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<続>水素エネルギー対談。
● 対談<続>
 ★「ジュール・ベルヌ賞」の意味

 太田: 水素エネルギーシステムの開発の歴史を振り返ってみますと、10指ほどの重要なポイントがあります。残念ながら、この中には、私の研究は含まれていません。もうあと5つほどあげていくと、私も必ず入ってくると思いますが。
 一七七六年、最初に化学的水素を発見したのがキャベンデッシュで、ケンブリッジ大学出身の学者で、ケミストリー=近代化学の創始者です。亜鉛の中に希硫酸を入れると、水素ができることを発見した。この時点では物理学が入る余地はありませんでした。

藤原: ちょうど近代化が始まった頃ですね。

太田: その通りです。それから10年後、フランスのラボラジェが、鉄のパイプを真っ赤に焼き、真ん中に水を注ぎ込む実験をしたところ、出てきたガスを分析してみたら水素だったのです。つまり鉄が酸化して水素が出てきた。これでやっと物理学が入る余地が出てきました。
 ラボラジエは、ちょっと変わった人で、大学は法科で学び、当時給料がもっとも良かった税務署に就職した。ところが仕事がつまらなかったのか、物理や化学を勉強するようになっていきました。
 
藤原: それは凄いですね。税金を徴収していた人間が、鉄を酸化させれば水素が取り出せる理論を導き出してしまったのですから。

太田: ところが、この人、フランス革命で、断頭台の露に消えてしまいます。悪徳税理士とされてしまったからで、税務署などに就職せず、最初から物理や化学を志していれば良かったのにということでしょう。
 その次の大きな発明が、今注目されている燃料電池です。グローブという人が、一八四〇年に発明しています。

藤原: やっと今実用化かと騒がれているわけですが、そんなにも前から発明されていたのは驚きです。

太田: 早いです。生物学的な方法で電気を起こしたもので、グロー一才電池と名づけられました。今注目されている、酸素と水素を燃料とする燃料電池は一九五二年です。

藤原: それでも五年も前のことになります。
 
太田: その次が、一八六六年のグラハムの発明。パラジュウムという金属がありますね。自分の体積の800倍ぐらいの水素を、低い温度で、身体の中に吸収できるんです。高い温度になると、それを吐き出す。ですから、水素を吸着吸蔵するには、ひじょうにいい金属です。水素の貯蔵装置として、現在も使われていますし、研究もおこなわれています。ただ高価なものなので、パラジュウム以外に安く手に入る金属で、吸収のいいものはないかという研究も続けられています。
 ジュール・ベルヌという小説家をご存知ですか。

藤原: フランスの有名なSF作家。『海底二万海里』、『八十日間世界一周』などは夢中になって読みました。

太田: 一八七〇年に発表された『不思議の島』という作品にエネルギーとしての水素が登場します。主人公が、南洋の孤島に漂着した。食糧は何とか確保できそうだが、燃料がないので料理できない。そこで水素から燃料作りをしたのです。当時は石炭エネルギーが全盛の時代でした。なぜ水素に注目したかは書いていないのですが、水素をエネルギーにという発想が初めて出てきたということで、評価されているのです。

藤原: 先生のプロフィールの中に、「ジュール・ベルヌ賞受賞」とあります。まさか、SF小説を、お書きになったのではないでしょうね。

太田: 時代は飛びますが、一九七四年に国際水素エネルギー学会が創設されます。

藤原: ちょうど、石油ショックの頃で、水素が石油の代替エネルギーとして注目され始めたので、国際的な学会ができたのでしょうか。

太田: 鋭いご指摘です,発足時、ぼくは副会長についたのですが、いまだに会長が辞めないもので、ぼくも副会長のままです。別にそれでかまわないのですが、この学会が制定したのが、「ジュール・ベルヌ賞」で、総合的なアイデアを出し、実験にも成功し、技術開発をした人を表彰するというものです。ぼくが最初に受賞することができました。
 

★小型低コスト燃料電池の可能性
 太田: 話を戻します。燃料電池が発明されたものの、問題は金属の水素化物は重たいものなので、実用化が難しいとされたことです。
 そこで、一八九八年、もう二〇世紀になろうとしている時に、デュワーが液化することに成功したんです。
 当時の物理学者はこぞって、気体を液化する技術の開発に取組んでいました ところが水素とヘリウムの液化がなかなかできず、ヘリウムは絶対無理だということになり、後はもう水素しかない、誰が最初に液化できるか、という時でした。
 液体水素の開発で、ガソリンよりも軽くなった。それなら車の燃料にもなるじゃないかということになったんです。でも、新たな問題が生じた。水素液化は、難しい行程ではないのですが、大型の機械でなければできない。それと、蒸発しやすいという欠点があります。蒸発しないように魔法瓶のようなものに入れておくのですが、それでも蒸発していく。完全に防ぐことが出来ない。だからまだ実用化というところまでいっていないのが現状です。

