


 大本教内部についての情報をリークしてくれたのは、某大学の助教授であった。
 彼は非常に信仰心が深く、AUM真理数がようやくマスコミに取り上げられ始めた平成2年頃にAUMの研修に参加し、幹部候補として盛んに勧誘を受けた。
 当時のAUMはまだ一連の問題を起こす以前であり、宗教法人にもなっていなかった。
 テレビやマスコミではAUMが狂い始めたのは衆議院選挙に麻原教祖が落選してからだと伝えているが、もっと以前からその傾向はあったと彼は指摘している。

 彼は大学の助教授であるだけでなく、家柄が大変良かったため、AUMとしてはどうしても欲しい人材だったのであろう。再三勧誘が繰り返され、彼は麻原教祖や今日マスコミを賑わせている幹部連中のほとんどと親しく話をしたという。
 その中で麻原は教団の発展に対して非常に自信満々で、出家に消極的な同助教授に対して「あなただけに教えて上げよう」と言って、AUMにいかに強力なバックがついているかを力説した。

 麻原自身はAUMに陰の支援をしているのは、日本有数の巨大新興宗教団体(仏教系)と、さらにこれも有名な韓国系の宗教団体(キリスト教)の幹部が麻原の顧問役であると語り、AUMの発展は約束されていると言うのである。

 「だから、貴方がAUMに入ってくれれば、それなりの地位を約束しますし、未来の日本のリーダーシップを執ることが出来るのです」繰り返し麻原はこのように言った。

 助教授が麻原の態度を不審に思い、「しかしそうも違う宗教で協調することが出来るのですか?」と尋ねると「おかしなことをいいますね。みんなハルマゲドンに向かう同志じゃありませんか」と彼を説得したという。

 AUMのバックに他のカルト教団がついているのではないかという疑いはこれまでも持たれていたが、後者の韓国系の新興宗教などはAUMのイニシエーションの儀式や霊感商法、ハルマゲドン思想を構成するのに一役買っているに違いないと思わせるほど、現在のAUMと形態がそっくりである。
 またこの教団は北朝鮮との深い関係も取り沙汰されており、多分に危険思想を持っているとされている。

 前者の仏教系の教団名は意外であった。この教団はAUMというより「○○の科学」との繋がりのほうが表面的には出ており、むしろAUMとは犬猿の仲に見えている。
 ところがさる筋によるとAUMのバックにある両者には同じ銀主(融資元)が付いており、きわめて近しい関係であるということで納得できた。つまりもともと前者の教団の銀主だった組織が、この教団の宗教的ノウハウを手本に韓国で作リ上げたのが後者の教団であると言う。

 キリスト教にしたのも、韓国ではキリスト教が主流であるため、発展しやすいと踏んだためと言うのである。
 宗教理念も金次第でどうとでも転ぶということであった。

 さらに前者の教団は、教団創始者がもと大本教の石井派と深い関係があったとも言われている(一説には一時、大本にいたとも言われている)。
 この教団は日蓮を崇めている。

 二・二六事件の前に、青年将校が大本教の王仁三郎を尋ねてカンパを無心したという経緯を前述したが、その二・二六事件の黒幕だった北一輝が「日蓮」と「法華経」の心酔者であったことは有名である。
 大本教とこの宗教は戦前から「強烈な日本至上主義」で結びついていたのである。
こうして見てみるとAUMのバックと言われる両教団も過去の歴史から見て、内在的にクーデター志向や戦争志向を持っているようである。

 最近AUMの宗教法人資格が不当に許可されたのではないかという疑惑がもたれているが、AUMの政治的な工作は日本政界に力のある同教団によって取次ぎされたものらしい。

 また、ロシアヘの政治工作も同様の筋から行われたのであった。
 言わばAUMは大本の霊系を受け継いでうまれた「時代の申し子」なのである。

  続く。
 



●月海黄樹 『龍宮神示』 を読む (5)。
 ●次に、『評伝 北一輝』から引用・紹介していく。 
 
 ★ Ⅲ・中国ナショナリズムのただなかへ
   第7章 『日本改造法案大綱』 

 
 ・・・
 北と大川の「喧嘩」については、後にふれよう。この文章には、北に対する大川の親愛感が横溢している。それは、北が刑死してから16年も時がたっている懐かしさもあろうが、それ以上に猶存社での北との蜜月時代が活気もあり、楽しさもあった事実として、かれの記憶に刻まれていた事実を示していよう。