藤原: しかし、トヨタやホンダは燃料電池車の開発をして、まもなく売り出すようです。

太田: それは今から10年ほど前にホンダのバラード社が、一個が紙の薄さはどの燃料電池、PEMFCの開発に成功したので、それを取り入れたからです。しかし、コスト的には、まだ採算が取れない段階です。
 他にも注目しなければならないのは、水を分解する方法です。「本田・藤島法」と命名された半導体電極による水分解法が1969年に発見されました。
 私も以前から水分解の研究をしていたのですが、半導体熱電法でやっていて、残念ながら効率はそれほどに上がらなかった。もしも私が開発に成功していたら、この10の重要なポイントに入ったでしょう。
 でも私は、コストもかからず、小型にするためにはどうすればいいのか、新しい提案を最近しています。国際水素エネルギー学会報の今年八月号の巻頭第二の論文として掲載されていますが、超伝導を取り入れたものです。小型で、蒸発予防装置もついている。今実際に予備実験をしている最中で可能性としては高いという結果が出ています。

藤原: それは凄い。今後のエネルギー問題の解決につながるのではないでしょうか。きっと一一番目の重要なポイントになりますね。
 

★精神文化が欠落した科学技術立国

 藤原: さらに先生にぜひともお伺いしたいことがあります。ヒンデンブルグの飛行船事故がありますね。水素に引火して、爆発、炎上した、水素は爆発しやすいという不幸なイメージが定着してしまいました。

太田: その通りで、ヒンデンブルグの飛行船の話も10の主要なポイントの一つで、このため開発が遅れることにもなったのですが、一方で安全性に最大限気をつけるようになったのですから、プラスの面もあるんです。

藤原: 問題は、それが原子爆弾から進んだとされる水素爆弾の問題に繋がるのでしょうか。

太田: 原子力は、水素とは別問題です。人間の命を育んで、知的な世界を構築したり、ハードな世界を作ったりしたのは、すべて原子核以外の世界なのです。原子核の内部の世界は、人間の生というもの、生活、環境に関与してきませんでした。
 ですから、水素エネルギーが重要視する安全と、原子力の安全性とをごっちゃにして論じてはいけないということです。

藤原: つまり原子力は、人間が本来持っている知恵の延長線上からは、ちょっと離れているということですね。

太田: その通りです。離れている。よく原子力はC02を出さないからいいんだ、などと言う人たちがいますが、今のところはほんの僅かな量でしかないから、何も問題は起きませんが、それでは将来地球上に放射能が増えてもかまいませんか、ということです。増えないと言う人もいますが、それは明らかに嘘です。
 私は、太陽エネルギーによる水素のクリーンシステムを1973年に提唱しました。つくづく思ったものです。太陽エネルギーをもらって、効率良く利用しているのは植物の葉っぱなのです。可能な限り知恵をしぼり、眠らないで研究し続けても、葉っぱにはかなわないということです。自然の偉大さが判りました。しかも、植物がそういう技術をものにするまでには二億年もかかっているんです。我々が一朝一タにできるわけがないということです。
 太陽エネルギーは太陽にまで行けば核融合の世界ですが、地球上では植物がそれを受けて、酸素を出して、光合成をして、まさに生命の基の世界になっている。これを大切にしなければいけない。
 ところが簡単じゃないか、原子力で電気を起こして水を分解すればいい、難しいことは言うなと言う。でもそういうことをするから問題が起きる。問題が起きても対応ができない。フィロソフィとしては、納得しがたいのです。
 日本は科学技術立国を目指しているそうです。しかし、現状は経済界主導ですね。人間の立場が二の次になっている。何か問題が起きないと、人間の立場に立って考えない。
藤原: 経済主導になると、どうしても大事なことが忘れられてしまう。精神文化が欠落しているということですね。それが先生のおっしゃるフィロソフィなのでしょうか。

太田: フィロソフィなきところに、生命なし―です。命というのは、必ず環境とインタラクティブ(相互の情報交換、相互作用)されていなければなりません。それがエコです。人間が生きていくことに対するフィードバックがフィロソフィです。お金で結びついているのではなく、精神的なものが基本です。「偽りなき空の色」なのです。
   

★ 論文も俳句もトイレで練る

藤原: 今日は、たいへんクオリティの高いお話をお伺いすることができました。それも、感心させられたのは、80歳代半ばのお歳なのに、新しいテーゼまで提唱されたことです。
 構想を練る、ロジックを生み出す、先生にとって、どういう場ですと、冴え渡るのでしょうか。
太田: トイレです。私の論文は、ほとんどトイレでイメージされています。だから、トイレットペーパー論文ということになる。トイレは長いですよ。一時間ほどこもりますから。

藤原: 日本民族だからできることですね。腸が長い、そして草食動物。

太田: そうなのかもしれません。トイレは書斎のようになっていて、筆記用具やカレンダーなど、みんな備わっています。ただ、病気をしてからは、少しずつ短くなりつつありますが。

藤原: 意外といっては失礼ですが、先生は俳句を詠まれる。これもトイレですか。

太田: 俳句を詠むきっかけになったのは、やはり京都にいたからでしょう。俳句の会に入っている友人がいて、それも従来の俳句とは異なったもので、興味を持った。そのうち本格的に勉強したいと思い始め、二年生の時に、加藤楸邨先生の門下に入りました。
 ただ、私の場合、1954年、物理に専念したいから筆を折りますと、楸邨先生に句の別れをしまして、以来、自分で俳句はつくるけれど、公表はしない、結社に入らないということにしたのです。
 ところが1988年、私は横浜国大の学長になり、しばらくして有馬朗人さんが東大の学長になられた。私と同じ物理学で、俳句がお好きだった。刺激されまして、復帰することにしました。
 
藤原: さきほど「偽りなき空の色」というロマンあふれる言葉がでましたが、これも先生の句の一節なのでしょうか。

太田: まさしくそうですが、まだ完成していません。
藤原: 最近詠んだ句で、これぞというものをご披露していただくとありがたいのですが。それが今日の対談を閉めるのに、何よりふさわしいと思います。
 
太田: お恥ずかしい限りですが・・・。

これはこの  業火の如き  彼岸花
生命尽きんときも  蟷螂  斧かざす
 
水素エネルギー開発に半生を捧げて

水燃ゆる  陽炎透けて   明日燃ゆる

 いかがでしょうか。

藤原: 名句ばかりです。ありがとうございました。 

 ********************* <完>。
 

 ★以下は、参考までに。
 ★<佐伯祐三調査報告>より

 ・・私(落合莞爾氏)は武生市のこの姿勢に対抗して、真贋事件の始終を世に問うべく、「天才画家『佐伯祐三』真贋事件の真実」を執筆した。原稿はほどなくできた。出版をめぐって時間が掛かったが、最終的に、時事通信社の★藤原作弥解説委員長(現日銀副総裁)の推挽で、時事通信社から出版することができたのは、平成九年五月三十日のことであった。この拙著が事実上の落合報告書である。・・

 


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水素エネルギー
毎月末は、『ニューリーダー』誌連載の<落合論文>の紹介をしていますが、今月は同誌から、興味深い対談を先にアップしておきます。

連載《作弥のハートフル対談》水素エネルギー開発で「偽りなき空の色」を追究
●フィロソフィなき科学技術に生命なし
対談者:横浜国立大学名誉教授・元学長 太田時男

 ★西田哲学「純粋経験」への疑問

藤原: 先生は、世界から「ドクターハイドロジェン(水素」と呼ばれるほど、水素エネルギー学のパイオニアとして活躍してこられました。そのご本人を前にして、お話をお伺いできるなんて、めったにない機会です。よろしくお願いいたします。
 ただ、先生の本来のご専門は物理学で、金沢の旧制四高に学ばれ、その縁で西田幾多郎の哲学に傾倒された。ところが、壁にぶつかったりもした。要するに西田哲学との格闘が哲学から、物理学に移行していくことになったと伺っています。

太田: 西田先生とは縁がありまして、生まれたところが、私の生家から汽車で一五分のところでした。先生は定年になって、鎌倉の稲村ケ崎に住みましたが、今私が住んでいるところでもあります。
 西田哲学が言う「純粋経験」というのは、理性がまったく入らないような経験、後天的な知識で加えられていない経験のことです。たとえば、よく知られている話ですが、かのリルケが南方の島のホテルで朝聴いた鳥のさえずりは、鳥が発したのか、自分か発したのか、まったく判らなかった。初めての経験で、これが「純粋経験」です。自分の理性がまったく加えられていない経験、これこそ真理であると、西田先生が四高の学生だった時に、金沢の街を歩きながら、達観したものです。

藤原: カント(?)の言う、「我思う、ゆえに我あり」ですね。

太田: そういうことです。しかし、ぼくは、そんなばかなことはないと思ったんです。物理学が求める客観的な真理もあるじゃないかと思ったりしました。それで、哲学に向かわず、物理学を志すようになったのです。
 四高(しこう)は東大を目指す者が多いのに、物理を学びたくて京大に進みました。当時の京大には湯川秀樹先生がおられたからです。一年の時の主任教授でもありました。ただ、先生は学生に教えることより、どちらかというと朝から晩までご自分の研究に没頭されていた。先生のいいところかもしれませんが、弟子にすれば、かなわなかったでしょう。

藤原: 東大と京大を比較つもりはさらさらないのですが、東大というと、どうしても官僚を養成するところの印象が強い。それに比べて京大は、哲学にしろ、科学にしろ、思索するタイプの人間を養成するところではないかという気がするのですが。