 この蜜月には、気性の激しい大川と北のあいだに、「天神さん」とよばれた満川亀太郎が緩衡帯として介在していたことも大きく役立っていた。老壮会でも猶存社でも満川はほとんど世話役として、組織をまとめる立場にいた。かれは大正元年1月に大日本社をやめ、猶存社の運動に専念していたのである。かれの生活費は、東洋大学教授をつとめて捻出していた。

 猶存社は、国家改造運動に情熱を傾ける人びとの梁山泊の観を呈すようになった。そこに集まってくる人びとの名を紹介する意味もふくめて、このころの猶存社の活気を『三国干渉以後』から写してみたい。

 猶存社には多くの同志が出入しだした。大川君が沼波瓊音氏(武夫。一高教授。国文学者、俳人として有名だが、後述する宮内省怪文書事件では北のところに三千円を運んだー引用者注)や、鹿子木員信(かのこぎかずのぶ)氏(ドイツ哲学者、海軍機関学校卒で慶応義塾教授-同)、島野三郎君(満鉄調査部員。ロシア語に精通し、北から「シマノフ」のアザナをつけられた-同)等を伴ふて来た。満洲建国に重要な役割を演じた笠木良明君や、今満洲国の要職に就いてゐる皆川豊治、中野琥逸、綾川武治諸君とも知り合った。
 北君の旧友たる清藤幸七郎氏や、西川光次郎氏も来訪された。中にも異彩を放ってゐたのは宮崎民蔵翁であった。滔天の兄に当るところから、猶存社の若者は皆「あんぢやもんさん」と呼んだ。悪戯盛りなのが、「妙法蓮華経アンジヤボン第二十」など、襖の蔭から独り言を云ってゐた。
 渥美勝氏(桃太郎主義者。『日本の宣言』の著者-同)も殆ど毎日のようにやって来た。「そら神さんが」と言ふ間もなく、氏は汗を拭ひ拭ひ階段を上って来た。堀保子さん(太杉宋の最初の妻-同)や権藤誠子女史(権藤成卿の妹-同)もよく見へた。岩田君が顔芸が巧みで、殊に権藤女史の真似をするときには一同腹をかゝへて笑った。
 猶存社には後に抹殺社を創めた角田清彦対等の労働運動者もやって来てゐた。

 大本教の★出口王仁三郎なども訪ねてきた。とにかく、多士済々で、猶存社の思想的性格は満川のいうように「革命主義、国家主義で、而して民族主義であ」る、という大ざっぱなものであった。そのため、草創期にあっては「まるでエタイの知れぬ結社として怪しまれ且つ恐れられたのである」。

 当然、活動費がどこから出ているか、という穿鑿などもおこなわれ、ロシアから金が出ているなどと噂されたこともあった。・・・<略>・・・P224~5

 *************

 ・・・実際、かれ(北一輝)が秘密出版した『国家改造案原理大綱』は、そこここに波紋を描きはじめていた。もちろん、47部しか刷られず、それも要路の人びとに送られたものが大半だったが、にもかかわらず一方では、筆写というかたちで秘かにその波紋をひろげていったのだった。

 たとえば、昭和16年の東条内閣の商工大臣で、戦後に首相になった
岸信介である。かれはこのころ東京帝大の学生で、「天皇主権説」を唱えていた憲法学者・上杉慎吉の主宰する木曜会のメンバーであり、上杉から学校に残ってその学問的後継者となってくれ、とたのまれていた。しかし、その「極端なる国粋主義や古陋な保守主義を無条件に受入れることが出来なかった」ため、大学生のとき、猶存社をたずねてきたのである。