太田: その通りです。哲学にしても、東大の哲学は文献学であって、西欧の哲学を解釈し、教えることが仕事で、オリジナルなものがなかった。
 湯川先生のオリジナルな学問である「素粒子論」なども、東大には講座がなくて、湯川先生かひと月に一度、上京して教え、それで東大にも素粒子の基礎が形成されたんです。

藤原: やはり中央なり、権力なりに対してアンチテーゼがないと、文化はアウフヘーベンしていきませんね。

太田: ですから法科でも京大には滝川幸辰先生がいて、批判する立場を貰き通しました。

藤原: 戦前、危険思想だとみなされ、文部省は処分しようとしたが、京大の教授会は認めようとせず、対立が起きた。いわゆる滝川事件ですね。

★水素が「トリレンマ」を解決する

太田: さて、京大で物理学を勉強していけばいくほど、実は西田哲学を見直すようになっていきました。私が入った時は、もう西田先生はおりませんでしたが、京大の哲学講座を長く持っていて、強い影響を与えていました。
 日本のオリジナルな哲学というと、西田哲学が最初のものです。湯川先生も西田哲学に傾倒されていました。

藤原: 京大の哲学講座は、後に京都学派と言われるほどで、波多野精一、田辺元などもいて、その中心が西田さんでした。弟子には三木清などがいます。錚々たるものでした。

太田: 西田さんが思索を垂ね、極めたことが、「弁証法的一般者としての場の論理」でした。弁証法というと、ヘーゲルですが、それはテーゼとアンチテーゼでジレンマなんですね。西田哲学の言う「弁証法的一般者」とは、多次元的な矛盾を称したものです。つまりトリレンマなんです。

藤原: トリレンマというのは、二項の対立ではなく、経済成長、エネルギー需要、環境保全が、恋愛での三角関係のような構図になっているということですね。それぞれが、いい意味でも、悪い意味でも、影響を与え、問題化している。

太田: 既存のエネルギーは、化石燃料(FF)と言われる石炭、石油、天然ガスといったもので、これらは資源枯渇性があり、経済効果とか、地政学的なエフェクトが大きかった。一方でそれを使うことで、環境汚染や大気汚染、最近ではC02の問題を生みだしてきた。
 資源の豊富なものは、価格は安くなるが、環境を悪くする。天然ガスなど、元々資源が少ないものは、価格は高いが、環境汚染は少ない。こういったことがトリレンマなんです。
 そして、これらの問題が解決できないと、経済的には価格が不安定になり、高騰を招いたりすることになります。

藤原: 今、先生がおっしやったことを図式化(図1・P40)したものが、目の前にあります。価格の高騰を招くのなら、それを安定させるためにはどうすればいいのか、価格、枯渇、汚染と、それぞれで考えてもしょうがない。この三つの関係をどうしていけばいいのか。要するに、環境をクリーンにし、資源が再生可能なものを、これからのエネルギーの中心にしていくことであり、その具体的なものがH2、水素エネルギーであるという。そう理解してよろしいでしょうか。実に興味深いことです。

太田: その通りです。

藤原: これが先生が念願とされている最大のテーマであり、サスティナブル、持続可能を目指した社会におけるエネルギー活用につながるというわけですね。

太田: サスティナブルにしようと思ったら、多次元的でなければいけないんです。ヘーゲル的なテーゼとアンチテーゼでは解決できない社会になっているということです。ということは、西田哲学は、今の社会においても、指導原理になりうると思います。

藤原: そこで、これらを踏まえた上で、今日は、水素エネルギーについて、ご教授願いたいのですが。

 <続>
 





『犬身』<追記>
 
 最後に、「週刊・読書人」第2714号(11.23)の巻頭特集から。 

 ●松浦理英子『犬身』を読む。  小谷真理 評 

 『犬の眼』というタウン誌編集に携わる八束房恵(やつかふさえ)は、編集長・久喜洋一とつきあっていたが、三十をすぎて、なにかしらの身辺変化を考えるようになっている。
 そんなある日、老犬のナツと飼い主の陶芸家・玉石梓(たまいしあずさ)と知り合い、両者の関係に好意を持つ。
 実は、房恵は、幼いころより犬になりたいという欲望を抱いており、脳内自己イメージが犬であった。
 この本気とも冗談ともつかぬ願望に対し、バー「天狼」の謎めいたマスター・朱尾献(あけおけん)は、房恵の犬になりたい願望をかなえてやろう、と持ちかける。そして、その代償は房恵の魂だというのだ。
 
 メフィストフェレスのごとき奇妙な申し出を受けることにした房恵は、ナツ亡き後、子犬・フサに変身し梓に飼われることになる。朱尾からもらい受けた子犬がまさか房恵であることを知らない梓は、犬愛好友だち房恵との突然の別離を哀しみながらもフサを慈しむ。
ところが、梓の私生活に入り込んだフサ=房恵は、飼主との幸福な関係に満足するものの、意外にも梓の家族には、実はおそろしくこみいったナゾが隠されていたことを知る。

 というわけで、ゲーテ『ファウスト』を彷彿とさせる設定ながら、現代のファウストが踏み込むのは、核家族内部で展開される、いびつなパワーバランスの世界である。戦後の核家族がいかに密室化されるか、監視なき閉鎖空間で操り広げられてきた陰惨な家族密着関係性の物語は、親子・母子・兄妹間の精神的・肉体的愁嘆場と化す。そのおぞましき光景を、ファウストたる犬の視点がとらえ、メフィストフェレス的役割を担う朱尾との間に、対話が行き交う。

 いっけん破天荒で非現実敵な展開だが、そくはかつて、『親指Pの修業時代』で我々を痺れさせた松浦理英子のことだ。細かく的確なディテールが丹念に積み重ねられて圧倒的なリアリティーが立ち現れる。
 その凄さはまさに彼女が帰ってきたという感動を導くだろう。それほど、本書の構成には緻密な洞察が満ちており、筆致は怜悧で、時折さしはさまれるユーモアには、そこはかとない哀しみが漂う。
 たとえば、犬へのメタモルフォセスを扱うとはいえ、身体変貌に関する幻想構築は、複雑きわまりないプロセスを経る。

 三十代の女性が犬に変身する。それはいいとして、その体験は当初女から女=牝犬から始められるのではなく、牡犬から始まり、梓の兄(彬=あきら)の示唆ですぐさま去勢されるのだ。その立場から女飼い主(梓)の私生活が観察される。・・・
 
 犬を必要とするヒトの心情とはいったいなんだろう。異性愛や同性愛、フェティシズムや母子密着、サティズムやマゾヒズム、家底内暴力や近親相姦、ことあるごとにわれわれの関係性はそうした名付けによって切りわけられ、それらの境界の曖昧さを隠蔽されたまま忘却されているけれど、犬との関係などは、その曖昧さのただ中にあって、たしかにそのどれからも逸脱し、宙づりになっているに違いない。
ヒトの身体から犬の身体へ変身する房恵や、親族関係はズタズタでも犬との関係こそ良好な梓のように、極端な行動へと追いつめられていく女性たちが、犬とヒトとの関係性を身近なものとする、その願望の底に、何を隠しているのか。どういう現実感と繋がっているのだろう。
その点、中途で、房恵が考える性同一性障害ならぬ種同一性障害(ヒトと犬はその一例)なる考え方が評者(小谷真理)にはもっともおもしろい部分であった。・・・以下略。

***********************
 
 
 また、インタビュー(聞き手・大野由美子)のなかで、松浦理英子は言う。

 ★ 作品のきっかけは確か2002年ごろだったと思います。「SFバカ本」というアンソロジーのシリーズものをおくっていただいて、楽しく読んだあとに自分だったらどんなバカ小説が書けるかと思ったんです。・・・

 ★ (純血種、ブランド犬信仰について聞かれ、) 
 そうですね、ほんとうの犬好きは人為種かどうかということにはこだわらないのではないか、という疑問は持っています。人為種は犬の身にならないで、人間のエゴのために無理やり作り出してきたものです。
  だから障害があったり、短命であったりといった犬種がいるわけです。しかし犬は本来そのへんで勝手に繁殖していて、自然な性質として人間に対して親しみを感じてくれる生き物だと思うんです。
  そもそも原種に近い犬のかたちのほうが美しいのに、といったような熱い思いは確かにありました。・・・以上。
 


熊楠・『十二支考』より。
 南方ワールド、「犬」編をほんの少しだけ。

  ***************

 ●ルーマニア人は、犬の寿命を二十歳と見立てたらしい。その話にいわく、上帝世界を造った時、一切の生物を召集してその寿命と暮し方を定めた。一番に人を召し、汝人間は世界の王で、両足で直立し上天を眺めよ、予汝に貴き免状を賦与し、考慮と判断の力、それからもっとも深き考えを表出すべき言語の働きをも授くる。地上に活き動く物は空飛ぶ鳥から地を這う虫までも汝に支配され、樹や土に生ずる諸果ことごとく汝の所用たるべく、汝の命は三十歳と宣うた。人間これを承って喜ばず、いくら面白く威勢よく暮したってただ三十年では詰まらないやと呟いた。

 次に上帝、驢馬を招き、汝は苦労せにゃならぬ。すなわち、常に重荷を負い運び、不断笞うたれ叱られ、休息は些(わずか)の間で、薊や荊の粗食に安んずべく、寿命は五十歳と宣う。驢馬これを聞いてひざまずいて愁い申したに、慈悲無辺の上帝よ、某(わたしは)そんな辛い目をして五十年も長らえるは、いかにも情けない。どうか特別の御情けで二十年だけ差し引いていただきたいと、その時強慾の人間差し出て、さほど好まぬ驢馬の二十年を某(わたし)へ融通されたいと望みの通り二十年加えて、人の命を五十歳と修正された。