 それもこれも、北の『国家改造案原理大綱』に魅せられたことがきっかけである。岸は『我が青春--生い立ちの記/思い出の記』(広済堂、昭和58年刊)という半自叙伝に、次のように書いている。

 ・・・北一輝氏の爛々たる隻眼ににらまれ、魁偉なるその風貌と烈々たる革命家的気愧とには完全に圧服されて了った。その頃同氏の書いた『日本改造法案』(ママ)なる秘密出版を徹夜して読み、且つこれを写したことがある。この北氏は大学時代に私に最も深い印象を与えた一人であった。而して北氏は後に二・二六事件の首謀者の一人として遂に銃殺されたのであるが、辛亥革命以来一生を通じて革命家として終始した。恐らくは後に輩出した右翼の連中とは、その人物識見に於て到底同日に論ずることの出来ぬものであった。『日本改造法案』は最初社会主義者であった同氏の国家社会主義的な考えを中心として、一大革新を我が国体と結びつけたもので、当時の私の考えて居た所と極めて近く、組織的に具体的に実行方策を持ったものであった。


 大学生の岸信介は、「天皇主権説」の上杉慎吉の「人間的な一種の魅力」にはひきつけられていたが、それよりも「天皇機関説」に立った北一輝の「組織的」、「具体的」な革命的国家構想にじぷんと近いものを感じとったのである。もちろん、そのカリスマ的な革命家像にも「圧服され」たわけであるが・・・。

 なお、このとき岸信介がたずねていった猶存社が牛込南町のものか、千駄ケ谷九〇二番地の広大な邸宅かは、はっきりしない。・・・<略>・・・P227~8

 **************

・・・北の女性観および婦人労働観を、一言でいえば-女性は「男子ト等シキ牛馬ノ労働」などに携わるべきではない。天がなぜ、かの女らの「心身」をあのように「優美繊弱」に作ったかを思え、というところだろう。きわめてロマンチックな女性観ともいえようが、これは当時の「良妻賢母」思想とも重なりつつも、それ以上に女性崇拝的である。

 こういった女性観は、この大正9年8、9月ごろに、東方に偉人ありという啓示をうけて上京し、北一輝に会った大本教の出口王仁三郎の女性観によく似ている。北は二・二六事件の取調べのさい、大本教については「邪教」であるという批評をのべているが、大正の同じころ「大正維新」をいっていることといい、世界共通語にエスペラント語を採用しようとしたことといい、発想がどことなく似ている。それは、日本的カリスマがその超能力の根源を、天皇=女神=女性=生む力=自然の豊饒力、に求めるがゆえの近似性であろうか。

 出口王仁三郎が昭和4年に発表した「おんなの世界」という寓話的エッセイには、かれの女性観、ひいては男性についての見方がきわめてよく出ている。そしてそれは、北のロマンチックな女性観を思い出させないでもない。

 ・・・神は天地をつくり、樹草を生み、つぎに一人の女をつくったという。つくられた女は、雲のような花に彩られた周囲の蒼巒(そうらん、青い峰-引用者注)を眺め、花のような雲のちらばった蒼空を
あおいで、おぼえず感嘆の声を放ち、天地の壮観を讃美した。
 天も地もなんとして美しいことよ、神さま、私のためによくもまあこんな清らかな住所をつくってくださいました、といって涙ぐましくなるほど神さまに感謝を捧げていたが、たちまち躍りあがって叫んだ。
 それは、その傍なる沼の清らかな水に映じた自分の艶麗な姿を見たからだ。いや山の曲線美も清らかだが、自分の肌や面の美しさにくらべては問題でない。なるほど花も見事は見事だが、自分の手先の美しさとは比較にならぬ。いかに川水のせせらぎがさわやかでも、所詮、自分の声の美しさ、さわやかさにはおよばない。

 出口王仁三郎の女性讃美は、女性じしんが自らの美しさを称えるという形をとっているが、かれは男-といっても本性は女の「変性女子」と自己規定している-なのである。それゆえ、その女性讃美には、かれの女性への本質的憧れが根底にあったようにおもわれる。かれは髪を切らず、長く長く伸ばし、朝起きて最初にすることはその長髪をくしけずることであった。