 次に上帝犬を呼び、汝は汝の主たる人間の家と産を守り、ひたすらこれを失わぬよう努力
せにゃならぬ、すなわち月の影を見ても必ず吠えよ、骨折り賃として硬い骨を噛り粗末な肉を喰らい、寿命は四十歳と聞いて犬は震え上がり、そんなに骨折って骨ばかり食えとは難儀極まる。格外の御慈悲に寿命を二十歳で御勘弁をと言うもおわらぬうちに人間また進み出で、さほどに犬の気が進まぬ二十年を私に下さいと乞うたので、また二十年を加えて人の寿命七十歳となった。

 最後に上帝、猴(さる)を呼び出し、汝は姿のみ人に似て実は人にあらず。馬鹿で小児めいた物たるべく、汝の背は曲がり、常に小児に嘲弄され痴人の笑い草たるべく、寿命は六十歳と宣うを聞いて、猴 弱り入り、これは根っからありがたからぬ、半分減じて三十歳に御改正をと聞いて人間またしゃしゃり出で、猴の三十歳を貰い受けて人の寿命は百歳と定まった。

 かくて人間は万物の長として、最初上帝が賜わった三十年の間は何一つ苦労なしに面白く暮し遊ぶが、三十過ぎてより五十まではもと驢から譲り受けた年齢故、食少なく事煩わしく、未来の備えに蓄うる事にのみ苦労する。さて五十歳より七十まで、常に家にありてわずかに貯えた物を護るに戦々競々の断間(たえま)なく、些の影をも怖れ、人を見れば泥棒と心得吠え立つるも、もとこの二十年は犬から譲り受けたのだから当然の辛労である。

 さて人が七十以上生き延ぶる時は、その背屈み、その面変り、その心曇り、小児めきて児女に笑われ、、痴人に嘲られる。これもと猴(さる)から受けた三十年だからだと。

 *もう5~6年前になるか、県・美術館から乗車された中年婦人にこの話をしたことがある。
 面白いので早速帰りの新幹線で読みたいと言い、駅近くの書店で岩波文庫を求めて行った事だった。


●『今昔物語』二九に、
 陸奥の山人、数匹の狗(犬)を連れて山に入り大木の胴中に夜を過ごす。夜更けて狗ども皆伏せたが、長年飼った大変賢い拘(犬)一匹が急に起きて主に向って吠えやまず、そのうちに踊り掛かって吠える。太刀抜きて戚(おど)してもますます吠え掛かる。こんな狭い処で食い付かれては、と思うて外へ飛び出る時、その拘(犬)、主人がいた洞の上方に跳び上り物に食い付く、さては我を咬むとて吠えたでないと知って見ると洞の上から重き物、落ちる。長さ二丈余、太さ六、七寸ばかりの蛇が頭を狗に食われて落ちたのだった。さては我命を救うたこの犬は無上の財宝と知って狗を伴れて家に帰った。その時拘を殺したら狗も自分も犬死にすべきところじゃったとある。

 この話が移り変って『和漢三才図会』六九には、犬頭社は参河(三河)国上和田森崎にあり、社頭四十三石、犬尾社は下和田にあり、天正三年中、領主・宇津左門五郎忠茂、猟のため山に入る、家に白犬ありて従い走り行く、一樹下に到り忠茂にわかに眠を催す、犬傍にありて衣の裾を咬えて引く、やや覚めてまた寝ぬれば犬しきりに枕もとで吠ゆ。忠茂熟睡を妨ぐるを怒り腰刀を抜きて犬の頭を切るに、樹梢に飛んで大蛇の頭に喰らい付く、主これを見て驚き蛇を切り裂いて家に還り、犬の恋情を感じ頭尾を両和田村に埋め、祠を立てこれを祭る。家康公聞きて甚だ感嘆す。かつ往々霊験あるを以て采地を賜う。けだし宇津氏は大久保一族の先祖なりと出し居る。