 では、その美しい女性から見て、男とは何であったか。「おんなの世界」では、女は神さまにたのんで、じぶんの美しさを「讃めたたえてくれる」小鳥、「まねてくれる」オウムと猿、「心地よさを与えてくれる」蛇、「守護してくれる」獅子をつくってもらう。しかし、それでも満足できない。わがままな女は、なおも神さまにたのんで、男をつくってもらうのだ。

 私か怒ればなだめてくれ、泣けば慰めてくれ、疲るればいたわってくれ、どんな無理難題をいってもよろこんで聞いてくれ、私のいうことすることをまねてくれ、一生私の玩具(おもちゃ)となって私を養ってくれ、守護してくれ、たとえ私がなぶり殺しにしようとも満足して死んでくれるものをつくっていただきたい、と願ったので、神さまは女の頤使(いし、アゴで使うこと)に甘んずる、そして玩具になる男というものをつくってやられた。

 ここには、出口王仁三郎の男性観、すなわち男は美しい女のために、ひたすら額に汗して働けばよいのだ、という発想がよく出ている。北一輝の考えも、これに近いのである。・・・<略>・・・

 *************

 
 『評伝北一輝』  Ⅴ・北一輝伝説 より。

 Ⅱ 北一輝伝説
 第2章 虚実いり乱れて

 ★朝鮮人にとっての幻想

 
 ・・・大学生の岸信介が猶存社に北をたずねたころ、北のもとには『支那革命外史』や『日本改造法案大綱』を読んで感銘をうけた人たちがぽつりぽつりと訪れるようになっていた。たとえば、民本主義者で東京帝大教授の吉野作造、のち『彦一頓智ばなし』(昭和10~16年)を書く小川勝清、のち『丹下左膳』(昭和8年)を書く林不忘(長谷川海太郎)の父親・長谷川淑夫(清)、大本教の出口王仁三郎、それに大正15年に大逆事件で死刑判決をうける朴烈といった人物である。

 吉野作造は大正5年のころ、北から『支那革命外史』を贈られ、その「見識の高邁なるに敬服し」で、みずから敬意を表するため、当時青山にあった北家を訪問している。このときの吉野の北評を記しておくと、「あの人の頭は無類に鋭いですね、説の善悪は別として鋭い事は無類に鋭いですね、其鋭さに於ては、日本人とは思われない、外国に行っても一寸珍しいと曰(い)っても良いですよ。先般出した支那革命及日本外交革命(『支那革命外史』の原題-引用者松本注)は、前半は非常に立派なもので近来の名論と思ったので国家学会で批評しようと思ったが、後半が私と意見が違って居りますので差控えました」となる。北を訪問した帝大教授の吉野作造と学生の岸信介とがたまたま出会い、『支那革命外史』あるいは『日本改造法案大綱』をめぐって議論をするなどというのは、極めて刺激的な空想である。

 小山勝清は、大正なかごろ高尾平兵衛(白色テロに倒れた)や茂木久平といった社会主義グループと近しく、謄写版で秘密出版された『国家改造案原理大綱』には思想的違和感をおぼえたものの、その革命的情熱、人間的な優しさ温かさに魅かれて、交際を重ねている。小山は昭和になって北から南洋産の大きな貝一小川平吉鉄道大臣が北からもらった西瓜と同じく、南大東島の産か-をもらっているらしい。高田宏は小山勝清の評伝『われ山に帰る』(昭和57年刊)に、二・二六事件のときの小山と妻玉枝との会話を、次のように書いている。

 
「北さんとおれとは、考えが別だからな」
「でも、あんないい人、あなたのお友だちのなかでもとびきり・・・」
玉枝は、すこし前に北が持ってきた南洋産の大きな貝に目をやっていた。


 ここに「すこし前」とあるのは、二・二六事件という大変事を人が回想するとき、「そういえばあの少しまえ」というかたちで心理的な時間短縮がなされるパターンといってよいだろう。林不忘(長谷川海太郎)の未亡人・和子などは、昭和11年2月25日、つまり二・二六の前日、北と夫人のすず子が大きな黒い自動車にのって鎌倉の家を訪れ、「しばらく焼香にこれないからと、ひとかかえのお線香と燭台を置いていった」(室謙二『踊る地平線』昭和60年刊)と回想しているほどだ。