 『今昔物語』二六に、
 参河(三河)国の郡司、妻二人に養蚕をさせるに、本妻の蚕皆死んで儲けもなくなったので夫も寄り付かず、従者も逐電(去り)して淋しく暮す内、養いもせぬ蚕一つ桑の葉に付いて喰うを見付けて養う内、家に飼った白犬がその蚕を食うた。蚕一つすら養い得ぬ宿世を哀しみ犬に向いて泣きいると、この犬鼻ひると二つの鼻孔より白糸二筋出る。それを引いて見ると陸続として絶えず、四、五千両巻きおわると犬は死んだ。これは、仏神が犬に化し、われを助くる事と思うて、屋後の桑木の下に埋めた。夫の郡司たまたまその門前を通り、家内の寂寞たる様子を憐み、入りて見れば妻一人多くの美しい糸を巻きいる。夫問うて委細を知り、かく神仏の助けるある人を疎外せしを悔い、本妻の方に留まって他の妻を顧みず、かの犬を埋めた桑の木にも繭を作り付けあるを取りて無類の糸を仕上げた。やがて国司を経て朝廷に奏し、かの郡司の子孫今にその業を伝えて犬頭という絶好の糸を蔵人所に納めて、天皇の御服に織ると見ゆ。すこぶる怪しい話だがとにかく三河に昔犬頭という好糸を産し、こんな伝説もあったので、犬頭社は、もとその伝説の白犬を祀ったのを後に大蛇一件を附会して犬尾社まで設けたのでなかろうか。
 
 犬が大蛇を殺して、主人を助けた話は、西洋にもある。ベーリング・グールドの『中世志怪』六章や、クラウストンの『俗談および稗史の移動変遷』二巻一六六頁以下に詳論あり。今大要を受け売りと出掛ける。十三世紀の初めウェールスのルエリン公、その愛犬ゲラートをして自身不在ごとにその幼児を守らしめたが、一日外出して帰って見ると揺藍に児見えず。そこら血だらけで大の口に血が附きいた。さてはわが子はこの犬に食われたと無明の業火直上三千丈、刀を抜いてやにわに犬を切り捨てた。ところが揺藍(ベビーカー)の後ろに児の啼き声がする。視ればわが子は念なくて、全く留守宅へ狼が推参して児を平らげんとする処をこの犬が食い殺したと判った。公、大いに悔いて犬のために大きな碑を立て、これを埋めた地を犬の名に基づいてゲラートと名付けたそうだ。

 中世欧州で大いに読まれた教訓書『ゲスタ・ロマノルム』にはいわく。
フォリクルスという武士、妻と婢僕を伴って試合に出掛け、ただ一人の児を揺藍に容れ愛する犬と鷹を留め置く。城辺に棲む蛇来て児を嘸(咬)もうとすると、鷹、翅(羽根)を鼓して犬を起し、犬、健闘して蛇を殺し地に伏して疵を舐める。
 ちょうど、そこへ還った乳母は逆上、犬が主人の児を啖った(食った)と誤解し、逐電の途上主人に遭ってその通り告げる。主人大いに怒って帰り、迎える犬を斬り殺し覆った揺藍を視ると、児は無事で側に蛇が殺されている。フォリクルス早まったと気付いても跡の祭り。
 槍を折り武道を捨て聖上を巡拝して、再び還らなかったと。一三七四年筆の、ペルシャの『シンジバッド』十七に述ぶる所もほぼ同前だが、これ犬の代りに猫としている。・・・
 


 ・・・熊楠公の博覧強記並ぶものなく、とどまる所を知らず、・・・以下略・・・
    



『犬身』(続)
★南方熊楠 『十二支考』(岩波文庫下巻)の「犬に関する伝説」を脇において、

 読み進めば、少なくとも犬派の方には「至福の時」が保証される。

 「 ・・・
 お話作りはさすがに中学に進むと部活動や人づき合いに取り紛れてだんだんやらなくなったが、現実での犬との触れ合いは飼犬が死んでからも絶やさず、近所で飼われている犬を飼主に断わって散歩に連れ出したり、友人の家の犬と遊んだり、スーパーマーケットの前などで飼主を待つ犬にまめに愛想を振り撒いたりと、ささやかではあっても交流経験を積み重ねたので、それなりに犬を見る眼を養えたし、犬とのつき合いの技術も磨けた、自分なりの犬観も自然とできて行った、と思う。学問的な知識はあまりないけれど、犬を飼った期間が短いわりには犬とのなじみがある方ではないかと自負してもいる。

 大学の卒業旅行で久喜と一緒にインドに行った時こそ極楽で、牛や山羊が放し飼いにされていることが知られているインドの町には野良犬も多く、自分から人なつっこく寄って来るのもいるし、人間を見ようとしないでじっと誰っているのでも、たいていは舌を鳴らして呼ぶと近づいて来て撫でられるままになるので、久喜が「汚ないからやめろよ」「噛まれても助けないぞ」と言うのも聞かず、房恵は毎日夢中で犬との親睦に励んだ。それで何度か久喜と喧嘩をした。