 亡き林不忘に対する焼香の日付が昭和11年2月25日などということは到底ありえないが、その1ヵ月ほどまえの北の『霊告日記』には、妻の夢として次のように林不忘に関することが記述されている。

丹下左膳亡キ後ノ家ノ事。
男三人在リ、妻何モカモ大工ニヨイ様ニサレテ居ルト告グル夢

 とすると、この日の前後に北がすず子と一緒に林不忘なきあと(昭和10年6月に急死)の鎌倉の家へ焼香にいった可能性が強い。林不亡の父親は、長谷川淑夫といい、これよりはるか昔、佐渡中学での北の英語・西洋史の教師であった。長谷川淑夫の長男が海太郎(林不亡・牧逸馬・谷譲次)であり、四男が作家の長谷川四郎である。四郎の息子・長谷川元吉は、数年まえ吉田喜重監督の二・二六事件と北一輝をモデルにした映画『戒厳令』のカメラを担当した。めぐりめぐって、というところだろう。ちなみに、海太郎のペンネームの一つ林不忘は、父親の淑夫が林(儀作―若き北一輝のライバル。長谷川淑夫とともに佐渡から北海道に渡り、長谷川の新聞事業および生活を助けた)の恩を忘れるな、とつねづねいっていたことに由来している。

 長谷川淑夫は北海道から上京すると、よく北一輝のもとを訪れたが、あるときはそこから帰ってくるなり「北の思想はよくない」、とぶりぶりしていた。大川周明の行地社の社友となった長谷川とすると、奔放な浪人の北より学者肌の大川のほうが気に入っていたのかもしれない。北が敵視した牧野伸顕でも、大川周明の「真面目」さを気に入っていた(『牧野伸顕日記』)。大川も長谷川も、学者としての吉野作造あるいはその民本主義を高く評価していた。大川周明の弟子である金内良輔の「北・大川・満川三先主」には長谷川淑夫が「支耶事変頃よく上京して、笠木良明や僕のところを訪ねて来た。息子(林不忘)の資料にと剣道関係の『大阿記』のことを笠木君に質ねてくれと頼まれたこともある」と記されている。

 北は中里介山の『大菩薩峠』も好きだった-嶋野三郎に「大変おもしろいから読め」と手渡している-が、林不忘の『丹下左膳』も愛読していたらしく、昭和10年1月1日付の年賀状に「謹賀新年/新年に際し丹下左膳の続画なきは寂しく存候/北一輝」と書き送っているほどだ。北と中里介山、林不忘とのあいだにどのくらい深い交流があったのかは不明だが、かれらの大衆小説におけるヒーローがともに無明(失明)の机龍之肋、片眼片腕の丹下左膳であるというのは、北が隻眼であることと微妙な符合をかたちづくっているようにもおもわれる。

 ところで、大本教の出ロ王仁三郎については、北の最初の評伝である田中惣五郎の『北一輝-日本的ファシストの象徴』(昭和34年刊)に、「大本教主・出口王仁三郎が東京に片目の偉人がいるというお筆先が出たので、大川周明とあってみたが満足せず、次いで北と会見したところ、出口はガタガタと慄えて北に圧服され、北の偉大なることをみとめた」と記されている。これは北吉(実弟)の戦後の談話によっていて、当然身びいきがあるだろう。ただ、出口が大川にあって満足せず北にあって慄えた、というのは、カリスマがカリスマに出会って慄えたという意味で、ある真実味をもっているような気がする。

 北自身は二・二六の『警視庁聴取書』で、大正8、9年に出口王仁三郎と会見したときのことを、次のように語っている。

 
 ・・・私、大川周明、満川亀太郎の三人で始めて同人(王人三郎)と会ひました。大川は私と出口との会談を見て、只一回で出口は下劣な取るに足らぬやつであると断定しまして、私等に向っても再び会見の必要なしと申した位で、私も変な姿の様な印象丈けを残して其の後は心に止めない様にして居りました。自分の信仰に因る、神秘的経験から見ますと、大本教は神ではなくて相当通力を以て居る邪霊である事が判りました。・・・

 ここで北が大本教のことを「相当通力を以て居る邪霊」とよんでいるのは、大本教がこの二・二六事件前年の昭和10年12月に第二次不敬事件をデッチあげられ大弾圧をこうむっていることを配慮してのものだろう。「首魁」の北がこの大本教と関わりがあるとなっては、二・二六も不敬事件に発展させられる怖れがあるからだ。権力がこの二つの事件を結びつけて考えようとしていることは、大本教の側から西田税の名がでている事実からして当然であった。大本教はこの事件によって出口以下の幹部が逮捕され、本部が破壊されたばかりではなく、二・二六直後の昭和11年3月に「結社禁止」になったのである。 
   

 いや、北と関わりのある人物についてのエピソードをこう長く書くつもりではなかった。わたしが書きたかったのは、大正15年3月に妻の金子ふみ子とともに大逆罪で死刑判決(のち無期に減刑)をうけた朴烈のほうなのだ。朴烈=ぼくれつ・パクヨル(朴準植)は朝鮮慶尚北道の生まれで、大正8年に東京にきた。大杉栄らアナーキストと交わって、朝鮮独立の運動に尽力している。大正11年ごろには、運動のため海外から爆弾を輸入しようと試みたりもしている。大正12年9月、関東大震災のさい保護検束され、訊問されているうちに大逆事件の陰謀を自供したということになっている。大正13年3月に死刑判決をうけたが、4月5日に恩赦によって無期懲役に減刑された。このあと、朴烈とふみ子が千葉と栃木とに別々に服役するさい、拘置所で一緒の写真がとられ、これによって北は西田とともに「朴烈・文子怪写真事件」を作成した。

 ところで、朴烈は関東大震災のおり、朝鮮人狩りを逃れるため北一輝に匿ってもらっている。しかし、北の家は大正8年の帰国(東京への帰着は大正9年はじめ)以来つねに警察の監視するところとなっていたから、ここに長居はできず、北から「早くにげろ」といわれて、20円を与えられている。

 朴烈はなぜ北のところに逃げこんだのか。小山勝清と同じように、北の人間的優しさ、温かさに魅かれたこともむろんあったろう。人はその危難にさいして、思想を同じくしようとも人間的に信頼できないもののところに逃げ込んだりはしない。しかし、人間的な信頼だけだったろうか。当時、朝鮮は日本の植民地とされていた。その朝鮮の独立を希求する人びとにとって、北の『日本改造法案大綱』は朝鮮の独立問題をまがりなりにも採りあげている、ほとんど唯一の思想であった。そのことが朴烈の北に対する人間的信頼の根底にあったのではないか。

 もちろん、北といえども、そこで朝鮮の独立を公言していたわけではない。ただ、『日本改造法案大綱』の一章に、わざわざ巻七「朝鮮其他現在及ビ将来ノ領土ノ改造方針」を設け、そこにこう書いていた。

 ・・・朝鮮ノ郡県制。朝鮮ヲ日本内地ト同一ナル行政法ノ下二置ク。朝鮮ハ日本ノ属邦二非ズ、又日本人ノ植民地二非ズ。日韓合併ノ本旨二照シテ日本帝国ノー部タリ、一行政区タル大本ヲ明ラカニス。(傍点-引用者)

 つまり、北は日韓の「合併」という本来的な趣旨に照らして、この合併は、韓国併合でも併呑でもなく、対等の合併である、と主張するのだ。対等の合併であれば、むろん、朝鮮は日本の「属邦二非ズ」、また日本人の「植民地二非ズ」ということになる。ここには、朝鮮民族と日本民族が何ら優劣関係にないことが明らかにされている。明治・大正のころの社会主義者(たとえば幸徳秋水)が中国人、インド人とは対等に交際したが、朝鮮人は植民地人として劣等視していたのと、歴然たる違いである。