 「ガイドブックに書いてあるぞ、インドでは狂犬病が根絶されていないから、野良犬に近づくなって」
 「そんな公式的な注意を鵜谷みにしちゃだめよ。噛まれなきや狂犬病にならないでしょ。わたしは噛まれないように注意してるわよ。よく見てて。わたしは自分から犬には近づかない。呼ぶと嬉しそうな顔をして寄って来る噛みそうにない犬としか遊んでないから」
 「真菌とかエキノコックスとか、犬からうつる病気はどうするんだよ?」
 「それは・・・防げないね」
 「真菌なんて、おまえにうつったらおれにもうつる可能性があるんだぞ」
 「そんなことが怖いんだったら、わたしには指一本触れないでよ」
 「犬馬鹿め。おまえの脳味噌はたぶん半分くらい犬でできてるな」

 埃っぽいゲストハウスの部屋で久喜が吐き捨てたそのことばが、房恵の心を揺さぶった。大学在学中女子学生たちに「けっこうきれいな顔立ちをしてるのに、いつも剽軽な顔つきでいるからあんまりハンサムに見えない」と囁かれていた久喜の顔が、インドに入って以来あちこちで眼にするヴィシュヌやシヴァやクリシュナらインドの神々の絵姿のように美しく見えた一瞬でもあった。
 「ああ、そうだったんだ」思わず呟いた。
 「何が?」 腹立ちの治まらない口調で久喜は尋ねた。
 「ずっと変だと思ってたの。でも、今俯に落ちた。わたしは体は人間だけど、魂の半分くらいは犬なのよ」
 「何言ってんだ。おまえはほんとに・・・」

 久喜は顔をしかめたのだけれど、久喜に対する感謝の気持ちでいっぱいだった房恵は、いつかしら「犬化願望」と名づけた自分の願いを、小学校二年生の時以来約十四年ぶりに人に打ち明けたのだった。
 「性同一性障害ってあるじゃない? 『障害』っていうか、体の示す性別と心の性別が一致していないっていうセクシュアリティね。それと似てるのかな、わたしは種同一性障害なんだと思う」
 「日本に帰ったら精神科の病院に行けよ。医者は新しい病気を学会に報告するチャンスができて喜ぶだろうな」
 すんなり納得するはずもなく、久喜はそう嘲った。
 
 房恵にしても、自分で思いついた病気だし、笑いを誘う話の種として楽しもうとする気持ちもないではなかったのだけれど、体は人間、魂は犬という「種同一性障害」の概念は房恵の特性を理由づけるのにあまりにも便利だった。犬への愛情と犬化願望だけではなく、人間の誰にも、男にも女にも、恋愛感情や性的欲求を抱かない理由まで説き明かせるのだから。おかげで自分でも自分の特性に納得が行き、居場所がはっきりしたという気がして、安心感を得たばかりではなく、感激に涙ぐみそうにもなったのだった。
種同一性障害という病気を、百パーセント信じてはいないけれどいくらかは信じている、ないしは信じたいと願っている。馬鹿みたいだと感じるけれど、自分でも笑ってしまうけれど、この思いつきは手放せない。房恵の心境はそういうものだった。以来、人間との性行為にはますます冷淡になった。房恵を口説きにかかる人間がいると、わたしとのセックスは獣姦なのに、わたしが人間の姿をしているばっかりにわからないんだ、と相手が気の毒にもなれば、そんな気持ちになる自分が滑稽で吹き出しそうにもなるのだった。

 「種同一性障害って言ったって、じゃあ、おまえ大とセックスできるのか?」久喜は何箇月かの間、まっとうに追及した。「できないだろう? でっち上げだろう、そんな病気?」
 「いや、体の種と魂の種が違っているから、犬と人間と、どっちの種に対しても性的に不能なんじゃないのかな」
 「よし、そこまで言うんなら一生言い続けるんだぞ、種同一性障害とやらだって。後になって『やっぱり違ってた』なんて言ったら怒るからな」
一生言い続けられるかどうか断言はできないけれども、あのインド旅行から八年、三十歳になっても房恵の自己認識は変わらず、年を経れば経るほど、自分が人間には「馴れ親しんだ感じ」以上の好意を持てなくて、犬に対しての方が情熱的になる、という確信が深まって行く。ただ、種同一性障害という病気を思いついた当初の喜びはとっくに薄れ、今では、じゃあ種同一性障害のわたしはいったいどうしたら満足の行く生き方ができるんだろう、と考えては、何も思い浮かばず気落ちするようになっている。
 
 性同一性障害であればさしあたっては性転換手術が目標になるのだろう。けれど、種転換手術は技術的に不可能だし、かりに犬になれたとしても、室内飼いでまともな食事を与えてくれ散歩にもきちんと連れて行ってくれる立派な飼主に恵まれればいいけれど、ろくでもない人間に飼われて虐待されたりいばられたり繋ぎっ放しで放置されてはつまらない。野良犬として気ままに生きようにも、日本にいてはすぐに保健所に捕えられ殺処分されるのが落ちで、幸せになれるとは思えない。
実現可能な希望としては、将来犬と一緒に暮らしたいというものがあるにはあるけれど、・・・以下略。
 




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