 大東亜戦争の終結後、朝鮮は解放され、呂運亨が副大統領に選ばれた。呂はアメリカに亡命していた李承晩とちがって、朝鮮で地下独立運動をつづけていた朝鮮独立党の指導者だった。かれは、一方で日本の近衛文麿、宇垣一成、大川周明らに接触し、他方で中国共産党の拠点、延安に潜行してもいる。かれは戦後、副大統領に選ばれたが、まもなく暗殺されてしまった。

 この呂運亨と北一輝との会見説がある。わたしがその真偽について朝鮮史家の安宇植から質問されたのは、昭和52年のことだったろう。そのときわたしは答える材料をもたなかった。あとで調べてみて、かれらが会見したという事実は見付からないものの、北が大正8年末に上海から帰国した日付と、呂が上海から日本に来、東京のステーション・ホテルで府下の新聞記者を集めて「独立宣言」を発表した日付とが、あまりに合いすぎていることに気づいた。ただ、事実問題とすれば、かれらが東京で会っている可能性はなく、会っていたとすれば上海でという可能性が強い。

 そういった事実関係とは別に、朝鮮人のなかには戦前の日本で朝鮮独立問題をまともに考えてくれたのは、ただ北一輝がいただけだったという幻想があるようにおもわれる。そしてそれは、北が二・二六で刑死してしまうことによって、「あの人が生きていれば朝鮮の独立は・・・」という幻想をよりふくらませたような気がするのだ。これは、朴烈が関東大震災のおり匿われたという事実や、『日本改造法案大綱』の巻七の記述が、底にあるのにちがいない。

 自身のうちに何分の1かの朝鮮民族の血をひく立原正秋は、昭和40年に発表した『剣ケ埼』に、日朝混血の主人公を描いた。その主人公石見次郎の父親は、日本の陸軍士官学校を卒業した日朝混血の李慶孝という朝鮮軍人で、戦後、日本に育った主人公をたずねて来てじぶんの半生を語り明かすのだが、その話のなかに次のような条りがある。

 ・・・私は陸士(陸軍士官学校)時代に、中国人の級友を通じてその西田(税)にあった。陸士三十四期生で、広島の師団に籍をおいていたが、病気をして軍隊から退いた。その西田が、私を北一輝のもとにつれて行ってくれた。大正十五年の秋だった。私はそれまで、西田にすすめられ、北の〈国体論〉〈日本改造法案大綱〉を読んでいたが、とりわけ後者のなかの一節、〈朝鮮其ノ他現在及将来ノ領土ノ改造方針〉にかなり惹かれていた。私が日本人として生きるには限界があったが、朝鮮人として生きるなら限界がなかった。(中略)北という男は、ごろつきのような一面もあり、狡猾な面もあった。
 しかし、彼の朝鮮に関する一文は、なお私のなかで生きていた。純粋の朝鮮人なら、ついて行けないその一文に、私ならついて行けると思った。私の混血がそうさせた。・・・

 この話のなかにある「朝鮮其ノ他現在及将来ノ領土ノ改造方針」とは、わたしがさきに引用したものにほかならない。立原正秋は小説のなかの登場人物に北の『日本改造法案大綱』のその条項を語らせることで、日本帝国主義の支配下におかれた朝鮮人の独立願望と、それが北一輝によって引き取られるかもしれないという幻想の屈折した道すじを示した。それは、立原のなかの朝鮮民族の血が幻想した、『日本改造法案大綱』の隠れた読みかただった。

 朝鮮民族のこういう屈折した心理は、戦後40年たった時点での在日朝鮮人にも徴妙に引き継がれているらしい。数年まえにわたしが会った在日朝鮮人は、当時心配されていた東京大地震にふれながら、「また関東大震災のような出来ごとがおきたら、じぶんは北一輝のような人物のところに隠れますね」と語ったものである。「もちろん、現在にもまだ北一鮮のような人物がいると仮定しての話ですがね・・・」という、註釈つきではあったが。

 『評伝 北一輝』より  <了>。 
 

 ★月海黄樹 『龍宮神示』に戻って 、第五章 から始めます。
 





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